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2017.8.29 鹿島槍ヶ岳から五竜岳まで行ってきた。

教育

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1つ前の記事のつづきです。Q&Aがあるので載せておきます。



Q. 「生きる力」をはぐくむという現行学習指導要領の基本理念は変わるのでしょうか。

A. 「生きる力」をはぐくむという基本理念は、新しい学習指導要領においても変わりません。今回の改訂では、この「生きる力」の理念の実現のために、これまでの学校現場等での課題を踏まえ、指導面などでの具体的な手立てを確立することを目指します。



Q. 「ゆとり教育」から「詰め込み教育」へ転換するのですか。 

A. 「詰め込み教育」への転換ではありません。授業時数の増加は必要ですが、指導内容を増やすことを主な目的とするものではありません。また、子どもたちが学習にじっくりと取り組める時間を確保するという考え方は今回の改訂でも重要です。「ゆとり」か「詰め込み」かということではなく、基礎的・基本的な知識・技能の確実な定着とこれらを活用する力の育成をいわば車の両輪として伸ばしていくことが必要です。



Q. なぜ授業時数の増加が必要なのですか。

A. 子どもたちがつまずきやすい内容の確実な習得を図るための繰り返し学習(学年間での反復学習など)や、知識・技能を活用する学習(観察・実験やレポート作成、論述など)を行う時間を充実するためです。全国学力・学習状況調査の結果も踏まえ、このような学習のための時間を確保し、基礎的・基本的な知識・技能の習得と思考力・判断力・表現力等をはぐくむことを目指します。



Q. 新しい学習指導要領を効果的に実施するためには、教育条件の整備が必要ではないでしょうか。

A. 「生きる力」をはぐくむという理念を実現するためには、教師が子どもたちと向き合う時間を確保することが必要です。このため、教職員定数の改善や外部人材の活用、地域全体で学校を支援する体制の構築が重要です。また、教科書の充実等の条件整備を進める必要があります。



Q. 子どもたちの興味・関心を重視している現在の指導方法を変更することになりますか。

A.子どもたちの興味・関心を重視することに変更はありませんが、それとともに、基礎的・基本的な知識・技能をしっかりと身に付けさせる指導をすることが重要です。子どもたちの自主性を尊重することと、教えることを抑制することは違います。学ぶ意欲を高めながら、教えて考えさせる指導をすることが大切です。



Q. 総合的な学習の時間の授業時数はなぜ削減されるのですか。

A. 総合的な学習の時間で行われている体験的な学習や課題解決的な学習は今後とも重要ですが、これらの学習にとって、各教科の知識・技能を活用する学習活動を充実することが必要です。このため、総合的な学習の時間の時数を縮減し、国語や理数等の時数を増加します。これにより、習得、活用は主として教科で担い、探究は主として総合的な学習の時間で担うという各教科と総合的な学習の時間との役割分担が明確になり、連携が図りやすくなります。



Q. 今回の改訂により特に理数教育の指導内容が増加しているのはなぜですか。

A. 学術研究や科学技術の世界的な競争が激化するなどの変化の中で、国際的な通用性や内容の系統性などを踏まえた指導内容の見直しを行うためです。具体的には、例えば二次方程式の解の公式(数学)や、イオン、遺伝、進化(理科)などを高校から中学校に移行します。また、算数・数学や理科の授業時数を増加して、繰り返し学習、観察・実験やレポートの作成、論述などを行う時間を確保し、数学や科学に関する関心や学習意欲を高めることとします。



Q. 学習指導要領の「基準性」という考え方に変更はありますか。

A. 変更はありません。平成15年に、学習指導要領はすべての子どもに対して指導すべき内容を示す基準であること(基準性)を明確にし、各学校は子どもたちの実情に応じ、学習指導要領に示していない内容を加えて指導できることがはっきりしました。今回の改訂においては、さらなる明確化のために「・・・は取り扱わないこと」とするいわゆる「はどめ規定」の見直しを行うこととしています。



Q. 今回の改訂では言語を重視するとしていますが、具体的にどういうことですか。

A. 言語は、知的活動(論理や思考)やコミュニケーション、感性・情緒の基盤であることから、国語科だけでなく、各教科等でレポート作成や論述を行うといった言語活動を指導上位置付けることが求められます。また、言語活動を支える条件として、教材の充実や読書活動の推進なども重要です。



Q. 小学校高学年段階において外国語活動を必修化するのはなぜですか。

A. 現在、多くの小学校において、総合的な学習の時間等を活用して外国語活動が行われていますが、取組内容にはばらつきがあります。このため、教育の機会均等や中学校との接続の観点から、小学校高学年で、「外国語活動」(仮称)を週1コマ程度行うこととしています。



Q. 高等学校の地理歴史科における必履修科目の在り方に変更はありますか。

A. 地理歴史科については、小・中学校では日本史や地理を中心に学習することを踏まえ、従来どおり世界史を必履修とし、日本史又は地理を選択することとしますが、世界史の内容を日本史や地理と関連させて充実します。なお、小学校での伝統や文化の扱い、中学校での近現代史や世界地理の扱いを充実します。



Q. 中学校において武道を必修化するのはなぜですか。

A. 生涯にわたる豊かなスポーツライフを実現する視点から、多くの領域の学習を十分に体験させた上で、それらをもとに自らが更に探求したい運動を選択できるようにすることが重要です。このため、中学校1年・2年でこれまで選択必修であった武道とダンスを含めすべての領域を必修とし、3年から領域選択を開始することとします。また、武道の学習を通じて、我が国固有の伝統と文化に、より一層触れることができるようにします。




ということです。私は、小学校における外国語の必修化以外は、方向性はまぁ良いような感じがします。

約10年ごとに改正される学習指導要領。今度の指導要領改訂に向け、文部科学省はとりあえず全国の教員にその趣旨を理解してもらおうと思っているようで、先月私もパンフレットをもらいましたよ。


今回の改訂のポイントをいくつか挙げておくと、
1.小学校においては、
 国語・社会・算数・理科・体育の授業時数を増加。高学年では外国語活動を週1時間新設。総合的な学習の時間を週1時間程度縮減。週当たりの授業時数は低学年で2時間、中・高学年で1時間増加。
2.中学校においては、
 国語・社会・数学・理科・外国語・保健体育の授業時数を増加。総合的な学習の時間を縮減。週当たりの授業時数を各学年で1時間増加。

また、学校週5日制は継続されるようです。



さて、パンフレットでは、現行学習指導要領の「生きる力」をはぐくむという理念は引き継がれるということが強調されています。その理念を実現するための方策がいろいろと書かれているわけで、まぁとりあえず読んでみてくださいな。




理念を実現するためのこれまでの手立てに5つの課題

課題[1]
「生きる力」の意味や必要性について、文部科学省と学校関係者・保護者・社会との間に十分な共通理解がなされなかったこと。

課題[2]
子どもの自主性を尊重する余り、教師が指導を躊躇する状況があったのではないかと指摘されていること。

課題[3]
各教科における知識・技能を活用する学習活動が十分ではなかったことから、各教科での知識・技能の習得と総合的な学習の時間での課題解決的な学習や探究活動との間の段階的なつながりが乏しくなっていること。

課題[4]
各教科において基礎的・基本的な知識・技能の習得とともに、観察・実験・レポートの作成、論述といった知識・技能を活用する学習活動を行うためには、現在の授業時数は十分ではないこと。

課題[5]
豊かな心や健やかな体の育成について、家庭や地域の教育力が低下したことを踏まえた対応が十分ではなかったこと。


学習指導要領改訂のポイント

[1]改正教育基本法等を踏まえた学習指導要領改訂
● 改正教育基本法等において、公共の精神、生命や自然を尊重する態度、伝統や文化を尊重し、我が国と郷土を愛するとともに、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うことなどが、教育の目標として新たに規定されたことを踏まえ、各教科等の教育内容を改善する必要がある。

[2]「生きる力」という理念の共有
● 「生きる力」をはぐくむことの必要性やその内容を教育関係者の間で共有することがまず行われなければならない。
● 教育関係者だけでなく、保護者をはじめ広く国民の理解を得るために積極的な情報発信が必要である。

[3]基礎的・基本的な知識・技能の習得
● 指導内容の増加は、社会的自立の観点から必要な知識・技能や学年間で反復することが効果的な知識・技能等に限ることが適当である。
● 「読み・書き・計算」などの基礎的・基本的な知識・技能は、例えば、小学校低・中学年では、体験的な理解や繰り返し学習を重視するなど、発達の段階に応じて徹底して習得させ、学習の基盤を構築していくことが大切である。
● 重点的な指導や繰り返し学習といった指導の工夫や充実に努めることが求められる事項の例を「重点指導事項例」として文部科学省が提示することが考えられる。

[4]思考力・判断力・表現力等の育成
● 思考力・判断力・表現力をはぐくむためには、観察・実験、レポートの作成、論述など知識・技能を活用する学習活動を発達の段階に応じて充実させる必要がある。
● これらの能力の基盤となるのは言語の能力であり、その育成のために、小学校低・中学年の国語科において音読・暗唱、漢字の読み書きなど基本的な力を定着させた上で、各教科等において、記録、要約、説明、論述といった学習活動に取り組む必要がある。
● その際、子どもたちの思考力等も発達の段階に応じて高まることを重視する必要がある。

[5]確かな学力を確立するために必要な授業時数の確保
● 基礎的・基本的な知識・技能の習得とともに、それらを活用する学習活動を充実することができるよう、国語・理数等の必修教科の授業時数を確保することが必要である。

[6]学習意欲の向上や学習習慣の確立
● 学習習慣の確立には、小学校低・中学年の時期が重要である。
● つまずきやすい内容をはじめとした基礎的・基本的な知識・技能の確実な定着を図り、分かる喜びを実感させることが重要である。
● 体験的な学習やキャリア教育などを通じ、学ぶ意義を認識することが必要である。

[7]豊かな心や健やかな体の育成のための指導の充実
● 国語をはじめとする言語の能力の重視や体験活動の充実により、他者、社会、自然・環境とかかわる中で、これらとともに生きる自分への自信を持たせる必要がある。
● 基本的な生活習慣を確立させるとともに、社会生活を送る上で人間として持つべき最低限の規範意識を身に付けさせる観点から、道徳教育の改善・充実が必要である。
● 運動を通じて体力を養うとともに、望ましい食習慣など健康的な生活習慣を形成することが必要である。




「基礎を大事にする」という趣旨のことがだいぶ強調されているように感じます。逆にいうと、現行の指導要領ではそれが重要視されていないのか?と疑問に思うわけです。総合学習が減らされるようですが、私は今の総合学習であれば減らされて当然だと思いますね。

そもそも総合学習は、「各学校は、地域や学校、生徒の実態等に応じて、横断的・総合的な学習や生徒の興味・関心等に基づく学習など創意工夫を生かした教育活動を行うものとする」と現行の学習指導要領に書かれています。これが本当にできるのなら週何時間も使って総合学習をする価値はあると思うのですが、現実的に意味のある総合学習がどれほどなされているかは疑問です。少なくとも私は、自信のある総合学習の授業などしたことがありません。

自信のある総合学習の授業をするためには、私の力量であれば相当な準備時間が必要と考えます。しかし、それぞれの教科の準備と担任業務と部活以外にそんな時間を取れるはずがないし、もしその時間を作るのなら、家に帰ってからもひたすら仕事をしなければいけないわけですよ。私はそんなことはやってられないので、総合学習の準備はしていないのです。

私の学校では、総合学習は週1時間しかやっていない(本当はマズイ?)ので何とか時間をつぶすことができますが、通常は週2〜3時間くらいやっているんですって? 大変ですなぁ。




上記以外に、指導要領改訂に向けた「Q&A」がありますので、次の記事に載せておきます。つづく。

朝日新聞に、高校の教科書についての話題が載っていました。教科書については以前記事にしたこともあり、いろいろ言いたいことはあるのですが、とりあえず今日は朝日新聞の記事について。


記事の最初の方の内容は、こんな感じです(私なりの要約)。

高校用では、もともと難易度に差をつけた教科書を出す出版会社が多い。近年は内容を易しくした教科書が増えてきている。「発展」の逆の発想で、小中学校の復習がふんだんに取り入れられている。

高校の教科書に、小中学校の復習が載っているのは良いと思うんですよね。復習を飛ばすかどうかは使う学校が決めれば良いことだし。


で、記事の最後に、こんな記述が。

「易しすぎた」 内容見直し
 易しいものばかりでは「かえって学習意欲を下げる」と、内容を見直す動きも出てきた。
 国語の現代文では、大修館書店と東京書籍が、中島敦の「山月記」を今回初めて、易しい版に収録した。高校の定番作品だが、漢文の素養に裏打ちされた文章が「学力の低い生徒ではついていけない」と避けてきた。
 大修館書店は、これまで話題の作家らの読みやすい作品や「星の王子さま」などを多用してきたが、教育困難校から「あまり易しい教材では馬鹿にされたと感じるのか、かえって授業についてこない」という声が出たことで発想を変えた。
 「生徒に迎合してレベルを下げていたらキリがない」と担当者。「卒業したら文学をまったく読まなくなるかも。せめて教科書だけでも歯応えのある作品を」という。


最後の太字の部分、その通りですよ。読みやすい作品を並べてどうするのか。「山月記」のような難しい文章を国語辞典片手に読むということは必要ですよ。話題の作家の読みやすい文章が悪いとは言わないけど、そんなのは大人になってから読む可能性はありますよね。でも、学生時代に文学作品を読まなければ、もう一生読む機会がなくなってしまうわけですよ。ぜひ高校の教科書は、易しい版とか難しい版とか関係なく、有名な文学作品をたくさん載せてほしいものです。これは学力の高い低いに関係ないと思うのです。私は、今「山月記」を読み返そうとは思わないですが、あの作品を通して「日本語でも、辞書を引きながら読む」ということを教えられた気がしますね。

生徒のレベルに合わせて教科書を易しくしていったら、キリがありません。どんなに易しくしても、ついてこられない子は出てくるわけだし。一番下の層に合わせるのではなく、真ん中くらいに合わせて教科書を作ってほしいものです。

おこづかい3万円

来年度のクラス分けは3学期の成績が出てから決めるのですが、問題児が多いので今のうちから少しずつ考えています。とある問題児Fは、どうやら来年度は私が担任しなければならないようです。


その子にまつわる逸話として、すごくびっくりしたことが1つあります。中1のときの、彼の1ヶ月のおこづかいが・・・なんと・・・3万円。それを知ったとき、ウチの学年の担任全員でびっくり仰天しました。

授業中にゲームなんかしていたら、当然没収しますよね? 没収したものは当分の間預かって、反省の色が見えたら親に返すような感じにしているのです。ところが、その子はお金持ちなので、没収されても痛くもかゆくもないのです。数日後にはなんと新しいゲーム機を持っているのです。最近はあのさすがのバカ親も気付いたらしく、おこづかいは激減したようですが・・・。


はっきり言って、中学生で1ヶ月のおこづかいとして3万円ももらっているような子が、まともに育つわけないじゃないですか。そのくらいわからないのかね?


ウチの学校は私立なので、比較的裕福な家庭が多いようです。そのせいか、物を大切にできない子が多いなぁと感じることがあります。私の感覚だと、携帯電話とかを没収されたら、何とか返してもらおうと必死になると思うんですよ。それがね、「没収されたから新しいのを買ってもらおう」とか平気で言う奴とかいて、頭おかしいんじゃないかと思います。


中学生のおこづかいなんて、1ヶ月千円ですよ。その中で、何とかやりくりするのです。そういうことをしていないと、あんな子が育つんだなぁと思いました。




【追記】 おこづかいが3万円であることを知ったときの、ウチの学年主任(40代男性)のリアクションが忘れられません。

 「おこづかい3万円・・・オレと同じだ・・・」
教育再生会議で登場した「高校の奉仕活動必修化」が、いま注目されています。朝日新聞の投書欄でも、何人かがそれについて議論しています。




1月30日、 真の意味欠く 奉仕の義務化

 教育再生会議の第1次報告の要点に、高校での奉仕活動の必修化がありました。私も奉仕活動自体を否定するものではありませんが、そうした活動を教育として位置付け、義務化するのはおかしいと思います。
 奉仕は、それをする、しないを含めて個人の自由の意思に任されるべきだと思います。
 私は家の周囲の道路清掃、冬はゴミステーション、バス停の除雪を行っていますが、それは義務として行っているわけではありません。私が「したい」と思って行っているだけです。もしそれが「しなければならない」となるとすれば、苦痛に感じるだけでしょう。
 「必修化」というのは、卒業するために必要な単位ということになるのでしょう。卒業のために、本当はしたくもないことをやらなければならない、というのなら、それは奉仕活動の意味がありません。


これに対して、

2月10日、 奉仕活動から自分も学んだ

 「真の意味欠く 奉仕の義務化」(1月30日)を読みました。奉仕は義務として行うのではなく「したい」という気持ちが大事であることに私も同意します。
 社会にはいろいろな奉仕活動があります。「初めは必修でも 奉仕は役立つ」(4日)と大学生が感じられたように、あまり社会を知らない高校生に様々な奉仕活動を体験させることは有意義なことと考えます。
 私は高校時代をシンガポールのイギリス系の学校で過ごしました。そこでは選択制の授業が多かったにもかかわらず、社会奉仕活動は必修の授業でした。
 障害者の乗馬訓練や重度の障害者施設でのお手伝いなどでは、私がいかに無力な存在であるのかということを実感し、そこで働く方々に対して尊敬と感謝の念を抱きました。
 社会奉仕活動を体験したことで、私自身の偏見もなくなりました。その後、音楽演奏による福祉活動のお手伝いをしたのもその時の経験の影響だと思います。人との接し方や生き方、社会へのかかわり方でも多くのことを学びました。
 生徒たちに、自分はどんな奉仕活動ができるのか、まずその選択肢を広げてあげることも必要ではないでしょうか。そして自らは見返りを期待しない奉仕活動を行える人が増えてくれることを期待します。



小学校の時の授業で、「あなたにとってボランティアとは何か?」というのをやりました。その時の生徒の答えが印刷されているものを、数年前に発見し、読みました。私の答えは、たった2文字。

 偽善


昔は本気でそう思っていました。心がすさんだ子どもです。今でも私はボランティア活動をするような人物ではないのですが、少なくとも当時よりは肯定的に考えられるようになりました。その大きな要因が、大学時代の「介護等体験」だと思っています。


現在、中学の教員免許状を取得するには、1週間の「介護等体験」が義務付けられています。実はこれ、私が大学に入学した年度からの実施なのです。当時は「1年間の差でめんどうなことをしなければならなくなった」と考えていて、体験に行くのも気が進みませんでした。私は養護学校と障害者施設で介護等体験をしたのですが、考えていたよりもずっと充実した1週間を送りました。残念ながら、自らボランティア活動に励むまでには至りませんでしたが、非常に良い経験ができたと思っています。



私の意見は、上の2つのうちの2番目の意見とほぼ一致します。確かに、奉仕活動というのは「したい」人がすれば良いもので、決して強制されるべきものではありません。しかし、やってもみないうちから「興味がない」と決め付けるのはどうでしょうか。初めは強制であっても、やってみることによって新たな世界が広がってくるのだと思います。やってみた上で、それでも興味がわかないのであれば、それはそれで良いのだと思います。


しかし、義務化で1つ気になることがあります。どういう種類の奉仕活動をさせるのかわかりませんが、特に人に対する奉仕活動の場合、やる気のない生徒が体験に行っても迷惑になるだけです。義務化することで、ただ卒業のために仕方なく奉仕活動をする生徒が多く存在してしまうわけですが、彼らを受け入れる側のことが心配です。

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