政財界倶楽部(恩田将葉見聞録)

若者達がジャパニーズ・ドリームを夢みれる国を願い、「政治をもっと身近に!」というスローガンのもと、日本人に愛国心を喚起する。

社会・文化

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野菜たち

野菜たち
2010年2月25日

昨年大病をしてから、
命に対する意識が変わった。
退院して、
一番最初にしたことが、
野菜の種を買ったことだ。
入院中考えていたわけではない。
何故か、
ほとんど無意識に、
気付くと野菜の種を数種類買っていた。
自宅のベランダにプランターを置き、
そこに買ってきた野菜の種を蒔いた。
冬に向かっての時期であったが、
何故か蒔かずにいられなかった。
だが、
寒い時期なので、
半ば諦めていた。
それでも、
毎日日差しに向け、
水をやり、
芽も出ぬ土に向かって話しかけていた。
昔、
オノ・ヨウコが花に話しかけているという話を聞き、
笑った記憶が蘇ってきた。
可笑しく思っていたことを、
何十年か経ってみると、
自分が同じことをしていた。
なにやら奇妙な感じと、
不思議に嬉しいという感情が込み上げた。

数日経つと、
不思議なことが起こった。
諦めていた土の中から、
小さな芽が無数に出ていたのだ。
もう、
朝は肌寒かった。
それでも、
元気に芽は日に日に伸びていった。
再びオノ・ヨウコのことを思い出した。
愛の力恐るべしだ。
植物でも、
愛を掛ければ通じる。
そんなことを
今更ながら感じ、
感動した。
野菜たちにも命があるのだと実感した。
複数回の手術を経て、
生死を彷徨い、
初めて実感できた不思議な感覚であった。
改めて、
オノ・ヨウコのすごさを感じた。
私なんか、
命がけでやっと知ることができた感覚を、
彼女は、
自然に体得していたのだ。
やはり常人ではないのかもしれない。
そんな私も、
今では、
野菜たちを、
「この子は・・・」などと、
まるで子供のように呼んで扱っている。
そんな自分に、
歳をとったな、
少しは成長したのかな、
と初めて感じ、
自分に対しほくそ笑んだ。

今は、
野菜たちの他に、
オリーブと野イチゴ、
そして、
亡父が大切にしていた「幸福の樹」と共に
暮らしている。
亡父の「幸福の樹」は、
一時死にかけていた。
会社が厳しい時期になった頃だった。
ずっと、
会社で亡父が大事にしていたその「幸福の樹」を、
私は会社から持ち帰り、
母に預けた。
葉もほとんど落ち、
専門家に診てもらっても、
瀕死の状態だったその「幸福の樹」が、
母の下でみるみる蘇った。
亡父の愛と母の愛が通じあったように感じた。
本当に不思議であった。
その亡父の「幸福の樹」も、
今は私が世話をしている。
その樹とは、
亡父に話しかけるように、
毎日話をしている。
今では
私の至福の時間になっている。

JALの破綻問題 自社責任が大きいことも忘れるな
2009年10月24日

 前原大臣が就任以来、国土交通省関連で色々な問題が報道されている。ダムなどの問題に圧倒され、どうも注目度が薄くなっているような気がしてならないが、JALの破綻問題はもっと真剣にメディアが検証するべきである。

 どうも、マスコミの報道を見聞していると、JALが破綻したのは、地方空港を乱立させ路線確保のため不採算路線をJALに押し付けたからのような報道が大半を占めている。だが、この報道には、少々疑問と政治的意図を感じざるを得ない。どうも、政治的に利用されている臭いがプンプンする。

 そもそも、JALの経営体制自体に大きな問題があったことを等閑にするべきではない。8つもの労働組合が存在し、利用客よりも従業員本位に無駄な確執を繰り返してきた罪も重い。また、元国営航空会社という看板を拭いきれず、いつまでも半民半官的な気分で経営や業務にあたっていた役員たちの罪も重いのではないか。

 不採算路線が云々というが、民間企業であるのだから、不採算路線を無理に確保すれば経営を圧迫することになることぐらいは分かっていたはずだ。それを解決策も考えず、無計画に不採算路線を引き受けていた背景には、何らかの政治的思惑によって、政治家と密接に関与していたのではないかと猜疑な目でみたくなる。

 大体、腹のどこかで、いざとなれば国が助けてくれると思っていなかったと断言できるであろうか。今回の対応を見ても、そのことは一目瞭然だ。国民の税金からという意識などまったくないに違いない。当たり前のごとく、国よりの援助を期待している様をみていると株主の一人であっただけに憤りを覚える。

 これが、本当の意味での民間企業であったら、どれだけのことであったのか分かっているのであろうか。社長の首には、もう縄がかかっており、バランスの悪い踏み台の上に四肢を拘束され乗せられているようなものだ。その切羽詰まった緊迫感がまったく感じられないのは何故であろうか? メディアは、そこのところまで掘り下げた取材をし、報道をしてほしいものだ。
涙が止まらなくなるドラマ 
2009年10月24日

 そのドラマのタイトルは、「マイガール」。ジャニーズ事務所の「嵐」というグループの相場という青年が主役を演じている、父子家庭の物語だ。

 予期せずして、自分の娘と巡り合い、彼女を育てなくてはならなくなった。その女の子は、嘗ての恋人との間にできた子供。その恋人は、相場演じる主人公が高校生だったので、自分一人で娘を出産し育てていた。だが、母親である嘗ての恋人は病気で突然死んでしまい、その女の子は相場演じる主人公の元にやってきた。困惑し、迷い、悩んだが、主人公はその女の子、自分の娘と二人での父子家庭生活をスタートさせる道を選ぶというストーリーだ。

 娘が観始めたドラマだが、いつの間にか私も娘の横で一緒に観るようになった。というか、自然に引き込まれていってしまった。気付くと、涙を溢れさせてそのドラマを観ていた。娘に気付かれぬよう、必死で涙を堪えたり、涙をかくしたりしていた。だが、横を見ると、娘も涙を拭っていた。以来、二人揃って、憚ることなく涙を流しながらそのドラマを観るようになった。

 我が家も父子家庭である。今日が第三話目だったのだが、十数年前の私たち親子の姿を見ているようで、どうにも涙が溢れて止まらなかった。息子、娘、私の三人で、必死に一生懸命ここまで生きてきた。立ち止まる暇もなく、三人で走り続けてきた。そして、今年の7月、走り続けたツケが回ってきたのか、神様が束の間の休憩を私にくれたのか、私は病に倒れた。正直、入院中色々なことを考えさせられた。「生きる」ということ、子供たちのこと、私自身の仕事のこと、人生のこと、振り返ってみると、そんなことを考える暇もなくここまで走り続けてきていた。

 最初のころは、育児の「い」の字もわからなかった。親などといえるような代物ではなかった。子供たちに、私が教育されているようなものであった。だが、お陰さまで、人としての学びも多かった。「生きる」という意味での哲学も、いつの間にか自分なりのモノが確立され、自分の皮膚や体内にしみ込んだ。ただ、普通に生きてくるよりも、もしかすると、色々と感じることも、思うことも多く、それだけ充実してこられたのかもしれない。今だからこそ、そんなふうに思える。だが、当時はただ必死にもがいているだけであった。それでも、ここまでやってきた。

 何だかこのドラマを見ていると、あの頃の自分や子供たちを回想しているようで、懐かしい思いと、子供たちへ申し訳ない思いが交錯し、どうにも涙が止まらなくなってしまう。

 私は、自分の勝手でこういう道を選んだ。だが、子供たちは、選択肢も与えられず、大人の私たちに翻弄されただけであった。何も言わず口を噤んできたが、子供たちなりに色々な思いがあったはずである。理不尽に大人の勝手で、自分たちの人生を左右されたのだから、色々な思いがあって当たり前だ。だから、娘も、私の横でこのドラマを観ながら涙を流しているのであろう。

 だが、経過はどうあれ、理由はどうあれ、私たち三人はこの道を歩んできたのだ。これからも、三人で歩んでいくのだ。いや、いつまでも一緒に歩んでいきたい。

 人が幸せを感じる基準とは、第三者にはわからない、当事者にしかわからないことであると私は常々思っている。傍からみたら、両親揃って、物質的にも満たされた生活が幸せと思うのかもしれない。だが、当事者は、案外そんな既成概念や常識よりも、肩を寄せ合って、お互いの体温を感じ合いながら生きていることに、何より大きな幸せを感じている場合がある。そんな思いが、上手に表現されているドラマであるように思う。

 脚本家の筆力に、拍手を送りたい。素敵なドラマをアリガトウ。
新型インフルエンザの不思議
2009年10月23日

 先週金曜日より、娘が新型インフルエンザに感染し学校を休んでいる。翌日には学校より連絡があり、多くの同級生が感染し学級閉鎖になったとのこと。感染力の強さを実感させられた。最初の感染者が出てからたった三日でのことだ。

 以来、娘に付きっ切りで看病していた。だが、何故だか私は感染した様子がない。息子に感染しないよう、娘の部屋は密閉して隔離状態。その中に私も一緒にいたのだが、まったく感染した様子はない。頭痛を訴えだしたことが、娘の場合ウィルス感染の合図であった。私も、一時頭痛を感じた。だが、直ぐに頭痛もどこかにいってしまった。発熱することもなかった。

 先週の木曜日、最初の感染者が娘のクラスで一人出た。その翌朝、娘は頭痛を訴え、熱を計ってみたところ37.2度であった。大事をとって休ませた。熱が上がることもなかった。だが、その日の午後学校から連絡があり、娘以外にも同じような症状を訴え三人がお休みしたとのことであった。最初の感染者がお休みしだして二日目土曜日の朝、午前5時半に娘の体温は37度であった。午前7時過ぎが37.1度、しかし、どうも様子がおかしいような気がした。相変わらず頭痛と倦怠感を訴えていた。すると、午後8時過ぎに、熱は37.2度に上がった。午前9時過ぎには、37.3度と上昇傾向にあった。熱が上がるとともに、筋肉痛と倦怠感が強くなるようで、「先週あった運動会のせいかな」といいながら身体のやり場に困っている様子であった。そんな状況下、午前11時過ぎ、突然熱が急上昇した。たった、10分足らずの間に、一挙に38.9度まで上がった。直ぐに、消防署で発熱外来を土曜日でもやっている病院を紹介してもらい連れていった。

 病院では、待たされることもなく急患扱いで直ぐに簡易キットによる検査をしてくれた。結果は陰性だった。だが、医者の診察では、99%間違いなくインフルエンザと診断された。娘の症状から、そう判断したようだ。特に頭痛と体中の筋肉痛と倦怠感は大きな特徴だと先生がいっていた。直ぐにタミフルが処方され、帰宅して安静にすることになった。だが、本当の戦いはそれからだった。

 帰宅後直ぐに、タミフルを服用させた。その直後、熱は下がり出した。だが、同時に、頭痛は倍増され、今までなかった強い吐き気が娘を襲った。それでも気丈に、早く治したいからオニギリ食べる、というので直ぐ作って食べさせた。だが、直ぐに吐いてしまった。その嘔吐をキッカケに、暫く激しい嘔吐がとまらなくなった。そして、強い頭痛を訴えた。「もう、この薬は飲みたくない」と珍しく娘は泣いて私にすがりついた。それでも、タミフルの効果があったのか、あれだけ急激に上がった熱が、夕方には一度37.3度にまで下がった。正直驚いた。だが、暫くすると、また38度台まで熱は戻った。そんな一進一退を二日ほど繰り返し、段々と娘の様子は快方へと向かい出した。熱も38度を超えることがなくなった。しかし、37度台の熱は暫く残った。同時に、それまでなかった喉の痛みと咳や鼻水が出だした。結局今日まで学級閉鎖が続いた。丸一週間であった。

 首相官邸に掲載されているインフルエンザ情報などをみると、感染してから、熱が下がったとしても一週間はウィルスが体内に潜んでいるらしいことが報告されている。にもかかわらず、私は感染しなかった。息子も感染しなかった。本当に不思議だ。

 私が感染しないのは、きっと過去に免疫ができる何かがあったのかもしれない。だが、年子の息子が何故感染しなかったのかは、何だか不思議で仕方がない。これから発症するのであろうか? だが、息子のクラスには、やはり妹が新型インフルエンザに感染した息子と仲良しのクラスメートがいる。彼も、感染していない。感染するしないの境目に何があるのであろうか。非常に興味を惹かれる。その辺のことを含めて、関係研究機関は、新型インフルエンザの正体と対処法を、季節性インフルエンザの流行が始まる前に見つけ出して欲しいものだ。

悲しき美女 酒井法子

悲しき美女 酒井法子
2009年9月18日

 昨日夕方、覚せい剤事件でここ2カ月間世間を騒がせた元アイドル酒井法子が保釈され、謝罪記者会見を都内のホテルで行った。正直、酒井法子の事件に関して、まったく興味がなかった。なぜここまで騒ぐのか理解できなかった。いや、元アイドルだからマスコミが騒ぐことは理解できる。だが、視聴率目当てとはいえ、覚せい剤事件を起こした人間のことで、これだけメディアが騒ぎたて公共電波を使って連日報道することを不愉快にさえ感じていた。7月26日に倒れ入院していた私にとっては、まったく身動きできぬ病床での唯一の楽しみはテレビであった。だが、入院している間中、連日連夜酒井法子に関する報道ばかりがなされ、正直辟易としてテレビのスイッチを入れるのさえ嫌になってしまっていた。

 だが、そんな私が、昨日は保釈され湾岸署を出てきて謝罪記者会見がなされるまで、特別番組を見入ってしまった。なぜなら、彼女の姿に物悲しさを感じてしまったからだ。酒井法子という人間に興味を持ったのではなく、あれほど美人でありながら物悲しさを醸し出す酒井法子という人間はどうのようにして生きてきたのか、ということに興味をそそられてしまったのだ。

 この期に及んで、酒井法子という美人女性は、心で言動を為していなかった。まるで張り子の人形のように、酒井法子という元アイドルを演じていた。彼女の言葉は、心から発せられているものではなかった。彼女のお辞儀も、立ち居振る舞いの全ても、心より自然にでたものではなかった。そのことは、誰の目にも一目瞭然であった。彼女の姿は、まるで女版ドンキホーテのように滑稽であった。だが、その滑稽さにさえ気付かず、一生懸命演じている酒井法子という女性に、そこはかとない物悲しさを感じた。彼女にとって、美人に生まれたことは物質的金銭的幸福を呼んだのかもしれない。だが、精神的幸福観や安らぎを、美人として生まれたことと引き換えにして、ギブアップして生きてきたようにさえ思えた。いや、精神的幸福感や安らぎなど感じたこともないし、そんな幸福感があることする知らないのかもしれない。だからこそ、覚せい剤に手を染め翻弄されたのかもしれない。そんなことを私は、昨日彼女が為した一連の言動を見聞して感じた。

 私の目に映った彼女が、唯一心を動かしたのは、謝罪会見の席上、レコード会社会長が「不本意ながらも解雇せざるを得ない状況」と言った瞬間に零した大粒の涙、そして、「日本をはじめ海外のファン、会社の関係者、スタッフの皆様」と謝罪しながら嗚咽したあの瞬間のみであったようなに思う。それも、「会社」という時のトーンは違っていた。多分、会社に対しては別の感情を持っているのであろう。彼女が感情を露わにし、心を動かしたのは、レコード会社からの「解雇」という言葉と「ファン」という言葉のみであるように思った。このことを裏返すと、彼女にとって、彼女の人生にとって、大切なモノはアイドルとしての立場ということに終始するのではないかとさえ思えた。家族でも子供でもなく、彼女にとって衝撃的な現実は、レコード会社からの契約解除勧告であったのであろう。そして、自分にとっては家族以上に大切な生きる拠り所となっているファン。彼女の心を動かす現実は、その2点のみであったのであろう。その証拠に、保釈で湾岸署から出てきた酒井法子は、居合わせたファンより「のりピー」という声が掛った瞬間、反射的にアイドルのりピーの笑顔を浮かべた。その笑顔は、あまりにもあの場とは不釣り合いなものであった。そのことを本人も気づいていたはずだ。しかし、悲しいかな、長年身に付いた本能なのであろう。「のりピー」というファンの一言に、自分の意思とは裏腹に身体が反応してしまっていた。

 これだけ大きな騒動に発展したのだ。そして、あれだけのアイドルが起こした事件だ、メディアが騒ぐことを非難することはできない。しかし、あの謝罪記者会見場に、あれだけ多くのマスコミが集まったこと自体、酒井法子という張り子の美女を勘違いさせなければよいのだが、と一抹の不安を覚える。普通の人間ではない。男でも女でもない。彼女は、酒井法子というアイドルという人種なのだ。私たち凡人とは感覚も感じ方も違う。きっと、彼女はあの謝罪会見場で、自分の眼前に溢れかえるマスコミ人を見て、「私もまだいける。よかった」と思い安堵の気持が心に過ったに違いない。だとすると、そのことは彼女を本当の意味で更生させることにならないのではないか、と心配になる。それどころか、映画出演のオファーや本の出版の話まできているという。確かに、同じ出版人として、商売ということだけ考えれば、これ以上の素材はない。出版すれば間違いなく売れる。だが、それで良いのか。大きな疑問を感じる。

 夫の逮捕直後の逃亡からはじまり、今回の保釈ならびに謝罪記者会見、そして都内の病院への入院。全てが作為的であり、まるで酒井法子劇場のようでさえある。そうとわかっていても翻弄されるマスコミも視聴者である私たちも、一体何を今回の事件に見ようとしているのであろうか? 現代日本社会が抱えるメンタルな問題が見え隠れするような気がしてならない。想像以上に、日本の国も国民も病んでいるのではなかろうか。私にはそんな風に思えてならない。

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