政財界倶楽部(恩田将葉見聞録)

若者達がジャパニーズ・ドリームを夢みれる国を願い、「政治をもっと身近に!」というスローガンのもと、日本人に愛国心を喚起する。

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政局に明け暮れる日本政治に三下り半
2012年6月15日

  民主党政権へ政権交代が行われて以来、我々国民は落胆することばかりが続いてきた。あまりに期待が大き過ぎたのかもしれない。だが、最初からもう一度大きな政界再編が行わなければ本当の意味での改革はできないであろうと思っていた。だが、やはりそういうことであると、多くの有権者たちがやっと気付きだしたのかもしれない。

  そもそも政治屋の皆さんは、明けても暮れても党利党略私利私欲、思惑ばかりが先行して、政局にばかり頭が120%翻弄され、国民のための政治など微塵も思っていない。本当にくだらない茶番の繰り返しだ。役者も、まったく代わり映えがしない。呆れ果てる。

  現状の日本の経済状態、国民生活、特に社会保険制度の崩壊や制度改革を思えば、こんな馬鹿げた茶番など繰り返している暇はないはず。だが、結局バカな政局に翻弄され、政治を蔑ろにしている。国会中継をみていても、足の引っ張り合いばかりで、政策論争の本質など微塵も感じられない。本当に政治家の意識は、地に落ちた感が否めない。大体、政治家としての資質もない人々が、私利私欲党利党略によって担ぎ出されたり、しゃしゃり出たりして、論争以前に論じるどころか思考すらできない魑魅魍魎が永田町には満ち溢れている。彼らを選んだ我々有権者にも、大いなる責任がある。だが、本当に日本の政治は地に落ちた。これでは、本当にこの国は、立ち上がることすらできないのではないかと本気で心配になる。そんな状況下、大切なことは、我々国民が、正しい目で、政治と政治家を見極めることだ。マスコミに翻弄されずに、自らの良心で彼らの言動を精査し、どの政治家が本気で国民のために汗水を流しているかを察知する必要がある。本気の人間の情熱は伝わるものだ。そうすると、案外マスコミが垂れる知ったかぶりの能書きとは違った答えが見えてくるかもしれない。誰が足を引っ張り、誰が本気で政策を議論しているか、政治家の仕事を見極める本質はそこにある。

  そもそも、政治家たちの視野があまりにも狭すぎる。物事を大局的に見ることができ、英断がくだせる資質を持ち合わせているのが、本来政治家という存在だ。子供が政治ゴッコをしているのではない。世界の中で、この日本という国を統治していかなければならないのだ。 覚悟も、勇気も、もっと必要だ。その辺のことを肝に銘じて、政治屋の先生方は、国民のために、この国のために、一度胸に手を当てて真剣に改心して頂きたい、そして、我々有権者は、澄んだ心の目を見開き本物を見極めることを切望する。

原発事故調での菅元総理の発言真意
2012年6月2日

 はじめに、私は菅元総理の支援者でも後援者でもない。ただ、未来のために、今回の原発事故を出来る限り客観的に見詰めたいと思っているだけだ。正直、今回の事故調で、枝野や菅や諸々の民主党関係者の発言に対しては、呆れて開いた口が塞がらない。お互い足の引っ張り合いで、見苦しいことこの上ない。だが、菅元総理だけが、間違ったことを言っていないように感じた。彼は激情型の政治家だ。だが案外正直に、私利私欲抜きでモノを言うタイプであるように思う。

 巷では、イラ菅が感情に任せて原発や東京電力本社に乗り込んだので、現場の人間たちが迷惑して判断を誤ったと言っている意見が多い。だが、果たしてそうであろうか。私には、そういう人々の声に疑問を感じる。大体、東電幹部にしても、今頃菅元総理を責めるが、会長も社長も東京本社に不在で、地方や海外にいたわけである。本来二人ともが東京本社を離れることはせずに、片方は残るべきである。にもかかわらず、自分達の非を棚に上げて、菅ばかりを責める姿は見苦しいことこの上ない。あの状況下で、菅元総理が現場に乗り込んだのには、理由があったとように私は思う。巷で言われている、情報が総理官邸に上ってこなかったという理由は、一番大きな理由であるように思う。当事者であった菅元総理は、そのことを多分当事者として痛烈に実感し、現場に赴いたのであろう。世間やマスコミは、菅元総理をボロクソにいい、現場の人間が正しかったように自民党も含め盛んに囃し立てているが、果たしてそこに真実があったのであろうか。当時、あの状況を第三者的に見つめていて、私が強く感じたのは、原子力保安院の存在意味である。彼らが、本来東電と官邸の間の架け橋であり、ワンクッションになるべきであった。ところが、どう見ても彼らが役目を果たしているようには、私の目には映らなかった。彼等は、東電のみに責任を転嫁し、自分達の非は認めようとしなかった。それどころか、保身ばかりを最優先し、何をあの場で為さなければならないかという大切な問題を等閑にしていたように感じた。菅元総理も、そんな彼らの姿勢を間近で見聞し、現場へ乗り込み現実を把握するという行動にでたように感じた。菅元総理ばかりを責め立てるが、あの状況下、本来総理が現場に乗り込んだあの行為は、原子力安全保安委員が為すべきことであったはずだ。にもかかわらず、彼らは微動だにしなかった。故に菅元総理は批判を浴びながら自ら赴いたのであろう。よく理解できるリーダーとしての行動だ。状況が把握できない状態にあるならば、自ら赴くということは、組織のリーダーとして正しい判断である。私はそう思う。その証拠に、福島原発の吉田所長は、上の対応にヤキモキしてクレームをつけていたではないか。それは、東電幹部や原子力安全保安委員会が上に存在し、正しい情報が迅速に政府まで伝わっていなかったことへのフラストレーションの表れであった。

 そして、その状況を目の当たりにした菅元総理が決断を下すのだが、そのことに対し自民党などは非としているが、あの状況下で、腰抜け原子力安全保安院が適格な判断を、勇気を持って下せたであろうか? 答えは否である。あの状況下で、保身と責任を盥回しばかりしていた彼らに、そんな重い勇気ある決断はできなかった。その結果、現実問題として、後手に全てが回っていたではないか。菅元総理の迅速な判断があったからこそ、全てが動き出したように私は思った。後で、色々な屁理屈は言える。だが、誰かが英断をくださなければ、事態はもっと深刻なことに陥っていたように思う。

 そもそも、役人である原子力安全保安院にしろ、経済産業省にしろ、決断を下せるわけがない。彼らが常に考えていることは、責任を転嫁し盥回しにすることばかりだ。そんな輩が、英断など下せるわけがない。例え専門家だとしてもそんな英断は下せない。そういう英断を下せるのは政治家だ。確かに政治家は原子力の専門家ではない。だが、組織のシステムでは、専門家の役目は状況の把握と対処策の把握、そして、その状況を的確に判断し、そこで英断を下すのは政治家であってしかるべきだ。そこのところを間違えれば、また同じ轍を犯しかねない。私は、そんな風に思う。大体、今になって、誰が悪かった。ああすればよかったと綺麗ごとばかりいうが、現実にその場でそれを為したのは誰だ。あの危機を乗り越えたのは誰だ。そのことを素直に受け止め、その当事者である菅総理はじめ現場を知っていた人間の意見を反省意見として取り上げ、今後に生かして然るべきであると私は強く思う。足の引っ張り合いは、何の意味もない。生産性のないことに、時間も労力も費やすべきではない。今の政治には、民主党政権には、そういう無駄があまりにも多すぎる。私にはそう思えてならない。

エネルギー問題に関して思うこと
2012年6月2日

 最近思うことがある。3.11以来、巷では原発反対と声を上げる人々が多くなった。勿論、原発が100%正しいとは言わない。だが、無条件にただ反対だけしてよいものだろうか。もっと、他のエネルギーと比較して、同時にその比較の中でそれぞれのエネルギーの可能性と短所をよく精査して、最終的な結論をだすべきであると思うようになった。確かに、原子力発電に対しての短所は多い。だが、火力発電等にだって短所はある。シーオーツーの問題然りだ。オゾンホールは、ある意味人間の力ではどうにもできない自然に起因する問題だ。そういうことも加味して、結論をだすべきではないかと思う。勿論、我々に人間への影響と安全性は最優先である。だが、その上で、太陽系に帰属する地球に生きる我々にとって、もっとも自然で適切なエネルギーを模索するべきである。そうはいっても、需要と供給のバランスもある。感情論で、何もかにも「反対」「反対」というのではなく、冷静に一歩退いて、エネルギー問題を真剣に熟考するべき時来ているのではないか。私はそんな風に思う。

子供たちに伝えたいこと
2012年5月29日

 先日NHKスペシャルで放送していた「世界を席巻するキティー旋風」という番組を録画してあったものを、娘に見せた。何故なら、その番組の中に、子供たちに伝えたいことが上手く表現されており、娘にとっては身近なキティーを売るサンリオの日本企業の在り方を通じて、人生で何が大切かということを知ってもらいたいと思ったからだ。

 私は、アメリカで教育を受け、日本で社会にでたので、正直色々な厚く高い壁にぶち当たることが多かった。特に日本企業では、「出る釘は打たれる」いや企業だけではない、どんな業界でも日本では「出る釘は打たれる」環境にある。そのことが、今まで自分の人生で、最大のハードルであり、ある意味苦悩でもあった。大袈裟だがその壁を打破することの繰り返しであった。そのお陰で、自分は多くを学び、打たれ強い人間になれたと思っている。だが、だからといって皆同じ方向を見る日本企業に妥協することを体得したのではない。ある意味、常に反逆者であることを自分では誇りに思っている。そのことは、ビジネスや政治活動だけでなく、法廷闘争などでも、私という人間を支えている核の部分であると言っても過言ではない。少々話が脇道に逸れた。元に戻す。

 私は、子供たちが幼い頃より、「ダメはダメ」「為せば成る、為さねば成らぬ何事も」「Nothing is impossible」という言葉を、事あるごとに伝えてきた。果たして、その言葉を子供たちが受け止めているか否かは別の問題である。だが、例えば、MacのPCなどを購入する場合には、必ず背面にこれらの言葉を名前と一緒に刻んでもらうようにしている。 それは、私人身、短い人生で私なりに学んできた中で、これらの言葉が一番大切なことだと思ったからだ。私の母親は、「ダメダメ」と何から何まで「ダメダメ」尽くしの人であった。何もダメ、かにもダメ、無難に、皆と一緒にというような日本人らしい日本人である。正直、私には、そのことが、幼少期より非常にストレスになっており、その殻から飛び出したかった。故に、単身渡米できる機会を得た時は、それだけで飛び上がるほど嬉しかった。そして、実際に渡米してみると、その解放感は想像以上であった。解放感だけでなく、可能性が目の前に大きく広がった。その経験から、私は私の子供たちに、生まれてこの方「ダメ」ということを言わないようにして育児をしてきた。「ダメ」とは言わず自ら気付く教育を是としてきた。実際、自分の経験から、「ダメダメ」を連発されれば萎縮し、出来ることもできなくなることを解っていた。それよりも失敗しても、どんなことにでも挑戦する勇気を持ってくれた方が、私は嬉しく思っている。そのために被る弊害が大きいこともある。だが、そこから学ぶものは非常に大きく、代えがたい人生の宝になると確信している。余談だが、そんな私にとっての救いは、母とは正反対で、何でもやらせてくれる亡父の存在であった。若い頃は、随分ぶつかり合いもしたが、今から思うと大好きな亡父であった。

 そのような状況下、私はデザイナーになる勉強をしている娘に、上記の番組を観るように勧めた。そこにはキティーという身近なキャラクターが、どのようにして世界を席巻したかが、解り易く実際のデザイナーたちが登場して、またサンリオの現在までの変貌をドキュメンタリーで表現していて、非常に説得力があると感じたからだ。2008年より、サンリオでは、それまでの社風を一転させる方針が打ち出された。その直後より、サンリオの売り上げ利益は、前年比を倍増する勢いで、右肩上がりで上がった。その変革には、何人かの核となる社員が存在した。一人は、2008年にハーバード大学で、ビジネスMAで卒業し入社と同時に取締に就任した人物の影響が非常に大きかった。彼は、アメリカで学んだアメリカ風のライセンス・ビジネス方式をサンリオに持ち込み、世界中で誰もがいつでもキティーを手にすることができる道を開いた。即ち、それまでサンリオでは自社でデザインだけでなく商品開発販売までやっていたが、2008年以降はライセンス販売のみに特化して、世界を席巻したのだ。ライセンスを販売し、其々のクライアントが自社の商品にライセンスに乗っ取った形でデザインを施して販売することを可能にした方式だ。この方法で、キティーは短期間で世界を席巻した。サンリオ自体が販路開拓をせずとも、ライセンスを購入したメーカーが販路を開拓すればよいのだ、販売営業にかけるコストが格段に下がり、ライセンス販売による純利益が驚異的に伸びたのだ。ただそれには、他にも数人の立役者が、サンリオに存在した。一人は、三代目のキティー・デザイナーだ。そして、もう一人は、ヨーロッパ統括役員のイタリア人社員だ。彼等は、既成概念に囚われず、如何なる状況や可能性にも「NO」を言うことなく、新しい道を模索し前進するキッカケになった。その結果、現社長に、快進撃を可能にした要因は、「柔軟性のある考え方をもつ良い人材だ」と言わしめた。

 娘にとって面白く大きな説得力となったのは、スヌーピーやディズニーキャラクター商品と比較して、サンリオのライセンス契約が非常に柔軟であるというところだ。これは、デザイナーにとって大きな可能性を齎すことになる。スヌーピーなどは、作者が故人となった今、新しいスヌーピーをデザインすることはできず、既存のコミックから抜粋してスヌーピーのキャラクターを使わなければならないという手枷足枷が非常に重い。当然のことながら、サンリオとは比較にならないほどの販売や開発に遅速を強いられる。ところがサンリオでは、ライセンスを取得したメーカーは、自由にキティーをデザイン変更できる。サンリオ方式では、自由闊達に新商品を開発販売することがライセンスを購入したメーカーに許される。そのことによって、マーケット規模を驚異的に広げることが可能になった。その差は歴然で、他の追随を許さない勢いだ。だが、その原点にあるのが、正に「Nothing is impossible」という精神であるということを、番組全体で表現していた。「ダメ」と言い出したら、全てが駄目になってしまう。どんな可能性も模索する精神は、大きな可能性を運んでくる。そのことが、この番組で学べたことである。

 自由人である私からしたら、我が子たちは、親に似ず案外真面目だ。勿論、娘は我が家のレディーガガと呼んでいるぐらいに、奇抜なファッションをしたり、変わったことをしたり、卒業した私立の中等科高等科の学園生活では、ちょっとはみ出した存在であった。だが、デザイナーという途を目差し歩みを進みだしてみると、そんな自分の存在も、目立った存在ではないということに気付かされ、もっと個性を発揮し、「ダメ」という意識を超越して前を向いて歩みを進めなければということを実感しているはずだ。そんな状況下、私からしたら頭が硬めの娘に、「為せば成る、為さねばならぬ何事も」「Nothing is impossible」というチャレンジ精神をあらためて気付かせるキッカケになって欲しいと、この番組を観ることを勧めた。多分、今はまだ100%理解できないかもしれない。だが、いつか私のそんな思いに気付いてくれたら嬉しく思う。いずれにしても、子供たちの今後の人生が幸多きものになってくれることを心底より望む。

太陽活動と地球への影響 私が感じること
2012年5月22日

 まず、何故私が太陽活動に強い興味を持つようになったかをお話しなければならない。それは、昨年8月末に私に起こった脳梗塞がキッカケだ。それまで、ここ数年、私はアフリカのドゴン族に強い興味を惹かれていた。ドゴン族は、簡単に言うとシリウス星から人間が地球に降り立ったと信じているアフリカの部族である。彼等は、シリウスを神と崇め、太古の昔から色々な言い伝えを部族に伝承してきた。その彼らの伝承していたシリウスに関する内容は、科学者も驚くようなもので、ここ十数年前にその事実が科学的に天文学者によって証明されたばかりだ。その事実から、彼らが出鱈目を言っていたのではなく、正しく科学的にシリウスという星の在り様を伝承してきたことも証明された。その核を為していた内容は、何故シリウスが定期的に光を強くして輝くかということであった。このことは、長年天文学者の中でも不思議の一つとして取り上げられていた。だが、その謎を太古の昔からドゴン族は岩絵にして伝承していた。不思議としか言いようがない。そんなドゴン族の話を私は、数年前に作家仲間から聞き、実際にアフリカのドゴン族を彼が訪ねた話を聞き、大いに興味をそそられ何冊もの本を買い漁った。それらの本をここ数年読みふけり、ドゴン族や地球の起源、人間の起源に思いを馳せていた。そんな状況下、私は昨年夏に脳梗塞を患った。

 二ヵ所の脳内出血と一か所の脳梗塞で倒れた私は、右半身に不自由を覚え、全ての数字と平仮名を失った。勿論、話すこともできなかった。必死に口から発していたのは二人の子供たちの名前と英数字で暗唱するアメリカ時代の認識番号であったと担当医に回復後告げられた。この時不思議なことを多々体験した。まず、言葉は発せられないが、私の頭の中では、言葉を発し、思考もしっかりとあった。だが、それが言葉という形で口から発することができなかった。頭の中では思考し、言葉を思うのだが、口から言葉を発することは、言葉自体が思い出せず発せられなかった。矛盾した話だが、それでも頭の中では言葉を発していた。そんな状態の間、私は不思議な空間に置かれているような気分であった。当然本も読めない。だが、言葉を回復させようと考えた息子が、当時読んでいた本能寺に関しての書籍を何冊か病床に持ってきてくれた。一人になった時、必死に読もうと試みた。だが、当然読むことはできない。しかし、それでも本も見つめていると、紙面に不思議な思考の世界が広がった。言葉ではとても表せない不思議な世界だ。後にも先に経験したことのない不思議な世界だ。まるで不思議の国を彷徨っているアリスにでもなった気分であった。文字が、まるで星のようにそれぞれ違った光で輝いていた。まるで、宇宙の中を彷徨っているような不思議な感覚であった。倒れた翌々日には、自力でリハビリを始めたが、リハビリを進めるのに比例して、その不思議な世界は遠のいていった。話は違うが、言葉を失った植物人間化した人々も、多分口では表現できないが頭の中では全て解っているのであろうとその時私は感じた。話を戻す、だがこの時何故か、理由はわからないが太陽を強く意識するようになった。宇宙の中で、太陽系に帰属する地球を、そしてその地球に帰属する存在として自分を言葉では表せないが、強く意識するようになった。それは理屈ではなく、神様か仏様かのような感覚で、何故か太陽が私に語りかけてくるような感覚に近い印象であった。以来、私は、それまであまり深く興味を持ったこともなかった、太陽に深い関心を抱くようになった。その時強く感じたことは、所詮人間は地球に生を受け、その地球は太陽系に生を受け、その太陽系は太陽を中心に全てが動いているのだということであった。仏教でいえば、仏教自体が宇宙であり、太陽が大日如来で表されるようなことに類似しているのかもしれない。こんなことを言うと、何だかどこかの振興宗教と勘違いされそうだが、これは事実である。こんな体験をした私は、何だか今まで52年の人生で自分が為してきたことが、ちっぽけでつまらないことのようにさえ感じてしまった。やれ政治がなんだ、社会がなんだ、と屁理屈をいっても、この大宇宙にくらべれば、人間の存在などちっぽけなものであるように感じるようになってしまったのだ。それでも一つだけ、解ったことは、人間にとって子孫を残すこと、そして、その延長線上での育児、これが人間の生きる意味であるということだ。

 この不思議な体験を通じ、もう一つ不思議なことを感覚的に私は捉えていた。捉えたというか、何故かそう強く感じ思うようになった。それは、地球の全てが太陽の影響を受けており、その地球に住まう我々人間も大きな影響を太陽より受けているということだ。そして、その太陽の影響が、今色々な形で地球に変化を与えようとしているというようなことを感じたのだ。そして、退院後、調べていくと、今太陽は11年周期の真っ只中にあり、しかも55年周期の真っ只中にあるということであった。また、本来太陽は11年周期で活動しているにもかかわらず、その周期に大きなズレが生じているということ。そして、そのズレにともない、地球上では色々な天変地異が起こっていること。気象変化が起こっていること。その全てが太陽の影響であるということ、これらのことを何故か理屈ではなく体で感じるようになった。

 本来今11年周期のピークは一昨年であったらしい。ところが、NASAは何度かの修正の末、最終的には2013年5月にピークが訪れると予測している。これは、11年周期ではなく、13年周期に変わったような事態だ。だが、歴史を繙いてみると、13年周期の時期が、過去にも太陽にはあったことがわかった。その13年周期が起こった過去の歴史からすると、13年周期の直後、太陽活動が70年程度の極小期に入り、地球は寒冷期になっていたことがわかった。それは1645年から1715年の70年間に起こったマウンダー極小期に酷似している。この時期、地球は寒冷期に入り、歴史を繙くとロンドンのテームズ川が凍り、世界中で寒冷で雨の多い時期を送っていたことがわかる。

 このまま、今11年周期が13年周期に移行すると、その後にはマウンダー極小期に酷似した寒冷期が地球を襲うのではないかと根拠はないが私は感じている。これらのことが、気象や地球の自然活動にとどまらず、人間の経済活動にも大きな影響を及ぼすことも、歴史を繙くと理解できる。私は、経済学者でもなく、天文学者でもない。だが、太陽活動に何等かの変化が起こっていることを、身体で何故か感じてならない。幸い、今日の金環日食をみていると、大きな黒点を三つ確認することができた。そのことが何を意味するかは、私にはわからない。だが、私たち人間は、太陽系に帰属する地球に生を受けている以上、もっと太陽に関心を持ち、生きていく必要があるように思う。そうすれば、解決できない原発の問題やシーオーツーの問題、オゾンホールの問題など、色々な問題を解く鍵もみつかるのではないかと、そんな風に最近思うようになった。


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