政財界倶楽部(恩田将葉見聞録)

若者達がジャパニーズ・ドリームを夢みれる国を願い、「政治をもっと身近に!」というスローガンのもと、日本人に愛国心を喚起する。

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「国旗掲揚国歌斉唱は弱者である子供達への押し付け」と反対する人々こそ無垢な子供達への思想の押し付けではないか!?
2006年11月16日

 昨晩の「筑紫哲也のニュース23」で、国旗掲揚や国歌斉唱に反対し起立をしなかった親があったことに端を発し、民主党議員の質問に応じる形で教育委員会が、アンケート調査を生徒達の保護者達へ実施し、保護者の意識調査をしたということが問題として取り上げられていた。結果的には、騒動が大きくなり、個人情報保護法に抵触するという声まで上がり、アンケート調査は中途で断念されたようだ。だが、このニュースを伝える「筑紫哲也のニュース23」の報道の仕方は、非常に偏向している印象を強く受けた。

 全体的な報道姿勢として、あくまで学校という教育現場に於いて、国旗掲揚も国歌斉唱も強制するべきではない、という前提のもとこのニュース報道が為されたように、視聴者の一人として強く感じた。国旗掲揚や国歌斉唱に反対であるから起立しなかった来賓がいたことは、子供達が同席する教育現場では適切な行動ではなかったのではないか。また、そのような来賓を招いた教育委員会に問題があるのではないか、というのが民主党議員の質疑の趣旨であったように、私には受け取れた。しかし、その事実は、歪曲され、都合のよいように偏向され報道されたように思えた。その証拠に、佐高信氏一人のみからのインタビューが放映された。ご存知のように、佐高氏は左傾思想を持ったコメンテーターだ。私もお仕事をご一緒させて頂いたこともあり、良識的な人であることは知っている。ただ、その佐高氏が、「一番弱い子供達に対し、国旗掲揚と国歌斉唱を押し付けることは、許されざること。また、このように世の中が右傾かし、ナショナリズムが台頭することは恐ろしいこと」というようなコメントをしていた。だが、佐高氏のインタビューを放映するならば、佐高氏とは反対意見のコメンテーターのインタビューも同時に放映するべきであったはずだ。故意に、国旗掲揚や国歌斉唱に反対するような方向へ視聴者を誘導しようとしている報道の仕方にしか感じられなかった。

 国旗や国歌を敬うことは、どこの国家でも為されていることであり、そのことを否定したら国家自体の意味さえわからなくなる。それに、国旗掲揚や国歌斉唱が、何故、直ぐ右傾化やらナショナリズムに直結するのだろうか? そんなに悪いことであろうか? そういう反論がでることに、寧ろ疑問やら不思議を感じる。国民が、自国の国旗を掲揚し、国歌を斉唱することは当たり前のことであり、別に右傾化でも左傾化でもない。そんなに国旗や国歌がいやだというのならば、国民投票ででもして国旗や国歌変更することを正式に提案し議論すればよいだけのことではないか。そういう行為はなさずして、自分達の意見が大勢の世論であるかのように報道することは、報道の本来あるべき姿勢に反し、独裁国家での統制報道のようでさえある。

 問題は、無垢な子供達の前で、掲揚されている国旗に起立をもって礼を尽くさなかったり、皆が国歌を斉唱しているのに起立もせずに斉唱しなかったりする人々がいるということを子供達に見せ付けること自体である。それこそ、今盛んに教育についての色々なことが議論されているが、こういう根本的な道徳心ということを等閑にして、いくらテクニカル面での議論を繰り返しても、何の解決にもならない。子供達の前では、個人的思想があろうが無かろうが、そういうことをするべきではない。国旗掲揚が嫌で国家斉唱が嫌なら、出席しなければよい、席をはずせばよいだけのことである。それぞれ、自由な思想を持つことは、それぞれの国民に与えられた権利である。しかし、それは職員室や、子供達の参加しない学校行事の中でのみ許されることであって、子供達が参加し目の当たりにする学校関係行事でなすべきことではない。それこそ、押し付け洗脳教育ではないか。自分達が帰属する国に礼を尽くすことは、自分の親に対し礼を尽くすことに等しい。別にそのことが、右傾でもナショナリズムの高揚でもない。それは、批判する人々の言いがかりでしかない。

 子供達が、国旗掲揚に賛成するか否か、国歌斉唱に賛成するか否かは、将来子供達自身が決め行動すればよいことである。教育現場でそのようなことを見せ付けたりすることの方が、無垢な生徒への思想の押し付けであると私は思う。読者の皆様は、如何お考えであろうか? 

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官民で「日の丸検索エンジン」を開発するなら
検索エンジンの規制基準をも明確にするべき
2006年8月25日

 今日の読売新聞朝刊一面に、「日の丸検索エンジン官民で開発へ」という記事が掲載されていた。偶然にも、昨日執筆した「ネット犯罪規制に関する記事」の中でも、検索エンジンに関することに多少触れた。案外安易にこの検索エンジンを人々は取沙汰してしまっている。だが、検索エンジンこそ、非常に影響力の大きいシステムなのである。何故なら、多くの視聴者は、検索結果だけを見て満足してしまうからだ。どういうことかというと、こういうことだ。

検索エンジンに調べたい事柄の名称や人の名称などを入力して、検索というボタンを押す。そうすると、調べたいと思った事柄や人の名称に関連する、ネット上で公開されている文字情報や画像情報などを全て探しだしリストアップする。リストアップされた検索結果には、それぞれの情報内容が、二行程度の文章に要約されて記載されている。大抵の場合、視聴者は、この検索結果から得た情報全てにアクセスしてみるということをせず、検索結果リストに記載されている二行程度の紹介文を読んで、全てを知ったような錯覚をしてしまう。ここのところが、大きな問題だ。

 確かに便利なシステムだ。瞬時にして、調べたい事柄に関連する、ネット上で公開されている情報が全てリストップされる。しかも、それらの紹介文が二行程度ではあるが掲載されるからだ。全部の情報を見聞しなくとも、検索結果に表示されている紹介文を読むことで、あたかも全部の情報に接したような気分を得ることができる。しかし、ここのところに落とし穴がある。この紹介文に、事実無根な情報を流してしまえば、ある意味情報操作も可能になってしまうからだ。

 特に、個人に関する情報に関しては、非常に大きな問題だ。私自身が、このような問題を抱えているのであるが、個人的に恨みを持った人間が、恨む相手に関し、根も葉もないことをネット上で書きまくることも可能である。何故ならば、現状、他メディアとは異なり、ネット上には監視システムも、規制団体もないからだ。ということは、嘘八百でも実しやかに記事にし、公開することも可能なのだ。それだけではない。問題は、この先である。

 それらの似非記事も、検索エンジンでそのターゲットとなった人物の名称を打ち込み、検索ボタンを押せば、関連記事紹介として検索結果に例外なくリストアップされてしまう。そして、リストアップされた検索結果である関連記事には、二行程度の紹介文が表示される。その紹介文に、個人を誹謗中傷したり、事実無根の事柄が掲載されたりしてしまうのである。人名で検索を掛けた場合、大抵、それぞれの記事にアクセスして全てを見聞するよりも、検索結果に記載されている紹介文を読み判断してしまうということの方が、人間の心理として多い。それは、人間の心理的な行動パターンなのだ。個人に関する情報は、少ない情報を深く知るよりも、より多くの情報を浅く知りたいという心理が働くのだ。井戸端会議的な感覚が強いということだ。スキャンダラスな噂話が、人は好きだということである。非常にワイドショー見聞するような感覚で、深くは知る必要もないが、噂は一つでも多く知りたい、という人間の習性に起因するのだ。

 しかし、検索エンジンを使って、この人間の習性を逆手にとると、それこそ一人の人間を社会から抹殺してしまうことさえ可能になる。検索エンジンに、個人に関しての負の情報を故意に流せば、その個人の社会的信用を失墜することは非常に容易い。しかし、現状、そのような行為を規制するシステムも法律も実質何もない。

 大袈裟だという読者がいるかもしれないが、実際に、ネット上で、「あそこの社長はもう直ぐ自己破産をする」という根も葉もない噂を流され、不安になった債権者が一斉に手形や小切手を振り込み、倒産へと追い込まれてしまったというケースは幾つもある。また、親が逮捕され前科があるような嘘の情報を流され、そのことが学校で噂になり登校拒否になってしまった、などというケースも多々ある。

 確かに、官民で、検索エンジンを開発することは、大きな経済効果を期待することができるのかもしれない。また、産業界にとっても、大きな金の卵なのかもしれない。しかし、政府には、国民を守る義務もある。検索エンジンに関しては、慎重かつ冷静に開発を進めなければ、取り返しの付かぬことになりかねない。上記したような個人情報だけではなく、詐欺等にも悪用される可能性もある。その程度ならよいが、他国に悪用され、情報操作により、国民を不安に陥れることだって可能である。使いようによっては国益に関わることにも悪用される可能性があるのだ。

 だからと言って全てを否定しているわけではない。ただ、検索エンジンの開発を推し進めるのであれば、同時進行で、いやそれよりも早く、規制基準や、ネット犯罪に関する防止法、並びにネット上でのストーカー行為や、名誉毀損事案を防止できるような法律の成立が必要不可欠である、ということを言っているのだ。政府は、経済効果ばかりに目が眩むのではなく、国民の安全や個人のプライバシーを守るべく、法的規制にも力を注いで頂きたい。

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影響力が急激に増大するネット上での「ペンの暴力」に対する規制の必要性
2006年8月24日

 ネットがこれだけ社会に浸透し、コンピューターや携帯電話なしの生活が想像できない現状、インターネットが人々に与える影響力は、新聞や雑誌やテレビなどに代表される各種マスメディア以上に絶大である。その影響力の大きさに、規制が比例していないというのが現状だ。ネット上では、不特定多数の誰もが、記事を配信することが出来る。そして、不特定多数の誰もが、それらを見聞することができる。しかし、新聞や雑誌やテレビのようなマスメディアのように、規制する組織もシステムもまったくない。無法状態というのが現状である。

 そのように、ネット上が無法地帯で、無責任な事実無根な誹謗中傷記事を垂れ流しているにも関わらず、読む人間は、そこに書かれていることが、新聞や雑誌やテレビと同じく、信頼性の高い記事と勘違いして見聞してしまっている。そこのところに大きな問題がある。ネットの視聴者は、他のメディアの視聴者に比較すると、それほどその信頼性を意識せずに、目で捉え、感覚的にそれらの情報をそれぞれ個人の中で消化してしまう。それどころか、他のメディアとは違い、勝手にそれらの情報を消化した後、また勝手に加工して発信することさえ可能なのだ。そこに、ネットの怖さがある。

 事実は一つである。だが、真実とは当事者の数だけある。何故ならば、事実は一つでも、その事実に関わった当事者の数だけ、それぞれの当事者の思惑が働き解釈されるからである。そして、そのようなそれぞれの当事者の思惑にのっとった、公平な立場で検証し、精査していない偏向した真実までもが、ネット上では自由に発進されてしまう。このことは、大きな問題である。極論を言ってしまえば、ネットの使い方によっては、一人の人間の社会的信用や存在自体を抹殺することさえ可能なのである。何故なら、例え間違った情報であっても、その情報を受け止める側に受け止める自由があるからだ。このことは、非常に大きな問題であり、大切な問題でもある。ネットというのは、使い方によっては、恐ろしい人を抹殺するマシーンにさえ成り得る。そして、そのような恐ろしいネットを、多くのフリーランス・ライターが、自由に自分の記事を発進できる媒体としているところに、大きな問題がある。ほとんどの場合は良識的に、インターネットを利用している。が、しかし、中には、ネットで悪意に満ちた、個人や特定企業を陥れるような記事を、ジャーナリストという名の下に執筆し配信している輩がいる。これこそ、「ペンの暴力」である。その内容によっては、そのような悪意に満ちた記事を読んだ読者が、間に受けてしまう場合もある。

 例えば、あるフリーランスの自称ジャーナリストは、自分でブログ・サイトを運営している。そのブログ・サイトで、自らが執筆した記事を公開している。そのブログ・サイトで記事が公開していることを利用して、特定企業のスキャンダルを執筆し、記事の公開を差し止めることを条件に金銭を広告名目で受け取ったりしている。また、そのようなブログ・サイトを利用して、私憤で恨みをもつ特定個人の情報を、無制限に公開したり、事実無根の事柄を書きたてたりして、その個人の社会的信用を失墜させるというようなことも実際に起こっている。ネット上での、そのような記事を真に受けた債権者が、不安を覚え、約束を保護にして手形や小切手を振り込み、倒産に追い込まれたという会社も数々ある。また、父親に関し酷い誹謗中傷や事実無根の事柄をネット上で垂れ流され、そのことが同窓生の保護者や教師の間で話題になり、登校拒否になってしまったというようなケースもある。しかし、現状、そのようなネット上での卑劣な行為は、実際問題取り締まられていない。そのような似非ジャーナリスト達の鬱憤をはらしているだけで、そのターゲットになった被害者達には、解決策はまったくない。それどころか、救済策も、まったく為されていない。警察も、あまり積極的に取り締まりに当たれていない。結局、被害者の泣き寝入りというのが現状だ。

 このような状況下、もうそろそろ、ネット上での犯罪行為に関し、色々な判断基準を定めるべきであり、規制を開始するべきである。例えば、司法的解釈に至った場合、ネット上で掲載され続けた期間の長短を、一つの大きな判決基準にすべきである。雑誌や新聞やテレビやラジオとは違い、ネット上での記事公開は、その記事が掲載され続けている間、不特定多数の人々に見聞される可能性を含んでいる。ということは、それだけ多くの人々の目に触れる可能性があるということになる。そして、ネットの影響力は、国内だけではなく、地球規模であるということも十分考慮する必要がある。

 何故、今、このようなネットでの違法行為を取り締まるべきかというと、被害者のほとんどが、声を上げることもできずに苦しんでいるからである。社会での信用を失墜させられても、泣き寝入りをしているケースが非常に多いからだ。今こそ、出来るだけ早い段階で、政府が立ち上がり取り締まりを強化しなければ、それこそ大変なことになりかねない。何故なら、ネット上での「ペンの暴力」は、人を社会から抹殺してしまうことが可能なほど、恐ろしいことであるから。

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「中学校教科書誤記208ヵ所という愚か」
2006年5月10日

 本年度の中学校教科書に誤記が208ヵ所も見つかったという記事が、今朝の朝刊の一面に大々的に報じられていた。それだけではない。検定教科書134冊中65冊に、何らかの校正ミスが見つかったという。信じられないことだ。

 出版の世界で、誤字脱字などの校正ミスということは、あってはならないタブーだ。それは、何も教科書でなくとも一般書籍においても同じことだ。編集者が一番神経を使うところは、推敲校正である。校正が甘ければ誤字脱字などの誤植が発生する。出版物における誤植は、書籍のレベルや出版社のレベルを計る目安と言っても過言ではない。それが、よりにもよって、業界で一番厳しいと言われている教科書に、誤記が208ヵ所もあったというのだ。それだけではない、134冊中65冊の教科書で校正ミスが発覚したという。一体、どういうことか。信じがたいことである。教科書の出版は、どの出版社にも許されていることではない。にもかかわらずこのようなことが起こるということは、やはりこの業界でも、官民の癒着体質があったのではないかと疑いたくなってしまう。

 誤植を多発した大手出版各社にも大きな問題がある。しかし、教科書だけは、二重チェック体制になっているはずだ。文部科学省の最終チェックである検定が通っていたということは、検定制度にも大きな問題があるのではないか。これでは、建設業界の耐震強度問題と何ら変わらない。検定などとは名ばかりで、何もチェックなどされていなかったと言っても過言ではない。134冊中の65冊ということは、ほぼ半数の教科書に誤植が見つかったということだ。子供達は、その誤植だらけの教科書を使い、間違った日本語を覚えてしまうのである。まったく日本という国は、どうしてしまったのであろうか。

 大体、昨今、日本語が疎かにされている。テレビを見ていても、テレビ局の女性アナウンサーのアクセントを聞いていると、彼女達は本当に入社試験を受けてテレビ局に入社し、アナウンサーになったのか疑いたくなってしまう。容姿だけで判断され、入社したに違いないとさえ思ってしまうのは私だけではないはずだ。まるで、渋谷か、新宿の路上から聞こえてくるような流行のアクセントでアナウンスする。それを指摘せず咎めないテレビ局もテレビ局である。

 本来、テレビやラジオのアナウンサーとは、標準語の手本とならなくてはならない。視聴者は老若男女を問わず、アナウンサーの喋る言葉は100%正しいと思って視聴している。子供達は、アナウンサーが喋る言葉を真に受けるのである。だからこそ、アナウンサーには、言葉に対する正確さと緊張感が常に要求されるのだ。ところが、今の若い女子アナなどと持て囃される連中は、アナウンサーというよりも芸能人である。チヤホヤされて、芸能人と一緒にワイワイガヤガヤとワイドショーを賑わせ、街に出れば注目の的になる。そして、彼女達は、まるで女優なのかと見まがう立ち居振る舞いで、当たり前の顔をしている。一体、何様か。何か間違っている。

 何をしてもよい。だが、日本語に関して、言葉に関しては、プロ意識を持って当って頂きたい。それが、プロのとしてのアナウンサーの役目であり、義務ではないか。アナウンサーの喋る言葉のアクセントが間違っている、などということは日本以外他国では有り得ない。それだけ、アナウンサーという職業は、誇り高い専門職であるはずだ。自国の言葉である日本語を正しく理解し、使う。これは、全ての基本ではないか。そして、それをリードしなければならない教科書やアナウンサーがこのようなことでは、子供達に正しい日本語を習得させることなどは、夢のまた夢でしかなくなってしまう。皆様は如何お思いでしょうか?

フジテレビによるライブドア買収で実現する
テレビとインターネットの融合
2006年1月26日

 昨年、先日逮捕された堀江ライブドア元社長は、ニッポン放送株を買い集めフジテレビとの業務提携に躍起になった。楽天の三木谷社長も、TBS株を買い集めることによって、TBSとの合併や業務提携を画策した。両者共に、当初の思惑通りにはことが運ばず、歯痒い思いをさせられた。何故彼らが、そんなにもテレビ会社との合併を望んだのか? 答えは簡単である。彼らが、逸早くテレビとインターネットの融合に、新ビジネスとしての魅力を見出したからだ。しかし、彼らが思い描いていた、近未来で実現されるテレビと融合されたインターネット・ビジネスとは、必ずしも彼らの商売欲を満たすだけのものではない。間違いなく、我々一般視聴者にとっても喜ぶべき事業である。
 既存のテレビ番組放送では、時間に制限がある。一日24時間を、切り売りし、それぞれの時間に番組を当て込むということになっている。ところが、インターネットとテレビが融合すれば、必ずしも24時間のモノサシで考えなくてもよくなる。どういうことかというと、好きな時に好きな番組を呼び出し観賞することが可能になるということだ。
 人間は、生まれた時から、二つだけ、誰でも平等に与えられたものがある。その一つは、命の重み。そして、もう一つが時間である。どんなに忙しい人間でも、どんなに暇な人間でも、一日は24時間、一年は365日しか与えられていない。人は何人も、この時間の制限の中でしか生きることができない。しかし、時間というのは、切り売りすることは可能だ。
 例えば、サラリーマンが会社に勤め、朝9時から夕方5時まで働いているのは、自分の時間を会社に切り売りし、その代償としてサラリーをもらっているということになる。同じことが、このインターネットとテレビの融合でも可能になるのだ。人は、一日24時間しか、時間を持ち合わせていない。だから、昼間働いている内に、どうしても見たいテレビが放映されてしまうとする。その場合、選択肢は、三つしかない。会社を休んで、そのテレビを観るか。ビデオに録画して、後で観るか。ビデオに録画するのも面倒なので、その番組を観ること自体を諦めてしまうかだ。
 ところが、もし、インターネットとテレビが融合されれば、仕事から帰宅後、自分の好きな時間に、好きな番組を、自由に観ることができる。考えようによっては、一日を24時間という枠を超越して使うことが可能になるのだ。簡単に言えば、時間を自分でコントロールできるということだ。今までのテレビ番組であれば、視聴者である我々の方が、テレビの番組放映時間に合わせて行動しなければならなかった。しかし、インターネットとテレビが融合すれば、その必要もなくなるということだ。
 堀江氏も三木谷氏も、時間を超越するビジネスという観点から、インターネットとテレビの融合に、大きなビジネス・チャンスを見出していた。しかし、既成の体制の壁は高く厚かった。どのテレビ会社も、過剰反応ではと思うほどの拒絶反応をライブドアにも楽天にも露にした。その結果、どちらも、中途半端な宙ぶらりんな形で、明確な結論がでないままにここまで来ていた。明確になったこといえば、どちらもテレビ局側の怨念と嫉妬と反逆心だけであった。
 ところが、皮肉なものである。流れを作り、人々にインターネットとテレビの融合の可能性を気付かせた堀江氏が逮捕され、ライブドアが存亡の危機に陥ったことで、テレビとインターネットの融合ということが、俄かに現実味をおびてきた。
 昨年4月に、フジテレビとライブドアが和解し業務提携を行った際、フジテレビ側は、440億円を支払ってライブドア株の12.75%を保有することになった。今回の騒動で、マスコミ各社は、フジテレビがライブドアとの業務提携を破棄し、ライブドア株も全て売却するのではないか、という思惑ばかりを報道している。しかし、それらの報道は、現在のマスメディアのビジネス音痴振りを露呈したとしか言いようがない。自分が、ライブドア株を440億円払って保有していると思ってみたら、直ぐに理解できることである。誰が、その440億円をドブに捨てたいと思うか。12.75%という保有率は、ライブドアの筆頭株主でありオーナーである堀江氏に次ぎ2位の保有率である。普通に考えれば、損害を1円でも減らし、440億円を確保したいと思うはずである。よっぽど、堀江に対しての怨念が勝っていない限りであるが。
 世間を見渡せば、堀江氏は逮捕され、大方の株主達は、売り抜けたいと思っている。当然のことながら、株価は下落の一途である。下がった時は売りではなく、買いではないか。広く一般のライブドアの株主達は売りたがっているのである。安い値段で買い集めることができるではないか。逆買収である。さすがに、一部のメディアが昨晩ぐらいからフジテレビが逆買収するのではないか、ということを報道しだしている。その通りである。
 新たにライブドアのようなポータルサイトを立ち上げようと思えば、金も人も必要になる。しかし、あれだけ立派なものがあるのなら、二束三文で買い叩いた方が得に決まっている。そうすれば、440億円を無駄にすることもない。それどころか、どこの局にも先駆けて、テレビとインターネットの融合を本格的にスタートすることが可能になる。一番喜ぶのは、他でもない視聴者だ。フジテレビほどのテレビ局が、迷う必要は一つもない。視聴者の喜ぶことを実現すれば、その見返りは想像以上のものを期待できることは間違いない。
 それにしても、堀江貴文という人は、いつも変革のキッカケをつくり、世の中を新しい方向へと導きはするが、自分はというと、一番の貧乏クジをひいてしまう。近鉄バッファローズの時も、仙台の新球団の時も、フジテレビとの提携の時も、世の中をプラスに導き、己はマイナスを被る。時代の寵児は、いつの時代も悪名を轟かせ名を残すが、若くして奈落の底に落ちてしまうのか。織田信長しかり、坂本龍馬しかり、田中角栄しかり、堀江貴文しかり、ちょっとスケールが違いはするが。小泉純一郎もそんな一人かもしれない。くれぐれも、奈落の底に落ちぬよう、もう一踏ん張り二踏ん張りも頑張ってほしいものだ。

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