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1つ前の記事のつづきです。Q&Aがあるので載せておきます。 |

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こんにちは、ゲストさん
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1つ前の記事のつづきです。Q&Aがあるので載せておきます。 |
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約10年ごとに改正される学習指導要領。今度の指導要領改訂に向け、文部科学省はとりあえず全国の教員にその趣旨を理解してもらおうと思っているようで、先月私もパンフレットをもらいましたよ。 |
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朝日新聞に、高校の教科書についての話題が載っていました。教科書については以前記事にしたこともあり、いろいろ言いたいことはあるのですが、とりあえず今日は朝日新聞の記事について。 記事の最初の方の内容は、こんな感じです(私なりの要約)。 高校用では、もともと難易度に差をつけた教科書を出す出版会社が多い。近年は内容を易しくした教科書が増えてきている。「発展」の逆の発想で、小中学校の復習がふんだんに取り入れられている。
高校の教科書に、小中学校の復習が載っているのは良いと思うんですよね。復習を飛ばすかどうかは使う学校が決めれば良いことだし。 で、記事の最後に、こんな記述が。 「易しすぎた」 内容見直し
易しいものばかりでは「かえって学習意欲を下げる」と、内容を見直す動きも出てきた。 国語の現代文では、大修館書店と東京書籍が、中島敦の「山月記」を今回初めて、易しい版に収録した。高校の定番作品だが、漢文の素養に裏打ちされた文章が「学力の低い生徒ではついていけない」と避けてきた。 大修館書店は、これまで話題の作家らの読みやすい作品や「星の王子さま」などを多用してきたが、教育困難校から「あまり易しい教材では馬鹿にされたと感じるのか、かえって授業についてこない」という声が出たことで発想を変えた。 「生徒に迎合してレベルを下げていたらキリがない」と担当者。「卒業したら文学をまったく読まなくなるかも。せめて教科書だけでも歯応えのある作品を」という。 最後の太字の部分、その通りですよ。読みやすい作品を並べてどうするのか。「山月記」のような難しい文章を国語辞典片手に読むということは必要ですよ。話題の作家の読みやすい文章が悪いとは言わないけど、そんなのは大人になってから読む可能性はありますよね。でも、学生時代に文学作品を読まなければ、もう一生読む機会がなくなってしまうわけですよ。ぜひ高校の教科書は、易しい版とか難しい版とか関係なく、有名な文学作品をたくさん載せてほしいものです。これは学力の高い低いに関係ないと思うのです。私は、今「山月記」を読み返そうとは思わないですが、あの作品を通して「日本語でも、辞書を引きながら読む」ということを教えられた気がしますね。 生徒のレベルに合わせて教科書を易しくしていったら、キリがありません。どんなに易しくしても、ついてこられない子は出てくるわけだし。一番下の層に合わせるのではなく、真ん中くらいに合わせて教科書を作ってほしいものです。
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来年度のクラス分けは3学期の成績が出てから決めるのですが、問題児が多いので今のうちから少しずつ考えています。とある問題児Fは、どうやら来年度は私が担任しなければならないようです。 その子にまつわる逸話として、すごくびっくりしたことが1つあります。中1のときの、彼の1ヶ月のおこづかいが・・・なんと・・・3万円。それを知ったとき、ウチの学年の担任全員でびっくり仰天しました。 授業中にゲームなんかしていたら、当然没収しますよね? 没収したものは当分の間預かって、反省の色が見えたら親に返すような感じにしているのです。ところが、その子はお金持ちなので、没収されても痛くもかゆくもないのです。数日後にはなんと新しいゲーム機を持っているのです。最近はあのさすがのバカ親も気付いたらしく、おこづかいは激減したようですが・・・。 はっきり言って、中学生で1ヶ月のおこづかいとして3万円ももらっているような子が、まともに育つわけないじゃないですか。そのくらいわからないのかね? ウチの学校は私立なので、比較的裕福な家庭が多いようです。そのせいか、物を大切にできない子が多いなぁと感じることがあります。私の感覚だと、携帯電話とかを没収されたら、何とか返してもらおうと必死になると思うんですよ。それがね、「没収されたから新しいのを買ってもらおう」とか平気で言う奴とかいて、頭おかしいんじゃないかと思います。 中学生のおこづかいなんて、1ヶ月千円ですよ。その中で、何とかやりくりするのです。そういうことをしていないと、あんな子が育つんだなぁと思いました。 【追記】 おこづかいが3万円であることを知ったときの、ウチの学年主任(40代男性)のリアクションが忘れられません。 「おこづかい3万円・・・オレと同じだ・・・」
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教育再生会議で登場した「高校の奉仕活動必修化」が、いま注目されています。朝日新聞の投書欄でも、何人かがそれについて議論しています。 1月30日、 真の意味欠く 奉仕の義務化 教育再生会議の第1次報告の要点に、高校での奉仕活動の必修化がありました。私も奉仕活動自体を否定するものではありませんが、そうした活動を教育として位置付け、義務化するのはおかしいと思います。
奉仕は、それをする、しないを含めて個人の自由の意思に任されるべきだと思います。 私は家の周囲の道路清掃、冬はゴミステーション、バス停の除雪を行っていますが、それは義務として行っているわけではありません。私が「したい」と思って行っているだけです。もしそれが「しなければならない」となるとすれば、苦痛に感じるだけでしょう。 「必修化」というのは、卒業するために必要な単位ということになるのでしょう。卒業のために、本当はしたくもないことをやらなければならない、というのなら、それは奉仕活動の意味がありません。 これに対して、 2月10日、 奉仕活動から自分も学んだ 「真の意味欠く 奉仕の義務化」(1月30日)を読みました。奉仕は義務として行うのではなく「したい」という気持ちが大事であることに私も同意します。
社会にはいろいろな奉仕活動があります。「初めは必修でも 奉仕は役立つ」(4日)と大学生が感じられたように、あまり社会を知らない高校生に様々な奉仕活動を体験させることは有意義なことと考えます。 私は高校時代をシンガポールのイギリス系の学校で過ごしました。そこでは選択制の授業が多かったにもかかわらず、社会奉仕活動は必修の授業でした。 障害者の乗馬訓練や重度の障害者施設でのお手伝いなどでは、私がいかに無力な存在であるのかということを実感し、そこで働く方々に対して尊敬と感謝の念を抱きました。 社会奉仕活動を体験したことで、私自身の偏見もなくなりました。その後、音楽演奏による福祉活動のお手伝いをしたのもその時の経験の影響だと思います。人との接し方や生き方、社会へのかかわり方でも多くのことを学びました。 生徒たちに、自分はどんな奉仕活動ができるのか、まずその選択肢を広げてあげることも必要ではないでしょうか。そして自らは見返りを期待しない奉仕活動を行える人が増えてくれることを期待します。 小学校の時の授業で、「あなたにとってボランティアとは何か?」というのをやりました。その時の生徒の答えが印刷されているものを、数年前に発見し、読みました。私の答えは、たった2文字。 偽善 昔は本気でそう思っていました。心がすさんだ子どもです。今でも私はボランティア活動をするような人物ではないのですが、少なくとも当時よりは肯定的に考えられるようになりました。その大きな要因が、大学時代の「介護等体験」だと思っています。 現在、中学の教員免許状を取得するには、1週間の「介護等体験」が義務付けられています。実はこれ、私が大学に入学した年度からの実施なのです。当時は「1年間の差でめんどうなことをしなければならなくなった」と考えていて、体験に行くのも気が進みませんでした。私は養護学校と障害者施設で介護等体験をしたのですが、考えていたよりもずっと充実した1週間を送りました。残念ながら、自らボランティア活動に励むまでには至りませんでしたが、非常に良い経験ができたと思っています。 私の意見は、上の2つのうちの2番目の意見とほぼ一致します。確かに、奉仕活動というのは「したい」人がすれば良いもので、決して強制されるべきものではありません。しかし、やってもみないうちから「興味がない」と決め付けるのはどうでしょうか。初めは強制であっても、やってみることによって新たな世界が広がってくるのだと思います。やってみた上で、それでも興味がわかないのであれば、それはそれで良いのだと思います。 しかし、義務化で1つ気になることがあります。どういう種類の奉仕活動をさせるのかわかりませんが、特に人に対する奉仕活動の場合、やる気のない生徒が体験に行っても迷惑になるだけです。義務化することで、ただ卒業のために仕方なく奉仕活動をする生徒が多く存在してしまうわけですが、彼らを受け入れる側のことが心配です。
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