政財界倶楽部(恩田将葉見聞録)

若者達がジャパニーズ・ドリームを夢みれる国を願い、「政治をもっと身近に!」というスローガンのもと、日本人に愛国心を喚起する。

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NHK記者による連続放火事件
日本のマスコミ人の倫理意識低下を露呈
2005年11月8日

 何度となく、日本のマスコミ人の倫理意識の低下については指摘してきた。が、しかし、今回のこの事件は、マスコミ人としての倫理意識の低下ということ以前に、人間としての倫理観の欠落が問題であることは、誰の目にも明らかである。あまりにも、人間として幼稚すぎる行為である。このような幼稚な人間を、まるでエリートであるかのように育て上げてしまった日本の教育に、大きな疑問と不安を覚えるのは、私だけではないはずだ。
 このような幼稚な人間が、国民に大きな影響を与える大手メディアであるテレビ局の記者であるということは、想像以上に大きな問題である。しかも、公共放送の記者だというのだから、呆れてモノも言えない。NHKの役員が、三ヶ月間減給して済むような問題ではない。問題を解決するべく、真剣に何らかの具体的解決策を模索するべきである。これは、NHKだけの問題ではない。日本の全てのマスコミ人とマスメディアは、自分達に課せられた問題として真摯に受け止め、マスメディアの在り方ということを改めて見つめ直すべきである。
 たまたま、NHKの記者が、このような如何なる理由があろうとも許されざる事件を起こしてしまったが、表面化していない問題をおも含めると、これに類似する問題は、NHKに留まることなく民放や新聞も含め多くのメディアで、日常茶飯事的に起こっている。取材活動に於いての、ジャーナリストの道徳意識の低下は、等閑にできないほどのところにまできてしまっている。
 それでは、何故このような問題が起こるのか? 原因は簡単である。視聴率至上主義、販売率至上主義に、全ての原因がある。視聴率を上げんがために、販売率を上げんがために、ジャーナリストとしての魂を売ってしまう。昔から、ペンを折るとか、ジャーナリストとしての魂を売るということはあった。しかし、それは、生活苦や金銭的な理由によってであり、苦悩の末の決断として為されていた。ところが、昨今のマスコミ人は、簡単にペンも折り、魂も売ってしまう。視聴率、販売率、お金のためなら、何でも安易にする。マスメディアの体質自体が、そのような視聴率、販売率、売上高至上主義になってしまっているので、そこで働く記者達の、マスコミ人としての意識も麻痺してしまっているとしか思えない。その結果、安易に視聴率、販売率を上げられるようなことを無分別にしてしまう。そのことは、昨今の報道番組やニュース番組を見れば一目瞭然である。ニュースや報道番組でさえ、公平さや正確さよりも、視聴率を最優先するあまり、まるでワイドショーと見紛うほどの有り様のである。
 また、売上至上主義は、できるだけコストを削減し、多くの視聴率、販売率を確保することを現場の人間達に求めるようになった。その結果、正社員の記者を減らし、外注スタッフを多用するようになった。下請け製作会社への発注数も以前に比べると格段に多くなった。下請け製作会社への発注数の増加に比例して、下請け製作会社の数も増えた。そして、それら製作会社が、競って大手メディアに自分達が製作した記事を売り込もうとするようになった。当然のことながら、番組として面白く視聴率が取れ、値段の安いものを大手メディアは歓迎する。その結果、過当競争が起こった。製作会社は、少しでも面白いモノを製作しなければということになり、行き過ぎた取材やヤラセまで平気で行うようになった。実際には、大手メディアの依頼で取材をしていなくても、結果として大手メディアに売り込む予定だからということで、取材段階に於いても、大手メディアの名前を水戸黄門の印篭のように多用して、無理で行き過ぎた取材を強行するようになった。取材ターゲットの個人情報をも侵してしまうことも当たり前。しかし、クレームをつけられれば、報道機関には「言論の自由」に基づいた個人情報保護法の特例がある、と豪語して何の罪悪感もなく個人情報をも踏み荒らし喰い散らかす。ところが、よく目を凝らして見ると、特権を乱用しているのは、大手メディア自体ではなく、下請けの製作会社の似非ジャーナリストの場合が多い。彼らは、ゲリラや山賊のようなものである。手段を選ばない。獲物が、大手メディアに少しでも高価で売れれば良い。モラルの欠片などない。大手メディアにしても、いざ問題となればトカゲの尻尾切りのごとく製作会社を切り捨てる。大手メディアにしても、知らなかった、関係ない、と白を切れるので都合が良い。このような狡く安易な体質が、日本の大手メディアを堕落させているのである。
 ジャーナリストという仕事は、もっと誇り高く使命感が強くなければならない職業である。ただの仕事ではない。人々に正確な情報を公平な視点に立ち、偏ることなく伝達するという使命があるはずだ。そこには、如何なる私心も存在してはならない。視聴率も販売率も関係ない。そんなことが、報道に影響してしまうようでは、報道機関としての存在価値さえない。理想論ではあるが、「経営」と「報道現場」との間には如何なる因果関係も存在してはならない。このことは、我々ジャーナリズムに携わる人間に課せられた永遠の宿題である。
 放送局の買収による「放送」と「通信」の融合ということが目前に迫る今、「経営」と「報道」というジレンマを如何に克服するかが、全ての問題を解く鍵であることだけは間違いない。ジャーナリズムのレベルの低下は、その国のレベルの低下と言うが、その通りかもしれない。今の日本のジャーナリズムの体たらくは、平和ボケ日本の為せる業なのかもしれない。いずれにしても、日本の将来には、改革しなければならない問題が山積されていることだけは間違いない。マスコミも例外ではない。前途多難である。

小学生を挑発する小学校を題材にしたテレビ・ドラマに疑問
2005年10月7日

  私たちの学生時代には「金八先生」が、等身大の身近な物語として高い視聴率を上げていた。時代は移り変わり、今は「女王の教室」というタイトルの小学校を舞台にしたドラマが、視聴率を上げていたという。確かに、私の娘や息子も、土曜日の夜になるとソワソワとテレビの前に鎮座して神妙な顔をしていた。
 少々前には、「瑠璃の島」という離島の小学校の存続と、問題児が更正していく様子を、素晴しい景色の島を舞台に繰り広げた物語が放映されていた。このドラマなどは、私も出来る限り観るようにしていた。他にも、色々と学校生活を題材にしたドラマは、昔から高視聴率獲得番組として繰り返し放送されてきた。
 しかし、最近、私はこのような学園モノのドラマに少々疑問を感じている。物語を書いている脚本家の主旨は読み取れるし、決して視聴者である子供達に悪影響を与えようと思って書いているのではないことは理解できる。むしろ、子供達にも、親達にも、そして、教師達にも、忘れてしまっている大切なものを思い出させようとして、ドラマを展開させていることもよく理解できる。ただ、問題は、それを受け止める視聴者である学生達、特に小学生や中学生に、そのようなメッセージを受け止めることができるかどうかということである。正直、少々疑問を感じている。
 なぜなら、あちらこちらの学校で、問題が起こってきている。まだ、問題という認識にならない程度の動きであるのかもしれない。しかし、確実に、この流れは大きくなるような気がして非常に心配である。どういうことかというと、ドラマが視聴者に投げ掛けている問題提議は理解せず、途中経過であるドラマの中の子供達の言動を真似する子供達が急増しているのである。授業をボイコットしてみたり、教師に食って掛かってみたり、学校に対して盾をついたり、突然学校から姿を消してみたり、ドラマの台詞さながらの文句を宣ってみたり、と今までなかった言動を、特に小学生や新中学生がしだしているのだ。子供達は、脚本家がドラマに込めたメッセージを読み取れず、ドラマに登場する生徒達の有り様だけを「格好良い」と思い、真似ているようなのだ。一部の教師は、今までにない現象だ、と言い少なからず悲鳴を上げている。
 まだ、どういう流れになっていくかはわからない。子供達は、ある意味優柔不断でもあり、その反面想像以上に賢い場合もある。しかし、ひとつだけ言えることは、テレビの影響力は、想像以上に大きいということだ。
 テレビ・ドラマの製作に携わる方々にお願いしたい。子供達は、国の宝です。彼らに影響を及ぼす可能性のあるドラマを製作するに当たっては、これ以上ないというほどの思慮深さをもってことにあったって頂きたい。最終的に、それらの影響を肌身で受け止めることになるのは、他でもない子供達人身なのです。宜しくお願い致します。

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日本のマスコミにだけ存在する聖域
記者クラブの是非
2005年9月29日

 皆様ご存知のように、日本には記者クラブという制度がある。読者の皆様は、世界各国どこの国にも記者クラブはあるものと、当たり前のことのように受け止めていらっしゃるであろう。しかし、実はそうではないのだ。記者クラブという制度は、民主主義国家の中では、日本や韓国などの一部の国家にしか存在しない独特な制度なのである。マスコミ関係者以外は、あまりご存知ないかもしれないが、この記者クラブというものは曲者なのである。
 何故か、って? それは、記者クラブという制度は、北朝鮮のような軍事独裁国家、社会主義国家や封建主義体制国家にだけ存在する悪習慣なのである。特定の放送局や新聞社だけに取材を独占させ、情報をコントロールすることが目的なのだ。
 皆様は、記者であれば誰でも記者クラブに加盟でき、取材ができるとお思いであろう。しかし、実際には、一部の大手メディアしか加盟できず、それ以外の記者達は自由に記者クラブに参加することはできないのである。非常に排他的な権益組織であり、不平等、不公平、一部大手マスメディアによる特権的意識に支配されているのが、記者クラブなのだ。フリーランスの記者が参加したくとも、加盟どころか、記者会見にも参加できないのが実情だ。非常に差別的な制度である。本来、マスコミこそ、一番平等で、公平でなければならないはずである。にもかかわらず、記者クラブの実情は、大手メディアによる秘密倶楽部のような有り様だ。
 ということは、どういうことかというと、情報操作されても我々一般国民は、知る由もないということだ。当然の成り行きながら、記者クラブのような閉鎖的で聖域的な組織になれば、情報を流す側と流される側の馴れ合いや癒着という問題が起きる。その結果、意図的に情報操作するということも可能になってしまう。このような癒着構造が実態なのである。限られた人間でメンバーが構成されれば、相互間でオブザーブし合うということも等閑にされるのは当然である。
 日本における記者クラブも、帝国主義時代の悪しき名残なのである。1949年には、日本新聞協会が、記者クラブは親睦社交を目的とし取材には関与せず、と規定はしたが、実際には非常に排他的で、一部大手メディアの特権になってしまっているのが実情だ。大体が、上記のようなことを規定した日本新聞協会自体が、非常に排他的な組織で、一切現メンバーである新聞社以外は、加盟をさせず、販路等を独占する権益団体なのである。その会長を務める読売新聞の渡辺恒雄の常日頃の言動をみれば、どれだけ強い特権を持ち、どれだけ大きな影響力を持っているか、そして、どれだけ排他的で特権階級意識の強い権益組織であり、人間達であるかは一目瞭然である。
 2000年6月25日には、首相官邸敷地内にある記者クラブ「内閣記者会」に於いて、「明日の記者会見についての私見」と題するメモが落ちていた。このメモは、2000年5月26日に行われた森喜朗元首相の「神の国」発言の釈明記者会見のための、記者達の質問を想定した記者会見対応マニュアルであった。この事件は、いかに記者クラブという組織が不公平かつ癒着体質の蔓延した組織であるかを露呈した。
 記者クラブの閉鎖的な体質に対しては、多くの外国人記者達やメディアからも反発の声が上がっている。何故ならば、既存の記者クラブは、外国のメディアやフリーランスのジャーナリストの加盟をほとんど認めていないからだ。外国人記者や外国メディア、そして、日本人のフリーランス・ジャーナリストにも優秀な人間は多くいる。しかし、未だに非常に閉鎖的であり、昔から加盟している大手放送局ならびに新聞社にしか、門は開かれていない。先進国とは思えぬ、非常に前近代的なシステムなのだ。
 確かに、加盟メディア以外の記者を自由に招き入れるようになれば、記者会見時の安全面でのリスクは上がる。万が一で、テロリストが紛れ込まないという保証はない。しかし、そういう危機管理的な問題の解決策は、いくらでもあるはずだ。前向きで閉鎖的でない事前審査の制度を設け、身元確認を条件に門を開けばよいではないか。
 なんだかんだと賛否両論は論じられているが、記者クラブなどという排他的な制度が温存されていること自体に大きな問題があることは間違いない。首相官邸が率先して記者クラブの制度を廃止するということも、小泉構造改革の大きな要であり、日本が本当の意味での民主主義国家に成長するための登竜門ではないか。マスコミの片隅に席をおく者の一人として、日本の国と日本のマスコミの未来を憂い、小泉首相の英断を期待する。

投票結果を批判するマスメディアの驕りに疑問
投票結果を批判し国民を愚弄するコメンテーター達の非常識
2005年9月12日

 郵政民営化の是非を通じ日本の国の構造改革の是非を問う、9.11選挙が遂に幕を閉じた。結果は、ご承知の通り自民党の圧勝であった。国民は、小泉耕造改革に大きな期待をかけたということだ。ある程度、この結果は予想がついていた。穿った見方をせず、純粋な目で見れば、自ら結果は見える。ところが、多くのメディアは、色眼鏡でしか情勢を見極めることができず、彼らの予想とは違う結果になった。しかし、それでも自分達が正しいかのように言い張るアンカー・マン達やコメンテーター達の言動には、不愉快ささえ覚えた。一体彼らジャーナリストとは何様なのだ? 
 日本は主権国家であり、主権者は国民である。選挙に於ける一票は、全て平等公平な清き一票なのだ。投票結果が出た後、この結果はおかしい、国民は騙されている等の発言を平気でするコメンテーター達の神経を疑う。言葉は悪いが、まるで、国民は馬鹿だ、何もわかってない、と言っているようなものだ。そういう自分達の方がよっぽど何も分かっていないではないか。民主主義とは、国民の清き一票で成り立っているのである。自分達の思い通りの結果がでなかったら、投票結果を批判するという行為は、国民を愚ろうする行為で、先進国日本の文化人とは思えない発言である。いや、きっと彼らは似非文化人なのであろう。
 揃いも揃って、各局のコメンテーターの発言が、自分達の思惑で決めつけたような発言であるばかりか、インタビューする政治家達を煽る様は、不愉快であった。特に、TBSの久米宏やテレビ朝日の古館や小宮悦子達のコメントは、非常に公平さを欠き、国民を馬鹿にした発言としか受け取れず、不愉快極まりなかった。また、テレビタックル等にもよく顔を出す福岡何がしに至っては、教授だか何だか知らないが、頭でっかちで自分勝手もいい加減にして頂きたい。政治というのは、血がかよった生き物のようなモノだということを、早くお気付きになったほうがよろしいのではないか。政治にかよう血とは、人すなわち国民なのである。そんなこともわからないで、教科書通りにことが運ばなかった腹いせに、一生懸命改革を推進する小泉首相以下多くの真面目な政治家達や、汗水流して日々生活している有権者を愚弄するにも限度がある。これ以上の暴言は、いささか許しがたい。
 唯一評価できたのは、同じテレビ朝日であるが、田原総一郎の発言と報道姿勢であった。あるコメンテーターが、この投票結果はおかしい、国民は目先で投票し騙されている、というような発言をした。この発言に対し、国民による投票結果を批判するということは、日本の国民を侮辱することになるんじゃないの、というようなことを田原氏はキッパリと言い放った。まったくその通りだ。一体、マスコミ人やテレビに主演するコメンテーターは何者なのか? テレビに出るだけで、そんなに偉くなれるのか? テレビに出れば一流の知的人種とでもいうのか? まったくもって腹立たしい限りである。もっと、人を見てモノを言って頂きたい。嘘をついているか、国民を騙しているかは、小泉首相はじめ、その下で奔走する政治家達の顔を見れば一目瞭然である。国民は、その辺のことを見抜いたのである。
 それに引き換えマスコミ関係者の言動といえば、自分達の目が節穴であるにもかかわらず、そんなことは棚に上げ、国民の投票がおかしいとは、よく言ったものである。彼らの論調だと、まるで小泉首相率いる自民党が圧勝したことが悪で、惨敗した民主党が悲劇のヒーローでもあるかのようである。まったくおかしなことである。国民は、馬鹿でもなければ、アホでもなければ、(言葉は悪いが)メクラでもない。真剣に日本の国の将来を思い、思慮深く良識ある選択をしたと私は思う。
 民主主義というのは、国民の清き一票によってなりたっているのである。しかし、十人十色、色々な国民が存在することは、最初から分かっていての選挙であり民主主義である。それでも、公平に全ての一票を認めているから成り立っているのである。それを、自分達の思惑どおりの結果が出なかったからといって、国民の判断は間違っている、というようなコメントを憚ることなくするジャーナリストやコメンテーターとは、そんなにも偉い方々なのか? 非常に大きな疑問を感じるのは、私だけであろうか? 読者の皆様は、如何感じられましたか?

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