政財界倶楽部(恩田将葉見聞録)

若者達がジャパニーズ・ドリームを夢みれる国を願い、「政治をもっと身近に!」というスローガンのもと、日本人に愛国心を喚起する。

教育問題

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国旗と国歌は思想ではない、国益に反する判決に大きな疑問
2006年9月22日

 昨日、ある判決が、東京地裁で為された。それは、東京都教育委員会が、卒業式などの行事で、教職員へ対し、国旗に向かって起立や国歌斉唱を求めるのは、「思想と良心の自由」を定めた憲法に違反するとして、教職員等401人が、国旗へ向かっての起立と国家の斉唱義務がないことの確認と慰謝料を求め起こしていた民事訴訟での判決である。難波孝一裁判長は、「日の丸、君が代は、第二次世界大戦が終わるまで軍国主義思想の精神的支柱だったのは歴史的事実」と述べた上で、「懲戒処分をしてまで、起立をさせることは行き過ぎた措置であり、違法だ」と原告側である401人の教師側の主張を、ほぼ全面的に認め、被告側である東京都へ対し、教師1人当たり3万円の慰謝料を支払うよう命じた。

 一言で言えば、何とも情けない判決である。日本の司法制度が、如何に信頼を失っており、司法に携わる人間達の意識が如何に低いかを露呈した判決としか言いようがない。同時に、日本の教育現場の実態をも露呈し、今日本で起きている子供達に関わる悲惨な事件等は、やはりこのような大人や教師達が大きな要因であることを疑う余地がなくなった。

 本来、教育とは、中庸を重んじ、偏ることのない環境で為されてしかるべきである。何故ならば、子供達というのは、白紙の状態で生を受け、成長とともに色々な知識を身に付け、生きていくなかで知恵を身につけ、自分なりの考え方や思想を育むべきである。決して、教師といえども、自らの思想を子供達に押し付けたり、自分達が信じる思想に通ずる知識しか教えなかったり、という偏向した教育は、それこそ憲法どころか人としての道に反する行為なのである。

 この判決を見ていると、まるで国旗と国歌が思想であると断定しているようである。しかし、国旗も国歌も国のシンボルであり、国民の拠り所であって、思想ではない。そもそも、そこのところの発想からして、この裁判での判決は間違っている。判決文の中で、この難波という裁判官は、「日の丸、君が代は、第二次世界大戦が終わるまで軍国主義思想の精神的支柱であったのは歴史的事実」と断定している。だが、そこまで言うのであれば、国旗と国歌を変えればよいことだ。しかし、戦後61年経っても、国旗も国歌も変えられてはいない。そのような議論が、大きくなったとも記憶していない。難波裁判官のこのような発想は、戦後61年の日本自体を否定するに等しい。戦後も引き続き、日の丸と君が代が、日本国の国旗であり国歌であったことは、誰の疑う余地のない事実である。そして、地球上の万人は、日の丸は日本国の国旗と理解し、君が代は日本国の国歌と理解している。オリンピックでは、日の丸が掲揚され、君が代が斉唱されるではないか。皆、日本人は日の丸の旗を振って応援しているではないか。私は日の丸を認めない、と言って日の丸を振らない日本人が、オリンピックの場でどれだけいるというのか。難波裁判官の判決を鵜呑みにすれば、こういう事実さえをも否定することになる。

 日の丸も君が代も、日本国の国旗であり国歌である。どこの国も、皆、国旗と国歌を持ち、どの国民も、それぞれが帰属する国家の国旗と国歌を拠り所とし、尊敬の念をもって接している。自国の国旗と国歌を子供達の前で否定するという行為自体が、道徳心に反し、子供達に悪い影響をも及ぼしかねない、国益に反する行為であることは間違いない。

 国家というのは、愛する者同士が睦み、子を作り、家族を成し、その延長線上に社会が形成され、国家という組織が形成されているのである。その国家のシンボルである国旗や国歌を敬うことを、大人達が蔑ろにすれば、そのような大人達の後姿を見た子供達も、当然のこととして国旗も国歌も蔑ろにする。その延長線上には、社会を蔑ろにし、家族をも蔑ろにし、親や祖先をも蔑ろにするという意識にさえ繋がりかねない。その証拠に、先祖に手を合わせるということさえ、しなくなった日本人が多くなってしまっているではないか。それこそ、道徳心の回帰が叫ばれる今、そのような世間の流れにも反する行為である。

 大体、国旗に向かって起立をしたくない、国家を斉唱したくない、というのはそれらの教師自身の個人的思想であり、そのことを学校という教育現場に持ち込み実践することではない。それこそ、「思想と良心の自由」を定めた憲法に違反する。何故ならば、「思想と良心の自由」とは、無垢な子供達にとって、思想的偏向なく、中庸なる教育によって初めて得られるものであるからだ。これが、教育現場でなく、職員室でのことであれば、それはそれぞれの教師の思想に根ざした言動を取ることも許される。しかし、この訴訟の争点は、学校行事でのことである。学校行事というのは、教育の一部であり、子供達も参加する場である。そこで、このようなそれぞれの教師の思想に基づく言動を自由にすることを認めてしまえば、そのような教師の行為を目の当たりにした子供達は、偏向した思想教育を目の当たりするに等しいことになってしまう。日の丸に尊敬の念を表すも表さぬも個人の自由である。しかし、子供達の前にあっての教師には、決して許されぬ行為である。何故ならば、日の丸は現在も日本国の国旗であり、君が代は日本国の国歌であるからだ。

 こんなことをしていたら、日本は本当にダメになってしまう。教育は、国の根幹であり、子供達は国の宝である。その子供達が、偏向した教育現場に身をおけば、どのような大人に育ち、この国がどのようになるかは、火を見るより明らかだ。大体、このような判決をしてしまう裁判官の良識を疑いたくなるのは、私だけではないはずだ。それこそ、平和ボケ日本を、端的に表した判決であるとしか言いようがない。自由は、履き違えれば大変なことになる。
男性教師の不足を是正できない日本の教育現場
「男は男らしく、女は女らしく」という道徳教育が行えない日本の教育環境
2006年8月21日

 現在、日本の教育現場が抱えている大きな問題の一つに、男性教師と女性教師の比率がある。昔は、教師というと圧倒的に男性教師が多かった。しかし、いつの日からか、男性教師よりも女性教師の方が多くなってしまった。だからと言って、女性教師が良くないと言っているのではない。男性教師の比率が少なくなったということは、生徒達が男性の担任に当たる機会が少なくなったということだ。何だか、そのことがそんなに大きな問題なのか、とお思いの読者も多いであろう。だが、実は非常に大きな問題なのである。

 ある公立小学校の校長先生と話したことがある。その先生は、道徳の先生であった。大体、道徳の授業が昔に比べると少なくなったことにも大きな問題はある。だが、その先生が、校長先生として非常に頭を悩ませていたことは、どの生徒にも女性教師の担任も男性教師の担任も6年間の在校中に経験させてあげたい、ということであった。ところが、圧倒的に女性教師の方が多く、男性教師が少ないため、男性教師の担任を経験したことのない生徒が非常に増えてしまったというのだ。東京都の公立小学校の場合、公立小学校の経営は区が担当するが、教師は東京都の職員ということになっている。そこで、校長先生は一人でも多くの男性教師を採用しようと都庁へ赴き奔走したという。しかし、そこには大きな壁があるという。

 その壁とは、どのような壁かというと、まず男女雇用均等法が設立された結果、男性とか、女性とか、という選り好みをして採用することができなくなってしまったということだ。それと、教師に成る男性が著しく少なくなってしまったということもある。また、若い男性教師は、教師に成ってみはしたが、同僚教師との人間関係、保護者との人間関係、生徒達との人間関係等に悩み苦しみ、早い段階で教師自体を辞めてしまうケースが非常に多いということであった。何とも情けない話である。

 それでは、何故、女性教師だけではなく男性教師と接することが、子供達にとって必要なのか? 答えは簡単である。これは、ある意味道徳教育の延長線上の話である。昔から、特に薩摩の国などでは、「男は男らしく、女は女らしく」ということがよく言われた。何だか、この言葉尻だけをとると、男女差別だと言われてしまいそうだ。だが、実際には、そういうことではない。男にも、女にも、どうしようもない運命的な資質がある。それは、女が男より繊細で優れているとか、男が女より力持ちだとか、そういう決め付けではない。それは、こういうことだ。

 どんなに、繊細で女性よりも女性らしい男がいたとしても、男である以上子供を産むことはできない。また、逆に、どんなに男っぽく男性顔負けの力自慢の女性がいたとしても、その女性が男に子供を産ませることはできない。何故なら、子供を産むということは、運命的に男性と女性にその役割分担が為されているものであるからだ。どんなに男女平等だといっても、このことだけは人間の力ではどうにもならない運命なのだ。しかし、この定めがあるからこそ、この世の中は男と女が支えあって成り立っている。そのことを、子供達に教えることも、義務教育の大切な役割の一つなのだ。

 勿論、家庭での教育で、父、母を通して学ぶはずだ。だが、父母とはまた違った意味での、男と女ということを子供達は学校で学ばなければならない。男は女を労わり、女は男を思い遣る。そして、子孫繁栄というDNAを埋め込まれてこの世に生を受けた我々人間は、それぞれ異性を求め合う。そのことは、いけないことでも、不純なことでもない。人間としてごく自然なことなのだ。それには、父母以外の大人の男性や女性に指導を受けるということも、子供達にとっては大きな意味をもってくる。何も、男の教師でなければ、女の教師でなければ、と差別しているのではない。どう頑張っても、女性教師は男性教師にはなれないし、男性教師は女性教師にはなれない。

 本来、教師という職業は、立派な素晴らしい仕事だ。国の未来を背負う子供達を育てるのであるから。それが、何時の日からか、昔のように教師が誇り高くいられなくなってしまった。子供達が教師の言うことを聞かなくなったのは、教師を尊敬していないからだ。私達の時代は、教師は無条件に敬うべき存在であった。そういう存在であるから、教えられたことも身に付いたのだ。大体、子供達だけではなく、親も、地域も、大人達皆が、教師を敬っていた。だから、子供達も自然に、教師を敬い、教師の教えを聞いていたように思う。それが、昨今は、教室でも、子供達は教師の言うことを聞かないという。それは、周りの大人達が、教師を敬っていないからに他ならない。親が、教師の文句を家で言ったり、教師を見下すようなことを子供達の前で言ったりしてしまえば、子供達が教師を敬わなくなり、言うことも聞かなくなるのは至極当然のことである。子供達にとって、一番身近な大人は親なのであるから。時代は変わろうとも、子供達は、親の後姿を見て育ち、大人達の後姿を見て育つのである。ある意味、子供達の言動は、鏡に大人達が自分達の姿を映しているようなものである。しかし、そのことに気付いていない親が非常に多い。

 あるイギリスの教育学者が、こんなことを言っていた。戦後の日本の教育現場は、世界でも類を見ない特殊な環境にある。何故ならば、教育としての折檻までもが、暴力と取られてしまう。言ってもわからない、聞かない子供に、身をもって知らしめる。勿論、憎しみではなく、愛情に根ざしてのことだ。そのことさえもが、否定され、暴力として見なされてしまえば、親は教師を見下すようになり、子供達が増長してしまうのは当たり前。教育が、荒廃してしまうことは目に見えている。だが、日本の戦後教育は、正にこの例を実践してしまった悪例である。ということを、この教育学者はテレビで言っていた。

 だからと言って、親が全て悪く、教師が全て正しいと言っているのではない。勿論、十把一絡げに言うことはできない。教師の中にも、安易な考えでサラリーマン的な感覚で教師になった者も多くいるという。そのような不届きな教師には、お引取り願えばよいのだ。だが、中には教育に一方ならぬ情熱を抱き、一生懸命教師をしていらっしゃる方々もいる。ところが、目先のことばかりで判断し、言葉尻をつかまえて文句ばかり言い、教師や学校を雁字搦めにして機能しなくしているような親達も沢山いる。そういう親に限って、彼らは決して大人として子供達の良い手本にはなっていない場合が多い。

 教師だけではない。母親が、父親を罵倒したり、父親の悪口を子供達の目の前で言ったりしてしまえば、子供達は父親を尊敬しなくなる。また、生活の中で、母親が父親をぞんざいに扱えば、当然のことながら、子供達も母親に右へ倣え、で同じような意識を父親に抱いてしまう。その延長線上に、教師をも馬鹿にするという姿勢が生まれる。

 また、家庭が、夫婦が、円満であることも、子供達には多大なる影響を与える。夫婦が、絶えずいがみ合っていれば、子供達は不安になる。子供でなくとも、男女がいがみ合っている姿を見たいなどと思う人間はどこにもいない。子供達にとっては、最後まで頼れる大人は、両親しかいないのである。その両親がいがみ合っていれば、万が一の時自分達は大丈夫なのだろうか、と不安になって当然だ。大人にとっては些細なことでも、子供達にとっては、この世の果てに感じてしまうということもあるのだ。

 次に挙げる、身体的な成熟度の変化こそが、決定的な問題の一つである。昔に比べると、子供達の身体的な成長が早い。特に、女生徒達の成長の速さは、目を見張るものがある。私達の時代には、反抗期というと中学生や高校生の時期に起こるとされていた。ところが、現状、多くの女児の場合、小学生高学年で反抗期を迎えているという現実がある。確かに、小学校5〜6年というと、中にはもう大人の女性ではないかというような体つきの女生徒も多々いる。見た目は大人である。しかし、頭の中や、心の中は、やはりまだ小学生レベルなのだ。このギャップが怖いのだ。身体の成熟度と精神の成熟度のギャップ、これが昔以上に複雑な形で反抗期を醸し出している。しかも、小学校に於いてである。

 昔は、小学校で反抗期の生徒というのは、ほとんど皆無に近かった。よって、小学校の教師達も、反抗期に対処するという心構えがなくとも教師の職務を全うできた。ところが、最近は、女生徒達の身体的成熟度が早まり、その反面精神的成熟度は以前と変わらず、心と頭が反比例した行動を取る子供達が多くなった。その結果、学級崩壊やら、生徒達とのコミュニケーションが取れなくなるという事体に陥る教師達が増え、自信を喪失し、教師自体を辞めていく教師さえ急増しているという。問題は、案外根が深く複雑である。教師の範疇だけでは、どうにもならない段階にまできている。何故なら、身体的な問題や、精神的な問題は、やはり専門のカウンセラーが必要だからだ。専門的な見識に基づいて子供達を指導しなければ、それこそ子供達を脇道に逸らせてしまうことにもなりかねない。特に、上記したような問題は、小学生高学年の段階では、女生徒を中心に出る。しかし、この頃は、女子の方が男子よりも発育が早いのは、昔からのことである。この頃の男子は、女子に引き摺られて、まるで親子関係のような男女の力関係であるようにさえ思える。この一番大切な時期に、そのような男女の力関係が形成され、そのことを経験するので、昨今、大人になっても女性が強いという風潮が蔓延しているのかもしれない。女性が悪いと言っているのではない。男性が、弱いということを言っているのだ。ある意味、最近の男性は、小学校高学年時期に経験した男女の力関係が肌に染み込みトラウマになっているのかもしれない。何故ならば、多くの場合、担任の教師自体も女性であり、女生徒と女性教師の間での女同士の確執を、幼い男子生徒達が目の当たりにしてしまっているからではないか。

 話が少々脇道に逸れたが、教育ということも昔のように単純ではない。非常に複雑化し、多様化している。社会自体が非常に複雑化し、多様化している現状、子供達にとっては、誘惑も、迷いも、心配事も、昔より格段に多くなっている。同性でなければ相談できないこともあるだろう。また、逆に、異性でなければ相談できないこともあるかもしれない。同性教師でなければ気付かぬことも、また、異性教師でなければ気付かぬことも多々はるはずだ。世の中は、表向き平和になった。しかし、内面的には、非常に複雑化し、思い悩むことも多くなった。このような時代だからこそ、本来、男性教師も、女性教師も、教育現場に同じ比率でいてくれることが、子供達にとっての幸せではなかろうか。世の中の男性諸君に、もっともっと頑張って頂きたい。
教育現場に新しい風を吹き込む勇気ある改革を実践してきた
東京都品川区の高橋久二区長が他界
2006年8月21日

 東京都品川区の高橋久二区長が、周囲に惜しまれつつ胃癌との闘病の末、77歳にして志半ばで他界された。区長として五期目の職務を遂行している最中の訃報であった。闘病生活を入院先の病院で続けながら、病室で最後の最後まで執務を続けていたという。

 案外知られていないが、今教育現場で起こっている改革的な事柄の多くを、この故高橋久二区長がパイオニアとして品川区で実践してきたケースが非常に多い。例えば、学区制の廃止、高齢者施設と小学校や中学校の融合ならびに共存施設の設立、小中一貫教育、挙げれば限がない。

 私も、嘗て品川区の私学PTA連合会(母の会連合会)で役職を得ていた頃、何回となく故高橋区長にお目にかかる機会を得た。「母の会連合会という名称は付いているが、これからの時代、お父さんの育児参加は必要不可欠。どうか、お父さんパワーを連合会の会長職で発揮してください」と仰った故高橋区長の言葉が、今でも脳裏に鮮明に蘇る。

 まったく驕りのない、しかし、なかなか気骨があり、頑固一徹そうに見えるのだが、考え方は非常に柔軟であった。非常に好印象であった。人に媚ない姿勢が、とっつきにくい印象を与えるのだが、何故か人の心を捉えていた。地味だが不思議な力を持たれた政治家であった。故高橋区長ほど、品川区の発展に大きな貢献をされた方はいないであろう。いや、多分品川区にとどまることなく、特に教育現場では大きな貢献をされたように思う。品川区発進で、全国に広まった教育に関する改革的な事柄は非常に多い。良い政治家が逝かれた。心より、ご冥福をお祈りする。

私的思想を教育現場に持ち込むべきではない 
2006年4月15日

 如何なる理由があろうとも、私的思想信条を教育の場に持ち込むべきではありません。何故なら、子供達は真っ白なのです。その真っ白なキャンパスに、色をつけていくのは親をはじめとする大人なのです。無垢な子供達に、偏向した思想を植え込むことこそ、国益に反する犯罪行為と言っても過言ではありません。例え、教師であろうとも、私的思想を子供達に植え付けるべきではありません。色々なものを見聞し、その中からそれぞれの子供達が、自力で自分なりの答えを導き出せばよいことなのです。そのようなことを、教育現場で為す教師は、断じて許すべきではありません。ちゃんとした教育もできず、そのような私的思想を教育現場で体言するような教師こそ、考え違いも甚だしく必要のない教師と言ってよいでしょう。

 如何なる理由があろうとも、教育現場に私的思想はもちこむべきでは絶対にありません。これは、断言致します。そのような教師は、国賊と言っても、決して過言ではありません。

子供達の運動能力低下は危機的レベル
2005年10月8日

 知人の子弟が、少々普通の学校とは教育方針を異にする私立学校に通っている。基本的に、生きるということはどういうことかということを、自治活動で体験させながら、各々個人の個性を尊重し生かすような教育をしている学校である。その所為か、この学校の卒業生には、芸術家や登山家、そして、ジャーナリストが非常に多い。また、芸術家や登山家やジャーナリストの子弟も生徒達には多い。
 この学校では、モノを作り出す喜びを体験させることに、多くの時間を費やしている。例えば、入学すると最初にする授業は、新入生の各々が中等科と高等科の6年間で使用する椅子と机を自分達の手で作ることである。勿論、材料としての木材を切り出すところから始まるのだ。非常にユニークな教育方針の学校だ。
 そのカリキュラムの中には、自治という授業がある。自分のことは全て自分でするのは当たり前。自分の所属するグループに与えられた自治区の管理も、自分達で全てする。草取りから、掃除、家畜の世話、畑仕事、キャンパスの整備等である。兎に角、人が人として、実社会に出た時に、生きていくに必要なことは全て、学園での小社会で実体験するという教育方針なのだ。生徒達は、自分の身の回りのことも、親にも教師にも、いかなる大人にも頼らず全て自分達で為す。
 学園内では、縦割り社会になっていて、中等科1年から高等科3年(この学校では6年生と呼んでいるが)までの各学年の生徒で構成されるグループで全てを為している。そして、この縦割りグループのメンバーで、お互いに助け合い生活しながら学園生活を送っているのだ。当然、6年生がリーダーになり、下級生を指導し、引っ張って行く。非常に面白いシステムを採用している学校である。
 個人の個性を尊重しながらも、集団での協調性ということを重視する。今の日本の若者に欠落している部分を、実践で教育している貴重な学校と言える。
 
 この学校の体操会(普通の学校でいう運動会である)が、今日行われた。その名の通り、出し物は全て体操である。短距離走とか綱引きのような、運動会の定番競技は一つもない。組体操を中心とした各種体操で構成されている。しかし、体操といっても、皆さんが想像するような柔なものではない。これが、また本格的なのだ。組体操のピラミッドにしても、7段である。それも、一糸乱れずの演技には感動する。どの体操をとっても、多くの参加メンバーが一糸乱れずに体操をする様には、感動させられ涙まで溢れてしまうほどである。ジャネット・ジャクソンなどが始め、日本では安室奈美恵なども取り入れ、今流行りの歌いながら複数の人間が揃いのダンスを繰り広げる、ああいうような一糸乱れぬダンスというか体操の美しさであった。人というのは、この世で最高の芸術品なのだなと実感させられた。一糸乱れず動く人の動きの美しさ、オリンピックの体操競技を彷佛とさせる技の数々。兎に角、感動させられた。普段は、各々の個性を尊重している学校だけに、皆で協力し合い一糸乱れぬ演技の完成度には、大きな説得力と感動を呼ぶパワーがみなぎっていた。

 しかし、そんな素晴しい体操演技にも、悩みの種があるそうだ。というのは、今年の新入生、即ち中等科1年生の基礎運動能力が非常に劣っているというのだ。毎年、基礎運動能力が右肩下がりで落ちてきていることには、学校側も気付いていたらしい。ところが、今年の1年生の運動能力の低さには困り果てたということだ。基礎的な、身体の動かし方さえ理解できていない子供が多いという。たまたま、そんな話を耳にした翌日のニュースで、跳べない子供達、というテーマで子供達の運動能力低下の問題が取り上げられていた。筋力トレーニングで、足りない運動能力をカバーするというようなレベルではないそうだ。身体の動かし方、使い方さえ分からないというのだから致命的である。
 中等科1年では、腕立て伏せができない、逆立ちができない、などという問題を多くの生徒達が抱えるのは当たり前であろう。しかし、そういう問題以前の問題、身体の動かし方を知らないというのだから手に負えない。ボールを投げられない、蹴れない子供もいるという。それどころか、転んでも、自分の身を自ら守ることさえできず骨折してしまうというのだから目も当てられない。
 こんな話を聞くと、一体日本はどうなるのであろうかと、非常に不安になってくる。やはり、教育の問題は、今の日本にとっての最優先課題であるのかもしれない。

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