政財界倶楽部(恩田将葉見聞録)

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教育問題

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大津いじめ問題に見る教育現場荒廃状況に憤り
2012年7月15日

 この問題には、本当に色々な意味で憤りを覚える。いじめの問題は、古今東西子供たちの成長期には多かれ少なかれ必ず生じる問題だ。だが、いじめの形が、間違いなく昔と今では大きく変わった。それは、いじめの形もだが、教師や親を含め大人たちの環境、もちろん子供たちの置かれた環境もである。そして、もっとも大きな違いは、教師たちや学校の対応と意識、資質の問題であると、今回の事件は強く私たちに感じさせてくれた。

 そもそも、いじめとは、あってはならないことである。だが、必ずいじめという問題が学校という環境では起こる。学校だけではない、日本の場合は仕事場を含めあらゆる組織で起こる。それは、日本人のある意味陰湿な集団性に起因する気もする。だが、ここで、その問題を中心に取り上げることは差し控える。

 今回の問題で最も憤りを感じる部分は、あれだけのいじめの事実があり、あれだけの同窓生がそのいじめを感じていて、アンケート調査では記名までしてそのことを訴えようとした残された生徒たちの声さえも歪曲し隠ぺいしようとした学校、教師、教育委員会の体質だ。正直、彼らは聖職者としての資質ゼロだ。いや、人間としても失格だ。あれだけのいじめを受けていながら、担任は見て見ぬ振りをした。絶対に気付いていたはずだ。だが、面倒なことにならなければと、心の底で祈っていたはずに違いない。いじめを受けていた当事者が、勇気を振り絞って、自殺直前に担任に電話で訴えていたという。どれだけ、苦しい思いで勇気を振り絞り、先生に助けを求めたのであろうか。同級生にも、同じく担任にいじめの事実を伝えていた女性生徒がいたという。それでも担任教師は、見て見ぬ振りをした。言葉は悪いが、ある意味担任教師を含め、教師たちに自殺した被害者生徒は殺されたと言っても過言ではない。

 娘とこの件を話してみた。すると、パパの時代とはいじめの形が違うのだと強く一蹴された。彼女が通う私立校では、そういうことはないが公立校から転校してきた子の話という前置きの上で、今のいじめは集団で行われるから、皆明日は我が身で何も言えないというのだ。それでも、悪いことは悪いことで、誰かが勇気を出して阻止しなければ、仲間が辛い思いをしているのだからと言ったら、そうではない。わかっていない。と強く否定されてしまった。多分、私たちの時代とは、様相が一変しているのであろう。だが、一つだけ言えることは、昔は、教師に相談すれば、教師は必ず救いの手を差し伸べてくれた。だが、今の公立校では、そこのところが絶望的な現状である。これは、実際に公立校で教師をしている方から聞いた話だが、教師間自体コミュニケーションも希薄で、自分だけを守ろうという意識が強く、事なかれ主義で、できるだけ子供たちの問題も見て見ぬ振りでやり過ごすというのだ。公立校の教育現場には、絶望しかなく希望は全くないと、公立校の教師自身が言うのだ。私は、この言葉を聞いた時愕然とした。

 無垢の子供たちは、まだ学校という小さな社会のみで生活しており、他人とのコミュニケーション能力も不自由分である。そんな状況下で、いじめに合い、一人思い悩み、いじめに苦しんでいる時、一番身近にいる彼らを指導すべき教師たちが見て見ぬ振りをしてしまうということは、彼ら子供たちにとって、どれだけ不幸なことか。被害者の子供たちだけではない、加害者の子供にとっても、道を踏み誤らないチャンスを得ることができないはずだ。

 教師とは、本来勉学を教授するだけではなく、子供たちが人間社会で生きていくための色々なことを導かなければならない身近な大人であるはず。にもかかわらず、教師たちは、知識を押し込むだけ。一番大切な人として生きるということを、子供たちは教えてもらえないというのは、これ以上不幸なことはない。そもそも、中学高校の一番多感な時期、反抗期もあれば、色々なことが、子供たちには起こる。だが、それら諸々の経験より、生きていく術を彼らは学んでいくはずだ。見ていると、今の教師たちは、「教育」ということを誤解している。「教育とは、本来子供たちに多くの選択肢を与えること」であるはずだ。だが、教師たちは、選択肢ではなく、自分たちの思想や知識や悪習ばかりを押し付けているようにしか見えない。今回の事件でも、教師や学校は、子供たちに隠ぺいを強いた。口外しないように強いた。本当は気付いていたいじめを気付いていなかったように嘘をついた。これら全てのことが、子供たちにとっては学びになってしまう。嘘をつくこと、隠ぺいすること、皆彼らの人生での学びになってしまう。その影響の大きさには、憤りと絶望しか感じ得ない。彼らは、これからの人生で、何かあれば隠ぺいすればよいのだ、嘘をつけばよいのだと学んでしまう。これは悲しむべきことだ。

 そもそも教師は聖職であったはずだ。学校は聖域であったはずだ。地域からも、親たちからも、一目置かれていた存在だ。だからこそ、教師も学校も、本気で子供たちを指導できた。その根本にも問題が生じているように感じる。モンスターペアレンツなどという言葉が持て囃されること自体異常だ。話が逸れるが、教師や学校の責任だけではないことを、全ての親も大人たちも理解しなければならない。長年、公立校でも私立校でもPTA活動を経験してきて、一つだけ言えることは、出過ぎて間違った感覚で大きな声を上げる親を止めることができるのは教師ではない。これができるのは、同じ立場にある我々親なのだ。同じ立場にある親ならばそんな無謀な親をも静止し説得することもできる。このことからもわかるように、育児、教育とは、学校任せでも、教師任せでもなく、家庭も、親も、社会も一体となって初めて為せることなのである。

 私の子供たちが通っていた公立の小学校は、他の公立校に比較すると非常に良い教育環境が保たれていた。そのことは、教師と子供たち、教師と教師の関係を見ていると一目瞭然である。一番の判断材料は、職員室の様子だ。職員室が静かで暗い学校は、何かしら問題を抱えていると私は思っている。

 どんな学校でも、多かれ少なかれ問題を抱えている。だが、それらの問題を正直に対峙し、解決しようする努力があるか否かは、校長先生の教師としての資質と人間性によるところが大きいように感じる。子供たちの小学校の校長先生と私は、色々な理由で非常に親しくしていた。勿論PTAとしてであり、個人的な利害はまったくない。一言でいえば、親としても、その校長先生が大好きであった。いつも目線が子供たちと同じ高さにあり、校長室に閉じこもるのではなく、常に学校内におり子供たちと接していた。何と全校生徒の顔と名前を全員覚えておられた。これには私も驚かされた。何気ないことだが、この姿勢が非常に大切なのだ。廊下ですれ違いながらも、校長先生は、すれ違う子供に声を必ず掛ける。勿論、子供に名前を呼びかけながら。自ずと、子供たちも校長先生に子供たちも心の扉を開く。この校長先生の校長室には、昼子供たちが自由に頻繁に出入りしていた。風通しが良いのだ。子供たちも何でも校長先生に話す。校長先生も子供たちに耳を傾ける。すると自然に先生たちの風通しもよくなる。残念なことに、この先生は、校長先生を私の娘の卒業と同時に定年で退官されたが、その直後胃癌で亡くなられた。あの穏やかお姿とは裏腹に多くのストレスを抱えておられたかと想像すると、胸が詰まる。娘は、当時私立の中学校に入学し寮にいたので、葬式は参加できなかった。私が代わりに娘の分まで手を合わせてきたが、門凄い数の参列者が故人を惜しんで参列していた。勿論たくさんの生徒たちも参列していた。話は逸れるが、この先生との縁の始まりは、PTAで新潟出身のこの先生と餅つき大会を催したことであった。深く暖かい人としての絆を感じられた。多分、生徒たちも同じような感覚を、この先生に感じていたと今でも私は思っている。因みに、道徳の先生であり、公立校の道徳の教科書も執筆されている先生であった。

 こういうことが、教育の本来の姿ではないかと私は思っている。特別なことでも、頭でっかちな知識の押し込みでもなく、人としての絆、関わり方を学ぶ場こそが学校であり、それを導く身近な大人が教師でないかと。
この校長先生が、よく言っていらした。悩みが二つあると。できることならば、子供たちが六年間小学校で過ごす間、男先生の担任、女先生の担任、どちらも皆に経験してもらいたいと。だが、今の教員比率では、女性の方が大きく、また信任男性教師が生まれても、直ぐに男性教師は辞めて転職してしまうと。色々な理由を伺ったが、ここでは割愛することとする。
二つ目の悩みは、校長先生という職務は、ある意味外交官のようで、学校にいる時間が制約されてしまうということであった。教師は東京都の職員、用務員さんなど学校運営や経営にかかわる人々は区の職員として、区に帰属している。その結果、校長先生は板挟みで煩雑な作業に追われ、子供たちとの時間を満足に取れないと悩んでおられた。その言葉が非常に印象的で、私の脳裏に残っている。

 それにしても、今回の大津のいじめ問題は、あまりにも度が過ぎており、これはもういじめの範疇を超え色々な意味で刑事事件としか言いようがない。そもそも、警察をはじめ司法が教育にかかわること自体異常事態である。だが、今回の事件が、いじめに関し氷山の一角であり、大津だけでなく全国で同じような深刻ないじめ問題が生じているのであれば、政府は何よりこの問題、即ち公立校の教育現場荒廃改善を最優先にするべきであると強く思う。新たなる犠牲者を生まないためにも。きっと、こんな問題が取り沙汰されている間にも、日本のどこかで多くの被害児童がいじめに苦しんでいるに違いない。根本から教育現場を改善しなければ、この国に未来はない。何故なら、子供たちは、この国の未来を支える宝であるから。


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