ある内科医の嘆息

30代内科医-うつろいゆく医療行政の狭間に漂う

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嘆息を終える

ある人から言われ、この「ある内科医の嘆息」のブログ更新をこれにて終わることとする。

ある人曰く「ついに嘆息の時代は終わった」と。
私も40歳になった。ポジションもこれまでとはまた変わった。
ただ嘆いてばかりいていい、というわけではなくなった、のだろう。
嘆くべき対象が無くなったのではなく、嘆いてばかりではいられなくなった、ということだろう。

このブログもまた、これまでのように匿名で、言いたいことを放言するだけのものであるならば、意味はないし、影響もないし、害あるだけだろう、ということなのかも知れない。


最後に、駄文・駄作に時にはコメントし、おつき頂いた方々に御礼を申し上げます。

6年たった

7月は、実は当科にとっては異動の時期だ。
今日もまた、随所随所で挨拶が交わされ、この一年一緒に働いてきた若者が、県内各地へと散っていった。また戻ってこいよ、と声をかけ、体を壊さないように、と握手し...再会を約して別れた。

6年前、私もまたフレッシュな気持ちで、自分自身の仕事にけりをつけるつもりで、せいぜい5年だけ大学にいるつもりで戻ってきた。

6年前の今日、自分はあの見慣れた山奥の町を辞し、この地に戻ってきた。
懐かしい人たちに、すぐに戻るから、と伝え、その約束を未だに果たせずにいる。

6年たった今、自分は思いがけなくもまだ大学にいる。
多くの人を見送り、それでもなお私はここにいる。
本当の自分の気持ちは異なるところにあるのだが、それを言っては仕方ない、と自分に言い聞かせ、ここにいることがきっとみんなのためにつながると信じて、今はここにいる。

県境の病院で...

この週末もまた、県境の病院で当直をしている。
今のところ落ち着いている。

2年前にこの病院に来たとき、ここには三人の内科医がいた。
今年、内科医は一人減り、今は二人だ。下の一人が去り、上の二人が残った。

院長としばし話をした。
一昨年、会ったときよりもさらに疲労の色を濃くした院長は、もう1〜2年しか頑張れないだろう、とつぶやいていた。

県内では今年、3年目の医師が激減している。外科もどんどん減ってきている。
少し状況は改善してきつつあるかに見えたのだが、それは研修医レベルの話で、地域の先端までは至っていない。研修医が増えても、現場に回るまではまだ多くの時間を要する。

今日もまたありきたりな慰めの言葉と、一応は根拠ある楽観論を述べて、彼を励ました。
自分だって励まされたいのに、人を鼓舞し励ますのも我ながらきつい。
ただ今日の夜、眠れることを祈っている。

間が空いた

だいぶ間が空きました。何とか元気です。
所属が少々変更になりましたが、これまでと同様のことを推し進めていきます。

今日、同僚と話しをしていて改めて気付いたのですが、今はまだ顕在化していないものの、今後間違いなく全国的に大問題になるであろう事態が少しずつ進行しています。

外科医の激減です。
今年もうちの大学では外科の入局者が一人だったと聞きました。
また、たったひとり小児外科を目指す若者がいるのですが、医局の惨状を見て、自分がこのままここに留まって大丈夫なのか?と心配しているそうです。

同僚から聞いた話でゾッとしたのは、十数年前に研修した病院に久しぶりに行ってみると、当時4人いた外科医が今は2人になっていた。しかも残っていた2人は十数年前には40代後半だったお二人で、今は60を目前にした医師だったとのこと。
その老外科医曰く、5年後、10年後にはもうこの病院に外科医はいないだろう、だったそうです。その時イタ若手は今は他の病院で40代となり、後援もないまま働いていることでしょう。

外科は医療の最前線です。
私たち内科医は外科医を始めとする他の科の医師と連携することで役割をようやく果たすことができます。内科医だけ増えても医療は成り立ちません。外科医の養成は時間を特に必要とします。また屋根瓦方式といってきっちりとした徒弟制度の中で技術が伝えられていくものだと思います。座学や、教科書からはとても学べないものがそこにはあります。

今、その教育基盤が静かに、そして確実に崩壊しようとしています。医者が足りなければ養成すればいいのですが、教育基盤の崩壊は、その養成にすら深刻な影を落とすでしょう。

今後10年、医療は外科領域に於いて、さらに崩壊の一途をたどるでしょう。
緊急手術はもとより、癌などで治るはずの段階でも手術を待たされていく中で亡くならざるを得ない方が出てくるでしょう。

今日、父の日、病院で一人、日直をしながら由無きことを考えていました。

20年前…

イメージ 1

イメージ 2

ちょうど20年前のGW、私は白馬の大雪渓を仲間数人と登っていた。
夜には、シュラフにくるんでなお生まれて初めてくらいに「寒い」夜を味わった。

このGW、ちょっと実家に帰り古い写真をひっくり返していたら、20年前のGWの写真が出てきた。

この20年、あっという間だった。私自身の本質を変えるものは何もなく、人に語れるほどのこともなく、ただ淡々と、結果として生きてきた。

あの頃の自分は、脳天気に笑っていられた。明日は今日よりもきっといいことがあると無邪気に信じていることができた。

今もまたそう思うこととしよう。
いろいろと辛いこともあるけれど、今日より明日はきっと素晴らしい。前に進んでいることを実感しながら生きていこう。辛いと言って嘆くよりも、明日はきっともっといいことがあると信じる方が、いい結果を残せると思うから。

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