西予維新の会

「西予市を南予の中心に!」を理念とし、地域主権型道州制・再生可能エネルギーによるまちづくりに取り組みます。

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松山市議会議長応接室にて
 
 平成24年2月9日(木)、中村知事・松山維新の会・愛媛維新の会を訪問しました。
 
 まず、午前10時から愛媛県庁で「西予維新の会」の届け出の事前審査を受けました。届け出をいつできるかなど話し合い、正式には2月15日に決定。いよいよ西予維新の会の始動です。
 
 その後、中村知事を訪問。
 西予維新の会結成について報告するとともに、今後の西予市での知事の取組について話し合いを行いました。まずは、愛媛県歴史博物館での和紙人形の展示についてです。今後、数十点の作品を譲り受け、弘法大師の生誕からの生涯を、和紙人形を通して鑑賞してもらうようになります。
 
 もう一つは、県としてのサイクリングロード構想についてです。
 愛媛県を世界的なサイクリングメッカにしたいそうで、しまなみ海道や愛南町に約100kmのサイクリングコースを整備する計画。その一環として、西予市でも海辺から山までのコースを設置して、全国・世界からのサイクリストを誘致したいということです。
 
 確か、しまなみ海道には宇和町出身で、タンデム世界一周の宇都宮一成さん夫妻がいるはずです。そのような話で、今後の展開を進めていって欲しいという要請でした。
 
 
 その後、松山維新の会を訪問するため、松山市議会へ。多くの維新の会メンバーが集まってくださいました。  
 理念や目指すものが共通しており、今後は定期的な研修や勉強会を実施していくことを確認しました。また、西予市議会議員選挙を通して、維新の会の活動についても市民に訴えていくことになりました。
 
 維新の会というのは、名ばかりではなく日本を立て直すという思いをもった人たちの集合です。
 最近、橋下徹大阪市長の誕生で、維新の会ブームですが、決してただその名を語るだけではなく、日本の政治の仕組みを地方から変えていくんだという強い信念がなければならない、それが必須条件だと思います。
 
 昨年、兵頭竜県議を西予市民が誕生させましたが、その時の思いは「西予市を南予の中心に!!」でした。
 今、維新の会が本当の地方のため・日本のために頑張っていく志を持った集団だ、それを市民が評価してくれたら、南予のリーダーに西予維新の会はなっていくと思います。
 それも一つの、「南予の中心に」という思いを実現するという意味もあるのではないでしょうか。もちろん、それはただのステップですが。
 
 今日、多くのリーダーと語ったことで共通するのは、このままでは日本がダメになる、沈没するのではないかという危機です。
 国会では、前向きな東日本の復興を進めるべき時に、政権闘争が花盛り。国民が飽き飽きしていることが国会議員にはわかってないのかと思います。もっと、オール・ジャパンで東日本復興に全力を尽くすべきです。
 
 また、1年交代の総理大臣の体たらくぶり。国会に対する国民の信用は失墜しています。今こそ、日本の仕組みを変えるべきときなのです。
 
 西予維新の会誕生により、愛媛県下にも大きく影響があると思います。
 我々の西予市での行動が、これから愛媛県を動かし、それが、日本の改革に繋がることを願い、メンバーそれぞれが全力を尽くしていきます。
 
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中村知事に「西予維新の会」結成を報告。歓迎していただいた
 
 
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上甲補佐官と、今後の課題について語る
 
 

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失われた精神文化

昨今の政治を見ていると、いつの時代から日本はこんなにだめな国になったのだろうかと考えさせられる。それは政治のみならず、テレビを見ても然りである。国全体がそうなっている。
 
莫大な費用を掛けてスタートした、地上デジタル放送。ハイビジョンという映像の素晴らしさは評価できても、放送の中身は限りなく制作経費を削減した、クイズ番組や料理番組が中心であり、しかも毎日のように出演する安価で使えるお笑いタレントには、ウンザリさせられる。
 
日本は1945年にポツダム宣言を受諾して、815日に終戦を迎えた。しかし、本当の敗戦はそれ以降、10近くに及ぶアメリカの占領統治下で、真の敗戦国に作り上げられた。
 
戦後アメリカが最も恐れたことは、日本人が持つ世界に類を見ない、崇高な精神であった。このまま放置すれば必ず再起して、アメリカの脅威になるとアメリカは真剣に考えた。
 
日本人の持つ崇高な精神を破壊することが、アメリカにとって本当の戦勝国になりえる。その為には、日本人の誇り高き精神の破壊こそが至上命題であった。
 
アメリカは、入念に破壊工作を行った。しかも長い時間を掛けて、気付かれないように行った。民主化という名の下に、自由平等を唱え、国家主義から個人主義に、そして最終的には自己主義へと導いた。
 
戦後60年余りが経過して、このことは見事なまでに完成した。アメリカの勝利である。同時に、日本にとって完全な敗戦である。今の日本は、この毒の入った果実を食べている。
 
政治が悪い、テレビが悪いと嘆いても、所詮はアメリカの精神破壊の罠に陥った結果である。一日も早くこのことに気付き、過去の日本に戻さなくてはならない。
 
それは軍国主義などというものではなく、気高い精神文化の復活である。最近、時代劇(NHKの大河ドラマ)を見ているとよく涙がこぼれる。年のせいかと思っていたがそうでもない。
 
別に寂しいわけでも悲しいわけでもない。言葉の美しさに涙が出るのである。「天地人」の直江兼続のように、騙し騙され、しかも下克上の戦国の世であっても「愛」を身上とし、主君に忠誠を尽くす姿、言葉は、現代の日本には何処を探しても見つけることは出来ない。
 
今の大河ドラマ「江」は、素人には分かりやすくていいが、当時の緊迫感や厳格さは感じられない。現代版で、ストーリーは理解できてもそれこそ重みがない。今風に軽い。
 
日本社会にも遅まきながらヤット、このことへの気付きが始まった。歴史教科書の見直しや国歌・国旗の見直しがそれで在る。
 
頑張れ日本!!それは精神文化の復活かもしれない
西予市、特に卯之町は明治維新との係わりが深い。二宮敬作、楠本イネ、高野長英は良く知られた人物である。司馬遼太郎の長編歴史小説「花神」は、二宮敬作、楠木イネ抜きでは成り立たない。
 
「花神」の主人公村田蔵六を世に送り出したのは、言うまでもなくシーボルトの弟子であった二宮敬作である。
 
二宮敬作は、周防の一介の村医にすぎなかった村田蔵六(後の大村益次郎)を、歴史の表舞台に引きずり出したのである。楠木イネを卯之町に棲ませたのも二宮敬作である。
 
「花神」の作品が司馬遼太郎の作品の中でも異色を放っているのは、司馬遼太郎がもっとも不得意とした「恋愛」というテーマに正面から向き合っている点である。
 
村田蔵六という、どちらかといえば社交ベタの内向な人間が、楠木イネと織り成す大人の「ラブロマンス」が、読者をひきつけて離さない。
 
卯之町はこのような素晴らしい歴史の舞台であった。中町は、昨年念願の重伝建の選定を受けた。これを機に、改めて明治維新を再考する時期である。
 
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                                卯之町中町通り 
 
 
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                   高野長英の隠れ家
 
幕末から明治にかけて、国中の青年が持っていた「青雲の志」が、今正に求められている。司馬遼太郎の「明治という国家」の中でも書かれているように、明治という時代は、まばゆいほどに光り輝いていたのである。
 
今の日本は、未曾有の危機に立たされている。行き詰る国家財政、世界のどの国も経験したことのない超少子高齢化社会、持続不可能になった環境・資源の問題、制度疲労を起こした議会制民主主義など、正に八方塞がりの状態である。
 
この国難を乗り切るためには、過去の経験者ではなく、新しい高い志を持った青年である。新しい、とんでもない発想と行動が必要である。平成の維新が語られる所以である。
 
NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」のオープニングの言葉は何度聴いてもいい。ここに全てが語られている。書いてみました。 
 

 
『四国は伊予松山に、三人の男がいた。このふるい城下町にうまれた秋山真之は、日露戦争がおこるにあたっては、勝利は不可能にちかいといわれたバルチック艦隊をほろぼすにいたる作戦をたて、それを実施した。その兄の秋山好古は、日本の騎兵を育成し、史上最強の騎兵といわれるコサック師団をやぶるという奇蹟を遂げた。もうひとりは、俳句、短歌といった日本のふるい短詩型に新風を入れてその中興の祖となった正岡子規である。かれらは、明治という時代人の体質で、前をのみみつめながらあるく。のぼってゆく坂の上の青い天に、もし一朶の白い雲がかがやいているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう。』

 
松山市の「坂の上の雲」をテーマにした町づくりには、4つの理念がある。
     1、   理想を追求する姿勢としての「若さ」「明るさ」
     2、   知識情報を「集め」「比較する」ことによる独自の価値観の創造
     3、   先例にとらわれず合理的に問題を解決していく「リアリズム」と「合理性」 
     4、   生涯学び続ける姿勢と人とのつながりを大切にする「励む」「はげます」
 
これは何処の町でも通用する。西予市においても同じである。松山市と共に「歴史小説に学ぶ」町づくりを推進したい。

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大わらじ

今でも各地に残る『大わらじ』を吊るす習慣。この村には、これだけ大きいわらじをはく人間が住んでいるんだぞーと言う、一種の脅しによる魔よけである。
 
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今では、わらじを作れる人も数少なくなった。昔は藁とのかかわりは深く、日常生活の多くの物が、藁を用いて作られていた。
 
草履はもとより、縄ロープ、藁長靴、蓑、畳、筵等、数えれば切が無い。しかし、今では全てが化学製品に取って代わった。
 
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瑞穂の国といわれる日本。藁は、日本人にとって切り離すことのできない代物である。しかし、その藁もTPP交渉の行方によっては、更に窮地に立たされそうである。
 
藁との係わりを再考することで、これからの日本のあるべき姿が見えてくるのかもしれない。理念無きグローバル化を、今一度考えてみるチャンスかもしれない。

人権集会

第3回人権対策協議会野村支部研修会・交流レクバレー大会が、乙亥会館で開催されました。今年は研修の部では、野村中学校の吹奏楽部と筝曲部の演奏が披露されました。
 
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             近藤支部長の主催者挨拶
 
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交流レクバレーでは、野村町内から男女合わせて15チームが参加して、熱戦が繰り広げられました。昨日は一日中雪が降るという、寒い中での大会となりました。
 
夜は、交流意見交換会になりました。鍋をつつきながら、人権問題について語り合いました。同和問題について、「理由なき差別」に対する憤りと早期解消について、熱い意見を聞かせていただきました。
 

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