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2017.8.29 鹿島槍ヶ岳から五竜岳まで行ってきた。

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今年度、今までよりも少し余裕があるためか、やけに本を読んでいます。もともと本を読むのは大好きなのですが、最近は学生のころに戻ったかのように読みまくっているのです。

今朝読み始めて、学校でも少しずつ読み続け、先ほど喫茶店で読了した本に衝撃を受けました。『でっちあげ 福岡「殺人教師」事件の真相』(新潮文庫)です。本屋さんで目に留まり、手に取って内容を読んだら私の知っている事件についてのノンフィクションだったので、買ってしまいました。文庫本の裏には以下のような紹介文が書かれています。

「早く死ね、自分で死ね。」 2003年、全国で初めて「教師によるいじめ」と認定される体罰事件が福岡で起きた。地元の新聞報道をきっかけに、担当教諭は『史上最悪の殺人教師』と呼ばれ、停職処分になる。児童側はさらに民事裁判を起こし、舞台は法廷へ。正義の鉄槌が下るはずだったが、待ち受けていたのは予想だにしない展開と、驚愕の事実であった。第六回新潮ドキュメント賞受賞。


2003年といえば、私が教員になった年です。この事件は新聞報道され、ワイドショーなどでも取り上げられたため、私も興味深く見たと思います。このブログを初期から読んでいる方ならご存じのように、私はどちらかと言うと体罰を肯定しているのですが、このときはさすがに「こんな教師もいるのか」などと思ったはずです。その後、私は事件の続報を覚えていないので、私の中ではこの教師が本当に『史上最悪の殺人教師』だったのですね。マスコミって本当に恐い。

しかし真相は、ある保護者が担任教師を一方的につるし上げ、校長にあることないことすごい剣幕でまくし立て、事なかれ主義の校長はその勢いに押されて体罰を認めてしまったのです。裁判では保護者側の言い分がほとんどすべて虚偽であることが認定されています。


いつから、先生は保護者よりも立場が下になってしまったのでしょうか。保護者に文句を言われ、身に覚えのないことでもとりあえず認めてしまった担任の先生。そして、保護者の言い分を一方的に受け入れ、担任の言い分を却下した校長。なんか、これから先の教員生活で、私にも降りかかってくる可能性があるような気がします。
多くの保護者が担任を尊敬はしていないまでも「子どもを預かってもらっている」という認識は持っていると思います。しかし一方で、担任を何とも思っていない保護者がいるのも事実で、何かにつけて難癖ばかり。子どものためって思っているのかもしれないけど、まったく逆の結果になっているのに気づいていないのですね。


マスコミの報道が信用できないのは当たり前なので今さら言うこともないですが、それ以上に、理不尽な保護者に対してビシッと校長が言ってくれないのが悲しいですね。
最近、横山秀夫の本にハマっています。『半落ち』が一番有名でしょうか。もちろん『半落ち』もいいのですが、少なくとも私が読んだ本は、どれも素晴らしいです。



今、『出口のない海』(講談社文庫)を読み終わりました。戦時中、「回天」という人間魚雷があった。人間はみな「死にたくない」と思うはずなのに、誰もが死を約束された特攻隊に志願する。戦争という特殊な環境下では、「正常」なはずのものが正常ではなくなってしまう。死を目前にした主人公の、「生きたい」、「死にたい」という心の葛藤を読むことで、「命って何だろう」と感じる。終戦の月である8月に読むのがぴったりな1冊でした。
私は、あまり最近の作家が書いた本、話題の本を読まない。宮部みゆきの推理小説をたまに読むくらい。特に、就職して読書の時間が少なくなってからは、以前読んだ本で良かったものを中心に読み返すことが多い。そんな私が、この2004年の芥川賞受賞作品を読んでみた。


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喫茶店で約2時間、一気に読み終えました。古めかしい文章の小説を読むことが多いせいか、すごく斬新な書き方に感じる。読みやすい。でも・・・残念ながら、歴史ある文学賞を受賞し、127万部も売り上げた作品とは思えなかったのです。なんというか、面白くなかったわけじゃないけど、この小説のタイトルにもなっている重要な部分、主人公のハツがにな川の背中を蹴る場面が、私にはどうもよくわからなかったのです(解説では、「一種の性的な衝動」と説明している)。ということは、きっと私はこの小説を理解できなかったということ。

私よりも若い人が書いた小説を読んで新鮮な気分になったけど、きっと手に取ることはもうないだろうなって思ったそんな本でした。繰り返しますが、別につまらなかったわけではありません。グッとくるものがなかっただけです。


読み終え、また新しい本に挑戦しようと、本屋で重松清を購入して帰りました。
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生きていても、いいんだよ。おまえは……生きていても、いいんだ。本当に、生きていても、いいんだよ




1999年に単行本が出版された、天童荒太の長編ミステリー。今回、2度目の読破。私が最近の小説を読むのは珍しいことです。しかし、何度も読むだけの価値のある本だと私は思いますね。



17年前、嵐の夜に明神の森でお互いの過去の秘密を語り合った、優希、梁平、笙一郎の3人。親に虐待された傷を持つ3人は、「生きていても、いいんだよ。おまえは……生きていても、いいんだ。本当に、生きていても、いいんだよ」と、お互いを励まし合ったのだった。

あの事件を起こしてから、17年間必死に生きてきた彼らの運命は、再会を機に変化していく。



あの事件の真相を、3人ともが勘違いして17年間を過ごしてきたことが切ない。梁平と笙一郎は、優希に愛される「資格」を得るために「押す」役を奪い合うが、最後の一歩を踏み出せずに実行できなかった。濃い霧のために周りが見えなかったため、17年間ずっと相手に「資格」があると思い続けてきたのだ。優希は、17年間ずっと自分が「押した」のだと思い続けてきた。自分を虐待した父親であれ、自分がその背中を押したことに、少なからず彼女は罪の意識を持ち続けてきたのだった。しかし、それも最後の最後に優希の母・志穂の遺書によって、真実が明らかになる。



この本の1つの大きな山場である、明神の森で3人で悲しい過去を告白する場面は圧巻だった。読んでいてただ悲しくなるのに、読むのを止められなかった。きっと、この3人だけじゃなくて誰もが、誰かに優しい言葉をかけてもらい、認めてもらうことが必要なんでしょう。
◎「八甲田山雪中行軍遭難事件」とは・・・
 明治35年、緊迫する日露関係を背景に、日露戦争において敵の艦隊が津軽海峡および陸奥湾を封鎖した場合に、日本海側と太平洋側からそれぞれ移動する手段として八甲田山系を縦断することが可能かどうかを調査するために、厳寒の八甲田で雪中行軍が実施されることになった。この調査(実験)を行ったのは「青森歩兵第五連隊」と、「弘前歩兵第三十一連隊」の2つのグループで、第五連隊は「青森〜田代〜三本木〜八戸」、第三十一連隊は「弘前〜十和田湖畔〜三本木〜田代〜青森」というコース。
 第三十一連隊が参加者38名全員無事で雪中行軍を終了したのに対し、第5連隊は田代手前で遭難し、参加者210名のうち199名もの犠牲者を出した(つまり、生き残ったのは11名)。
 第五連隊がこのような結果になった原因は何だったのだろうか・・・。いくつか考えられるが、そのいくつかを挙げておくと、
1.雪に対する知識不足
 第五連隊の雪中行軍参加者の多くは岩手県、宮城県などの出身であり、冬山の恐ろしさを知らずに装備が稚拙だった。しかも多くの隊員は「田代温泉で一杯やる」程度に考えていたという。それに対し、第三十一連隊の参加者の多くは青森県出身。なお、第三十一連隊が38名という小隊なのに対し、第五連隊は210名という大隊なのも多分に影響していると思われる。
2.指揮系統の混乱
 第五連隊は、雪中行軍隊の総指揮者は神成大尉であった。しかし、これに山口少佐ら数名の本部が随行する形式となり、結果的にあまり知識のない山口少佐が神成大尉の指揮権を奪ってしまったとされる。これに対し、第三十一連隊は最初から最後まで入念な準備をした福島大尉が指揮を取った。
(注)軍隊の階級: 上から、大将、中将、少将、大佐、中佐、少佐、大尉、中尉、少尉、准尉、曹長、軍曹、伍長、兵長、上等兵、一等兵、二等兵 となっている。つまり、神成大尉が総指揮者であっても、上官である山口少佐が随行している以上、何をするにしても山口少佐の許可を得ないといけないと神成大尉は考えたのかもしれない。
3.厳しい気象条件
 第五連隊は1月23日に出発しているが、その頃日本列島は未曾有の寒気団に襲われていた。実際、1月25日に北海道旭川ではー41℃を記録している。これは現在でも日本の最低記録。当然、青森も例年より相当気温が低かった。



こんなことを踏まえて、新田次郎『八甲田山死の彷徨』を読んでみます。この作品は、上の史実に基づき、それに多少の脚色を加えて小説に仕立てたものです(事実と異なる部分はけっこうあるようです)。なお、登場人物の名前は変わっていますので。

この小説では、第五連隊を死に導いた山田(上では山口)少佐と神田(上では神成)大尉、第三十一連隊を成功に導いた徳島(上では福島)大尉を比較し、第五連隊が遭難したのは何が原因だったのかを検証している。また、そこから、多くの隊員の命を預かるリーダーとして何が必要なのかを考えさせるものである(と私は思う)。


神田大尉が田茂木野で頼もうとしていた案内人を山田少佐が一存で断ったこと。小峠で、神田大尉と永野医官が撤退を決定したのに、山田少佐が「前進!」と怒鳴ったこと。第一夜を過ごした雪濠を、猛吹雪にもかかわらず神田大尉の反対を押し切って山田少佐が夜中に出発させたこと。遭難した際、山田少佐が神田大尉を信用せずに進藤特務曹長に道案内をさせ、さらに遭難したこと。小説では山田少佐を一方的に悪者にしているが、事実はどうなんだろうか。少なくとも小説では、山田少佐には隊員の命を預かっているという意識はまったくない。第三十一連隊の徳島大尉と大きすぎる違いである。


第五連隊が遭難してから、生き残った隊員たちがどんどん狂って行く様子が読んでいて切ない。遭難の原因は山田少佐にあることを知りながら、人事不省に陥った山田少佐をみんなで守り、そのために何人もの人間が死んでいく。そして、そのことを誰も疑問に思わない。上官には絶対服従という軍隊の体質が悲劇につながったことは言うまでもない。神田大尉がもっと指導力を発揮できていればと思う。



小説を読み返し、青森県にある八甲田山雪中行軍遭難資料館に行ってきました。幸畑墓苑の中にあります(青森駅からバス)。けっこう良かったですよ。2時間くらいいました。
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中に入ると、正面に後藤伍長の銅像(レプリカ)があります。後藤伍長は小説の中では江藤伍長です。捜索隊は、雪の中に仮死状態で立っている後藤伍長を最初に発見したと言われています。
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資料館を出ると、周りは幸畑陸軍墓地。明治36年に創設され、正面には山口少佐以下士官10名の墓標と、当時生存していた11名の墓碑、そしてその西側に189名の墓標が整然と並んでいます。死後の墓標でさえも、ひと目見て階級差が明らかですね。
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                       左が山口少佐、右が神成大尉のもの




他人の命を預かることの重大さを改めて思った今回の八甲田でした。

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