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ねじれこそが健全な証拠
2010年7月16日 今回の参議院選挙後、 どうもマスコミは、 ねじれねじれと大騒ぎをし過ぎている気がしてならない。 確かに数の原理だけを見ているとねじれている。 衆議院で決せられた法案でも、 参議院では否決され、 再度衆議院に戻されることになるであろう。 だが、 本来政治とは、 議論を闘わせ、 提出された法案を叩いて成立させるというのが、 健全で正しい道筋であるはずだ。 でなければ、 衆議院と参議院の二院は必要ない。 昨夜のTBSの番組でも、 司会進行役のみのもんたは、 盛んに理屈をいっても 政治は数の原理などとわかったようなことを言っていた。 だが、 本当にそれでよいのであろうか? 私は大きな疑問を感じる。 政治家は、 議席を確保し、 自分が帰属する党派の意向を鵜呑みにして、 投票すればよいのだろうか? 私は、 そんな戦後日本政治の在り方こそが正しくはなかった、 と思っている。 あの時代はそれでよかった。 高度経済成長期は、 強いリーダーシップを政治家が発揮し、 国民を無理やり引っ張っていくような政治でよかった。 だが、 もうそんな時代ではない。 政治家の役目は、 有権者の民意に忠実に、 そして党派の意向に左右されるのではなく、 自分の心と頭で感じたとおりに、 議論を闘わせるべきである。 そういう時代が到来したと思っている。 これこそが、 本当の意味での民主主義だ。 みんなの党の渡辺善美代表が、 アジェンダを最優先すると言っている。 それでよいと私は思う。 民主党とは連立を組まないし、 組む可能性もないという 渡辺氏の発言に対しマスコミや評論家たちは、 「それではパーシャル連合ということですか?」と、 わかったような口をきいている。 だが、 そういうことではない。 個別の案件を、 良ければ賛成もするし、 悪ければ反対もする。 個別の案件で、 よければ相手が民主党だろうが、 自民党だろうが、 賛成するし、 悪ければ反対するというだけのことだ。 連合連立と、 多数決の論理ばかりで、 物事を判断する言葉が飛び交っているが、 本来民主政治とはそういうことだけではない。 例え党派が違っていても、 正しいと思った法案であるならば、 相手を論破し説得して法案を通すということが、 本来の政治家の役職であると私は信ずる。 自分の考えとは多少違っても、 自分が帰属する党派から支持があれば賛成してしまうなどという 愚かで議席を無駄にするような議員を国民は望んではいない。 ねじれて結構、 ねじれてこそ、 政治の本質が見えてくる。 いや、 正統民主主義政治ではないか。 今までは、 政党の資質が問われた時代であった。 だが、 これからは、 それぞれの政治家自身の資質が問われる時代だ。 いよいよ、 日本の政治も面白くなってきた。 そんな風に私は思う。 そして、 期待したい。 |
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2010年07月16日
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最近気になる番組
2010年7月16日 今年になって、 気になりよく観る番組がある。 それは、 NHKで放送している 「猫のしっぽ カエルの手」だ。 ベニシアという、 イギリス貴族出身の女性が、 若くして心の旅に イギリスより出奔し、 インドなどを経て、 京都大原に辿りつき、 終の棲家にしている。 その彼女の、 何気ない日々の生活を番組にしている。 なぜか非常に癒される。 現代社会では、 自分の心の声に 耳を傾けることを忘れてしまっている人々。 特に日本では、 物質文明に翻弄され、 人間が本来持ち合わせている、 本能的な感性を忘れ去り、 欲得に溺れ、 瀕死の状態で日々を過ごしている。 そんな状況下、 この番組は、 視聴者の心に安らぎを与え、 視聴者の心を癒してくれる。 本来、 耳をすませば、 誰にでも心の声が聞こえるはず。 にもかかわらず、 喧騒にまみれ、 自分の心の叫びさえ聞こえなくなってしまった現代社会。 当たり前のことだが、 見えなくなり、 聞こえなくなってしまった心の情景。 ベニシアは、 そんな心の在り様を、 再確認するキッカケを与えてくれ、 静かに、 自分の心と向かい合わうことの大切さを、 何気なく教えてくれる。 本当に素敵な番組だ。 |
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