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チベット問題の経緯(1)「1959年チベット民族蜂起」 2008年5月23日 そもそも、全ては第二次世界大戦終結と共に始まった。 1949年、中国を完全に支配した中国共産党政権は、「人民解放」という手前勝手な大義名分を打ち立ててチベット侵攻を開始した。しかし、中国人民解放軍は、一気にチベット全土を支配するような粗暴な侵攻はしなかった。真綿で首を絞めるように、周辺部から徐々に侵略していった。外堀を埋め本丸を攻略するかの如くの戦法で、まず首都ラサを中心とした中央チベット周辺を1つ1つ確実に日本で「県」に当たる「省」として取り込んだ。日を追うごとに追い詰められたチベットは、結局気付くと首都ラサを中心とした中央チベットのみとなってしまっていた。大河の流れのような長い歴史と広大な領土は、中国の勝手な思惑によって追い詰められてしまった。そして、遂に、1951年9月、首都ラサにも、中国人民解放軍が侵攻してきた。ただ、中国政府は、その際も、いきなり占領するようなことはしなかった。まず、「チベット自治区準備委員会」を設置し、如何にもチベット人を解放することを目的にしているかのように演出し侵略を進めた。 しかし、そもそもチベット人が、チベット政府に迫害されたり、弾圧されたりしていたというような事実はまったくない。寧ろ、東アジアの永世中立国とさえいわれるほど、平和で温和な国であった。それを、中国政府は勝手に「解放」と叫んで侵攻した。だが、一体何からの解放なのか、まったく理解できない。そのような、真綿で首を絞めるような、邪悪な我欲による侵攻が、首都ラサにまで迫るまでの間、中国人民解放軍による理不尽な侵略からチベットを守ろうとするチベット人達と人民解放軍は、チベット各地で武力衝突を繰り返した。その度ごとに、中国政府は、チベット人達による反中行動を、逆手にとり侵攻の大義名分とし、更なる侵攻を推し進めた。 そのような厳しい状況下、1959年3月10日、チベット人民の堪忍袋の緒が切れてしまった。第14世ダライ・ラマ法王の身に危険が迫ったことを察知したチベット民衆は、自分達の国を中国から守るべく蜂起した。チベット人達は、危機感を覚えたのであろう。これが、1959年チベット民族蜂起である。「3月10日」は、今でも「抵抗運動の記念日」として、チベット民族の拠り所となっている。 そして、この民族蜂起の最中、命の危険を感じた第14世ダライ・ラマ法王は、ヒマラヤ山系を越え、インドへと亡命した。時のインド最高権力者、故ネール首相は、亡命してきた第14世ダライ・ラマ法王を快くインドに受け入れた。そして、チベット難民施設の設置と、チベット亡命政府樹立を快諾した。 中国3000年の歴史とは、先達の苦悩や努力から学び積み重ねられた歴史であると理解していた。しかし、中国によるチベット侵攻には、何の学びもない。ただ、そこにあるのは自分勝手で邪な思惑だけだ。大体、日本をあれだけ避難している中国であるにもかかわらず、結局のところ自分達も同じようなことをチベット民族へ対してしているではないか。しかも、現在もチベット民族の苦しみは続いている。にもかかわらず、そのことは棚に入れて鍵でも掛けてしまったかのごとく等閑にし、日本の誠意ある対応に目を向けようともしない。日本からのODAによる金銭だけはしっかり手にしながら、未だに日本を非難し続けている。まったくもって矛盾に満ちた対応であるとしか思えない。しかし、その原因は、中国共産党による人民への反日洗脳教育によるところが大きいように思う。その証拠に、今まで「日本は悪」という意味のない先入観を植え込まれていた中国人達も、今回の四川大地震を通じ、日本人の真心に触れ感激している様子が、連日メディアで報道されている。
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国際情勢と問題
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チベット問題、ミャンマー被災救援問題、そして、平和ボケ日本 2008年5月12日 ここのところ、日本国内でも、平和活動が庶民レベルで活発化してきた。非常に良いことであると思う。アメリカにいた頃、私が一番感銘を受けていたことは、このような平和運動であった。渡米した当初ホームステーさせて頂いた家のママさんが、新聞記者であり平和活動家であったため、日本では見聞できない色々なことを体感させてもらった。兎に角、理屈ではなく自分の目で見て、心で感じることが大切であり、全ての活動の原点なのだな、とその時思った。そして、一人一人の力は小さくとも、人々が手を合わせ動けば大きな力になり、国を動かすことも、世界を動かすこともできるのだな、と実感させられ感激した記憶が蘇ってきた。 ただ、悲しいかな1つだけ、違うことがある。それは、政治に関する関心度である。アメリカで私が経験した平和活動に集う人々は、平和活動をする以前に、まず自国アメリカの国政への思いも大きく、きちっとそれぞれの人々が政治へ対しての意識や立場を自分なりに持ち活動していた。その証拠に、色々な場面でアメリカ人は議論を繰り広げる。パーティーの席でも、会食の席でも、ピクニックなどの娯楽の際にも。大体、日本人に比較すると、アメリカ人の方が格段に議論上手であり、議論好きである。議論を戦わすことも多い。よくアメリカ人は、友人や知人と昼食や夕食を共にする。そんな場面でも、政治について議論を戦わせることが多い。私は、非常に良いことだと思った。それだけ、政治に大きな関心を抱いているという証しだ。それを聞いている子どもたちも、自然と政治に興味を抱く。当然、経験の浅い子供たちは、彼らなりの理解や考えの中で、各種活動に参加したりする。その是非は別として、色々と思考し、色々な人々と接し、色々なことを体感しながら、自分の思想というものを確立し成長していく。それが、私には素晴らしく思えた。そのような経験的学習習慣は、日常生活に留まらず、アメリカの教育の中にも根付いていた。まあ、サン・フランシスコというアメリカの中でもリベラルな土地柄もあり、他の地域よりも人々の政治に対する意識も高かったのかもしれないが。 今回、チベットでの暴動に始まり、北京オリンピックの聖火リレーなどを通じ、非常に多くの日本人が、平和活動的な動きに賛同し、参加しだしている。非常に良いことだと思ってみている。今まで、自己中心的な部分だけが際立ってしまっていた日本人が、他人のために、怒ったり、泣いたり、笑ったりできることは、歓迎すべき変化である。ただ、同時に、少しだけ日本の政治にも関心を持って頂けると、もっと喜ばしい。自国の政治が、これだけ疲弊している状況下、どんなに一生懸命平和活動をしても、国際社会に於いては、説得力がない。迫力に欠けてしまう。「自分の国の政治は等閑にしておいて、他民族の平和活動? 平和活動は趣味や流行や遊びじゃないよ。人の命が掛かっている命懸けの活動だよ。わかっている?」とある欧米人の活動家が、若い日本人の活動家に問うている場面に遭遇した。彼の言いようは、正直ただの「驕り」にしか私には聞こえなかった。だが、確かに彼の言い分にも一理ある。そのぐらい、外国人から見ても、日本の政治の現状は堕落して見えるということだ。 今の日本の政治は、戦後の日本の政治の中で、最悪最低ではないかと私は思っている。本来政治とは、国民を守るものでなければならないはずだ。にもかかわらず、今の政治は、国民を惑わせ右往左往させるだけだ。暫定税率問題で、街中のあちらこちらにガソリンを求める長蛇の列ができている光景を見て、私は悲しみと憤りで胸が張り裂けそうであった。あの光景を目の当たりにして、何も思わず、何の行動も起こさない政治家は、皆辞めた方がいい。いや、我々有権者が彼らを首にするべきだ。結局、踊らされ、弄ばれ、皺寄せを受け、貧乏クジを引かされているのは、国が守られなければならない我々国民ではないか。与党も野党も、どちらも間違っている。今の日本の政治自体が間違っている。私は、強くそう感じた。きっと、多くの日本国民が、そのように思っているのではないか。国益の原点とは、国民を守ることである。そのことを等閑にして、政治家も役人も、自分たちの私利私欲や思惑ばかりに奔走し、正に「平和ボケ日本」という恥を世界に曝しているだけではないか。そのことを正さずして、平和活動といっても、確かに「説得力に欠ける」といわれてしまっても仕方がない。 そのどうしようもない政治のトップにいる福田総理が、ミャンマーへサイクロン被災支援医療団を送ることを断られたことに対し、強い不快感を表明した。確かに不快だ。だが、日本国民は、そういう福田政権自体にも大きな不快感を覚えている。そのことには気付かれていないのか? あまりにも鈍感過ぎる。 あれだけ多くのミャンマーの人々が被災し苦しんでいるにもかかわらず、軍事独裁政権はこの期に及んで、まだ自分達の私利私欲でしか動かない。自国民を守り救済する気持さえまったく感じられない。何故日本の救援活動を拒否するかの理由はいくつもある。大体、救援活動の際に、アメリカなどは、多くの諜報活動員を忍び込ませる。こういう理不尽な軍事独裁政権を崩壊させるには、どうしても内側で活動し、ムーブメントを扇動することが必要不可欠だからだ。そういう分子が、救援活動で紛れ込んでくることを警戒しているのであろう。そういうアメリカが為す水面下での活動に対しては、賛否両論があるのはわかる。しかし、ミャンマーやチベットの人々の人権を考えると、ただ闇雲に反対や批判はできない。その間にも、当事者である多くの罪のない人々が命懸けで苦しんでいる現実があるのだから。 チベットの問題は、随分と前から関心を持っていた。自社の雑誌に一時連載して頂いていたペマ・ギャルポという当時ダライ・ラマ法王特使を務めておられた方から色々な話を聞いていたこともあったが、アメリカの仲間が多くチベット問題に関わっていたこともあったからだ。だが、ここにきて、こういう平和活動に優先順位をつけることは不適切でありするべきことではないが、ミャンマーに対しての平和活動を強化するチャンスが俄かに訪れているような気がする。何故なら、鎖国に近い状態を貫き通す軍事独裁政権も、さすがに天災で国民が苦しんでいれば、どこかのタイミングで他国からの援助を受け入れなければならなくなるはずだ。そして、援助を申し出ている国を選り好みなどしている暇もなくなるはずだ。サイクロン自体は、ミャンマー国民にとって災難である。だが、この災難が、「災い転じて福となす」といえるようなキッカケを災害支援と共に、他国民である我々が働きかけるべきである。そして、ミャンマー軍事独裁政権を正すキッカケに今回の救援支援活動がなれば、意味も大きくなる。アメリカはじめ日本など同盟国は、その辺まで視野に入れた救援活動を、一度で諦めることなく継続的に求めていくべきである。 こういう平和活動や救援活動に、政治的な思惑が影響することはあってはならない。しかし、苦しんでいるミャンマーやチベットの人々のことを考えればある程度は仕方がないように思う。その辺は、臨機応変に対処するべきであると強く思う。問題は、当事者であるミャンマーやチベットの人々がどれだけ苦しみの中にいるか、ということを上辺だけでなく理解して活動をするということだ。そのために政治を利用することは、致し方ないことではないか。私は、そう考える。
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沈滞と混迷の2006年から変革と動乱の2007年へ (下) 2007年1月2日 さて、ここで、少し世界情勢へ目を向けてみよう。2006年は、世界情勢においても「沈滞と混迷」の一年であった。イラク戦争は行き詰まり中東全域で血が流れ、東アジアでは北朝鮮が暴挙に及び、中国は形振り構わず世界中を貪り漁り、中南米では ベネゼイラのチャベス大統領を中心に反米の嵐が吹き荒れた。どの問題も、容易には解決できないであろう。非常に根深い。 フセイン元大統領は処刑され、イラク独裁34年間の歴史にピリオドが打たれた。一見、総括されたように見える。しかし、実際には、新たなる紛争が始まる予感さえする。どうも、中東の人々は、胆略過ぎるような気がしてならない。暴力で全てを解決しようとする。だが、それが彼らの文化なのだ。そのことを理解しないで、第三者が第三者の価値観で解決を試みようとしても、火に油を注ぐことになるだけであろう。 アメリカの大学時代、このようなことがあった。私は、州立大学の国際関係学部で、イランを専門にするよう教授に指示された。その直後、イランに関してのプレゼンテーションを行った時のことであった。中東問題は非常に複雑で、日本ではあまり興味もなく、正直に言って私はイランに関し無知であった。英語のハンディがある中、必死に資料を読み漁り、そのプレゼンテーションに臨んだ。しかし、私のイランについての発表に、何か間違いがあったのであろう。中東からの留学生による質疑は白熱化し、最後には暴力的な手段での批判行動を私は受けるに至った。危険を察知した教授は、慌てて私の専門をイランから、朝鮮半島問題へと変更させた。彼らは、付き合ってみれば、悪い人々ではない。未だに続くイラン人の親友もいる。だが、政治的なことや、思想的なことになると、彼らは非常に熱くなる。彼らの文化は、力で成り立っている男社会であるのだ。そのことを、私はあのイランに関してのプレゼンテーションで学んだ。そんな同窓生の一人は、今イランの国連大使を務めている。 中東で起こっている問題を解決するには、映画「アラビアのロレンス」の時代に時間を戻すしかない。ウェスト・バンク(ヨルダン川西岸)で長年続いているパレスチニアンとイスラエルの問題にしても、中東各地で起こっている問題も、アメリカを敵国として世界中で頻発しているテロリズムの問題も、元をただせば、中東の人々の文化を無視し、大英帝国の欲得に根ざした思惑で、勝手に国境線を引いたことから始まっている。部族単位で全てが成り立っているアラブの人々の文化や習慣を無視して、石油のために彼らに嘘をつき、彼らのテリトリーを略奪し、部族を分断し、彼らの誇りを踏みにじったツケが、今イギリスやアメリカを苦しめているのだ。いかに大英帝国を筆頭にした当時の白人社会が理不尽で自分勝手であったかは、アフリカ諸国や中東諸国の国境線を見れば一目瞭然である。一直線に引かれた国境線は、部族を分断し、家族を分断し、彼らの誇りまでをも切り裂いた。そこに、宗教や、民族、そして、石油利権という複雑な事柄が重なり合って、中東問題を複雑化しているのである。 昨年、アメリカの中間選挙後に出された、イラン研究グループによる提案書にしても、中東の人々の文化や慣習をまったく考慮しない、エゴスティックで理不尽な内容であった。あのような提案書で、イラクをはじめ中東で起こっている問題を解決できるはずがない。解決の道は一つ。それは、時間を戻し、仕切り直すしかない。しかし、そんなことは不可能だ。ということは、この問題は、益々混迷を極めるということであろう。時間が為したことである。時間を掛けて解決するしかない。 今年は、世界が動く年であろう。北京オリンピックまで、一年を切る年である。アメリカの大統領選まで、一年を切る年でもある。そして、6年前の9.11同時多発テロが起きた年と同じ年回りである。あの6年前の9月11日と同じく、今年の9月11日は火曜日になる。イスラム原理主義者達にとって、歴史が繰り返すということは案外意味深いことらしい。そういう意味でも、アメリカは、今年の9月11日を例年とは違った位置づけにしていると聞き及ぶ。北朝鮮も、追い詰められている。そして、そのような状況下、水面下で、北朝鮮がイランとベネゼイラと手を組んだことは明らかだ。彼らが、複合的に動きを見せる可能性が非常に高まった。イランに北朝鮮のミサイルが渡れば、イスラエルやヨーロッパ諸国は射程距離内になってしまう。ベネゼイラに北朝鮮のミサイルが渡れば、アメリカ本土は射程距離内になり、北朝鮮問題は、アメリカにとっても間接的な他人事ではなく、直接的な脅威になる。アメリカが、そのような脅威を等閑にするはずはない。また、北朝鮮やイランの同盟国が、テロリスト達と歩調を合わせないという保証はどこにもない。朝鮮半島問題に於いては、アメリカと中国は歩調を合わせるであろう。しかし、中国のエネルギー資源に根ざした世界戦略は、アメリカにとっても心穏やかではいられない頭痛の種だ。その上、ロシアのプーチン政権は、強いロシア、嘗てのソ連に回帰するべく動きだした。資源大国ロシアの動向は、世界のパワー・オブ・バランスを揺るがしかねない。 2006年は、世界にとっても「沈滞と混迷」の一年であった。だが、2007年は、色々な意味で、世界中に新たなる動きがでて、世界にとっても「変革と動乱」の一年になるであろう。そのことは、人の世だけではなく、自然界にも及ぶような気がする。どちらにしても、2007年という年が、今後の地球にとって、大きな節目の年になることは間違いない。そんな気がしてならない。
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沈滞と混迷の2006年から変革と動乱の2007年へ (上) 2007年1月2日 「沈滞と混迷」の2006年は、フセイン元イラク大統領の死刑執行というセンセーショナルなニュースで幕を閉じた。予想はしていたがあまりにも性急にピリオドが打たれた、という観を否めない。 平成維新といっても過言ではない程、改革の扉を開いた小泉政権。その小泉政権が、任期満了をもって安倍政権へとバトンタッチした。当初、小泉政権の5年間に溝を深くし、拒絶されていた訪中と訪韓が受け入れられたことに、人々は賞賛の拍手を送った。その直前、7月のミサイル発射実験に引き続き、北朝鮮は核実験を強行した。安倍新首相にとっては幸先の良いスタートに思えた。しかし、ある意味、政権交代をキッカケに、中国や韓国が歩み寄ってくることは想定内であった。そのことを上手く、そして、計算高く安倍新首相が利用したということであろう。一番の争点になりうる靖国参拝を、四月中、隠密裏に済ませていた安倍新首相のしたたかさこそ想定外であり、少々頼もしささえ感じた。だが、そう甘くはなかった。何事も「継続は力なり」である。単発でセンセーショナルなことを為すのは、案外容易にできる。しかし、継続的に最良の判断を続け、国民が納得する結果を出し続けるということは、そう容易なことではない。郵政造反議員の復党問題を皮切りに、安倍新首相が任命した人々の相次ぐ不祥事等によって、安倍政権の支持率は急落し、安倍首相の底が見えた感じさえした。 安倍首相が、決して劣っているわけではない。しかし、小泉前首相と比較すると、信念を貫き通す、という部分で一目瞭然の差を見た気がする。小泉前首相も二世議員である。しかし、彼は物事に動じない強さを持っていた。それは、自分を信じ、自分の信念を貫き通す頑固さであり、生来彼が持ち合わせた不変な強さであった。当然のことながら、批判に晒され、彼を嫌う者も党内外を問わず多かった。だが、小泉さんという人は、そんなことをまったく意に介しない人であった。首相になる前から、どちらかというと永田町では一匹狼の変わり者、異端児として扱われていた。だからといって、寂しげな様子もなく、他人に媚びるということもまったくなかった。ただ、我が道を行く変人であった。ところが、安倍首相はまったく正反対である。第一印象通り、真面目なお坊ちゃまなのであろう。明らかに、小泉前首相とは違う。だからといって、安倍首相の政治家としての資質が低いといっているのではない。他の政治家に比べれば、明らかに政治家としての資質は高い。正義感も強い。だが、それだけでは一国の首相はダメなのである。人をねじ伏せ、誑しこめるカリスマ性がなければ。 多分、安倍首相は、二世が誰も抱える感情を強く胸に抱いているのであろう。この感情は、当人でなければわからない。理不尽に色眼鏡で見られることへの反発心だ。だからこそ、安倍首相は強くありたいと心の中で自分に言い聞かせているはずだ。そして、負けたくないとも。小泉前首相を越えたい、というトラウマがあるのかもしれない。振り返って結果をみてみれば、成果の多かった小泉政権であった。しかし、常に批判に晒された小泉政権でもあった。そこの部分で、小泉政権を超えたいと安倍首相は考えたに違いない。党内に敵を作りたくない。いや、作らないで上手く政権を運営することで、小泉前首相を越えたいと思っているに違いない。だが、そのことが裏目にでた。党内の議員達は増長し、言いたいことを言って言うことをきかない。霞ヶ関の役人達も、盾をつきソッポを向く。その最たるものが、安倍首相が任命した税制会長の議員宿舎での愛人との同棲スキャンダルだ。あの税制会長の諸行は、許しがたい偽善に満ちた悪行だ。しかし、何故、あの時期に、あのスキャンダルがマスコミにリークされ、大きく報道されたかという部分に気付いた人は少なかった。あれは、明らかに財務省による、官邸へのクーデターであった。そして、相次ぐ不祥事の噴出は、党内から官邸へのクーデターであることは間違いない。 それでは、何故、あのように、水面下でクーデターが勃発してしまうのか。それには二つの理由がある。一つは、安倍首相が就任当初から推し進めている首相官邸への大幅な権限委譲と官邸主導の政権作りということにある。ある意味、アメリカのホワイト・ハウスのような機能を日本の政治にも根付かせようとしているのであろう。しかし、あまりにも性急すぎるが故に謀反が起こるのだ。大統領制のアメリカの政治環境と議院内閣制の日本の政治環境では、まったく状況が違う。官邸主導にし、首相に今迄以上の権限を持たせることに異論はない。だが、そうするには、もっと時間を掛けてコトを進めなければ、上手くいくものも上手くいかなくなってしまう。当然のことながら、そこには既得権益を守ろうとする官僚達や政治家達の大きな反発が予想されるからだ。確かに、今迄の日本の首相は、操り人形のようで、総理大臣とは名ばかりであり、総理の鶴の一声ということは非常に稀であった。伝家の宝刀、解散総選挙ということさえも、一人の意思では儘ならないことであった。そういう意味でも、小泉さんという人は非常に強い首相であったことは間違いない。安倍首相は、そんな有名無実な総理職に、誰が総理になっても小泉さんのような力を発揮できる権限を持たせようとしているのであろう。そのことに、異論はない。だが、急いては事を仕損じる。 ホワイト・ハウス型官邸主導体制を確立するには、もっとホワイト・ハウスを研究しなければならない。そして、アメリカの補佐官制度の研究も不可欠だ。今回任命された補佐官達も、一人一人は優秀だ。しかし、全体的な視点でいえば、あまりにもお粗末過ぎる。アメリカの政権は、縁の下の力持ち優秀な補佐官達によって支えられているといっても過言ではない。補佐官は、政治家である以前に、実務者でなければならない。政治家は大統領であり、その大統領を補佐し水面下で実務に当たるのが補佐官達である。その補佐官に、政治家を任命したのでは意味がない。政治的な活動をする実務者でなければならないのだ。愛敬を振り撒く暇も、偉そうにしている暇もない。24時間、大統領のために奔走し続けているのが補佐官の役目である。そういう意味では、安倍政権の今回の補佐官人事はお粗末で中途半端過ぎる。同時に、批判を省みず、もっと多くの優秀な補佐官を任命すればよかったのだ。あまりにも中途半端すぎて、官邸主導型にしようとする安倍さんの意志がどれほどのものかを垣間見てしまうような気さえしてしまう。 二つ目の理由は、安倍さんの人の良さである。あまりにもお行儀がよく、気配りがききすぎているのだ。リーダーというのは、粗暴なぐらいでよいのだ。取り巻く人々を振り回すぐらいで丁度いい。リーダーが主導権をとれずして、リーダーと言えるか。あのように魑魅魍魎が巣食う自民党や永田町で、好い子を演じる意味などまったくない。妖怪達を振り回さずして、自分の志を貫き通すことなど有り得ない。一言で言ってしまえば、甘すぎる。その証拠に、懐から綻びがでているではないか。皆、勝手なことを言っているではないか。安倍さんは、首相であると同時に、党の総裁であるはずだ。にもかかわらず、党内からは、色々勝手な声が噴出している。それが許されてしまうところに安倍さんの弱さがある。いくらご自分では弱くないといわれても、生き馬の目を抜く永田町にあっては、そのようなことを観て、人々は弱いと判断するのだ。永田町とは、そういう所だ。嘗められたらおしまいなのだ。いくら後ろ指を差されようが、批判に晒されようが、何処吹く風で自分の居場所を死守しなければ、永田町では吹き飛ばされてしまう。それが、永田町という魔界なのだ。中川昭一政調会長などに、言いたいことを言わせているようでは、嘗められて当然である。 このような厳しい状況下、2007年を迎えた。2007年は、国内外を問わず「変革と動乱」の一年になるであろう。国政的には、参議員選挙がある。当初より、この参議院選挙をどう乗り切るかで、安倍政権の寿命が決まるといわれてきた。その通りであろう。今回の参議員選挙を乗り切ることができれば、小泉前政権と安倍政権を合わせて変革・維新の10年ということになるであろう。しかし、負ければ後はない。そして、安倍政権に取って代わる強い野党もない。日本の政治は、混迷を極めることになりかねない。参議員の議員会長は青木幹雄。そして、幹事長は片山虎之助だ。片山氏は、私と二周り違いだが、誕生日も、血液型も、何もかも全て同じの年男だ。同じ運命のバイオリズムを持っているのでよくわかる。なかなか偏屈で、御しがたい人であるはずだ。青木氏も片山氏も、一筋縄ではいかぬツワモノである。敵は、内にあり。敵は自民党内にあり、と安倍首相は思った方がよろしいのではないか。
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戦争に勝利はない・・・ 2006年11月18日 昨日、テレビにハリウッド・スターのクリント・イーストウッドが出演していた。彼の新作映画、「硫黄島からの手紙」のプロモーションでの来日のようであった。インタビューの中で彼は、こんな印象的な言葉を言っていた。「戦争に勝利はない。常に若者達の人生が絶たれ、犠牲になる。しかし、彼らは、敵味方関係なく祖国を信じて戦ってきた。そして、彼らの屍の上に我々はあるのだ」非常に印象的で、意味の深い言葉であった。 彼は、サンフランシスコ出身のスターであった。また、Carmelというカリフォルニアの素敵な田舎町の市長も務めていた。一般的には、ナショナリストで、特別親日家ではないと聞いていた。しかし、今回の映画は、日米双方の視点から二作を製作した。上記した言葉や、日米双方の視点からの二作の映画を製作したことなどから、彼の持つ公平性が感じ取れた。ニヒルで冷酷なイメージが役柄からは感じられるが、心の細やかで温かい人なのかもしれない。元々ファンであったが、尚一層ファンになった気がする。
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