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年賀状での苦言三つの内二つは対応策が・・・ 2008年1月29日 今年の年賀状で、私は三つの苦言を呈した。親しい政治家諸氏も含めた知人、関係者には、年賀状として送らせて頂いた。それ以外の方々には、あちらこちらで開設している私のブログで、年賀状の本文を公開させて頂いた。 新年が始まって、丁度一ヶ月。その内の二つの問題に関し、対応策が実施されだした。昔に比べると、お役所の対応も早くなったのかもしれない。良いことだ。何だか、こんな言い方をすると、如何にも私が苦言を呈したので改善された、と自我自賛しているようだが、そういうつもりではない。多分、私と同じように感じている人々が市井にも多く、そんな人々よりの声があったからであろう。 まず、第一番目に挙げていた、羽田空港国際線ターミナルでの理不尽が、解消されていた。先週、韓国からのお客様を迎えに、いつものように羽田空港国際線ターミナルへ赴いた。すると、いつも駐車できない駐車場に、難なく駐車することができた。以前にも、都庁にクレームを入れた直後、都知事にクレームを入れた直後は一時的に解消された。だが、暫くすると、また元の木阿弥と化していた。 石原都知事と次期韓国大統領がソウル市長時代に、韓国のソウル特別市と東京都との友好事業として、ソウルの金浦空港と羽田空港間で、数年前よりビジネス・チャーター便を運行しだした。それに伴い、国際線ターミナルが整備された。しかし、第二ターミナル開設の波に押され、国際線ターミナルの駐車場は、非常に狭いものとなった。だが、その狭い駐車場を空港関係者が四六時中駐車しているため、国際線ターミナルの利用客がまったく駐車できないという事態が起こっていた。駐車場の職員も、仲間へ融通を利かせ、満車になっていなくとも、満車という立て看板を入口にたて、職員のための駐車スペースを確保するため、利用客を遠い第一ターミナルや第二ターミナルの駐車場へと誘導していた。入場券と連動している満車・空車の電光サインは空車となっていても、いつも満車の立て看板がたてられ、入口に並んで待っていると「絶対に空かないから・・・」と係員に言われ、他のターミナルの駐車場へ行けと追い出される始末であった。第一や第二ターミナルからでは、空港内循環バスを利用して長い道のりを、長い時間を費やして、国際線ターミナルへ戻らなければならない。本来、常識的に言って、国際線ターミナルの利用客の方が、国内線利用客より荷物が多く、出発時間に関してもシビアであり、見送り客も多いのは当然である。にもかかわらず、国際線ターミナルの利用客は、大変な思いをして遠くの駐車場からバスで荷物を運んでやってくるのだ。 それならば、荷物をターミナルで降ろしてから、遠くの駐車場へ駐車すればいいではないか、と思われる方々もいらっしゃるかもしれない。しかし、国際線ターミナル自体が非常に狭く、荷物の載せ降ろしさえ許されず、直ぐに係員に注意されてしまう有様であった。酷い時など、海外からの体の不自由な年配者のお客様の迎えでさえも、日本で身障者の許可証をとっていなければダメだと言われ、身障者スペースに駐車さえさせてもらえず追い出されてしまった。それでは、「誰が身障者スペースを使うのだ」と食って掛かった。すると、「指定地方自治体から発行されている身障者登録証がなければダメだ」とその係員は言った。それでは、身障者は、それぞれの地方自治体に一々登録して動かなければならないというのか? 海外からの身障者のお客様には身障者スペースを利用する権利もないというのか? 非常に大きな憤りを覚えた。 調べてみると、実際にはそんなことはない。その人が住んでいる地方自治体から発行された証明書があれば、何処でも問題なく身障者スペースは使える。海外からの人でも、同じことだそうだ。身障者登録証は万国共通だそうだ。大体、見ればわかること。何とも、酷い仕打ちであった。係員が、何か特権でも得ているかのように勘違いをしてしまっているという印象であった。まるで、羽田国際線ターミナル全体が、一部職員達の聖域になってしまい、利用客のためではない場所のようになっていた。 他にも問題点はある。問題は、オーバーナイト駐車割引制度である。海外へ渡航している間、自家用車を駐車しておいても、搭乗券があれば大幅な割引になる制度である。この制度自体は、別に悪いことではない。ただ、あの狭い国際線の駐車場での割引ではなく、オーバーナイト割引が効く駐車場は、広い第一ターミナルや第二ターミナルの駐車場のみにするべきである。狭い国際線ターミナル駐車場にオーバーナイト駐車をさせてしまえば、一般利用客が駐車できなくなってしまうのは当たり前のことである。このことを改善しなければ、本当の意味での改善にはならないであろう。 取り敢えず、現状、改善されている。ただ、いつまで続くのか。少々不安も残る。短期間で元に戻ってしまった前例が2回ある。今回も、そんな風にならないことを祈る。どちらにしても、国際線ターミナル駐車場は狭すぎる。何もビルを建てる必要はないが、立体駐車場にするべきである。そうすれば、先を競ったり、利用客を蔑ろにしたりして職員が我先にと駐車することもなく、利用客も職員も皆が問題なく駐車できるようになるはずである。 もう一つ付け加えさせて頂く。多分、こういう細かいところに、国際線ターミナル職員の体質が露呈しているのだと思う。迎えた客の搭乗券があれば、駐車場の割引券が到着口近くのカウンターで発行される。ところが、駐車する時は追い出そうと躍起になる駐車場職員が、出庫する時は、こちらが頼みもしないのに駐車券を横取りし勝手に駐車料金の精算をしてしまう。そこには秘密がある。駐車券と割引券の入れる順番を逆にすると、割引が無効になってしまう。何故、利用客が車から降りずに窓越しに支払いができるにもかからず、駐車場職員が親切を装い、わざわざ出て来て駐車券と割引券を横取りし清算するのか? 故意に入れる順番を間違え、割引が効かないようにしてしまうのだ。私が、文句を言うと、「間違えました。すいません。一度入れちゃうと、やり直しきかないんですよ」と逃げ口上を並べ立て、そそくさと姿を消す。人間誰しも間違いはある。最初は、間違えたのだな、と思っていた。ところが、毎度同じことが繰り返される。さすがに、「この前も間違えたじゃないか」と文句を言うと、黙って逃げてしまう。それが、一人二人が為すのではなく、どの職員も同じことをする。多分、何かそういう申し合わせがあるのであろう。それならば、利用客に気を持たせるような、割引制度など廃止してしまえばいいのだ。割引券をわざわざ貰いにカウンターで並び時間を費やしたにもかかわらず、このようなことを為されるから頭に血も昇るのだ。 どちらにしても、どうも羽田国際線ターミナルでは、理不尽なことが次から次へと行われる。これは、もうそこに巣食う職員達の性質としか言い様がない。本来、もっと、韓国と日本のビジネス交流を深め、両国間のビジネス・マンが、スムーズに行き来ができるようにと、ソウル市長と東京都知事の善意で為されたことであるはず。にもかかわらず、その思いを踏みにじるような、さもしい行為である。何とも寂しい限りである。国際化が進むにもかかわらず、空の玄関口である空港職員としては、あまりにも意識が低すぎる。 二つ目は、自転車に関しての苦言に対しての対応策である。年賀状の中で、私の目の前で起こった事故に関して苦言を呈した。何も私の苦言に直ぐ、杉並区が対応策を実施したのではないと思う。だが、「昨日よりJR中央線の阿佐ヶ谷駅を通り抜ける中杉通りにて、自転車専用道を試験的に設置した」というニュースが報道されている。正直に言えば、中央線沿線、西武線沿線は、自転車天国だ。歩行者よりも、車よりも、何よりも自転車が偉いかのように、縦横無尽に自転車が往来している。例えば、こちらが青信号で、何の法律違反も無謀運転もせず進行していても、理不尽に前方や横から自転車が向かってくることがよくある。大抵の場合、自転車側が、滅茶苦茶な運転をしていても、まるで自分達が正しいと言わんばかりに睨み付けてくる。 一度など、多分団塊の世代であろう洒落た出で立ちの男性が自転車で、井の頭通りを進行方向の真正面からこちらへ向かって走ってきた。勿論、こちらは青信号で進行している。先方が信号無視できているにもかかわらず、その男性はこちらが止まらないことに立腹したらしい。「どんな時も車より歩行者優先だ」と怒鳴り散らしながら、私の車を蹴飛ばしって走り去った。「自転車は歩行者じゃないだろうが。ましてや信号無視ではないか」と思いつつ、非常に大きな憤りを覚えた。だが、自転車は逃げ足が速い。ましてや、進行方向と逆に向かっていく自転車を車が方向転換して追いかけられるはずもない。 杉並、中野、練馬、武蔵野では、自転車は完全に野放し状態である。例えば、自転車側が悪くとも、事故になれば車に非があることに現行の道交法ではなってしまう。まだ、車は頑丈だからよい。問題は、対歩行者である。車と違い、自転車は容赦がない。子供や老人の間を、自転車は無謀な運転で擦り抜けていく。自転車専用道を設置し、歩道から締め出すことは、歩行者を守ることであり、自動車との事故も減らすことができるはずである。 テレビの報道では、世田谷区は国と組んでの自転車専用道対策で、杉並区は東京都と組んでの自転車専用道対策だ、と問題視していた。だが、そんなことは国民には関係ないことだ。東京都と組もうが、国と組もうが、要は国民の安全を守れるか否かという問題である。マスコミの視点も、ピントはずれも甚だしい。国と組んだの、都と組んだのということは、後で政治でどうにでも修正できること。それよりも、国民に迫る危険をどう対処するかが、問題ではないのか? そして、そういう視点で報道することが、国民のためでありマスメディアとしての本来の職務ではないか。どうも、全てが自己中心的な発想であり、狂っているようにしか思えない。何とも嘆かわしいことである。
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社会・文化
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セレベス 2007年1月10日 昨年末、突然母が倒れた。年末ということもあり、完璧な検査ができなかった。正月の間入院しても、病院では何もできないということで、命に別状がないことを確認するまでの検査をし、自宅で安静にしていることになった。正月明け早々、細かく検査をして頂いたところ、心配はないということで胸を撫で下ろした。そんなこともあり、この正月は、初めて私が雑煮を作ることになった。 我が家は、父子家庭ということもあり、普段から私が家事全般をこなしている。だが、正月は親兄弟が集まり過ごすことが、生まれた時からずっと続いてきた我が家の習慣であった。いつも母が我が家に伝承される雑煮を作ってくれ、それを皆で食し正月を過ごしてきた。ということで、我が家の雑煮を作るのは、私にとって初めての経験であった。何故か、他所の家に伝わる雑煮は、何度か作ったことがあったのだが。その理由は、読者の皆様のご想像に任せることとする。 我が家の雑煮は、読んで字のごとく、雑多な具材をトロケルまで煮込んだ正に雑煮である。小松菜、ニンジン、大根、椎茸、セレベス、鶏肉、そして、餅が、お互いを取り込もうと躍起になって混ざり合い、トロトロに煮込まれている。当然のことながら、汁も、上品に透き通っているようなものではなく、白濁色をしている。幼い頃、病気になると母はよくこの雑煮を作ってくれた。食べられなくとも、汁に全ての具材のエキスが抽出されているから、と言っていた。 私は、母の容態が良い時を見計らって、具材を買いに出掛けた。小松菜、ニンジン、大根、椎茸、鶏肉は、難なく入手できた。問題は、セレベスであった。私自身、あまり馴染みがなかったため、どうも見つけ出すのに時間が掛かった。結局、店員に教えてもらった。里芋などと、一緒に売られていたが、他のイモ類に比べると、売られている量は圧倒的に少なかった。それだけ、セレベスを雑煮に入れる家庭が、少なくなっているということであろう。 どういう訳か、今年は私が雑煮を作ると決まってから、このセレベスという芋が、私の頭から離れなくなっていた。セレベス、セレベス、何故、この芋はセレベスと呼ばれているのだろうか? セレベスとは、何か聞いたことのある名前ではないか? 一体、何であっただろう? 病床の母に訊いてみたが、「わからない。だけど、兎に角、昔から雑煮に入れる芋で、赤芽芋ともいうのだ」という答えしか返ってこなかった。結局、何だか不完全燃焼な気持ちのまま、セレベスを探してあちらこちらを徘徊した。そんな経緯を経て、スーパーの野菜売り場で、泥だらけで不細工なセレベスという芋を目の当たりにし、手にして初めて、私の中でセレベスという芋の名前と、セレベス島という島の名前が巡り会うことができた。何故か、セレベス芋を見た途端に、セレベス島のことが私の頭の中に浮かんだ。今から考えると、少々不思議な気もする。まるで、何かに呼ばれ、引き寄せられたような気もしないでもない。そうやって考えると、母が倒れ、私が雑煮を作るようになったことも、その何かによって仕組まれた因縁のような気さえしてきた。 セレベス島とは、インドネシアの島の一つである。アルファベットの「K」の字型をした、案外大きく面積の広い島だ。ジャングルが広がり、毒蛇のコブラが多く生息することでも知られているような島でもあるらしい。余談だが、スリランカでコブラと遭遇した時のことを思い出し、私は何だか少々二の足を踏むような気分になった。脱線すると長くなるので、話を戻すことにする。オランダの植民地時代はセレベス(英語:Celebes)島と呼ばれていたが、インドネシアがオランダから独立した後は、スラウェシ島(インドネシア語:Sulawesi)と呼ばれているということだ。セレベス芋は、私が閃いた通り、このセレベス島原産の里芋の一種であった。 何だか、私は、非常に不思議な気持であった。たかが里芋である。されど、何故かこのセレベスという里芋は、私の心を鷲掴みにした。「三が日」が過ぎ、最後のセレベスを雑煮にして食べ尽すまで、セレベスのことが私の頭から離れなかった。一体、何故セレベスという外来の里芋が、日本の伝統文化である正月の雑煮に入ることになったのであろうか? 戦地セレベス島で食した芋の味を忘れられない人が、日本に持ち帰ったのであろうか? それとも、戦後モノが不足している時代、このセレベス芋は栽培し易く、安く手に入れることができたので日本中に広まったのであろうか? それとも、戦争よりもっと昔から雑煮に入っていたのであろうか? それとももっと他に、理由があるのであろうか? そんなことばかりを考えながら、雑煮を作っていた。 セレベス島といえば、第二次世界大戦中、激戦地であったと聞き及ぶ。多くの日本人が尊い命を落とし、未だに英霊達の御霊が多く眠っているとも聞いたことがある。セレベスという里芋を料理していると、セレベス島で命を落とした先人達が、セレベス芋にその思いを託し、私の魂を呼び覚まそうとしているのでは、とセンチメンタルな思いにさえなってしまった。何だか、不思議な思いに苛まれながらの雑煮作りとなった。 調べてみると、セレベスと日本の所縁は、戦争だけではなく案外古く深いらしい。セレベスの人々の多くが、自分達には日本人の血が流れている、と信じているそうだ。そのことは、戦後のことではなく、戦前、セレベスに進駐したり移住した日本人達もよく現地の人々から聞かされたという。ただ、当時は、オランダを追い出し、オランダから開放してくれた日本人へ対しての媚で、そんなことをセレベスの人々が言っているのだ、と思っていたらしい。だが、調べてみれば、満更作り話でもないらしいことがわかってきた。 大体が、セレベスの人々の容姿は、日本人に非常によく似ているという。それだけではなく、日本の文化様式に似た部分も非常に多く持っているという。何故か、と不思議になり調べてみると、そこにはこんな伝説があることがわかった。それは、山田長政にまつわるものであった。 山田長政は、駿河国沼津の出身で、1612年に朱印船でシャム(現在のタイ)に渡った。天正18年(1590年)頃 〜寛永7年(1630年)、江戸時代前期に、山田長政は、シャムの日本人町を中心に東南アジアで活躍した。後に、津田又左右衛門筆頭の日本人傭兵隊に加わり、頭角を著しアユタヤー郊外の日本人町の頭領となった。アユタヤー王朝の国王・ソンタムの信任を得て、第三位であるオークヤー(あるいはプラヤー)・セーナーピムックという官位・欽賜名を授けられ、チャオプラヤー川に入る船から税を取る権利をも、山田長政は与えられていたという。だが、ソンタム国王の死後、後任の国王と肌が合わず、山田長政は苦難の日々を送ることになった。そんな状況下、1630年バタニ軍との戦闘で負傷した長政は、その傷口に毒を塗られ暗殺された。その後、アラビア人、タイ族、華僑の組織する兵によって、「日本人は反乱の恐れがある」との名目で、アユタヤー日本人町は焼き討ちされた。その時生き残った日本人達は、散り散りに、アジア各地へと逃げ延びた。彼らの一部が、セレベス島のメナドに辿り着き、ネイティブ・セレベス人であるミナハサ族の女性と結婚し、セレベス島に住みついたという伝説が残っているらしい。そんな理由で、彼らセレベスの人々は、自分達にも日本人の血が流れていると信じているため、日本人に対し強い親近感を持ち、非常に友好的であるそうだ。 泥だらけで、不細工なセレベス芋を料理していると、何だか色々なことが私の頭の中で目眩めくほど渦巻いた。セレベス島で、過酷な状況下、セレベス芋を食しながらジャングルの中で戦う日本人兵士達の姿や、遠い昔に、タイから追われセレベス島に渡ってきた日本人達の姿が、セレベス芋を通じタイム・スリップした私の脳裏を走馬灯のごとく駆け抜けていった。私が雑煮の食材として使ったセレベス芋は、千葉産のものであった。だが、そのセレベス芋には、遠い昔の歴史を目撃した記憶が、DNAの中に刻み込まれていたのかもしれない。本当に、不思議なお正月になった。長きに渡る日本の歴史を支えてくれた英霊達のご冥福を、あらためて祈ることにした。合掌
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サンタクロースのクリスマス・プレゼント:心の中の「信じる」という小部屋 2006年12月23日 クリスマスのサンタクロースには、子供達の心の中に「信じる」という小部屋を作る大切な役割がある。昔、子供達が通っていた教会幼稚園の牧師先生が、そう言っていた。何故か、その言葉は、私の心の中に張り付いて離れない。以来、毎年クリスマスは、我が家於いて、一年で一番大切な行事になっている。 その教会幼稚園では、クリスマス前日になると、牧師先生が近隣のホテルへ出掛けて行くのが、恒例行事になっていた。牧師がホテルで何をするのか、と疑問に思う方も多いと思う。私も、最初に聞いた時は驚いた。ロビーで見ず知らずの外国人にサンタクロースになってくれないか、と牧師先生が頼み込むのだ。その教会では、一般礼拝の他に、子供達のために特別礼拝も行っている。その礼拝で、ホテルのロビーで見つけ出した外国人がサンタクロースに扮装し登場するのだ。礼拝前に、「これからサンタクロースが来るから、写真もビデオもダメですよ」という念押しがまずある。写真やビデオに撮り、万が一、偶然にもサンタの衣装を纏っていないサンタクロースと遭遇してしまうことを回避するための策である。兎に角、細部にまで気配りをして、毎年クリスマスの日に備えるのだ。 突然、一気に礼拝堂の灯が消える。そして、合唱隊のコーラスが静かに始まる。同時に、ハンド・ベルの音が聞こえ出す。段々とそのベルの音は大きくなる。そして、礼拝堂の中で音がしだすと、礼拝堂の後方から徐にサンタクロースが登場するのだ。子供達の表情は、無垢な天使のようになる。瞬きもせず、サンタクロースを見つめ、目で追いかける。そのサンタクロースが壇上に上がると、牧師先生がサンタクロースと英語で話し、通訳までやってのける。子供達は、本当に驚いた顔で牧師先生とサンタクロースを見つめている。そのことだけでも、子供達は牧師先生を見直し一目おく。礼拝終了後、附属幼稚園の園庭で子供達は、サンタクロースが背負ってきた大きな白い袋の中には、前以て親から預かっていた子供達へのプレゼントが入れられている。その袋から、子供達は自分への贈り物を貰う。子供達は、目を丸くして驚く。これが、クリスマスの恒例行事だ。この時ばかりは、無垢な子供達の純粋さに心を打たれる。 その牧師先生は、15歳になるまで子供達がサンタクロースを信じられるように努力をし続けるように、と私達親へ言われた。そんな訳で、我が家にとって、クリスマスは一大行事となった。この時期になると、兎に角必死である。プレゼントもそうであるが、子供達がサンタの存在を疑心暗鬼ながらも、信じられるように演出するために必死なのだ。多分、親の私がいくら頑張っても、子供達は、友達との会話の中で、「サンタなんかいないよ。親がやっているんだよ」という話をしているのだと思う。だが、それでも、親が一生懸命にサンタの存在を演出し続けることによって、子供達は何かを学び取るのだと信じ、私は今年も奔走する。 下の子が6年生の時、「お友達の○○ちゃんが、サンタなんかいないって。パパがサンタしているんだよって言っていたけど・・・」と言い出した。正直、私は、余計なことを言うお友達がいるものだ、と内心大きな憤りを覚えた。しかし、そんなことを下の子が言い出すと、上の子がすかさず私を援護してくれた。上の子は、「サンタは、いるよ。毎年きているじゃないか」と言って、私の方を見てニタリと微笑んだ。そして、私へ向かってウィンクをした。嬉しかった。兎に角、嬉しかった。何か、親子関係以上の、男同士の新たなる関係を築けたのかな、という気がした。そんな息子も、やはり一生懸命サンタクロースへの手紙を書き、クリスマス・ツリーに飾り付けていた。まだまだ、純粋な一面を見て、私の心も温かくなった。 クリスマス・イブには、サンタクロースのために、ロイヤル・ミルクティーとクッキーを用意し、クリスマス・ツリーの前におき眠りにつく。小さい頃は、サンタを見るといって起きていようとしたが、睡魔に勝てず眠っていた子供達も、今では夜更かしもできるようになった。しかし、それが悩みの種である。プレゼントをクリスマス・ツリーの周りに置く暇を見つけるのが一苦労。結局、徹夜になったりもする。幸い子供達が通う学校は、寮生活で朝が早いため、早起きの生活習慣が身に付き、時計の針が天辺を回る頃には、そんな二人もスヤスヤと眠りについている。早寝早起きの習慣に救われている。 クリスマスは、親にとって大変な行事である。だが、これ以上素敵な行事はないのではないか。子供にとっても、大人にとっても、素敵な出来事のような気がする。 子供達は、サンタクロースの存在を信じることを通じ、心の中に「信じる」小部屋を育み、親を信じることを体得する。親の愛情が、絶対であることを学ぶ。このことが、どれだけ子供達にとって大きなことか。親は、絶対に子供達を裏切らない。そして、親は、いつも子供達を見守っている。そのことを、子供達は、クリスマスのサンタクロースを通じ実感するのだ。子供の呼び掛けに耳を傾け、感心を示すことの大切さを、クリスマスの度に思い起こすことができれば、昨今、世間を騒がせているような子供達を取り巻く諸問題を回避することもできるのではないか。結局のところ、学校や教師の問題もあるではあろうが、親子の関係が一番大切である。また、サンタクロースが子供達の心の扉をノックする音が聞こえてくる時期がきた。Merry Christmas!!!
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日本一の孝行息子亀田興毅:名実ともに本物のチャンピオン 2006年12月20日 たった今、亀田興毅の初防衛戦が終わった。3-0の判定で圧勝であった。これまで、過激な言動等で、紆余曲折、賛否両論、色々と批判もあった。だが、今回、あれだけ見事なボクシングを披露し、全てを払拭し、心身ともに成長した。天晴れ、プロとしての貫禄を見せ付けてくれた。素晴らしい試合であった。 前回のランダエムとの対戦には、ミソがつき、色々と言われていた。だが、今回の試合は文句なしの名勝負であった。ボクシングの質も非常に高く、亀田興毅のボクシング・レベルの高さを見せつけてくれた。無敵亀田興毅、名実ともにチャンピンであることを証明してくれた。 それだけではない。ボクシング以上に素晴らしいものを、亀田興毅は、私達に見せてくれた。勝利者インタビューでの亀田興毅の号泣は、父親への思いの深さを物語っていた。見ている我々の目頭も熱くなる、素敵なものを見せてもらった。亀田興毅はじめ亀田三兄弟は、間違いなく日本一の親孝行息子だ。親子関係、家族の形が、混沌とする昨今、若者達へ影響力のある彼らの存在は、日本にとって、貴重な宝かもしれない。今後の益々の活躍を期待したい。 本当に良いモノを見せてもらった。ありがとう!
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「男は男らしく、女は女らしく」それは、「男を立て、女を守る」ということ 2006年12月1日 昨今、教育現場でも、社会全般に於いても、嘗てあまり経験したことのないような諸問題に遭遇することが多くなった。例えば、子供が親を殺めたり、子供が親を殺めたり、教師達が子供達に媚びたり、子供達が教師を無視したり、と嘗ては考えられなかったような深刻な事態や事件が頻発している。そのような深刻な状況を目の当たりにすると、日本の社会構造全体に地殻変動を起こりつつあるようにさえ思えてくる。教育問題にしても、それ以外の諸々の問題にしても、目先の解決策だけでは、このような深刻な現象を解決する根本的な解決策にはならないような事態に、既に至っているような気がしてならない。 それでは、その原因は何であろうか? という疑問が起こるのは当然である。実は、多くの人々は、もう既に薄々その原因の一つに気付いている。しかし、口にできずにいるのではないか。それは、時代の流れで、下手なことを言えば、人権侵害だとか、男尊女卑だとか、趣旨を誤解され、趣旨とは違った部分での謗りや批判を受けることになりかねないからだ。だが、このことを自覚し、解決策を模索する議論を闘わせることなくして、本当の解決策を得ることは出来ないと私は思う。 先日、胃癌で亡くなられたある小学校の校長先生が、私にこう仰っていた。「本当であれば、6年間の小学校生活の中で、全ての生徒達に、男性教師と女性教師両方の担任を経験してもらいたい。ですが、今の教育現場では、男性教師が圧倒的に不足してしまっているのです。教育で、最も大切なことは、バランスだと私は思っています」と。実は、この言葉の中には、今社会が抱える問題の解決の糸口となる、非常に大切な事柄が含まれている。私は、この話を聞いた時、そのように思った。「教育とは、バランス」このことは、案外、今の教育現場で等閑にされているが、非常に大切なことである。男性教師と女性教師の比率の問題だけでなく、全ての面でバランス感覚が失われている気がしてならない。 子供達は、無垢な白紙の状態である。その白紙の状態である子供達は、教育を受け、知識を得て、それらを自分なりに消化しながら育っていく。その段階で、徐々に色をつけていく。決して、教師や大人達が色を勝手につけてはならない。誰にも、そのような権利はない。である以上、教育現場に於いて中庸を保つということは、非常に大切なことになる。ところが、戦後61年間の教育現場では、主張ばかりがなされ、子供達を中庸に保つことを忘れられていた。その結果、昨今起こっているような悲しむべき事件が、頻発してしまうようになった。 一部の親や教師達が、学校で国歌を斉唱し国旗を掲揚することに反対する。その理由として、自分の思想に反する行為を強要されるべきではない、というようなことを盛んに主張する。だが、子供達にまだ思想はない。その思想とは、親や教師達の勝手な思想だ。そして、彼らは、子供達も、主張する大人を目の当たりにすることによって、問題意識を持つようになり良い、というようなことまで言う。しかし、それは間違っている。主張することは大切である。だが、主張するという行為は、まだしっかりと人として確立されていない子供達に植え付けるものではなく、子供達が自らの考えを持てるようになった時に、初めて自分の内から湧き出るものであるはずだ。そのような未熟な段階では、拒否するという行為だけを面白おかしく捉えてしまう可能性が高い。そのような未熟な時期に、子供達に見せ付けるべきことではない。それよりも、親を敬い、教師を敬い、他人に礼を尽くし、というような道徳心を育むことの方が先である。そのような道徳教育もなされていない内に、主張ばかりを押し付けられた子供達が、どのような大人に育つかは火を見るよりも明らかである。にもかかわらず、そのような主張を繰り返す教師や大人達は、その段階で、教師や親としての資質を疑わざるを得ない。子供達のいない職員室で、国歌斉唱や国旗掲揚を拒否しようが、それはそれぞれの教師の自由である。しかし、子供達の面前で、そのようなことをすることは、如何なる理由があろうとも許されない。 そして、このようなバランス感覚の喪失ということは、学校という教育現場だけの問題ではない。家庭におけるバランス感覚の欠如という問題の方が、むしろ学校よりも大きいように思う。 子供達は、親の後姿を見て育つ。親の言動を真似して育つのである。それは、何も人間だけのことではなく、全ての生き物にDNAとして埋め込まれている本能だ。親が、天に唾を吐けば、その子供も同じことをする。 例えば、こんな親子を見たことがある。ある都内の公園で、親が腰掛け、その周りで子供達が遊んでいた。その親は、子供の前で、飲んでいた缶ジュースの缶をその場に置き去りにして立ち去ろうとした。子供達も、その親が置き去りにした缶ジュースの缶に並べて自分達の缶を置いた。ところが、突然、その親が子供達にこう言い放った。「並べて置いたら目立つだろ」そう叱咤された子供達は、戸惑った様子であった。それはそうである。子供達は、親がしたことを真似ただけである。にもかかわらず、怒られれば、子供達は何が何だかわからなくなってしまう。当然のことだ。 保護者会などに参加した帰り道、保護者同士で話をしているのに聞き耳を立てると、教師の悪口や学校への不満話で盛り上がっている様子が聞こえてくる。きっとこの親達は、家に帰っても、子供達の前で、無神経に同じような教師の悪口や学校への不満話をしているのだろうな、と思ってしまう。また、我が家は父子家庭なので、ずっと、全ての学校行事やPTAにも私が参加していた。どうしても、皆の輪に入りづらい時がある。それは、父親、即ち自分達の夫の悪口を盛んにしあっているからである。この時も同じく思う。子供達の前でも、きっと同じように父親の悪口を言っているのだろうなと。人間である以上、不平不満を言うのは仕方がない。しかし、時と場合を考慮してなさなければ、それは思わぬ結果をもたらすことになりかねない。 随分と前置きが長くなってしまったが、ここで本題に入る。今、起こっている諸問題を解決するには、まず「男は男らしく、女は女らしく」ということを、皆がそれぞれに自覚することが大切である、と私は強く思う。何も男尊女卑で言っているのではない。男女は平等である、と私も思っている。女性は素晴らしいし、女性なくして男性は成り立たないし、生きていくことができないこともよくわかっている。ただ、男には男にしか為せないことがある。そして、女性には女性にしか為せないことがある。このことが、昨今見失われてしまっている気がしてならない。どんなに優秀なキャリア・ウーマンでも、男に成ることはできない。どんなに、料理が上手く、家事を上手にこなす男でも、女になることはできない。そのことを、子供達に教えることを怠れば、将来、日本の社会はアンバランスな住みにくい社会になってしまうであろう。 昔は、わざわざそんなことを教えなくとも、家族という小社会の中で自然に子供達は学んでいた。家族の中には、祖父母がおり、時と場合によっては、叔父叔母がいたり、その家族も同居していたり、兄弟も沢山いた。その家族という小社会の中で、家長である父を敬い、家族は父を立てることを母親の立ち居振る舞いから学び取った。また、それぞれの家族の立場が尊重され、暗黙のうちに人との係わり合いということを学び取っていた。その結果、家族という小社会よりも大きい、学校という社会生活の中でも、友達や先生とどう接し、どう関わるべきか、ということを自然に体得していた。ところが、昨今、そういう人との関わりという基本的なことを学び取る機会がなくなってしまった。 大体、嘗ては、教師は聖職であり、地域全体から尊敬の念を持って対応されていた。そのような大人達の立ち居振る舞いを目の当たりにした子供達は、自然と教師を敬い、教師に礼を尽くすということを体得した。そのような教師と生徒の健全なる関係によって、教え教えられるという教育ということが成り立っていた。 ところが、昨今、家庭で、保護者達が、教師や学校のことを子供達の前で罵倒していることが多い。そういう環境では、子供達が教師を敬うわけがないし、学校で学ぼうとするはずもない。教師のことも、学校のことも、親達を真似してバカにしてしまうからだ。このことは、学校や教師へ対してだけではない、男親へ対しても同じことが言える。 家族とは、万国共通、男親が家長として支えている。男親が、家族を守るものである。しかし、その家長たる男親を、母親が子供達の前で罵倒してしまえば、子供達が父親に対して尊敬の念を抱くわけがない。そうなれば、男親も面白くはない。家族のために一生懸命働いているにもかかわらず、文句ばかり言われ、自分がいない時には、母親と子供達が結託し悪口を言っている。当然のことながら、父親の気持が家族から離れる。そうなれば、家族という子供達にとってこの世で最も大切な小社会に不協和音が生じる。その結果、子供達は大きな不安を心中に抱く。その不安の捌け口が、いじめや諸々の良からぬ行為となってでる。心のやり場がなくなった子供達にとっては、それが逃げ道、捌け口なのである。きっと、最初は、心で叫び、親へもSOSを出していたはずだ。だが、親がそのSOSを受け止めなければ、子供達は益々迷路に迷い込むことになる。今必要なのは、子供達に声を出させることよりも、親達に子供達のSOSを受け止めさせることだ。間違っても、鬱陶しがって、子供達からのSOSを聞き流したりしないようにすることだ。 と同時に、「男は男らしく、女は女らしく」ということに思いを巡らし回帰することだ。女性が強くなった。その反面、男性が弱くなった。このことは間違いない。だが、男と女の役割は、時代が変わろうが、天と地がひっくりかえろうが、変わることはない。女は、色々な意味で男を立てなければならない。それは、女の役目である。男を立てなければ、家族が立たない。家族が成り立たなければ、父親が帰属する会社が成り立たなくなる。そして、会社が成り立たなければ、社会が成り立たない。社会が成り立たなければ、この国が世界の中で成り立つ訳がない。男は女に立てられれば、必ずその気になる。それはDNAで埋め込まれている。その気になれば、男は女を守り、家族を守る。女を守り、家族を守るために、一生懸命働く。男が一生懸命働けば、男が帰属する会社が繁栄する。会社が繁栄すれば、男の家族は潤う。同時に、男の会社が繁栄すれば、社会も繁栄し、国も栄える。 確かに、男が弱くなった。男が弱くなったから、女が強くなったのかもしれない。しかし、男を強くその気にできるのは、女だけなのだ。そのことを女は忘れてはならない。女を忘れた女に、男をその気にさせ動かすことはできない。同じことが、男へ対しても言える。男を忘れた男には、女をその気にさせることはできない。男は、強くなければならない。そして、女を守り、家族を守らなければならない。それは、それぞれのDNAに埋め込まれた、逃れようのない宿命なのだ。「男は男らしく、女は女らしく」ということは、男は男を忘れず、女は女を忘れず、女は男を立て、男は女を守るということなのだ。このことに気付かずして、如何なる解決策も有り得ない。私は、そう思う。
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