政財界倶楽部(恩田将葉見聞録)

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自衛隊・防衛問題

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田母神元空幕僚長の論文問題(上)
2008年11月29日

 昨晩、久し振りに「朝まで生テレビ」を観た。テーマは、「田母神元空幕僚長の論文」に関してであった。なかなか興味深い議論がなされており、最後まで見入ってしまった。

 この問題に関しては、問題が発覚した当時から、非常に興味深くその成り行きを見守っていた。何故なら、この事件は、我が国の現状に対し、多くの大切なことを問題定義しているように思えたからだ。

 まず、問題点から挙げてみる。第1番目の問題点は、田母神氏が執筆した論文の内容。第2番目は、その論文を公人でありながらその肩書のもと懸賞に応募したということ。第3番目は、防衛省の田母神氏へ対する処遇の是非。第4番目は、田母神氏があのような論文を書き、肩書付きで懸賞に応募し、しかも公の場で展開した言動。そして、最後の第5番目は、憲法ならびに自衛隊の在り方に対しての現場と国民の温度差という問題。大きく分けると、この5つの問題点であると私は思っている。

 第1番目の問題点、論文の内容だが、これに関しては、10人10色、人は皆それぞれの考え方や思想を持っている。どのような歴史見解を持ち、どのような持論を展開しようが、それは言論の自由で保障されている範疇でのことであれば問題はない。問題があるとすれば、それを取り上げた側にあると思う。田母神氏の立場や社会状況、また、国益を考慮して判断するべきことであると私は思う。ただ、これは、第4番目の問題にも繋がるのだが、「言論クーデター」的な発想を田母神氏がもし持っていたとすれば、その趣旨を嗅ぎ取った審査員である人々が、その臭いを嗅ぎ取り採用したことは、理解できなくもない。そのことの是非は別にしての話だが。
 歴史認識に関しては、昨晩の討論の中でも、確か松本氏が言っていらっしゃったが、非常に複雑なものであると私は思っている。何故ならば、一方向から決め付けることができず、多面的に検証し導き出さない限り、その答えはみつけられないのが歴史であると理解しているからだ。そして、その答えは、必ずしも1つではないということだ。
 何故ならば、歴史とは、多くの当事国や当事者達が、それぞれの思惑を持ち言動したことの積み重ねによって形成され増殖していくものだからだ。それを一国の単一的な思惑だけで判断することは、あまりにも危険すぎる。一国の歴史観にしても、単一的であるはずはなく、そこに関わった多くの当事者が、それぞれに違った思惑を持ち、言動していたことが積み重ねられ形成されているはずだ。そして、他人の心の内までは、誰も覗き見ることはできないのである。よって、正しい歴史観というのは、客観的に、しかも多面的に事実を検証し、それらを紡いでこそはじめて、いくつかの真実に巡り当たるようなものであり、これが正解であるというような数学的な答えがあるものではないと私は強く信じる。
 そうやって考えていくと、1つの歴史観が正しいと決めつけること自体が間違っており、非常に危険な思想構造であるように思える。それが、特に、あのような立場にあった人間が、自衛隊の教育機関においても、そのような偏った教育を行ってきたとすれば、それは大いに問題にするべきことである。
 彼がどのような思想を持ち、どのような歴史観をもとうが、それは勝手である。だが、幕僚長という公人になった瞬間から、言論の自由は保障されながらも、彼の責任として、国益に反さない範囲での言論のみが認められる足枷が掛かることは、ごく自然のことであり、そうでなければ国体を維持することはかなわない。ましてや、彼は我が国の自衛隊のトップであり、そこに連なる自衛官達に対し絶大なる影響力をもつ立場なのであるから。

 第2の問題点であるが、例え、公人であったとしても、論文を書くことも、それを懸賞に応募しようが、それは誰にも許された言論の自由の範疇であり、誰にも制約できることではない。だが、問題は、彼が公人としての肩書を使ってあの論文を発表し、それを公のものにしてしまったところにある。幕僚長の任命権は内閣にある。だとすれば、その内閣を選任したのは国民であり、シビリアン・コントロールという意味合いからしても、間接的にではあるが国民に選ばれた役職に彼は付いているのである。だとすれば、そのような肩書にある立場にある間は、個人的な言論を自由に勝手に発表できると理解し行動してしまうことに、大きな疑問を感じる。もし、意図的でないとすれば、非常に幼稚なことであり、そんな彼を選任した内閣にも大きな責任があると言わざるをえない。だが、私には、今回の田母神氏の肩書付きの論文発表は、意図的なものであったような気がしてならない。
 何故なら、幕僚長にまで昇りつめたエリート中のエリートが、そのようなことも理解できないはずがない。ましてや、今回の論文を採用した懸賞の主催者である民間企業アパの会長と田母神氏は、知人以上の深い関係にあったことは周知の事実である。だとすれば、ある意味、これは確信犯的な行為であったに違いない。アパの会長も、田母神氏も、全て承知の上で、大きな議論を巻き起こすことを意図した上で行った、「言論クーデター」であったと私は感じている。でなければ、どうしても理解しきれない部分があまりにも多すぎる。
 現代社会において、226事件のような武力行使によるクーデターを日本で起こすことは、現実的ではないし共感を得られる行為ではない。しかし、退廃しきった日本に疑問符を投げかけるべく、田母神氏は「言論クーデター」を発起したのではないかと私は思う。そして、そのことに共感したアパの会長が、そのチャンスを与えたのではないか。そして、その言論クーデターに連なった将校達が、あの懸賞に応募した97人の同士であるような気がしてならない。記者会見での田母神氏の発言に、「もし私が指示を出していれば、1000人の自衛隊員が応募したであろう」という言葉は、彼の軍人として、指揮官としての自信をみなぎらせていた。そして、語調は静かであったが、恫喝的な響きを感じたのは私だけでないはずである。
 これが、もし、田母神氏が親しいアパが主催した懸賞でなく、肩書も付けられていなければ、それは言論の自由の範疇であり、何も問題になることでもなく、誰もそれをとやかく言えることではなかったはずだ。

 次に、第3番目の、事件発覚後の防衛省の対応には、いささか問題があったように思う。だが、知恵者がいることもわかった。誰をも傷付けず、あのような形で、事実上田母神氏を更迭したことはアッパレとしか言いようがない。退職という形であれば、彼の経歴にも傷が付かず、防衛省側にも、内閣側にも、余波は少なくて済むという咄嗟の判断であろう。あの判断は、内閣総理大臣と防衛大臣、そして、自衛隊トップによるものであることは明白だ。中でも、内閣総理大臣の判断が大きく影響したことは見てとれる。多分、公にはされていない内部事情か事実があったはずだ。彼らは、田母神氏の今回の行動が、「言論クーデター」であるという確証をえる何か具体的な事実を把握していたのだと思う。でなければ、あのように俊敏に対応はできず、またあのような対応は大きな問題になっても不思議はない。内閣府の危機管理体制が機能していることが、皮肉にも実証されたのではないか。

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とても興味のある論点であるとおもいます。私は「田母神俊雄擁護論(朝日新聞糾弾)」の記事を書いていましたが、あなたがおっしゃるような論点から、擁護論からあやふや論に転換してしまいまいました。私は今GHQが行った焚書について書いております。よろしかったら訪問ください。木庵

2008/11/30(日) 午前 11:31 [ 木庵 ]

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擁護となると、確かに難しい部分もあるように私は思います。だからといって、必ずしも彼が起こしたこと全てが間違っているというのでもないかと思います。論文内容は、彼の信じるところなので、言論の自由からいっても、他人がとやかくいえることではありません。ただ、彼の立場を考えると、その方法論には少々疑問を感じざるをえません。ですが、肩書きも名誉も捨て、彼をあそこまで駆り立てた日本の現状に関しては、誰もが真摯に受け止めねばならない点だと私は思います。貴殿の焚書に関しての記事、非常に興味深く拝見致しました。ありがとうございます。

2008/12/5(金) 午後 0:59 [ sei**ikai_*lub*0*6 ]


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