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親が子に対して、躾や教育からきびしい態度に出ることは、愛情である。
たとえそこに、価値観や考え方の相違があっても、ベースにあるものは愛情である。
愛があるからこそ、何でも言えるのであり、きびしい態度にも出られる。
子供は親を愛するからこそ、いろいろ甘え、また逆らいたくなる。
その、親子間の「愛の関係」が失われると、社会的上下関係も崩れてくる。
たとえ人の親でも他人様の子に対しては、教育躾的言動は、実の親の許しがない限りしてはならない。
誰でもそう感じるから、他人の言動にいろいろ口出しすることは控えるものである。
しかし、見るに見かねる態度を示されると、何か言いたくなるのは攻撃ではなく愛情である。
それを「愛」と感じないのは、実の親との間に愛が欠如しているからである。
愛で結ばれるはずの関係に愛がないと、そこに人は怒りや恨みを抱くこともある。
その、親に対する怒りや恨みを抱えたまま子が成人し結婚し子を産むと、子に怒りや恨みを投影してしまう悲劇が生ずる。
そのような中で育った子が親を愛せるはずもなく、ましてや他人に親のような態度をされると頭に来るのも当然である。
だから、この悪循環を断ち切るには、そして社会的関係に良い意味での上下関係を築き上げるには、結婚する前に、自分の親との関係を修復し、さらにどういう人生を送りたいのか、子供にどうあってほしいのか、など゛頭で考えることから心の奥で感じていることまで、深く深く自己を見つめる必要があるだろう。
その意味で、人の上に立つもの、そして人の親は、毎日の瞑想を日課とすべきだろう。
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