政財界倶楽部(恩田将葉見聞録)

若者達がジャパニーズ・ドリームを夢みれる国を願い、「政治をもっと身近に!」というスローガンのもと、日本人に愛国心を喚起する。

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セミナー参加

セミナー参加
2012年2月15日

 脳梗塞後、初のセミナー参加だ。というか、こちらが受ける立場でセミナーに参加したのは久しぶりかもしれない。20人弱の少数で行われたセミナーだ。某航空会社の元CA達による、セミナーであった。正直な感想を言えば、二部構成になっており、一部は国際化が進む状況下での交渉術、というような内容であった。二部目は、業績アップに必要なプレゼンテーションという内容であった。

 まず、6時半開場であったが、少々早く会場に着いてしまったので、会場の共有スペースで待っていた。6時15分に、最初の関係者がやってきた。約5分前になって、残りのスタッフが到着。すると受付デスクで、配布物を折り出した。この時点で、既に5人ほどの客が待っていた。少々お粗末だな、という第一印象。配布物は、セットにして折って持ってきてしかるべき。受付テーブルでは、参加者リストをチェックするのみ。人脈を広げるための好機にもかかわらず。だが、参加者の名刺を貰うでなく、連絡先等を記載するではなく、リストチェックのみ。名刺交換は必須ではと思う。

 また余談だが、ああいうセミナー開催の場で、親しい仲であれ、主催者が個人的な男女関係を悟られるべきではない。当たり前のことであるが、本人たちは気付かず、参加者に時として不快感を与えることもある。確かに、海外ではそういうこともフランクだ。だが、やはりビジネスの場では、ビジネス・ライクであるべきかなと思った。

 第一部が開演。国際化が進む中での交渉実ということで、色々な国の人々へ対しての交渉術の注意点等が説明された。参考になる話も多々あった。だが、どうも少々早口で忙しなかった。時間の所為もあったのであろう。それと、沢山のことを伝えてくれようとして、少々盛りだくさんになり過ぎていた感がある。起承転結がなく、あまり上手く構成されていなかった印象であった。少しでも多くの情報を、とスピーカーは観客のことを考えてのことであろうが、少々食い散らかすような状態に陥ってしまっていたように感じた。また、高い目線から話をされているようで、少々違和感があったかなとも思った。

 次にセカンド・スピーカー。なかなかスピーチも、慣れたもので上手かった。説得力もあった。アイコンタクトも、また内容も上手く無駄なく構成されていた。説得力もあった。要は、どんな営業でも、どんなモノを売るのにも、まずは自分を売り込まなければ、相手に自分に興味を持たせなければ、モノを売ることはできない、というような話であった。共感するところが非常に多かった。特に、鍋蓋販売の話は、実話らしく説得力があった。例え必要でないモノでも、自分に興味をもってもらえ、自分を売り込むことに成功すれば、買ってもらうことができる。これは、ある意味極意だ。

 最初に、自分の特徴と価値を一言で言ったら、という質問が参加者に投げかけられた。見た目で捉えた人、内面のポジティブな部分を挙げた人、そして、ネガティブな部分を挙げた人ということで、内面のポジティブな部分を表面に出すことが良いということであった。私は自分の特徴は、自由奔放。自分の価値は、型にはまらないこと、と迷うことなく言える。だが、日本のサラリーマン社会では、自由奔放や型にはまらないことというのは、必ずしもポジティブな印象とは受け取られない。なので、ネガティブな印象ということで捉えてしまった。だが、一刀両断、切り捨てられてしまった。確かに、ネガティブな印象を相手に伝えるべきではない。だが、自由奔放や型にはまらないということは、日本社会ではネガティブなことだが、国際社会ではポジティブなことと理解している。そして、これからの日本では、特に経営者としては、そのことが非常に大切なことであると自負している。まあ、ここで言い分けを言っても仕方がないが、時間もなかったし、脳梗塞後言葉を発するのに、以前とは違い少々労力を要するので、何も言わずに我慢した。結果、少々フラストレーションが残った。自分らしくない、と非常に反省した。手を挙げて、ベラベラやるのが自分流。まだ、喋ると多少障害がでるのではと躊躇してしまうことを反省した。言葉が詰まっても良いではないか。自分流で行こう、そう思った夜であった。

 結論から言えば、一部目も二部目も参考にはなった。二部目のスピーカーの内容は、息子や娘に受けさせても良いかなと思った。一部目は、交渉術で一番大切なことを忘れているように、私は思った。例え、生まれ育ちが違っても。私はそう信じて、色々な交渉事に当たっているのだが。交渉術のテクニックということに特化して捉えれば、参考になった。ただ、セミナーとしては、少々お粗末であったような気がした。今後に期待したい。これにめげずに、今後も活動して頂きたい。ありがとうございました。

 最後に、二部目のスピーカーの経歴を見てみると、CAを辞めて広告営業を経験したことを通じて、多くのことを学び体得したのだな、ということが非常に説得力あり心に響いてきた。彼女の自信は、空自信ではなく、地に足の着いた素敵な形で彼女という人間を形成しているように感じた。素敵なスピーチであった。感謝。

掛け捨て積立制で立て直す社会保険制度
2012年2月14日

  今、日本は維新の頃のように色々な局面で破綻している。そのような状況下、最優先課題の一番大きな問題は、社会保険制度だ。ずっと天引きされていても、一度支払が抜けてしまえば、いや実際には抜けていなくとも年金が支給されない。何故なら、現行制度では、実際には積立でなく、若年層の社会保険掛け金で、今いる高齢者たちの年金を賄っているからだ。だがこの制度、既に破綻している。人口の年齢別世代数の割合も昔とでは違う。制度自体、既に機能していない。長年一生懸命働き社会保険料を払ってき人々が、年金を受けられないという酷い状況だ。真面目に税金や保険料を支払ってきた国民が、老後も不安を抱えながら不安定な生活を強いられるとは理不尽この上ない。国としての体をなさず、老後の安心ではなく不安を国民に与えている。誰がそんな国に対し、真面目に税金や保険料を払うだろうか。大体、国民が払った保険料は、社会保険庁の役人たちによって、箱物やら、天下りやらのために使い込まれ焦げ付いている。そんな状況で、国によるどんな甘言も、私たち国民は信じられない。老後を安心に過ごせるようにすることは、国の義務だ。多くの国民は、少ない給料の中から、税金や保険料を天引きされても文句を言わず支払ってきた。せめて支払った掛け金分は返して欲しい。今晩のテレビ朝日「TVタックル」でも、この問題が取り上げられていた。偶然にも、この記事は、ある業界紙の連載に私が執筆したものを加筆しのだが、グッドタイミングなのでここに掲載することとする。橋下大阪市長が推奨する掛け捨て積立制は、嘘の無い道理にあった新しい社会保険制度の一つであると私は思っている。言葉は悪いが、これまでの社会保険制度は、国民を騙した詐欺的制度といっても過言ではない。にもかかわらず、国民にばかり皺寄せ意をして、役人や政治家のツケを回されたばかりではたまらない。国として、全てを一度白紙にして、新たな制度で、全て一新して過去は帳消しにして再出発するべきである。そうでなければ、役人たちが使い込んだ800億円からの社会保険料の積立金を、まず国民に返すべきである。そうでなければ、道理に合わない。筋が通らない。自分たちは好き勝手に使い込んでおきながら、国民にばかりツケを回し負担を強いるのでは、国が国として機能していないと世界に恥を晒しているようなものだ。

  橋下市長といえば、「船中八策」や維新塾の開講に当たって受講生を公募したりと、まるで選挙へ向かって候補生を募る登龍門にしようとしたりして、国政を意識して俄かに動き出した。まあ、当初より、彼の頭の中では、全てを成就させるには国政へ一歩を踏み出さなければと想定していたことは想像できる。私は、彼の動きの中に、気になっている動きがもう一つある。まだ表面化していなし、それを意識して動いている訳ではないが、彼の掲げる方針と、松下政経塾の塾生出身の政治家達の思いは近いのではないかということを感じている。特に、一期から五期までの出身者は、「首相公選制」をはじめ橋下氏が掲げる国への思いと非常に近いような気がする。そんな彼等が、近い将来、超党派で手を取り合うことも在り得るのではないかと思っている。名前は出せないが、野党最大党のI氏なども共感できるところが多いのではないかと、橋下氏がこんな動きをだすずっと前に言っていたことがある。野田総理も、総理になる以前、同じような考えを話していたことがある。五期には、首相公選制をずっと前から実現しようとしている塾生出身者も複数いる。また、八期以降で松下幸之助とは直接接点を持てなかった世代の塾生たちの中にも、今回橋下氏と手を組んだ田中元横浜市長など、同じ考えを強く持っている人々がいる。彼らの考え方と橋下氏が打ち出しているこの国の新しい形は、共感できる部分が非常に多いのではないかと思う。だとすると、各党に散っている政経塾卒塾生たちが、手を取り合って橋下氏の維新の会と足並みを揃えるなどという、予想外の展開も起こり得るような気がしてならない。何故なら、嘗て彼等から直に聞いた言葉を思い起こしてみると、まんざら夢物語ではなく、そんな驚きの展開も在り得るのではと思っている。

  そんな状況下、増税論争で、永田町だけでなく世間が浮足立っている。政治家達はといえば、足の引っ張り合いばかりで、やれ民主党がマニフェストを違えた、やれ○○大臣が不適格だ、そんなことを言っていたら、選挙公約など今までだって嘘八百で実現しなかった比率の方が高い。また大臣だけでなく、ほとんどの政治家が政治家として不適格だとも言える。皆、自分のことを棚に上げて、本当にこの国の未来を考えて発言していない。耳あたりの良い事を言うのは簡単だ。だが、場当たり的な政策論争ばかりでは、もうこの国は二進も三進もいかない。何故なら、完全に制度疲労を起こしているからだ。唯一、この危機から脱せられる途は、全てを白紙にして制度改革をすること。その為には、政治家も、官僚も、政党も、派閥も、中央も、地方も、そして、我々国民も、場当たり的な足の引っ張り合いや私利私欲思惑に寄らず、目の前の選択肢を正しく判断して歩を進めなければである。勿論、選挙も例外ではない。誰を選び、誰がこの国のために何を為し、どう変えてくれるか、そのことだけを判断材料にするべきである。どこの党がどうの、派閥がどうのなどというくだらないことは、判断材料から除外して、私利私欲や思惑はかなぐり捨てるべきだ。今の政治状況は、正に明治維新の頃と同じだ。制度疲労した江戸幕府を打破し大政奉還を成し遂げた時代と酷似している。既成概念に囚われることなく、全てを迷わず造り直さなければならない。そして、その為には、我々の子孫の繁栄を想い描きながら、日本の未来像をハッキリと意識し、子供たちの時代に困らないような新しい制度を構築する必要がある。それが、私たち大人に課せられた唯一の役目であり義務だ。夢も希望もない国では、若者たちだけでなく誰も期待も努力もできないではないか。夢や希望がないところに、未来はない。そのことを誰もが肝に銘じて、真剣にこの国の立て直しに臨んで頂きたい。切にお願いする。

今有権者である私たち国民は何を為すべきか
2012年1月8日

 今年は年明けより、解散総選挙の臭いが漂っている。年末には、政党助成金等の関係で、新党が幾つか立ち上げられた。また、小沢一郎をはじめ複数の政治家が、具体的に動きを見せている。大方の焦点は、野田総理が頑なに推し進める消費税率引き上げに関してである。国民の中からも、大いに反対意見が噴出している。確かに、増税する前にまず議員定数削減、公務員削減、そして、初めて増税であろう、という国民の声が声高に聞こえる。民主党のマニフェスト反故という声が頻りだ。だが、私は、有権者である我々国民も、消費税反対ばかりを連呼するのではなく、今の日本の現状を理解して、今我々は何をすべきかを冷静に判断するべき時であると思っている。確かに増税は望まない。だが、今の日本の財政状況では致し方ない。何故なら、収支が合っていないのだから。このままでいけば、日本の財政は破綻する。入る金と出る金があまりにもかけ離れバランスシートが破綻している。全てが悪循環だ。将来、老後に不安を感じる国民は多い。一番大切なところだ。老後に不安を感じながら、どこに幸せなどあるであろうか。それこそが、何より最優先の国家の義務だ。

 過ぎたことをとやかく言っても仕方がない。だが、そもそも理屈は色々あるが、ハッキリ言ってしまえば天引きしておいて、一度でも未払いがあれば年金不払い措置というのは、何とも理不尽だ。ある意味、国による国民に対する詐欺行為といっても過言ではない。確かに理屈では若者の社会保険料で年寄りの年金を賄っているということになるのだが、実際には問答無用で社会保険料を天引きされ積立てているのと同じだ。にもかかわらず、一度でも支払が抜けると全額不払いとなるというような理不尽が起こること自体が、信じられない。安心ではなく不安を国は国民に与えている。理解に苦しむ。それでいて、役人は社会保険料を無駄遣いしていたというのだ。呆れてモノが言えないどころか、怒り心頭だ。この社会保険制度を、白紙から組み立て直し、隈なく全国民が年金を受けられ、老後を安心して迎えられるシステムを構築することこそが、国としての最優先課題であると私は思う。今のままでは、国としての体を成していない。せめて、老後の安心を国民に与えることが、唯一国が国民に対し行える生涯税金を払ってくれた恩返しではないか。そのことがあって、初めて国民も国のために尽くそうという気持ちが起こるのではないか。何もしてくれない国に対して、愛情も何もわかないのは当然だ。それでは、国は成り立たない。

そんな状況下、私たち日本人は今、何を思い、何を為すべきか。そのことの方が遥かに大切だ。モノの道理からすれば、まず議員定数削減、公務員削減、そして増税ということであろう。だが、嫌なこと即ち増税を避けて通り後回しにすれば、本当にこの国は破綻してしまう。前記した三つの無駄を削減することを同時に行わなければ、本当の意味で改革は実現できない。勇気をもって、敢えて我々国民が嫌がること即ち増税まで一気に為さなければ、この国は生まれ変われない。勿論、今までのように無駄を垂れ流すことは、最優先で止めさせるべきだ。だが、同時進行で消費税率引き上げや議員定数削減、公務員改革も推し進めなければならない。その自覚を、政治家も、公務員も、そして、有権者である我々国民も享受しなければこの国は立ち直れない。

 消費税率引き上げというと、問答無用で皆反対する。だが、財源がないのに絵に描いた餅を食らうことはできない。今のままでいけば、7兆円のマイナスが出て帳尻が合わなくなる。何故なら高齢化社会が加速し、若者の数が減るからだ。この現行のシステム自体が破綻しているのだ。兎に角、前記したように、まずは社会保障制度を白紙の状態から作り直し、国民隈なく年金を受けられるシステムを構築しなければだ。老後の安心なくして、改革などあり得ない。今の日本のような状態では、国としての体を成していない。何が何でも、全国民が安心して老後を過ごせる社会を確立することで、初めて全てが新たに始まる。

 消費税率引き上げというと、問答無用で反対する声が大きい。だが冷静に見聞すれば、消費税ほど公平な税制はないことに気付く。確かに、現行の一律税率では、問題点も多々ある。だが、一律ではなく、税率を変動制にすれば、多くの問題点は解決できる。実際に、香港や北欧諸国などでは、変動税率制で非常に上手く消費税が運用されている。例えば、生きるために最低限必要な、食糧や水、ガス、電気などには、消費税は掛けない0%にする。食糧でも、加工品や人の手が掛かったものには、3%の消費税を掛ける。ケーキや高級料理店などで提供される外食類には、5%の消費税を掛ける。他のモノでも、例えばブランド品などの贅沢品、無くても困らない贅沢品には15%とか20%の消費税を掛ける。多額の消費税を払いたくない人は、そういう高額消費税対象商品である贅沢品を買わなければ良いのだ。高額消費税を払っても、そういう贅沢品を買いたい人は、高額消費税を払って購入すればよい。自動車なども、同じことがいえる。そうやって、棲み分けをしていけば、消費税を払いたくない人は、そういう贅沢品を買わなければよいだけで、それでも贅沢品を手にしたい人は、高額消費税を払えばよいだけのことだ。非常に公平である。贅沢品を買いたければ、一生懸命働けばよいのだ。理に適っている。今の日本が、あまりにも公平という意味を履き違えているように思う。猫も杓子も、高校生までもがブランド品を持ち当たり前でいる。ヨーロッパに行けば、ブランド品は誰もが手にできるものではない。また、別に、ブランド品がなくとも、人間は生きていけるのだ。正に贅沢品なのである。欲しければ、他人より働けばよいのだ。稼げばよいだけだ。稼ぎもないのに、ブランド品に手が出せなくなるというだけで、日本は不公平だという理論自体が、私には異常であり大いに問題があると思う。それこそ平和ボケもいいところだ。

 自分の都合ばかりで否ばかり言っていたら、結局は何も始まらない。それぞれの当事者が、それぞれの身を切ってこそ初めて改革は為せる。今こそ、古き良き時代の日本人に立ち返るべきである。自分は嫌だけれど、他人に押し付けるのでは何も始まらない。そうではなく、自分を後回しにして他人のために自己犠牲をも厭わない、そんな美しき日本人に立ち返るべき時がきたように私は思う。昨年の震災後、市井の人々は、「絆」をもって助け合いの精神を回帰した。だが、政治はといえば、未だ混迷を極めている。政治家も、公務員も、己ではなく国民のことを、そして、この国のことを最優先に政治を行ってほしい。そうすれば、全ては好転し運気も昇り龍のごとく上昇するはずだ。その為には、「先憂後楽」を肝に銘じ、超党派で、この国を真に愛する政治家だけを我々国民が選択するべきである。耳障りに良いことばかりを言い、我々国民を誑かす永田町に巣食う魑魅魍魎を、我々国民の手で、いい加減退散させるべきだ。そのことこそが、最優先課題ではないか。そして、その時が、今年訪れるような気配を感じているのは私だけではないはずだ。大きな変革がくる。そんな気がしてならない。今、私たち、国民は、何を思い、何を為すべきか、そのことを熟考して行動を起こすべきなのではないか。そんな風に私は思う。

年賀状

年賀状
2012年元旦


新年明けまして おめでとうございます。
        旧年中は大変お世話になりました。

  昨年は、3.11の大震災をはじめ、太陽の50年周期の影響か、天変地異が世界中で頻発し、波乱万丈の一年であった。個人的にも、前半は被災地取材とボランティアに明け暮れ、8月に脳梗塞と脳内出血で倒れてからの後半は、リハビリと再発防止に明け暮れた。日本は、政治も混迷を極め、市井の人々は、多くの痛みを感じなければならない厳しい状況であった。にもかかわらず、政治家はといえば、民意そっちのけで自分勝手に政争を繰り返し、被災地復興や被災者たちの声を後回しにした。政権交代を旗印に2年間民主党政権を黙って見聞したが、もう限界だ。更なる政界再編のみが、この国を救う途。大志を抱き、愛国心を大切にし、民意を等閑にせず、身を粉にしてくれる政治家のみを超党派で結集させるべきである。そのためには、我々市井の人々が声をあげることこそ肝要だ。永田町に長く巣食う垢に塗れた魑魅魍魎にはいい加減三下り半をくれてやること。この国を真から愛する政治家のみが永田町に生き残るべき。そして、それができるのは、我々有権者だけなのだ。新しい年も、宜しくお願い致します。

どうしようもない大きな時代という渦
2011年12月31日

私は
どうしようもない大きな時代という渦の中にいた。
それは、
サンフランシスコ州立大学にトランスファーした1984年から始まった。

  思い起こしてみると、当時自覚はなかったが、大きな時代という渦の中に、自分は身をおいていた。自分が何を為したわけでもないが、その渦の中にいて、ライブで全てを五感を通じて感じられたことは、非常にラッキーであった。そのことは、私のその後の人生、いや人生哲学に大きな影響を与えたことは間違いない。だが、あの頃は、そのことさえ気付いていなかった。灯台下暮らしということだったのかもしれない。当たり前であったが、全然当たり前でなかったのだ。人生に感謝、親に感謝、この時代に生を受けたことに感謝、そして、アメリカにあの時代に居られたこと、カリフォルニア、サンフランシスコにいられたことに深く感謝する。

  1984年、私は、それまで通っていた群立大学を卒業し、州立大学へオーナースチューデントとしてトランスファーした。勉強嫌いの私にとっては驚くべきことであった。メジャーは、ビジネス。州立大学にトランスファーした私は、直ぐにビジネスメジャーからインターナショナル・リレーションズに変更した。何故なら、世界の動きに興味をそそられたからだ。小さな学部であったが、非常に実戦的で、非常にライブ感覚に富んだ学部であった。アメリカで学ぶべきこと、日本では学べないことがそこにあるように私には感じられた。教授たちは、全員CIAの職員であった。勿論常駐ではないが、皆籍があった。学部内に、連絡事務所のようなものもあった。資料類も、全て本物が使えた。半年で賞味期限がくる、CIAが使用している世界中を見詰めることができる衛星写真も、賞味期限切れのものを自由に資料として使うことができた。南カリフォルニア大学とジョン・ホプキンス大学と我が母校のIRは、独立したスクールを形成している非常に充実した学部であった。世界の裏表が、手に取るように理解できた。全てが目新しく、全てが新鮮であった。そして、何より興味深かった。世界中から、留学生がIRに来ていた。勿論私も含めて。特に、パレスチニアンの留学生は多かった。彼等は、命懸けで留学していた。そして、彼らの考え方は非常にハードであった。本来、敵ともいえる立場の人たちを受け入れるところに、アメリカの懐の深さを感じた。やはり、アメリカの教育予算は、軍事予算に次いで大きい意味を感じた。留学生は、ある意味アメリカ資本主義、民主主義の先兵に洗脳され送り返されるのだ。勿論、全員がそうではないであろうが。

  私は、当時教授に言われ、イランを専門にして研究を進めていた。ところが、パレスチニアンの同窓生は、発表授業がある度に、私を質問攻めにし難癖をつけてきた。正直、中東情勢のことは、この学部にくるまで皆無に近い状況で知らなかった。生まれながらに育った彼等からしたら、面白くないのであろうが、だからといっても全てを否定されても困る。解らない他国の人に理解させ、説得するのが授業の目的であると私は理解していた。ところが、彼等は非常に熱くなる。結局、結果からいうと、私の英語力と中東に関しての理解力の低さが原因して、彼等は暴力的な手段で制裁を加えてきた。危険を察知した教授は、私をイランから朝鮮半島問題専門研究に変えさせた。お陰で1セミスター損をした。だが、机上では学べないことを学んだような気がした。その直後、外部教授として教鞭をとっていた「不確実性の時代」で一躍世に名を馳せたガルブレイス教授が、講演中に、同じ彼等パレスチニアン留学生に襲われた。理屈ではない、何かを感じ取った。中東問題の根の深さを肌で感じた瞬間であった。

  当時、私は気付いていなかったが、大学の勉強以外で体感できる時代の潮流の中にいたことを、スティーブ・ジョブズの死で気付かされた。自分たちの中では、当たり前のことであり特別なことではなかった。だが、それはすごいことであったのかもしれない。以前にもここで書いたことがあるが、あまり他言しないでいたのだ。だが、何度かスティーブ・ジョブズ氏とは、知り合いではないが何度も同じ空間で同じ空気を吸い、直接話を聞いたことがある。当時我が母校では、他の州立大学でも同じであったと思うが、学籍者はタダのような値段でアップルコンピューター、即ちMac 具体的に言えばMac PlusとMac SEを手に入れることができた。スティーブ・ジョブズ曰く、「君たちが大学時代にMac ユーザーになれば、卒業した君たちが、それぞれの職場でMacを使うことになる」、その話を聞かされて、何と先見性のある人なのだと感激したものだ。その代り、マック・ユーザーの集いが、毎週末スタンフォード大学のあるパラアルトなどサンフランシスコ周辺都市の大学内で行われ、そこに参加するように働きかけられた。まるで新興宗教団体の集いのような感じであった。新しい情報がお披露目され、問題点などが集まったユーザーと舞台上の技術者の間でやりとりされた。ユーザーの声も、遠慮なく吸い上げられた。必ず最後には、スティーブ・ジョブズが登場し、大騒ぎになり終わるという繰り返しであった。あの頃、全てが始まった。あの頃、今の時代の流れが始まったのだな、その渦の中にいたのだなと最近思う。そのことに、今は感謝している。

  彼は、普通の人であった。だが、何とも言えない情熱が漲っていた。常に、何かと対峙しているような熱い尖ったモノを感じた。アップル教といっても良いほど、私たちは皆熱狂していた。Macなしで、大学生活はあり得ない感じであった。図書館には、ずらりとMacがならび、それまでのタイプライターと取って代わっていた。最初の大学に入学した頃1981年には、まだコンピューターサイエンスのクラスで、コボロなどのコンピューター言語の授業やプログラミングが中心で、決して手頃なものではなかった。その以前に、まずはタイプライティングのクラスを取り、大学生活に備えたものであった。手書きはアメリカの大学ではありえない。タイピングをできないと、卒業どころか大学生活も送れなかった。お陰で、器用な日本人の私は、白人女性たちと同様に、タイピング速度と正確さで表彰された。今から考えると、あの時のタイピングの経験が、全ての原点になっているのかもしれない。

  あれから30年近くの月日が流れ去り、時代もどんどん驚くべき速さで移ろいでいる。アップルコンピューターも紆余曲折があり、落ちたり上がったりした。ライバルのウィンドーズが飛ぶ鳥を落とす勢いで、世界を席巻した。だが、リベンジ・マッチは、違った形で棲み分けをして、スティーブ・ジョブズにも軍配を上げた。ただ、この30年間、1984年に始まり、常に身近にアップル・コンピューターと共にありながら、時代を感じ続けてきたことに感謝する。今では、机の上には、化石化したMacが片隅に追いやられており、ウィンドウズのノートパソコンが、主役を演じている。だが、一度たりともMacが側から離れたことはない。子供たちへの生まれて最初のプレゼントも、二台のMacであった。息子に水色、娘に橙色。そして、新しい年、娘は高校を卒業し、長年好きで身に付けてきたPCを使いこなしデザインを学ぶ学校へと進学することになった。また、Macに、今度は娘が囲まれる運命になった。こうやって時代は、引き継がれていくのだなと実感している。時間は流れている。誰の上にも平等に。その流れは、昔に比べれば明らかに速い。まるで、ロケットで宇宙にいくような速さで、超特急で未来へ向かって疾走している。何処へ向かうのか、それは誰にもわからない。ただ一つだけわかることは、パイオニアは既に伝説になり歴史になったということだ。それでも、彼らの意志を伝え、歩みを止めることなく新たなる一歩を進め続けることだ。決して立ち止まることなく。既成概念に囚われず、新たなる改革を繰り返すことだ。


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