政財界倶楽部(恩田将葉見聞録)

若者達がジャパニーズ・ドリームを夢みれる国を願い、「政治をもっと身近に!」というスローガンのもと、日本人に愛国心を喚起する。

世界の中の日本と日本人

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子供たちの目線で見た3.11東日本大震災
2012年3月11日

 各テレビ局で、震災1年目の番組をやっている。それぞれ、考えさせられことがある。1年経って、客観的にあの日のことを冷静に振り返ることができた。それぞれの人々に、それぞれのドラマがあの日起こった。別れ、悲しみ、出会い、喜び、絆が生まれ数々のドラマが震災によって生まれた。そんな中でも、フジテレビが放送した番組が心に響いた。それは、被災した子供たちの目線による内容であった。いやドラマであった。涙が零れた。涙が止まらなかった。子供たちは、強かった。大人たちよりも強いかもしれない。思い知らされた。一言で言えば、政治家も、役人も、全ての大人たちは、どんな綺麗ごとではなく、どんなご都合主義でもなく、どんな屁理屈でもなく、子供たちの目線で震災を見て、子供たちの声に耳を傾けるべきである。子供たちは、大人たちの勝手に翻弄され、自分達ではどうにもできないけれども、彼らの目でちゃんと見て、彼らの耳でちゃんと聞き、彼らの心でちゃんと感じているのだ。この国の未来を支えてくれる彼らの目や、声や、心の声に耳を傾けずして、本当の意味での復興などあり得ない。家族を失い、心を痛めながらも、彼等は笑顔を絶やさず、一歩一歩前進している。歩みを進めている。大人は、自分達ばかりが悲しみを背負っていると思わず、子供たちの心の痛みに、思いを寄せなければならない。そのことを強く気付かされた。

 政治家は、子供たちの目線に目を向け、彼らの声に耳を傾けるべきである。彼等には、拒むこともできない。与えられた運命を黙って進まなければならないのだ。そのことを、我々大人、全ての大人は理解するべきである。さもなければ、あまりにもこの震災は悲惨なドラマしか残さない。だが、子供たちは、決して後ろ向きではない。悲しい運命を背負うことになっても、前向きに、前を向いて、一歩一歩歩みを進めている。そのこと自体、素晴らしいことでありドラマだ。これ以上のドラマはないと思えるほどのドラマだ。彼らの心は、泣いているかもしれない。でも彼等はいつも笑顔を絶やさず生きている。強い心で生きている。もの凄く強く生きている。そのことを我々大人は忘れてはならない。私は、そのことを強く思い感じた。

セミナー参加

セミナー参加
2012年2月15日

 脳梗塞後、初のセミナー参加だ。というか、こちらが受ける立場でセミナーに参加したのは久しぶりかもしれない。20人弱の少数で行われたセミナーだ。某航空会社の元CA達による、セミナーであった。正直な感想を言えば、二部構成になっており、一部は国際化が進む状況下での交渉術、というような内容であった。二部目は、業績アップに必要なプレゼンテーションという内容であった。

 まず、6時半開場であったが、少々早く会場に着いてしまったので、会場の共有スペースで待っていた。6時15分に、最初の関係者がやってきた。約5分前になって、残りのスタッフが到着。すると受付デスクで、配布物を折り出した。この時点で、既に5人ほどの客が待っていた。少々お粗末だな、という第一印象。配布物は、セットにして折って持ってきてしかるべき。受付テーブルでは、参加者リストをチェックするのみ。人脈を広げるための好機にもかかわらず。だが、参加者の名刺を貰うでなく、連絡先等を記載するではなく、リストチェックのみ。名刺交換は必須ではと思う。

 また余談だが、ああいうセミナー開催の場で、親しい仲であれ、主催者が個人的な男女関係を悟られるべきではない。当たり前のことであるが、本人たちは気付かず、参加者に時として不快感を与えることもある。確かに、海外ではそういうこともフランクだ。だが、やはりビジネスの場では、ビジネス・ライクであるべきかなと思った。

 第一部が開演。国際化が進む中での交渉実ということで、色々な国の人々へ対しての交渉術の注意点等が説明された。参考になる話も多々あった。だが、どうも少々早口で忙しなかった。時間の所為もあったのであろう。それと、沢山のことを伝えてくれようとして、少々盛りだくさんになり過ぎていた感がある。起承転結がなく、あまり上手く構成されていなかった印象であった。少しでも多くの情報を、とスピーカーは観客のことを考えてのことであろうが、少々食い散らかすような状態に陥ってしまっていたように感じた。また、高い目線から話をされているようで、少々違和感があったかなとも思った。

 次にセカンド・スピーカー。なかなかスピーチも、慣れたもので上手かった。説得力もあった。アイコンタクトも、また内容も上手く無駄なく構成されていた。説得力もあった。要は、どんな営業でも、どんなモノを売るのにも、まずは自分を売り込まなければ、相手に自分に興味を持たせなければ、モノを売ることはできない、というような話であった。共感するところが非常に多かった。特に、鍋蓋販売の話は、実話らしく説得力があった。例え必要でないモノでも、自分に興味をもってもらえ、自分を売り込むことに成功すれば、買ってもらうことができる。これは、ある意味極意だ。

 最初に、自分の特徴と価値を一言で言ったら、という質問が参加者に投げかけられた。見た目で捉えた人、内面のポジティブな部分を挙げた人、そして、ネガティブな部分を挙げた人ということで、内面のポジティブな部分を表面に出すことが良いということであった。私は自分の特徴は、自由奔放。自分の価値は、型にはまらないこと、と迷うことなく言える。だが、日本のサラリーマン社会では、自由奔放や型にはまらないことというのは、必ずしもポジティブな印象とは受け取られない。なので、ネガティブな印象ということで捉えてしまった。だが、一刀両断、切り捨てられてしまった。確かに、ネガティブな印象を相手に伝えるべきではない。だが、自由奔放や型にはまらないということは、日本社会ではネガティブなことだが、国際社会ではポジティブなことと理解している。そして、これからの日本では、特に経営者としては、そのことが非常に大切なことであると自負している。まあ、ここで言い分けを言っても仕方がないが、時間もなかったし、脳梗塞後言葉を発するのに、以前とは違い少々労力を要するので、何も言わずに我慢した。結果、少々フラストレーションが残った。自分らしくない、と非常に反省した。手を挙げて、ベラベラやるのが自分流。まだ、喋ると多少障害がでるのではと躊躇してしまうことを反省した。言葉が詰まっても良いではないか。自分流で行こう、そう思った夜であった。

 結論から言えば、一部目も二部目も参考にはなった。二部目のスピーカーの内容は、息子や娘に受けさせても良いかなと思った。一部目は、交渉術で一番大切なことを忘れているように、私は思った。例え、生まれ育ちが違っても。私はそう信じて、色々な交渉事に当たっているのだが。交渉術のテクニックということに特化して捉えれば、参考になった。ただ、セミナーとしては、少々お粗末であったような気がした。今後に期待したい。これにめげずに、今後も活動して頂きたい。ありがとうございました。

 最後に、二部目のスピーカーの経歴を見てみると、CAを辞めて広告営業を経験したことを通じて、多くのことを学び体得したのだな、ということが非常に説得力あり心に響いてきた。彼女の自信は、空自信ではなく、地に足の着いた素敵な形で彼女という人間を形成しているように感じた。素敵なスピーチであった。感謝。

どうしようもない大きな時代という渦
2011年12月31日

私は
どうしようもない大きな時代という渦の中にいた。
それは、
サンフランシスコ州立大学にトランスファーした1984年から始まった。

  思い起こしてみると、当時自覚はなかったが、大きな時代という渦の中に、自分は身をおいていた。自分が何を為したわけでもないが、その渦の中にいて、ライブで全てを五感を通じて感じられたことは、非常にラッキーであった。そのことは、私のその後の人生、いや人生哲学に大きな影響を与えたことは間違いない。だが、あの頃は、そのことさえ気付いていなかった。灯台下暮らしということだったのかもしれない。当たり前であったが、全然当たり前でなかったのだ。人生に感謝、親に感謝、この時代に生を受けたことに感謝、そして、アメリカにあの時代に居られたこと、カリフォルニア、サンフランシスコにいられたことに深く感謝する。

  1984年、私は、それまで通っていた群立大学を卒業し、州立大学へオーナースチューデントとしてトランスファーした。勉強嫌いの私にとっては驚くべきことであった。メジャーは、ビジネス。州立大学にトランスファーした私は、直ぐにビジネスメジャーからインターナショナル・リレーションズに変更した。何故なら、世界の動きに興味をそそられたからだ。小さな学部であったが、非常に実戦的で、非常にライブ感覚に富んだ学部であった。アメリカで学ぶべきこと、日本では学べないことがそこにあるように私には感じられた。教授たちは、全員CIAの職員であった。勿論常駐ではないが、皆籍があった。学部内に、連絡事務所のようなものもあった。資料類も、全て本物が使えた。半年で賞味期限がくる、CIAが使用している世界中を見詰めることができる衛星写真も、賞味期限切れのものを自由に資料として使うことができた。南カリフォルニア大学とジョン・ホプキンス大学と我が母校のIRは、独立したスクールを形成している非常に充実した学部であった。世界の裏表が、手に取るように理解できた。全てが目新しく、全てが新鮮であった。そして、何より興味深かった。世界中から、留学生がIRに来ていた。勿論私も含めて。特に、パレスチニアンの留学生は多かった。彼等は、命懸けで留学していた。そして、彼らの考え方は非常にハードであった。本来、敵ともいえる立場の人たちを受け入れるところに、アメリカの懐の深さを感じた。やはり、アメリカの教育予算は、軍事予算に次いで大きい意味を感じた。留学生は、ある意味アメリカ資本主義、民主主義の先兵に洗脳され送り返されるのだ。勿論、全員がそうではないであろうが。

  私は、当時教授に言われ、イランを専門にして研究を進めていた。ところが、パレスチニアンの同窓生は、発表授業がある度に、私を質問攻めにし難癖をつけてきた。正直、中東情勢のことは、この学部にくるまで皆無に近い状況で知らなかった。生まれながらに育った彼等からしたら、面白くないのであろうが、だからといっても全てを否定されても困る。解らない他国の人に理解させ、説得するのが授業の目的であると私は理解していた。ところが、彼等は非常に熱くなる。結局、結果からいうと、私の英語力と中東に関しての理解力の低さが原因して、彼等は暴力的な手段で制裁を加えてきた。危険を察知した教授は、私をイランから朝鮮半島問題専門研究に変えさせた。お陰で1セミスター損をした。だが、机上では学べないことを学んだような気がした。その直後、外部教授として教鞭をとっていた「不確実性の時代」で一躍世に名を馳せたガルブレイス教授が、講演中に、同じ彼等パレスチニアン留学生に襲われた。理屈ではない、何かを感じ取った。中東問題の根の深さを肌で感じた瞬間であった。

  当時、私は気付いていなかったが、大学の勉強以外で体感できる時代の潮流の中にいたことを、スティーブ・ジョブズの死で気付かされた。自分たちの中では、当たり前のことであり特別なことではなかった。だが、それはすごいことであったのかもしれない。以前にもここで書いたことがあるが、あまり他言しないでいたのだ。だが、何度かスティーブ・ジョブズ氏とは、知り合いではないが何度も同じ空間で同じ空気を吸い、直接話を聞いたことがある。当時我が母校では、他の州立大学でも同じであったと思うが、学籍者はタダのような値段でアップルコンピューター、即ちMac 具体的に言えばMac PlusとMac SEを手に入れることができた。スティーブ・ジョブズ曰く、「君たちが大学時代にMac ユーザーになれば、卒業した君たちが、それぞれの職場でMacを使うことになる」、その話を聞かされて、何と先見性のある人なのだと感激したものだ。その代り、マック・ユーザーの集いが、毎週末スタンフォード大学のあるパラアルトなどサンフランシスコ周辺都市の大学内で行われ、そこに参加するように働きかけられた。まるで新興宗教団体の集いのような感じであった。新しい情報がお披露目され、問題点などが集まったユーザーと舞台上の技術者の間でやりとりされた。ユーザーの声も、遠慮なく吸い上げられた。必ず最後には、スティーブ・ジョブズが登場し、大騒ぎになり終わるという繰り返しであった。あの頃、全てが始まった。あの頃、今の時代の流れが始まったのだな、その渦の中にいたのだなと最近思う。そのことに、今は感謝している。

  彼は、普通の人であった。だが、何とも言えない情熱が漲っていた。常に、何かと対峙しているような熱い尖ったモノを感じた。アップル教といっても良いほど、私たちは皆熱狂していた。Macなしで、大学生活はあり得ない感じであった。図書館には、ずらりとMacがならび、それまでのタイプライターと取って代わっていた。最初の大学に入学した頃1981年には、まだコンピューターサイエンスのクラスで、コボロなどのコンピューター言語の授業やプログラミングが中心で、決して手頃なものではなかった。その以前に、まずはタイプライティングのクラスを取り、大学生活に備えたものであった。手書きはアメリカの大学ではありえない。タイピングをできないと、卒業どころか大学生活も送れなかった。お陰で、器用な日本人の私は、白人女性たちと同様に、タイピング速度と正確さで表彰された。今から考えると、あの時のタイピングの経験が、全ての原点になっているのかもしれない。

  あれから30年近くの月日が流れ去り、時代もどんどん驚くべき速さで移ろいでいる。アップルコンピューターも紆余曲折があり、落ちたり上がったりした。ライバルのウィンドーズが飛ぶ鳥を落とす勢いで、世界を席巻した。だが、リベンジ・マッチは、違った形で棲み分けをして、スティーブ・ジョブズにも軍配を上げた。ただ、この30年間、1984年に始まり、常に身近にアップル・コンピューターと共にありながら、時代を感じ続けてきたことに感謝する。今では、机の上には、化石化したMacが片隅に追いやられており、ウィンドウズのノートパソコンが、主役を演じている。だが、一度たりともMacが側から離れたことはない。子供たちへの生まれて最初のプレゼントも、二台のMacであった。息子に水色、娘に橙色。そして、新しい年、娘は高校を卒業し、長年好きで身に付けてきたPCを使いこなしデザインを学ぶ学校へと進学することになった。また、Macに、今度は娘が囲まれる運命になった。こうやって時代は、引き継がれていくのだなと実感している。時間は流れている。誰の上にも平等に。その流れは、昔に比べれば明らかに速い。まるで、ロケットで宇宙にいくような速さで、超特急で未来へ向かって疾走している。何処へ向かうのか、それは誰にもわからない。ただ一つだけわかることは、パイオニアは既に伝説になり歴史になったということだ。それでも、彼らの意志を伝え、歩みを止めることなく新たなる一歩を進め続けることだ。決して立ち止まることなく。既成概念に囚われず、新たなる改革を繰り返すことだ。

TPPにみる明と暗

TPPにみる明と暗
2011年11月9日

 TPPの問題が、政界やマスコミ界を賑わせている。ここに述べることは、私がこの問題報道から受ける個人的な印象だ。正直に申し上げる。どうも、一方的に政府の情報非公開的な報道に偏っているような気がしてならない。確かに、一般庶民からすれば、何が何やら、一体全体TPPって何のこと?っていう感じだ。だからといって、一方的に政府が情報を非公開してゴリ押ししているような印象の報道ばかりが耳障りに聞こえてくる。

 反対派は、ただ遮二無二、TPPは日本の市場を崩壊するようなことばかりを主張する。確かにデメリットはあるであろう。だが、デメリットばかりではなく、メリットもあるはずだ。どんなことでもメリットとデメリットがあるはずだ。冷静に、その辺のことを検証すべきである。

 お隣の国韓国では、確かに農家からは反対の声も聞こえている。だが、全体的にいうと、日本のそれと比較すると反対規模は大きくない。農家にも、賛成派が多くいるという。彼等と日本人の違いは、彼等は個別の業界の損得ではなく、国全体としてのメリットとデメリットを判断基準にしているところが、日本と大きな違いだ。勿論、韓国の真似をしろというのではない。だが、このことは、今の韓国人と日本人の意識基準の違いを端的に表しているように感じた。

 日本では、既得権益死守ばかりで、全てデメリットばかりという印象が非常に強い。要は、競争力を排除することの方が、全体的な利益よりも優先させている印象が強い。結局は、TPP反対=既得権益死守という構造だ。そんな風にしか思えない。本来自由競争であるべきだ。寧ろ、TPPは、中小企業などにチャンスを開く可能性が高いように私は感じている。

 既得権益という意味では、日本医師会のTPP反対意見などはその最たるものだ。TPPを推し進めれば、医療現場が崩壊するとばかりに反対運動を行っているが、果たしてそうであろうかと大きな疑問を感じる。私には、医師を守るためにPTT反対を訴えているようにしか聞こえない。本来、患者の立場に立てば、果たしてPTTにデメリットばかりだろうか。日本の保険制度が崩壊するということを懸念していることばかりが報道される。だが、私はそう思わない。もっと前向きに捉えれば、デメリットよりもメリットの方が大きいように思う。

 総合的に言えば、具体的に何が良いか悪いかの問題よりも、何でもかんでも「ダメ」「無駄」と守りにの体制ばかりに立つ今の日本人の姿勢、ここに一番大きな問題がある。私は、そう思っている。あまりにも平和過ぎて、守りに入り、可能性を試すということが今の日本には足りない。こんなことをしていれば、結局日本は遅れを取ることになりかねない。「ダメ」といったら、何もできない。そこの精神論的なことが、今の日本には何より大切。「ダメ」を乗り越え可能にする向上心が、今の日本には、一番必要なことのように私は思う。環太平洋地域の国々にとって、ユーロのような過ちは犯したくない。それが私の正直な思いだ。だが、だとしても、今の日本には「ダメ」ばかりになり守るに入ることには大いなる憂いを感じる。

鎖国時代の踏絵のようなTPP
2011年11月6日

 今政治でもマスコミでも、TPP参加か否かの問題が、大きな議論となっている。これはある意味、頂点を極めてしまい、豊かさを謳歌し、守りに入ってしまった日本の現状の姿勢を露わにし、常に守りではなく攻撃的に、国の未来を憂いながら前を向いて歩みを進められるか否かを決する大きな試練だと考える。この問題の対応で、世界は今の日本人の可能性を見極めていると言えば大袈裟だが、そんな意味もあることを忘れないことが肝要であると私は思う。

 これはある意味で、日本政府にとって試練だ。何でも、簡単に乗り越える飽食の時代は終わりだ。これからは、国際社会における競争の時代である。特にアジアに於ける経済格差が狭まりつつあり、安穏としていると、気付けば追い越され後の祭りとなりかねない。アジアの頂点は言わずと知れた日本だ。しかし、頂点を極めた国の末路は火を見るより明らかだ。そんな厳しい状況下、日本が今しなければならないのは、守りではなく負けない政治、追い越されない国を保つための外交、即ち恐れることなく歩を進められる強い政治をしなければならない。

 どうしても、全てを勝ち得てしまった人間は、守りにはいってしまう。それは、満たされているからだ。その特徴は「ダメ」という言葉の連発だ。あれもダメ、これもダメ、ダメダメ尽くしになる。今から延びようとしている人間は、まったく反対だ。ダメを可能にしようという精神論が、そういう上を見ている人々だ。国でも同じだ。下を向いてしまえば、「ダメ」という言葉しか出てこない。育児でも国でも同じだ。ダメダメ尽くしでは、大きな人間は育てられない。国でもまったく同じだ。ダメダメ尽くしでは、小さな人間しか育てることはできない。今の日本は、私の目から見たらそういう風にしか見えない。何もかにも、「ダメ」「ダメ」「それは無理」「それはできない」「アメリカに騙される」「中国が悪い」「韓国が悪い」と、責任転嫁ばかりして、人の所為にばかりする。これでは、それこそダメだ。全ては自己責任。国でも同じだ。頭から「ダメ」といってしまえば、全てが駄目になり気付けば追い越されビリケツになってしまっているのが落ちだ。今日本がしなければならないことは、驕りを捨て、初心に帰ることだ。全てを白紙にし、新しい国造りを考えることだ。新しい時代にあった、新しい国のシステムをだ。そして、変革しつつある国際社会の流れに乗り遅れないように、最善を尽くし存在感をしめしていくことだ。「郷に入ったら郷にしたがう」、このことを忘れては取り残される。大きなウネリを、どう乗り切るかが今この国の政治家に課せられている運命だ。そのことを肝に銘じて政治を行ってほしい。そのことは、政治家だけでなく、国民全体レベルで意識改革してほしい。必ずチャンスはある。動乱の時こそ、伸びるチャンスがあるのだ。そして、そのチャンスを得るのは、延びようとしている前向きな人々だけだ。危機をチャンスに変えることこそが、政治家の資質の一番大切なことだ。チャンスを掴み取ってきた松下幸之助翁の影響を受けている野田総理には期待したい。


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