政財界倶楽部(恩田将葉見聞録)

若者達がジャパニーズ・ドリームを夢みれる国を願い、「政治をもっと身近に!」というスローガンのもと、日本人に愛国心を喚起する。

社会・文化

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光市母子殺害事件弁護人が表す日本の司法制度の程度の低さ 
2006年4月22日

 テレビで報道されている光市の母子殺害事件で被告の弁護をする弁護人の暴言を皆さんはどう思われますか? この二人の愚かな弁護士達のやっていることは、人道を逸脱した、日本の司法制度を逆手にとった、悪魔の為せる言動としか思えない。あんなことを、堂々と主張できる弁護士がいるかぎり、日本の司法制度というのは、名ばかりの茶番でしかなく、何一つ信じうるものはない。ということは、日本の司法制度の信頼度は、0に近いと言っても過言ではないということだ。結局のところ、何でもあり、法律なんてあってないも同然。何でも、やった者勝ち、被害者は運が悪かったね。加害者は、しっかり司法制度が守っている、と言っても過言ではないであろう。

 如何なる理由があろうとも、一つの事件の裁判において、弁護人が自分達の主義主張を為すことは、著しく公平さを欠き、弁護とは言えず、裁判自体が不公平極まりないものになり、司法制度を愚弄する行為でしかない。この被告弁護人二人こそ、罪に問われてしかるべきではないか。

 裁判とは、如何なる理由があろうとも、原告にとっても、被告にとっても、公平なものでなければならい。自分達の主義主張思想をアピールする場であってはならない。

 彼らは、血も涙もない、単なる法廷技術ばかりに走り、如何なる真実があろうとも、被告人を救えば良いという彼らは、弁護士を生業にする資格もないのではないか。被告人を説得し、心底より罪を認めさせ、被害者に謝罪させ、改心させる一歩を踏ませる。その証として、減刑を裁判で求める。これが、このような残虐な殺人事件の被告の弁護人の本来の役目であり、法廷技術ばかりを利用して、被告人の罪を罪として認めない姿勢こそが、被告人を心底で増長させ、万が一未来下獄できた後に、同様事件を再発させる可能性をも持たせてしまうような、非人道的な弁護行為である。

 大体、このように盛んに報道されている公開裁判において、あのような弁護姿勢を示せば、一般民衆の民意を敵に回してしまうことに、気付かぬこの事件の被告人弁護士二人は、よっぽど頭が悪いか、彼ら自身、被告人を極刑へと導きたいがための、演技だとしか思えない。しかし、彼ら弁護人の強い死刑廃止論等の思想的主義主張を聞いていると、被告人を極刑に導くための演技という可能性は、非常に少ないのではないか。

 どちらにしても、日本の司法制度というのは、地に落ちているということが現状ではないか。暴対法もそうであるが、人の思惑で司法が利用されたり、主義主張思想で利用されたり、ということは如何なる理由があろうともあってはならぬことだ。司法制度のレベルが低いということは、その国自体の質も地に落ちているという風に見るのは、国際的な常識である。これらのことを、どれだけの政治家や官僚達は認識しているのであろう。日本という国は、本当に危機的な状況にきているのではないか。この危機的な状況からの脱却の道は一つしかない。国民一人一人が、国を憂う気持ちを持ち、声を上げ立ち上がるということだ。

ライブドア事件に関連してエイチ・エス証券副社長野口英昭が自殺した謎(2)
2006年2月16日

 最後に、故野口氏の自殺か他殺かという議論に関し、私の考える可能性を記しておく。実際に事故現場を検証したわけではないので、あくまで可能性としての参考意見として読んで頂きたい。
 各局のワイドショーが、盛んに他殺説を裏付ける証拠を探し、面白おかしく番組にしていた。確かに、強制捜査の二日後、身柄が拘束されているわけでもなく、事情聴取がされているわけどもない。任意同行を求められたわけでもなく、ましてや調書がとられたわけでもない。にも拘らず、何故あんなにも焦って自らの命を絶たなければならなかったのか、ということを考えると他殺説が浮上することは自然な流れである。まして、妻も子もある三十代働き盛りの男である。三十代にしては、異例の速さで財もなしているわけだ。自殺の必要性を考える方が難しい。例え前科がついたとしても、既に財を築いているわけであるし、現状直接的にライブドアの社員でも役員でもないわけである。罪に問われて、個人的財産まで没収されるということもないはずだ。そんな彼に、死に急ぐ必然性が見出せない。
 沖縄県警も公安委員会も、故野口氏の死は自殺であったと断定した。その根拠として、野口氏が自殺をはかったカプセル・ホテルの一室は密室であり、第一発見者が部屋を訪れた時、故野口氏の部屋のドアには内鍵が掛けられ、その上ロッカーがドアの所にバリケードされていた、と言っていた。
 ここで、一つ可能性を上げてみる。現場を検証していないので断定はできないことは、了承して頂きたい。他殺であったとしても、内鍵を掛けロッカーでバリケードをすることは十分可能である。プロの犯行であれば、よくある手口だ。そのホテルの部屋の様子がわからないが、もし殺人犯が身を潜めることができる場所が部屋の中にあれば可能である。別に大きなスペースは必要ない。自分の身を隠せればよい。
まず、当然のことながら、故野口氏の顔見知りであろう。故に、故野口氏は騒いではいない。顔見知りということで気を許している故野口氏が油断した隙に、最初に故野口氏の喉を掻き切る。何故ならば、声を出されては困るからだ。これは、特殊部隊の訓練でも基本中の基本である。そして、次に、致命傷を負わせる。今回の場合、まず喉を掻き切り、その後、自殺に見せかけるために手首を切り、なかなか絶命しないので焦った殺人犯は腹をも切り裂いたのではないか。勿論、死のうと思っている人間が、手首を切り、腹を切り、喉を切るということは不可能ではない。ただ、突発的に起こった強制捜査、それからたった二日の内に、そういう強烈な方法で死ぬだけの勇気も度胸も普通の人間では持ち合わせない。
 鍵に関しては、簡単な問題である。殺人犯が身を潜められるスペースが、多少でも室内にあれば可能だ。まず非常ベルを押し、殺人者はそのスペースに身を隠す。非常ベルを聞きつけたホテル関係者が駆けつける。しかし、ドアには内側から鍵が掛かっている。それどころか、ロッカーでバリケードまで為されている。当然のことながら、駆けつけた第一発見者は中には誰もいない。自殺と思い込む。内側から鍵が掛かっていて、バリケードまでされていて、窓から逃げ出した形跡もなければ、普通の人間ならそう思い込む。内鍵を開け、バリケードを押し開ける段階で、尋常ではない空気を第一発見者は既に感じ取っていたはずである。ということは、かなりの興奮状態に陥っていたはずだ。その上、中に入ってみると、故野口氏が虫の息で、しかも血だらけで横たわっている。当然のことながら、自分の胸の高鳴りさえ聞こえるほどに興奮し、恐怖感に苛まれながら110番通報するためフロントに駆け戻ったはずである。動揺どころか、腰が抜けてしまうほどの衝撃であったことは想像がつく。そんな人間が、冷静に部屋の中を見回し確認できるはずもない。逃げるようにして、走り出たはずだ。第一発見者が、部屋を走り出た直後、殺人犯は悠々と部屋を後にすることができる。そして、110番通報した第一発見者が、他の人間をも誘って故野口氏の部屋に戻ったことも容易に想像がつく。即ち、その瞬間、フロント近辺、出入り口にも空白時間と空間ができる。その隙を狙って、殺人犯はそのカプセル・ホテルを人目につかず後にすることが可能なのだ。
 テレビの画面で見た範囲では、身を隠す場所は限られていたように思える。しかし、相手がプロならば、決して不可能ではない。バリケードに使用されていたロッカーだって可能なはずだ。第一発見者は、ただならぬ殺気を感じ取り尋常ではなかったわけであるから、押し開ける際のロッカーの重みまでは正確に覚えてはいないはずである。故野口氏の傍らに置かれていたTシャツが、彼の遺留品とは思えない旨、テレビで野口夫人が盛んにアピールしていたが、その通りであろう。人は、めったなことでは自分の趣味に反する衣服を身に着けない。特に、金銭的に余裕のある人間はである。そのTシャツは、殺人者が故野口氏を殺害する際、返り血を遮るために着用したと考える方が自然かもしれない。
 この事件には、まだ不思議な点がいくつもある。全てを挙げるときりがないので、一点だけ最後に挙げておく。それは、何故、金銭的に困っていない故野口氏がカプセル・ホテルに宿泊する気持になったのかということだ。しかも、過去の宿泊記録に野口氏の名前は記載されていないにもかかわらず、以前にも泊まったことがあるので勝手はわかっている、というようなことをチェック・インの際、故野口氏は言い、係りの人間の説明をも鬱陶しそうにしたという。常識的に考えて、傷心旅行でカプセル・ホテルというのは不自然である。しかも、金銭的に恵まれた環境にある故野口氏が、迷うことなくこのカプセル・ホテルを目指したこと自体、非常に不自然である。故野口氏が副社長を勤めたエイチ・エス証券の親会社であるエイチ・アイ・エスにとっては、こんな人知れないカプセル・ホテルは、得意中の得意の分野だ。なんせ、格安チケットで上場した会社だ。格安ツアーを組む際、利用していたカプセル・ホテルの一つである可能性は高い。その辺のことは、警察が調べれば直ぐにもわかるはずである。故野口氏は、このカプセル・ホテルのことは詳しくないし初めてであったが、彼を沖縄に呼び寄せた人間は、このカプセル・ホテルのことをよく知っていた。だから、故野口氏の口からも、説明は必要ないような言葉が出たのであろう。大体、故野口氏は、沖縄が大好きだったらしい。その大好きな場所に傷心旅行で来て、何故カプセル・ホテルなのか。おかしいではないか。そこまで、若くして極めた人間が、自殺だとしても、最後の場所をカプセル・ホテルに選ぶだろうか? 金にモノ言わせて、沖縄まで無計画に飛んできた男がである。大きな疑問を感じざるを得ない。あまりにも不自然なことが多い故野口氏の自殺に関しては、もう一度一から捜査し直すべきである、と強く思うのは私だけではないはずだ。

ライブドア事件に関連してエイチ・エス証券副社長野口英昭が自殺した謎(1)
2006年2月16日

 1月16日の午後6時30分過ぎ、突然六本木ヒルズの風雲児の一人堀江貴文元社長率いるライブドア本社に東京地検特捜部による強制捜査が実施された。同時に、ライブドア関連施設の全てに強制捜査が東京地検により執り行われた。その中に、故野口英昭エイチ・エス証券副社長の自宅も含まれていた。1月16日の段階では、故野口エイチ・エス証券副社長の自宅も家宅捜査されていることなど、ニュースになるどころかマスコミの記者達もまったく眼中になかった。
 ところが、二日後の1月18日、沖縄県那覇市のホテルでエイチ・エス証券副社長野口英昭氏が手首や腹などを切って自殺という一報で、各界に衝撃が走った。なぜならば、この故野口という人物は、ライブドアの前身オン・ザ・エッジ時代から非常に堀江氏に近い人物であったからだ。実際、エイチ・エス証券の副社長というポストの前職は、ライブドアの役員であった。
 このニュースの一報が入った直後に、印象深かった映像が二つあった。一つは、野口氏が副社長を勤めていたエイチ・エス証券の社長が記者会見の席で号泣していたシーンだ。第一印象は、自社の副社長が不本意ながら自殺した衝撃で、部下を思う一心での号泣と目に映った。大きなシンパシーを感じた視聴者も多かったはずだ。しかし、次の瞬間、別の衝撃が走った。どれだけの視聴者が気付いたかは疑問だが。よく見ると、その号泣している社長は、格安航空券販売で一世を風靡した旅行代理店株式会社エイチ・アイ・エスの澤田秀雄社長であったからだ。確かに、業界の異端児とまで言われた澤田社長のノリから言えば、堀江氏のような人物に非常に興味をもつのも自然な感じがする。そして、ライブドアの事業内容にも興味を持っても不思議がない。しかし、その意外性に、正直少々驚いた。だが、澤田社長のここ数年の言動を振り返ってみると、金融ということ、特に証券ということに大きな興味を示していたことも事実である。そんな思惑から、きっとライブドアの事業に興味を持ち、やはり異端児で自分と同じ匂いのする堀江貴文という男に、大きな興味を示したことは容易に想像できる。
 ただ、故野口氏が副社長を勤めていたエイチ・エス証券の社長はエイチ・アイ・エスの澤田社長であるということを認識した上で、あの記者会見を改めて見直すと、あの号泣シーンには何か色々な思いがあるのではないか、と勘繰りたくなるのは私だけではないはずだ。
 澤田秀雄社長は、1951年生まれの55歳。西ドイツのマインツ大学に留学し、その頃世界各国を遊学していたと聞く。そして、海外に於ける格安呼び寄せチケットなどの存在をしり、日本でも格安チケット販売ができるのではないか、と思い立っての起業であったらしい。当初、「東京インターナショナルツアーズ」という格安チケット販売専門の旅行代理店を東京新宿に設立し、みるみる急成長した。1990年には株式会社エイチ・アイ・エスと社名変更し、1995年には店頭公開も果たし、世間の知るところとなった。その後、国内で4番目の航空会社「スカイマークエアラインズ」を設立し、一躍世間の注目の的となった。業界では、異端児と呼ばれ、保険、証券、ホテルなど、事業も多角化し、急成長を成し遂げている。それだけに、色々な噂も陰ではたっている。だが、押しなべて言えば、若い力を活かし、既成の体制には囚われず、自ら信ずる道を突き進み成功を果たした、という良い印象の方が強い人であるように思う。若い力を尊重し、決して蔑ろにはしない良い経営者の一人なのではないか。ただ、急成長の陰には、必ず無理があることも世の常である。少々話が長くなってしまった。もう一つの気になるシーンに移ることにする。
 もう一つの気になったシーンとは、故野口氏自殺の第一報を記者から聞かされた時の堀江氏の言動を映し出した報道映像である。あの時の堀江氏からは、本当に不意を衝かれ狼狽した様子が窺い取れた。その証拠に、泣きそうな顔で、堀江氏は次のように吐露した。「もう、誰も死なないでよ。お願いしますよ」と。あの表情と言葉に嘘はなかった。そして、あの時、不意を疲れた堀江氏は、無防備に胸中を晒してしまった。あの時の言動が、最初で最後、堀江氏は心の扉に鍵を掛けた。私には、そう見えた。堀江氏が、何で野口氏が亡くなったのかもわかっている、ということを体言してしまった瞬間であった。正気に戻った堀江氏は、あの時心に誓ったはずである。二度と、何があっても全ては自分の腹の中に納めてしまおうと。それは、裏を返せば、彼は全てを知っているとも言える。しかし、彼自身が吐露しない限り、誰の目にも触れることはないであろう。
 共通の印象を、澤田社長の記者会見でも感じた。不意を衝かれた澤田社長は、憚ることなく号泣した。多分、今回の故野口氏の自殺は、澤田社長にしても、堀江氏にしても、はじめて社会の怖さを垣間見た瞬間であったのであろう。それまでは、イケイケドンドンで、頑張れば何でも自分達の思い通りの結果を得ることができると信じやってきた。実際に、思い通りの結果も手中に収めてきた。しかし、故野口氏の自殺は、まったくの計算外であったというか、彼らにとってはアニメの世界でのみ起こりうるフィクションでしかなかったのだ。ところが、現実問題として、故野口氏の死ということを受け止めなければならない状況に直面した二人。二人にとっては、人生最大の誤算であり、社会を舐めたことを実感した瞬間であったのだろう。それが、あの記者会見の澤田社長の号泣と堀江氏のうろたえた言動として表れたに違いない。
 不思議なことは、まだまだ沢山ある。例えば、あれだけ大騒ぎになった故野口氏の自殺である。にもかかわらず、どこのメディアも、まったく澤田社長がエイチ・アイ・エスの社長であることには言及していない。確かに、皆が言わなくても知っているという認識での報道であればそういうことも考えられる。しかし、澤田氏の場合は、まだまだ知る人ぞ知る、と言う程度だ。にもかかわらず、ほとんどのメディアは、まったくと言ってよいほど、澤田社長がエイチ・アイ・エスの社長であることには触れなかった。意図的としか思えない。各メディアにとっての重要スポンサーというかクライアントだからなのか? それで報道できないというのなら、今のマスメディアは腰抜けとしか言いようがない。エイチ・アイ・エスとライブドア、堀江氏と澤田氏という取り合わせほど、興味深いコンビネーションはないと思うのがジャーナリストではないのか。不思議で仕方がない。何らかの圧力が働いたのではないか、何らかの思惑が働いたのではないか、と勘繰りたくなるのは私だけではないはずだ。

「個人情報」保護への意識の低さ
大手新聞社やテレビ局の名を騙る記者達が不法乱用する「個人情報」
2005年9月26日

 昨今、「個人情報」保護ということが、盛んに取り沙汰されている。それは、時代の変化を如実に表わしている。今までも「個人情報」ということはあった。それが、ここへきて変わったということではない。時代が変わり、「個人情報」が利用される可能性が、以前に比べ格段に広範囲に渡るようになったということだ。インターネットの進化、そしてポストに溢れかえるDM、情報が氾濫する時代に突入し、「個人情報」が企業にとっての何よりの宝となった。そして、企業が乱用する我々の「個人情報」を、一部の悪知恵がはたらく輩が利用するようになったから、「個人情報」保護ということが、にわかに脚光を浴びるようになったのである。
 それでは、一体「個人情報」とはなんであろうか? 端的に言うと、「特定の個人を識別できる情報」である。特定の個人を識別できるということは、名前はもちろん、携帯も含めた電話番号や住所、顔写真にカルテ、履歴書に記載した内容や企業に於ける顧客情報、そして、社員に関する人事情報も、この範囲内である。要は、「個人情報」と言っても、非常に多種多様で広範囲に渡っているということだ。兎に角、「個人を特定できてしまうような情報」は、全て「個人情報」と理解してよいであろう。
 例えば、モノを書くことを生業にしているAという人間がいるとする。そのAという人間には家族があり、家族のプライバシーや安全を守るためにペンネームを利用していたとしよう。にもかかわらず、ある別のライターBが、そのAという人間の本名や住所、電話番号を、雑誌の記事の中やBが運営するホームページに記載してしまったとする。これは、BがAの「個人情報」を漏洩したということになり、個人情報保護法に抵触することになる。
 この辺は、まだわかりやすい例である。もっと突き詰めていくと、非常に重大な問題にいきつく。多くの記者達が勘違いして、「個人情報」を取材という名目の下に、不法な形で入手し利用しているケースが多々ある。そのような取材方法をとる記者を問い質すと、必ずと言ってよいほど同じ答えが返ってくる。それは、このような答えだ。「正当な方法で入手し、取材に利用しているので問題はまったくない」というものだ。これは、記者達の大きな勘違いである。「個人情報」は、本人もしくはその「個人情報」を管理する組織の許諾なくして、如何なる理由があろうとも利用できない。正当な方法での入手などあり得ないことなのである。「個人情報」をその本人や管理者の許諾なくして入手した段階で、「個人情報保護法」に抵触する。にもかかわらず、多くの記者達は、大手を振って企業が管理する「個人情報」を入手し、その「個人情報」を基に個人への取材を強行している。
 また、記者達がもう一つ勘違いしていることがある。個人の名前、電話番号、住所や会社名は、一般に知られているので記事に書いても取材に利用しても一向に構わないのだ、とまるで自分達が正しいかのように言い張り不法な取材を続けている。しかし、ここで、理解しなければならないことは、「個人情報」=「プライバシー情報」ではないということだ。「個人情報」と「プライバシー情報」は、似て非なるものであり、概念が異なる。
 それでは、各々の概念に触れてみよう。「プライバシー情報」の概念とは、「個人の私生活上の事実に関する情報」、「まだ社会一般の人が知らない情報」や「一般人なら公開を望まない内容の情報」ということになる。これに対して、「個人情報」とは、私生活上の情報か否かは関係なく、事実か否かも関係ない。また、既に周知の情報であっても、個人を特定することが可能な情報であれば、「個人情報」に当たる。

 「個人情報」の保護という問題は、案外身近でありながら、非常に難しい問題なのだ。問題は山積されている。私は、最近非常に気になっていることがある。それは、毎日山のように送られてくる各種DMだ。我々は、無防備に、中身を取り出した後の封筒を、ゴミ箱に放り込んでいる。しかし、このDMの封筒には「個人情報」が満載されている。名前はもちろん住所、電話番号、会員番号など。受験を控える子供がいれば、その子供の名前宛にDMは送られてくる。それぞれの家族に送られてくれば、家族構成まで一目瞭然である。
 例えば、今流行りのオフィース用品・日常品を一日で配達する宅配業者や、一般に多く利用されている宅急便の封筒や段ボール箱などは、もう情報公開の小冊子のようでさえある。住所はもちろん、会員番号から電話番号まで丁寧に記載されている。にもかかわらず、広く一般では不用意にそれらのパッケージがゴミへ出されている。特に、段ボールなどは丁寧に束ねられゴミ収集場所に立て掛けてある。歩いていると、よく目にする光景である。目線の先には、付近に住んでいると思われる人の住所、電話番号、名前、会員番号、メールアドレスまで記載されていることさえある。通りがかりの人間が、それらの情報を持ち帰り悪用してもおかしくない。非常に不用意である。
 
 「個人情報」の保護という問題は、「個人情報」を漏洩したり、盗んだりして悪用する側だけではなく、我々個人ひとり一人も、「個人情報」ということへの意識を高める必要があるように思う。そうは言っても、不法に「個人情報」を盗み出し、まるで水戸黄門の印篭のように、「取材だ」と息巻く不良記者達が横行する日本のマスコミには、非常に大きな不安を覚える。彼らが主張するように、例え企業内部の人間から入手していたとしても、個人や管理者の許諾なくして入手した以上、正当な入手方法という言い訳はきかない。それは、間違いなく犯罪行為である。それが、大手新聞社やテレビ局の名前を名乗っての取材だというのだから、世も末である。政治家や企業の倫理を偉そうに問う前に、記者諸君には、まず自らの倫理観を見つめ直して頂きたい。如何であろうか?

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