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【使徒行伝 22:4、7〜8】 この道を迫害し、男であれ女であれ、縛りあげて獄に投じ、彼らを死に至らせた。 ・・・ そして、『サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか』と、呼びかける声を聞いた。 これに対してわたしは、『主よ、あなたはどなたですか』と言った。 すると、その声が、『わたしは、あなたが迫害しているナザレ人イエスである』と答えた。 とても不思議な話ですね。 サウロが迫害していたのは、この道(主イエスを信じる)の者たちでした。 しかし、天からの声は、『なぜわたしを迫害するのか』であり、 『あなたが迫害しているナザレ人イエスである』でした。 主イエスを信じた人たちを主はご自身であると言われます。 何とすごいことでしょうか。 パウロもこの大きな出来事で180°改心しました。 改心というよりも神の本当の願いを見せられたと言うべきでしょう。 この事が大事であるために、パウロは何度も証しをしています。 とても不思議だけど、事実であり、私たちの信仰の基だと思います。 今回の花は、「あじさい」でした。 ※聖書の箇所は、日本聖書協会「聖書」(口語訳)より引用
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使徒行伝
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【使徒行伝 10:11〜16】 すると、天が開け、大きな布のような入れ物が、四すみをつるされて、地上に降りて来るのを見た。 その中には、地上の四つ足や這うもの、また空の鳥など、各種の生きものがはいっていた。 そして声が彼に聞えてきた、「ペテロよ。立って、それらをほふって食べなさい」。 ペテロは言った、「主よ、それはできません。わたしは今までに、清くないもの、汚れたものは、 何一つ食べたことがありません」。 すると、声が二度目にかかってきた、「神がきよめたものを、清くないなどと言ってはならない」。 こんなことが三度もあってから、その入れ物はすぐ天に引き上げられた。 【使徒行伝 11:17〜18】 「・・・ このように、わたしたちが主イエス・キリストを信じた時に下さったのと同じ賜物を、神が 彼らにもお与えになったとすれば、わたしのような者が、どうして神を妨げることができようか」。 人々はこれを聞いて黙ってしまった。それから神をさんびして、「それでは神は、異邦人にも命に いたる悔改めをお与えになったのだ」と言った。 【使徒行伝 11:19〜21】 さて、ステパノのことで起った迫害のために散らされた人々は、ピニケ、クプロ、アンテオケまで も進んで行ったが、ユダヤ人以外の者には、だれにも御言を語っていなかった。 ところが、その中に数人のクプロ人とクレネ人がいて、アンテオケに行ってからギリシヤ人にも 呼びかけ、主イエスを宣べ伝えていた。 そして、主のみ手が彼らと共にあったため、信じて主に帰依するものの数が多かった。 【使徒行伝 11:26】 ・・・ このアンテオケで初めて、弟子たちがクリスチャンと呼ばれるようになった。 私たち異邦人(ユダヤ人以外)に主イエスの福音がもたらされた最初の物語です。 使徒行伝 10:11〜16 で、ペテロは幻を見ました。 この幻のすぐ後に、コルネリオから送られた人たちが、ペテロを訪ねてきました。 更に、御霊が、彼らと一緒に出かけるように言いました。 このことにより、ペテロは幻の意味を知ることができました。 当時、ユダヤ人は他国の人と交際することを禁じられていました。 神の救いも彼らだけのものと考えていました。 しかし、神様の意図は異なっていました。 神様は、全ての人を愛し、救いたいと願っています。 そのために、ペテロに幻を示されました。 当時、主イエスを信じた人たちの中で一番影響力のあったペテロを用いられました。 (改心したばかりのパウロでは、彼らに拒絶されたことでしょう) ペテロ(Peter)は、ギリシャ語読みで、意味は「岩」です。 この岩の上に主の教会を建てるという約束がありました。 ペテロが、ユダヤ人と異邦人の教会の岩(土台)となりました。 ペテロの働きと同時に、使徒行伝 11:19〜21 では、主も同じ働きをされました。 アンテオケで初めて、弟子たちがクリスチャンと呼ばれるようになりました。 主の働きは、すばらしいと感じます。 今回の花は、「ハナショウブ」でした。 ※聖書の箇所は、日本聖書協会「聖書」(口語訳)より引用
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【使徒行伝 9:15】 「…異邦人たち、王たち、またイスラエルの子らにも、わたしの名を伝える器として、 わたしが選んだ 者である。…」 【使徒行伝 26:32】 そして、アグリッパがフェストに言った、「あの人は、カイザルに上訴していなかったら、 ゆるされたであろうに」。 【ピリピ人への手紙 4:22】 すべての聖徒たちから、特にカイザルの家の者たちから、よろしく。 いやー、神のみことばはすごいですねー。 使徒行伝 9:15 は、サウロに主イエスが現れ改心した時に、主がサウロについてアナニアに 語られたことばです。 なぜ、直接サウロに語られなかったのか…と言うことは置いといて… ここで、主は、「…異邦人たち、王たち、またイスラエルの子らにも、わたしの名を伝える…」 と告げています。 使徒行伝を通して、その後のパウロの働きを見ると、全く告げられた通りで あると分かります。 いろんな神の働きにより、パウロの行動が主の告げられた方向に動いているのが分かります。 特に、使徒行伝 26:32 は、驚きです。 「あの人は、カイザルに上訴していなかったら、 ゆるされたであろうに」。 カイザルに上訴したのは、ユダヤ人がパウロを殺害しようと していることを知ったがための訴えでした。 でも、実は神の働きであると分かります。 パウロがアグリッパ王に証をしたのも、神の働きです。 アグリッパ王は、パウロがカイザルに 上訴していなかったら、許すことができました。 しかし、パウロは、アグリッパ王にも主イエスを伝える勤めが定められていました。 使徒行伝には、アグリッパ王に対し証をしたとの記述はありません。 しかし、ピリピ人への 手紙 4:22 は、そのことを暗示しています。 証をしたことにより、「カイザルの家の者たち」 が救われたものと思われます。 いやー、神のみことばはすごいですねー。 語られたみことばは、かならず達成されるという 証明でもあります。 聖書に記述された神のみことばだけではなく、私たちに直接語りかけられる 生きたことばも、すべて達成されると信じます。 励ましであると同時に、厳粛な事だと感じます。 ちなみに、サウロ(Saul)はヘブル語読みで、意味は「求める」です。 パウロ(Paul)は、ギリシャ語読みで、意味は「小さい者」です。 神を求めるサウロが、主イエスに出会って小さい者パウロになったというのは、いいですね。 名前に大きな意味があるというのも面白いですね。 いつも、まとまりのない文章で申し訳ありません。 それにも拘らず読んでいただいた方、ありがとうございます。 今回の花は、雨上がりの「紫露草(むらさきつゆくさ)」でした。 ※聖書の箇所は、日本聖書協会「聖書」(口語訳)より引用
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【使徒行伝23:3、5】 日本聖書協会「聖書」(口語訳)より そのとき、パウロはアナニヤにむかって言った、「白く塗られた壁よ、神があなたを打つであろう。あなたは、律法にしたがって、わたしをさばくために座についているのに、律法にそむいて、わたしを打つことを命じるのか」。・・・パウロは言った、「兄弟たちよ、彼が大祭司だとは知らなかった。聖書に『民のかしらを悪く言ってはいけない』と、書いてあるのだった」。 こういう聖書の箇所、好きです。 聖書というと、神聖な事柄だけ書いてあると思っている人も居るかもしれませんが、とても人間的な箇所も多くあります。福音書を読んでも、使徒たちの失敗の記述が多くでてきます。特にペテロの失敗は面白いですね。使徒たちも特別な人たちではなく、私たちと全く変わらない普通の人なんだということで、とても励ましになります。失敗・間違いがいいとは言いませんが、人間であるから失敗も間違いもあるんだと思います。クリスチャンだから品行方正でなければ…と、頑張りすぎて精神的な病になってしまう人もいます。そうではなく、神は、品行方正な人だから愛しているのではなく、こんな多くの失敗や間違いをする私を愛してくれていると知ることができます。こんな私を、復活の命で作り変えられることを神が願っているなんて、嬉しいではないですか。 ところで、パウロですが、彼はかつてユダヤ教の中で最も厳格なパリサイ派に属していました。だから、あまり人間的な失敗の記述はありません。でも、上述のような怒りの発言や、宗教的な失敗はあります。 使徒たちとて人間なんだと考えると、クリスチャン生活の励みになりませんか。頑張ってクリスチャン生活をするのではなく、人間生活の中でクリスチャン生活を楽しみましょう。 いやー、お久しぶりで〜す。 毎日ブログをアップしたいと思っているのですが… サラリーマンは、気楽な家業…♪、とは言い難い…。 思うように時間がとれません。 ところで、なぜ、使徒行伝から…という声が聞こえそうですが… 今、聖書を通読(通して読む)していて、たまたま使徒行伝で〜す。 会社で、昼休みに愛妻弁当をいただきながら、1章づつ読んでいます。 使徒行伝は、先日終わり、ローマ書に入りました。 いやー、我ながら、まとまりの無い文章を書いてしまいました。 拾い読みしていただければ幸いです。 バラの写真だけでも結構で〜す。このバラ、近所の公園で撮りました。 面白いでしょう。個人的に、「めおとバラ」と名づけました。 それでは、また…
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