政財界倶楽部(恩田将葉見聞録)

若者達がジャパニーズ・ドリームを夢みれる国を願い、「政治をもっと身近に!」というスローガンのもと、日本人に愛国心を喚起する。

社会・文化

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7−11の独禁法違反問題と廃棄処分品問題は30年前から
2009年6月23日

 昨日から今朝にかけて、セブンイレブンの廃棄処分品の見切り販売に関して、公正取引委員会より独禁法違反の裁定が下された問題が、各メディアのトップ記事として扱われた。コンビニエンスストアーのパイオニアであるセブンイレブンで、賞味期限切れ商品の見切り販売に関し、本部側がフランチャイジー側に対し、独禁法に違反するような、価格操作とも思われるような言動を繰り返し強制していたということだ。簡単にいうと、賞味期限切れ直前の商品を、半額セールなどで売り残しなく売り尽くそうとした店舗に対し、本部側がそれを阻止するような強い言動で脅威を与えたというものだ。ご存知のように、コンビニは便利で安全がモットーだ。同業他社より安くということよりも便利さと安全性に重きを置くことで、信用と利便性を広く消費者に根付かせ現在のような広がりをみせた。だが、各店舗のオーナー達とすれば、多額の廃棄処分品がでるということは、その分、大きな処分費用を負担しなければならず重荷となっていた。何故なら、本部側は、処分品になろうが売れようが、一旦本部から納入した商品に関しては、大きなフランチャイズ・マージンを適用しているからだ。売れても売れなくても、本部から商品が各店舗へ動けば、本部の利益は増えるという仕組みなのだ。

 この仕組みは、取次店を通した書籍販売とまったく同じ方式だ。出版業界と新聞業界は、再販制という制度の元、唯一独禁法に抵触しながら、目こぼしされている業界といわれてきた。そして、この再販制という問題に対しては大きな反対運動が常にある。だが、大手新聞社が主導権を取り、過去に何度も再販制撤廃を阻止してきたという経緯がある。その理由として、全国一律の定価で新聞を津々浦々まで販促するためとしている。だが、実際には、インターネットの普及により、必ずしも大都市圏の印刷所で全てを刷らなくとも、各地へデータを送信して、地元の印刷所で印刷すれば、再販制にこだわらなくとも全国津々浦々まで一律の定価で販促することは技術的には可能になっている。それでも、再販制を維持しようするのには理由がある。それこそが、今回のセブンイレブンの問題と同じなのだ。書籍や新聞は、取次制度のもと委託販売が原則となっている。取次は出版社から本を預かり、書店へ対して委託販売する。書店で売れない本は返本される。返本された本は、一定期間を経て出版社へと戻される。この本の流れが、セブンイレブンの商品の流れと酷似している。取次店は絶対に損をしない。何故なら、本が売れようが売れまいが、本が出版社から取次店、そして、書店へ、または、書店から取次店、そして、出版社へと動けば、動く度に定められた比率の手数料を一冊ごとに課しているからだ。取次店は、本が売れようが売れまいが、本が動けば利益が増えるように仕組まれているのだ。セブンイレブンの場合も、このシステムとまったく同じである。何故なら、セブンイレブンをここまで大きく育てた、現代表取締役兼最高経営責任者である鈴木敏文は、イトウヨーカ堂に入社し、セブンイレブン・ジャパンの前身であるヨーク・セブンを設立する前は、日本最大の取次店トーハンに勤めていたからだ。鈴木が、出版業界の取次制度を模してセブンイレブンのビジネス・モデルとして確立してから、セブンイレブンは急激な成長を見せたという経緯がある。そのことを裏付けるような事実がある。当時、1970年代終盤、セブンイレブンが全国に500店舗を展開した頃より、急激に成長し1980年には1000店舗を越えた。この急激な成長期が、今のセブンイレブンの土台を築き上げた時代だ。それまで、7時から11時までの営業だったものを、本部直営店である松戸店同様、全ての店舗で24時間営業を目指し、同時に雑誌や書籍を販売するという画期的な戦略を展開したのだ。これは、書籍取次店トーハン出身の鈴木だからできたことである。当時、何を隠そう、高卒の私は、セブンイレブンに籍をおき、渡米直前まで最年少店長を向島店という店舗で務めていた。若さを買われ、直営松戸店で2週間ほどの研修を受け、その直後、向島店でフランチャイズ店舗としては、最初の24時間営業を経験した。余談だが、7時から11時の時よりも、24時間営業になってからの方が、無駄な時間がなくなり仕事的には楽であった。ただ、また違った問題も発生はしたのだが。その1つに、今回問題になっている廃棄処分品に纏わるものがあった。

 当時より、賞味期限ということに関しては非常に厳格であった。また、賞味期限落ちをした商品へ対しての対応も厳格であった。当時あった問題は二つ。それは、賞味期限落ちした商品を廃棄品として店舗の外に置いておくと、路上生活者がそれらの廃棄品の弁当や惣菜をあさること。これは、当時だと、ごみ処理業者が持って行くまでは、例え店舗外に置いてあっても、店の所有物ということで、窃盗扱いで警察へ通報ということが義務づけられていた。実際、そのような事案に何度も遭遇した。廃棄された弁当などを店の横や前で散らかされるのは、衛生上も、また店の印象としてもよろしくないので頭を悩ませる問題であった。二つ目の問題は、店員による廃棄品の窃盗である。これを窃盗と呼ぶことには、非常に大きな違和感があった。要は、賞味期限切れ直前になると、店員がそれを自分達が食すために確保してしまうということだ。最初は、賞味期限が切れてからの商品を食しているのだが、段々と慣れてくると賞味期限切れ直前に手を付けたり、自分達用に確保してしまうというようなことまで起こってしまう。ということで、勿体ないと思っても、絶対に賞味期限切れの廃棄品には手を出しても出させてもいけない、という半強制的な言動は各店舗を巡回するフィールド・マネージャーを筆頭に、本部から訪れる各種マネージャー達から耳にタコができるほどいわれていた。勿論、全てのマネージャーが、威圧的で上から目線ではない。十人十色、マネージャーにもそれぞれ人柄がある。優しい思いやりのあるマネージャーもいる。だが、敏腕マネージャーといわれる連中は、皆上から目線で威圧的であったことは間違いない。大体、私がセブンイレブンを辞めて渡米を決意した理由の一つが、フィールド・マネージャーとの確執であった。会長の鈴木と縁者かどうかわからないが、同姓の城東地区エリア・マネージャーだった人間が、我が店舗を巡回した際、私と言い争いになり、その直前に私や店員で綺麗に前だしをして揃えた商品を手で崩しながら店舗を一巡したのである。勿論、綺麗に揃えて並べられた商品は崩れたり床に落ちたりした。その理由が、商品陳列や前だしに関して不備があったというのであれば、まだ少しは納得できる。だが、その時の議論は、商品陳列の問題ではなく、廃棄品に関しての対応の問題での議論であった。商品を崩して歩いたのは、嫌がらせであり、非常に陰険な対応であると私は感じた。当時既に武道をやっていた私は、大分年上の彼を怒鳴り付け、店舗の外へと投げ飛ばした。若さもあったが、一生懸命商品を陳列した店員の心を踏みにじられた気がしたので、私に迷いはなかった。

 ただ、合理的にマニュアル化されたシステムを厳格に守ってきたからこそ、今のセブンイレブンがあるとも私は思っている。情に流され商売をしていたら、普通の商店と変わりなくなってしまう。だが、セブンイレブンとは、利便性までをも商品として売る、サービス販売業なのだと理解する。だとすると、マニュアルに忠実にビジネス展開することは、このビジネス・モデルにとっては、非常に大切なことなのかもしれない。

 オーナー研修というものが、当時より松戸の研修センターで行われていた。そこを卒業しないとオーナーにはなれない。卒業と同時に、マニュアルが卒業証書のように渡される。そして、その研修センターで叩き込まれることは、マニュアルを死守することである。それが、このビジネス成功の鍵であるということだ。当時、疑問は生じなかった。納得できた。だが、実際に、日々商売を営みだすと、マニュアルには載っていない色々な問題が生じる。それは、店長の才覚で乗り越えなければならない。何故なら、店舗数は何万軒あっても、一店舗一店舗が立地や条件等で別モノだからだ。それが商売というものだ。臨機応変に対応しなければ、利益は上げられず自分の首を絞めることになる。だが、本部は、マニュアルを死守することで、書籍販売の取次店同様、絶対に赤字にはならない構造なのだ。それが、セブンイレブンというビジネス・モデルなのだ。代理店に商品を押し売りするネットワークビジネスの代理店制度と何ら変わりないシステムである。ただ違いは、厳格にマニュアル化され、合法化されているというだけである。
滋賀県警による銃刀法に関する解釈に大きな疑問
2009年6月2日

 タレントの原田伸郎氏(57)が、びわ湖放送(大津市)のテレビ番組で許可なく猟銃を手に取ったとして、滋賀県警が、同放送本社を銃刀法違反容疑で捜索した。県警は今後、原田氏からも同法違反容疑で事情を聞く方針だという。

 事の次第は、生番組の中で、取材先地元の猟友会のメンバーが猟銃を原田氏に持たせたことが、銃刀法違反だと滋賀県警は主張している。だが、この滋賀県警の解釈には少々無理があるような気がしてならない。まるで、指定暴力団員がテレビに登場し、猟銃を手にしたことが、暴対法に違反するといっているかのように聞こえてしまうのは私だけであろうか。

 そもそも、銃刀法というものは、銃刀の所有に関しての法律であって、この場合は持っただけで、許可なく所有したわけでもなく、発砲したわけでもなく、人に危害を加えたわけでも、加えようとしたわけでもないのだ。なぜ、ここまでされるのか理解に苦しむ。届け出がされていないのに持ったという滋賀県警の主張のようだが、銃刀法の届けとは、特定の銃刀を所有するにあたって、その特定の銃刀を所有する旨を届け出し、許可をもらうというのがシステムと理解している。

 今回の滋賀県警の解釈によると、例えば、博物館で研究員が保存のために歴史的刀剣を手にすることも銃刀法に違反するということになってしまう。また、購入する前に、銃刀剣店で商品を選択する際に手にすることさえも否定することになってしまう。果たして何故、ここまで滋賀県警がセンシティブに反応したのか、そこのところに大きな疑問が残る。原田氏もしくは琵琶湖放送に、滋賀県警が敏感に反応するような何か疑惑があったのか、あるいは単純に、公共電波で流れる生番組だからということなのか。

 もし罰せられるのであれば、銃刀に関して素人で所持もしていない原田氏の方ではなく、原田氏に猟銃を渡した、銃刀法上の届け出をしているその猟銃の所有者の方ではないかと思うのは私だけであろうか。不可解極まりない事件だ。滋賀県警のつまらない嫌がらせでなければいいのだが。

絶賛に値するブログ炎上問題への警察介入
2009年2月5日

 太田プロの芸人のブログに繰り返されていた、事実無根の誹謗中傷に対する捜査が所轄の警察によって行われ、19人の容疑者が逮捕されたというニュースが今日の朝刊を皮切りにテレビのニュースなどでも報道された。これは、ネット上に書き込まれた、言われなき誹謗中傷に悩まされていた被害者達にとっては、待ち焦がれていたニュースだ。私も含め、どれだけの多くの人々が、事実無根の誹謗中傷をネット上に書き込まれ、本人だけではなく家族まで精神的、肉体的に被害を受けていたかを思うと、やっと日本でも警察が動いてくれたかと万感の思いが込み上げてくる。

 そもそも、匿名でネット上に書き込まれた情報がどれだけの信憑性をもっているのかということには大きな疑問がある。真実を語っているのであるならば、臆することなく本名で書き込めばよいのだ。それでも、読み手は、興味本位でそのような記事を読み、さほどの罪悪感も持たずに噂話として広げてしまう。だが、事実無根の誹謗中傷を噂話としてネット上に広げられた被害者は、家族も含め多大なる精神的、経済的、肉体的な影響を被ることになる。それでも、今までは検察も警察も、動いてはくれなかった。民事不介入ということを盾に、余程の証拠を揃えなければ被害者だけが大きな傷を負い、泣き寝入りしなければならないというのが現状であった。

 私の場合は、裁判を起こし、最終的にはネット上に書き込まれた記事を削除してくれることを条件に和解をした。だが、それでも加害者は、厳密にそのような和解条件を必ずしも実行するとは限らない。「もう自分の手から離れてしまっていて如何ともし難い」等の言い訳をして、結局は被害者が半永久的に被害を受け続けなければならないというのが実情であった。なぜなら、今までは、加害者を警察など関係当局が取り締まろうとはしてくれなかったからだ。逮捕されることもないので、加害者達は匿名で、書きたい放題であった。中には、追い詰められ将来のある若い命を絶った子供たちもいる。それでも、今までは何も対処されずにここまできた。例えば、裁判所の命令通り、加害者達は新たに書き込むことはしない。だが、今まで書き込んだものを検索エンジンで繰り返し表示されるよう仕組んだりして、加害者達は執拗に被害者を追い詰めてくることが多い。追い詰められた被害者は、逃げ道を失い結局精神的なダメージを受けたり、命を絶ったりということになってしまう。悲惨な結末だ。

 だが、今日初めて警察が、ネット上に被害者に関しての事実無根の誹謗中傷コメントを書き込み続けていた複数の加害者達を逮捕した。この逮捕劇が、今後このような卑劣な犯罪を多少なりとも抑止することになることは間違いない。匿名で書き込んでいても、逆探知され逮捕されるとわかれば、多くの加害者は、二の足を踏むはずだ。そういう意味では、今日のブログ炎上事件で加害者達が逮捕されたということは、非常に大きな一歩であったように思う。称賛に値する出来事であったと評価したい。今後、このような卑劣な事件が減り、ネットがもっともっと建設的に有効利用されることを切に願う。

お粗末この上ない日本相撲協会
2009年2月5日

 日本相撲協会は、いつまでたってもお粗末極まりない。力士による大麻使用問題も等閑にはできない。暴行事件も普通じゃない。だが、一番改革しなければならないのは、相撲協会自体の体質だ。誰から見てもそのことは明らか。相撲ファンの国民がしらけてしまうということを親方衆はわからないのであろうか? 不思議でならない。

 大体、昔から非常に排他的で、「国技」という印籠を片手に、独自の世界で自己満足しているのが日本相撲協会。マスコミへ対しての対応も、非民主的な方法を強いてきた団体だ。そのような団体で、公平なる采配が振るわれることは到底期待できない。

 根本的に、相撲協会の中にはイジメ体質が昔から根付いている。そのことは、朝青龍へ対しての対応を見ていれば一目瞭然である。確かに、誇り高き「国技」なのかもしれない。だが、「国技」を御旗として振り回すのなら、相撲文化と歴史を守るため、相撲を生活の糧すなわち商売にはせず、自ら生業を持ち、相撲の発展に寄与すればよいのである。それならば、どんなに偉そうなことを相撲協会の偉い親方衆が言われても我々国民も聞く耳を持つ。だが、相撲を生業にし、商売にしているくせに、やれ「朝青龍のガッツポーズがよくない」、「モンゴルへ里帰りするのがよろしくない」、というのは筋が通らない。故意にわざと朝青龍があのようなガッツポーズをしたのならば、それは問題だ。だが、あの場面、誰から見ても、引退という二文字を背負いながら優勝までこぎ着けた嬉しさから自然に出たガッツポーズということは、誰のも目にも明らかだ。それを、トヤカク文句をつける相撲協会の親方衆や横綱審議委員会の面々の方がずっと非常識でおかしい。実際、朝青龍の相撲協会へ対しての経済効果は絶大であることは、周知の事実だ。逆に、あのガッツポーズと朝青龍の涙に、観衆は涙し、彼がどれだけ先場所歯を食いしばり頑張ったかというドラマを感じたのだ。あの一瞬に感じたのだ。それを、まるで女々しく嫉妬心を丸出しにして、「ガッツポーズは相撲文化を汚す」とはよくいう。そういう親方衆の方が、金に目が眩み日本の相撲という文化を汚しているとは気付かぬのであろうか。飽いた口が塞がらない。確かに、武道の中にはガッツポーズをルールとして禁止する団体も多い。だが、それらの武道団体は営利目的で運営されているのではなく、武道を振興している団体だ。観衆が金を払って観戦している相撲とは根本的な意味が違う。

 横綱審議委員会にしても同じだ。わけのわからぬ連中が面を並べ、自分達は何もせずただ頑張る力士の上げ足をとり、ことを荒げる。意味不明極まりない。まるで、教育界における教育委員会のような存在だ。横綱審議委員会だなどとひな壇にあげられ、結局は相撲協会の茶坊主ではないか。大体、偉そうに横綱審議委員会のメンバーだなどといって、テレビのワイドショーで、文化人よろしくわけのわからぬコメントを偉そうにし、出演番組を増やしていること自体、個人の経済目的ではないか。そんな連中に何を審議できるというのだ。人を審議する人間が、身なりから後ろ指を指されるようなことでは、横綱審議委員会の全てが推して知るべしということだ。片や朝青龍を目の敵にして、色々なゴタクを並べたて、テレビの力を利用して自分の意見を錦の御旗よろしく打ち立てておきながら、どこかのわけのわからぬトークライブで、裸の女の股に顔をつっこむ輩と一緒の舞台に立ち、遠慮がちに助平な眼差しで女性の裸体に視線を配りながら鼻の下をのばしている。そんな人たちが、横綱を審議しているというのだから嘆かわしいことこの上ない。一生懸命頑張っている朝青龍がかわいそうだ。ガッツポーズをしただけで、里帰りしただけで、袋叩きにあってしまうのだから。
 もしかすると、そのような横綱審議委員会のメンバー諸氏も、自分の言動について反省しているのかもしれない。一人のメンバーは、金髪を黒髪に染め直した。もしかすると、肩書や立場を利用され、審議委員としてふさわしくない舞台で裸体の女に囲まれたのかもしれない。だが、「普段からの立ち居振る舞いに立場上気を付けろ」、ということを朝青龍はじめ横綱の面々に口うるさく小姑のように進言しているのが横綱審議委員会ではないか。だとすれば、彼らにも言い訳はとおらない。自分は、自由奔放に勝手な立ち居振る舞いをしておきながら、横綱には文句をつける。これほど矛盾したことはない。まず、横綱審議員の立ち居振る舞いを審議することが先決ではないか。そう思っている国民は多いはずだ。

 兎に角、まったく筋が通っていない。日本の文化、国技というのなら、日本人としての和の心意気をもって、まずは筋を通すことが第一ではないか。多分、スポーツと武道というジレンマに、親方衆は頭を悩ませているのであろう。柔道の二の舞にならぬようにと。そのことはよく理解できる。だが、相撲は、武道である柔道とは違い大衆文化なのだ。お金を払って相撲を観戦しにいくのだ。そのことを忘れてはならない。

 確かに、日本の文化としての相撲を守ることも大切なことである。だがそれは、別の場でするべきではないか。例えば、奉納相撲のような形で文化財として、これはお金をとるのではなく相撲協会がお金をだして守っていく。そこには、外国人力士などもいれず、純粋に日本人力士だけが伝統を守っていく。しかし、大相撲は、外国人を招き入れた段階で、完全なる興業になったのだ。金儲けのために外国人力士を受け入れておきながら、外国人力士が強く横綱を総なめにしたからといって、嫉妬心剥き出しでイジメ回すのは、それこそ日本の文化ではない。日本人の美徳にも反する行為だ。生まれ育ちが違えば、十人十色考え方も感覚も違うのだ。それが国際感覚というものだ。確かに、「郷に入っては郷に従い」という諺もある。だからといって、頑張っている人間の足を引っ張るために、文化を旗印にすることは卑怯極まりない行為といっても過言ではない。外国人力士を招き入れた段階で、「大相撲は興業である」と割り切らない限り、そして、相撲協会自体を再編して改革しない限り、今相撲の世界で起こっている問題はいつまでたっても解決されない。

 観衆は面白い立ち会いを望んでいるのだ。汚れた相撲協会の有様など無駄な金を払ってみたいとは思っていない。朝青龍だろうが、白鵬だろうが、モンゴル出身の力士達であろうが、日本人力士であろうが構わないのだ。面白い相撲を見せてくれる力士が、良い力士なのだ。行儀よくしていても、弱ければ意味がない。何故なら、いくら綺麗事をいっても格闘技なのだから。知っていますか、任侠界の「若頭」などの呼称やシステムは、全て相撲界からきているのですよ。歴史を振り返ってみてください。全ては推して知るべし、何を格好つけて幼稚なイジメをやっているのですか。見苦しいことこの上なしということに早く気付いてください。さもなければ、相撲の未来は真っ暗ではないですか。そんな世界だから、詰まらない思いを募らせて、暴行したり、大麻をやったりということになるのではないですか。見てごらんなさい、そういう不届きなことをしているのは、皆日本人力士ばかりではないですか。(一人ロシア人力士がいましたが)法に抵触することをしていないのに朝青龍は責め立てられ、大麻を吸った日本人力士は退職金をもらって除名とは、何だか最低のバランス感覚だとは思いませんか? どんな組織も、守りに入ったら終わりだ。初心忘れず、改革の精神を継承していかなければ組織は腐るだけ。勝てば官軍が通らぬ今の日本相撲協会は、正に腐りきって今にも実は木から奈落の底に落ちそうな有り体。腐っているだけでなく、非常に排他的で差別的な日本相撲協会の対応には大きな憤りさえ覚える。そんな相撲界の未来を憂いているのは、きっと私だけではないはずだ。

中央官庁官僚によるタクシー・チケット問題
2008年7月4日

 霞が関の中央官庁周辺に、以前から個人タクシーが行列をなしている光景は知っていた。個人タクシーばかりであるので、何かあるのであろうと思っていた。官庁だけでなく、タクシー・チケットを使う上場企業の接待でも、帰りにタクシーを拾う際、必ず企業の担当者は、「提灯、提灯」といって個人タクシーのみを選んで接待相手を送りだす。そして、接待した相手をタクシーに乗せながら、タクシー・チケットを渡す。これは、非常によく見掛ける光景だ。

 何故個人タクシーなのか、と不思議に思ったことがあり総務担当者に訊いてみた。すると、経理処理上の問題であるようなことをいっていた。タクシー会社に帰属するタクシーだと、法人なので、経理的に領収書やチケットでごまかしをすることが難しいからという理由であるらしい。確かに、個人タクシーなら個人経営であるから手書きだろうがなんだろうが申告の際に認められるのであろう。

 お陰で、個人タクシーは高飛車になり、サービスの質が昔に比較すると落ちた。嘗ては、個人タクシーの方が親切丁寧だといって、選んで個人タクシーに乗ったものだ。ところが、今では個人タクシーを避けてタクシーを拾う客も多い。

 そもそも、このタクシー問題へのマスコミの切り込み方が弱い。何故なら、大手マスコミ関係でも、タクシー・チケットを同じ要領で使っているからだ。マスコミにしても、官庁にしても、上場企業にしても、嘗ては皆黒塗りのハイヤーを使っていた。しかし、数十年前に、ハイヤーのことも今回のように問題になり、官庁も企業も皆ハイヤーからタクシー・チケットへとシフトした。だが、結局同じようなことが起こった。同じ人間がやっているのだから、当たり前といえば当たり前だ。

 そもそも、対応自体が間違っている。対応を間違えば、真面目に一生懸命やっている人間まで十把一絡げにされてしまう。そうなれば、不良官僚ばかりでなく国のために頑張っている優等生官僚までも腐らせてしまうことになりかねない。そうならぬようにしなければ、不公平感が広がることになる。それではどのように解決したらよいのか? 答えは、そんなに難しいことではない。

 そもそも、不正が容易にできるタクシー・チケットを税金でというところに、問題が大ありなのだ。だが、だからといって、残業をした官僚は歩いて帰れ、というわけにもいかない。何とかしなければならない。要は、宿泊施設を確保すればよいだけのことである。だからといって、ホテルでは駄目だ。また、同じことが繰り返される。そんなに大規模でなくともよいから、中央官庁の残業官僚達が宿泊できる施設を設置すればよいのだ。立派なものである必要はない。狭くとも、プライバシーと休息がとれる施設を作ればよいのだ。どの程度の比率で、残業組が出るのかがわからないので、その規模を明確にここで述べることはできない。だが、別に新しいものを建築する必要はない。余裕のある省庁であれば、ビル内のワン・フロアーを宿泊施設にするとか。あるいは、霞が関周辺に、全ての省庁に帰属する残業官僚が、身分証明書を提示するだけで使えるような施設を、既存のビルを利用して設置するとか、方法はいくらでもあるはずだ。確かに、先行投資はかかりそうだが、長い目で見たら、絶対この方が無駄を削減できるはずだ。

 大体が、ハイヤーからタクシー・チケットに移行した際も、如何に節約するかではなく、如何に新しい方法でお金を抜くかという逆算方式で対処されたのだから、今回のような問題が浮上して当たり前だ。関係者のそのような甘えの構造を改善しないかぎり、この問題は、形を変え必ずまた浮上するはずだ。

 結局、政治家も、官僚も、皆、公僕である。我々国民の税金で、生かされているのだ。にもかかわらず、企業でいえば株主である我々国民を蔑にしてばかりしていることにそもそも問題がある。これほど、この国が腐っていたことが、歴史上あるだろうか? 戦後のアメリカによる占領政策の結果が、60年経た今「腑抜け日本人」という形になって表れたとはいうが、政治家、官僚にとどまらず、兎に角、今の日本人はあまりにも物質文明に翻弄されすぎ、平和ボケになり、自己中心的でありすぎる。何とかしなければ、本当にこの国は滅びてしまうのではないか、と憂いているのは私だけではないはずだ。モラルは、健全な教育から生まれるといっても過言ではない。やはり、「教育」を立て直すことが、全ての問題を解決する唯一の術なのかもしれない。

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