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どうもどうも、あけましておめでとうございます。誰が見ているかわかりませんが、珍しく何か書きましょうか。
先月、都庁に教員免許の更新手続きに行きました。これで、あと10年教員ができそうです。教員免許を取得したときは期限がなかった気がするんだけど、気付いたら10年の期限付き免許になっていました。次の更新となる10年後、私は何しているんでしょうか。学年主任でもやっていれば免除となりますが。
それにしても、この免許更新って、何か意味があるんでしょうかね。2年間で30時間の講習を受けましたが、これによって私に何か変化があったとは思えないし、きっとどんな先生でも更新できると思うのですよ。誰でも更新できてしまうんだったら、やらなくてもいいじゃんって思ってしまうのです。と言っても仕方ないので、1,000円×30時間で30,000円が無駄にならないように真剣に授業を受けましたが。
最近、同僚の先生で結婚する人が多いです。私は、結婚披露宴に出ること自体は嫌いではないし、お金を払うことも別に構わないのですが、なんで新郎新婦の生い立ちのビデオとかを強制的に見せられなければならないかが納得いかないのですよね。興味ないんです。そう思っている人って、絶対にいると思うのです。まぁそう思うこと自体ひねくれていることは自覚していますのでご心配なく。
昔、このブログで、「大学受験で英語が必修なのはおかしいんじゃないか。国語を必修にすべきだ」と書いています。少し考えが変わったのでここに書いておきます。
英語を重視しすぎるということは相対的に日本語を軽視している。小学校で英語を必修とか意味がわからないという基本ラインは変わらないのですが、大学受験の英語に関しては、必修で構わないと思うようになりました。仮に私が大学の関係者で、受験科目の決定を一任されたとしても英語を課します。
私は、毎年高校入試や中学入試を作成しています。優秀な生徒、入学してから伸びる生徒が合格し、そうでない生徒が不合格となるようにするにはどんな問題が適切か、というのが入試問題作成の最大のポイントだと思います。
そういう観点で大学入試を眺めてみます。一部の学科を除いて、英語なんて大してできなくて構わないと思っていますが、英語の試験は英語の学力そのものだけを測るものではないのかもしれません。ある程度のレベルまでは、努力した分だけ英語はできるようになります。そして、短期的な努力では英語はできるようにはなりません。つまり、英語の試験をすることで、学生がどれくらい努力できる人物なのかということを測っているんだろうなと考えるようになりました。逆に、国語は努力しなくてもできてしまう学生はたくさんいます。
昨年私のクラスだった生徒が何人か浪人しています。あと少しでセンターです。今年は受かるといいなぁ。最近はみんな妥協して浪人しない傾向なんですが、1人東大だけを目指して浪人しました。
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