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日本人の危機管理意識と憲法改正
2005年10月10日
日本人の危機管理意識の低さには、大きな疑問を感じる。それでは、何故、日本人は、こんなにも危機管理意識が低いのか。同じ過ちを何度繰り返せば気付くのであろうか? ある警察官僚の政治家などは、サリン以来、テロリズムへ対する危機管理は万全であると言い切る。しかし、危機管理に万全も100%もあり得ないことは、危機管理の常識である。このような発言が警察官僚の政治家から出ること自体、日本の危機管理意識の低さを露呈している。それでは、どのようにしたら、日本人の危機管理意識を高めることができるのであろうか?
基本は、真面目に日本という国で生きているということを意識し考えることであろう。しかし、平和過ぎるから故、実際には難しいことなのかもしれない。人間とは弱いものなので、目先のことに追われるのだ。目先のことを一生懸命に為して生きるということも大切であるという、相反する反面もあると思う。
それでは、ショック療法的な方法として、万が一のことが起こったら、危機管理意識が上がるか、というとこれもまた疑問である。日本はこの地球上で唯一の被爆国である。にもかかわらず、北朝鮮問題にしても、核の問題よりも拉致の問題を優先しようとするような国民性である。拉致の問題も、もちろん等閑にはできない大切な問題である。ただ、国益を考えた場合、何ごとも優先順位とういことがあるはずである。朝鮮半島における、核の問題は日本にとどまらず、近隣諸国にとっても最優先課題であることは国際社会においての常識である。それこそ、地域の平和にとって、最優先課題であることは良識ある人なら分かるはずである。
サリンによるテロリズムを経験しているのも、この地球上で、イラクのクルド人と日本人だけである。にもかかわらず、既に多くの日本人が忘れてしまっているではないか。喉元過ぎれば、というのがどうも日本人の特徴なのかもしれない。ある意味、楽天的なのであろうか。不思議な国民である。
痛い思いをしなければ気付かない、痛い思いをしても直ぐ忘れる、どうしたらよいのか少々不安になる。特に、現実を見つめようとせず、机上やバーチャル的に平和だけを叫ぶ若者が多いことにも、大きな不安を覚える。確かに、草の根的平和運動は必要不可欠。しかし、その反面、現実を受け入れての対応策を考えることも、国という立場では必要不可欠な平和活動である。
極論になるが、私は韓国の徴兵制を非常に高く評価している。徴兵される二年間に、真剣に国を思い、生きるということがどういうことか、家族を守るということがどういうことかを考える時間を得ることができるからである。ここで、愛国心ということが培われるのである。この徴兵制が、韓国の若者と日本の若者の間に、大きな差を生んでいると私は思う。韓国の若者は、日本の若者に比べ、国に対する思いも強く、平和へ対する思いも現実的な真面目な思いを各々が持っている。徴兵期間中に、家族を守るということがどういうことか、国を守るということがどういうことか、ということを真剣に考えるという。長い人生の中で、この二年間が、彼らにどれだけ良い影響を与えているかは、彼らの姿勢を見ていれば一目瞭然である。アメリカも、徴兵制が撤廃されてから、各種社会的問題を抱えるようになった。そのことは、歴史的事実である。
多分、一般には、非常に誤解されていることがあると思う。特に日本人は、そうであると思う。基本的に、軍での教育は、戦うことを教えるのではなく、如何に生き残るか、というサバイバル術、即ち危機管理術を伝授しているのだ。生き残るための、交戦技術ということだ。もちろん、士官になれば、その上の教育も受けることにはなるが。決して、人殺しのみを教えているのではない。
上記したような各種問題を考え、真面目に国を思う心を養い、国際社会での日本の立場、これからの在り方を考えると、やはり改憲するべきであると考える。賛否両論あるであろうが、今為さなければ、世界の中で日本は取り残されることになるであろう。しかし、改憲に当っては、その文言を明確にすべきである。故意の交戦は、如何なる理由があろうとも許してはならない。あくまで、防衛軍である。防衛としての戦闘のみに明確に限定する必要がある。
同時に、唯一の被爆国として、日本の「核」への立場を明確に表し、平和への思いを抽象的ではなく具体的に書き込む必要も不可欠だと考える。
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