数学も意外とおもしろい

2017.8.29 鹿島槍ヶ岳から五竜岳まで行ってきた。

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◎「八甲田山雪中行軍遭難事件」とは・・・
 明治35年、緊迫する日露関係を背景に、日露戦争において敵の艦隊が津軽海峡および陸奥湾を封鎖した場合に、日本海側と太平洋側からそれぞれ移動する手段として八甲田山系を縦断することが可能かどうかを調査するために、厳寒の八甲田で雪中行軍が実施されることになった。この調査(実験)を行ったのは「青森歩兵第五連隊」と、「弘前歩兵第三十一連隊」の2つのグループで、第五連隊は「青森〜田代〜三本木〜八戸」、第三十一連隊は「弘前〜十和田湖畔〜三本木〜田代〜青森」というコース。
 第三十一連隊が参加者38名全員無事で雪中行軍を終了したのに対し、第5連隊は田代手前で遭難し、参加者210名のうち199名もの犠牲者を出した(つまり、生き残ったのは11名)。
 第五連隊がこのような結果になった原因は何だったのだろうか・・・。いくつか考えられるが、そのいくつかを挙げておくと、
1.雪に対する知識不足
 第五連隊の雪中行軍参加者の多くは岩手県、宮城県などの出身であり、冬山の恐ろしさを知らずに装備が稚拙だった。しかも多くの隊員は「田代温泉で一杯やる」程度に考えていたという。それに対し、第三十一連隊の参加者の多くは青森県出身。なお、第三十一連隊が38名という小隊なのに対し、第五連隊は210名という大隊なのも多分に影響していると思われる。
2.指揮系統の混乱
 第五連隊は、雪中行軍隊の総指揮者は神成大尉であった。しかし、これに山口少佐ら数名の本部が随行する形式となり、結果的にあまり知識のない山口少佐が神成大尉の指揮権を奪ってしまったとされる。これに対し、第三十一連隊は最初から最後まで入念な準備をした福島大尉が指揮を取った。
(注)軍隊の階級: 上から、大将、中将、少将、大佐、中佐、少佐、大尉、中尉、少尉、准尉、曹長、軍曹、伍長、兵長、上等兵、一等兵、二等兵 となっている。つまり、神成大尉が総指揮者であっても、上官である山口少佐が随行している以上、何をするにしても山口少佐の許可を得ないといけないと神成大尉は考えたのかもしれない。
3.厳しい気象条件
 第五連隊は1月23日に出発しているが、その頃日本列島は未曾有の寒気団に襲われていた。実際、1月25日に北海道旭川ではー41℃を記録している。これは現在でも日本の最低記録。当然、青森も例年より相当気温が低かった。



こんなことを踏まえて、新田次郎『八甲田山死の彷徨』を読んでみます。この作品は、上の史実に基づき、それに多少の脚色を加えて小説に仕立てたものです(事実と異なる部分はけっこうあるようです)。なお、登場人物の名前は変わっていますので。

この小説では、第五連隊を死に導いた山田(上では山口)少佐と神田(上では神成)大尉、第三十一連隊を成功に導いた徳島(上では福島)大尉を比較し、第五連隊が遭難したのは何が原因だったのかを検証している。また、そこから、多くの隊員の命を預かるリーダーとして何が必要なのかを考えさせるものである(と私は思う)。


神田大尉が田茂木野で頼もうとしていた案内人を山田少佐が一存で断ったこと。小峠で、神田大尉と永野医官が撤退を決定したのに、山田少佐が「前進!」と怒鳴ったこと。第一夜を過ごした雪濠を、猛吹雪にもかかわらず神田大尉の反対を押し切って山田少佐が夜中に出発させたこと。遭難した際、山田少佐が神田大尉を信用せずに進藤特務曹長に道案内をさせ、さらに遭難したこと。小説では山田少佐を一方的に悪者にしているが、事実はどうなんだろうか。少なくとも小説では、山田少佐には隊員の命を預かっているという意識はまったくない。第三十一連隊の徳島大尉と大きすぎる違いである。


第五連隊が遭難してから、生き残った隊員たちがどんどん狂って行く様子が読んでいて切ない。遭難の原因は山田少佐にあることを知りながら、人事不省に陥った山田少佐をみんなで守り、そのために何人もの人間が死んでいく。そして、そのことを誰も疑問に思わない。上官には絶対服従という軍隊の体質が悲劇につながったことは言うまでもない。神田大尉がもっと指導力を発揮できていればと思う。



小説を読み返し、青森県にある八甲田山雪中行軍遭難資料館に行ってきました。幸畑墓苑の中にあります(青森駅からバス)。けっこう良かったですよ。2時間くらいいました。
イメージ 1


中に入ると、正面に後藤伍長の銅像(レプリカ)があります。後藤伍長は小説の中では江藤伍長です。捜索隊は、雪の中に仮死状態で立っている後藤伍長を最初に発見したと言われています。
イメージ 2


資料館を出ると、周りは幸畑陸軍墓地。明治36年に創設され、正面には山口少佐以下士官10名の墓標と、当時生存していた11名の墓碑、そしてその西側に189名の墓標が整然と並んでいます。死後の墓標でさえも、ひと目見て階級差が明らかですね。
イメージ 3

                       左が山口少佐、右が神成大尉のもの




他人の命を預かることの重大さを改めて思った今回の八甲田でした。

閉じる コメント(8)

必死に講習を終わらせて、大枚をはたいて旅しただけに
得るもののたくさんあった青森・北海道だったようですね♪

私、一人で行きたいところに旅したことないの。
それが幸せなことなのか…

今日からご出勤ですね〜。
また、厳しく優しいseiyakumman先生で生徒と接してくださいね〜☆
こっちは、もう寒くなりました。

2007/8/31(金) 午前 9:01 [ sen*ai_*eik*t*u ]

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メジャーな観光地だと思われる場所にあまり行かないところが私らしい。私も大規模な一人旅はほとんどないですよ。
明日(土曜日)は始業式と避難訓練だけですが、月曜からまた授業かと思うと・・・(>_<) 世間が「教員は夏休みはずっと休んでいられる」と思っているほどには休んでませんが、それでもダラダラした生活を送ったことに間違いはないので、ちゃんと社会復帰できるか心配です(笑)

2007/8/31(金) 午後 9:44 [ sei**kuman ]

うち、月曜日から期末試験です。
なんだか、東京との生活の差もあるし、時差もあるみたい。

2007/8/31(金) 午後 10:33 [ sen*ai_*eik*t*u ]

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明日から期末ですか。数学がどうなるか楽しみです。私は明日から授業です・・・。水曜日は5時間授業だけど実力試験の実施のためにつぶれます。ラッキーです☆あ、でも採点の手間を考えると、授業してた方が楽か・・・。

2007/9/2(日) 午後 10:46 [ sei**kuman ]

実力試験は先週終わりました。
そして期末…
中間から範囲もあまり広がっていない中、なぜに今?って感じです。

数学。
過去記事にあったseiyakuman先生の文字式の小テストをさせました。
小テストなのに、うちの中学の定期考査よりレヴェルは高いと思いました。

転勤したらseiyakuman先生の学校に転校させたいわ。

2007/9/3(月) 午前 0:15 [ sen*ai_*eik*t*u ]

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記事と関係のないコメントが続いていくのは避けたいので、「文字式の小テスト」の記事で返信します。

2007/9/3(月) 午後 9:25 [ sei**kuman ]

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八甲田山の雪中行軍での遭難事件は、映画で観て衝撃をうけ、新田次郎の原作を読みました。私の住んでいるところは、滋賀県ですので、資料館があってもすぐ見に行けるわけではありません。こうして、資料館の写真が見れてよかったです。それに陸軍墓地ですが、ここでも死後も階級差があるんですね。私は、やりきれない思いになります。

2007/9/4(火) 午後 9:39 [ BIN★ ]

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こんにちは。遭難資料館には行きたいと思っていたので、今回思い切って行ってみました。墓標は士官のはまだまともでしたが、それ以外の189人のは低い位置に整然と並んでいるだけでした。
ちなみに、小説では第五連隊と第三十一連隊は話し合って日程を決めたように書かれていますが、本当はまったく別に計画したのが、たまたま日程が同じになったようですね。

2007/9/4(火) 午後 11:33 [ sei**kuman ]

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