政財界倶楽部(恩田将葉見聞録)

若者達がジャパニーズ・ドリームを夢みれる国を願い、「政治をもっと身近に!」というスローガンのもと、日本人に愛国心を喚起する。

政治・選挙

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一元的なドラスティックな改革を
2012年2月26日

 今日本は大きな壁にぶつかっている。日本人なら誰でも気付いていることだ。大きな岐路に立っていると言えるであろう。戦後、遮二無二頑張ってきた高度経済成長期からバブルがはじける90年代初頭までの我武者羅な時代は終わりをつげ、この国の状況も環境も一変した。しかし、この国の統治システムは旧態依然として制度疲労を起こしている。問題は山積され、二進も三進もいかない状況だ。

 このような状況下、経済も低迷し、デフレに呪縛され身動きできなくなっている。政治家や評論家は、経済復興が最優先、震災復興が最優先、公務員改革が最優先、政治改革が最優先、社会保険制度改革が最優先、消費税率反対と勝手なことばかりをいっている。だが、どの問題も、等閑にはできない大切な問題だ。それぞれの問題を部分解決しようとしても、解決できない状況なのだ。全ての問題を一元的な視野で解決していかなければ、どこまでいっても解決することはできない。そのことを、政治家も、役人も、財界人も、そして、我々国民も真摯に受け止めなければならない。

 にもかかわらず、与野党二大政党の政治家たちは、目先の私利私欲党利党略にばかり奔走し、問題の本質を見誤り、足踏みばかりを繰り返している。今の状況を本気で思い理解すれば、そんな詰まらない政争ばかりを繰り返すのではなく、全てのシステムを今の日本の状況に合ったシステムに、総とっかえしなけれければ何も変わらないし変えられない。現状をみていると、賛否両論あるが、本気でそんな状況を理解し、一番解決に近いドラスティックな改革を御旗として立てているのは、維新の会のみであるように思う。

 何でもダメと言いダメダメばかりいっていたら、全てが駄目になり、何一つ解決することなどできない。そのことを良く理解し、私たち国民も肝に銘じなければならない。そのためには、タブーはない。何でもありだ。政治家の思惑はいらない。今この国のシステム疲労を修繕するには、修繕ではなく壊して新たに立て直すしかないのだ。それには、予想外の人の繋がりがあってもよい。不思議は一つもない。民主党や自民党など既成政党からでさえも、飛び出し手を組み、この国の再生を真剣に望む政治家が出てもおかしくない。超党派で、目差すところが一緒であれば、民主党だろうが、自民党だろうが、他政党や松下政経塾出だとか、どうのこうのという理屈や柵はいらない。この国を真剣に愛し思う人間たちのみが手を組み、この改革に当たれば良いのだ。そして、胆略的に政治をするのではなく、次から次へと総理が変わるような政治自体も終わりにしなければならないように思う。じっくり腰を据え、命懸けで改革をしなければなのだ。そのこと肝に銘じるのは、政治家だけではない。全国民が、そのことを肝に銘じるべきである。本気で肝に銘じて行動に移すべきである。そんなことを強く強く強く思う。

今有権者である私たち国民は何を為すべきか
2012年1月8日

 今年は年明けより、解散総選挙の臭いが漂っている。年末には、政党助成金等の関係で、新党が幾つか立ち上げられた。また、小沢一郎をはじめ複数の政治家が、具体的に動きを見せている。大方の焦点は、野田総理が頑なに推し進める消費税率引き上げに関してである。国民の中からも、大いに反対意見が噴出している。確かに、増税する前にまず議員定数削減、公務員削減、そして、初めて増税であろう、という国民の声が声高に聞こえる。民主党のマニフェスト反故という声が頻りだ。だが、私は、有権者である我々国民も、消費税反対ばかりを連呼するのではなく、今の日本の現状を理解して、今我々は何をすべきかを冷静に判断するべき時であると思っている。確かに増税は望まない。だが、今の日本の財政状況では致し方ない。何故なら、収支が合っていないのだから。このままでいけば、日本の財政は破綻する。入る金と出る金があまりにもかけ離れバランスシートが破綻している。全てが悪循環だ。将来、老後に不安を感じる国民は多い。一番大切なところだ。老後に不安を感じながら、どこに幸せなどあるであろうか。それこそが、何より最優先の国家の義務だ。

 過ぎたことをとやかく言っても仕方がない。だが、そもそも理屈は色々あるが、ハッキリ言ってしまえば天引きしておいて、一度でも未払いがあれば年金不払い措置というのは、何とも理不尽だ。ある意味、国による国民に対する詐欺行為といっても過言ではない。確かに理屈では若者の社会保険料で年寄りの年金を賄っているということになるのだが、実際には問答無用で社会保険料を天引きされ積立てているのと同じだ。にもかかわらず、一度でも支払が抜けると全額不払いとなるというような理不尽が起こること自体が、信じられない。安心ではなく不安を国は国民に与えている。理解に苦しむ。それでいて、役人は社会保険料を無駄遣いしていたというのだ。呆れてモノが言えないどころか、怒り心頭だ。この社会保険制度を、白紙から組み立て直し、隈なく全国民が年金を受けられ、老後を安心して迎えられるシステムを構築することこそが、国としての最優先課題であると私は思う。今のままでは、国としての体を成していない。せめて、老後の安心を国民に与えることが、唯一国が国民に対し行える生涯税金を払ってくれた恩返しではないか。そのことがあって、初めて国民も国のために尽くそうという気持ちが起こるのではないか。何もしてくれない国に対して、愛情も何もわかないのは当然だ。それでは、国は成り立たない。

そんな状況下、私たち日本人は今、何を思い、何を為すべきか。そのことの方が遥かに大切だ。モノの道理からすれば、まず議員定数削減、公務員削減、そして増税ということであろう。だが、嫌なこと即ち増税を避けて通り後回しにすれば、本当にこの国は破綻してしまう。前記した三つの無駄を削減することを同時に行わなければ、本当の意味で改革は実現できない。勇気をもって、敢えて我々国民が嫌がること即ち増税まで一気に為さなければ、この国は生まれ変われない。勿論、今までのように無駄を垂れ流すことは、最優先で止めさせるべきだ。だが、同時進行で消費税率引き上げや議員定数削減、公務員改革も推し進めなければならない。その自覚を、政治家も、公務員も、そして、有権者である我々国民も享受しなければこの国は立ち直れない。

 消費税率引き上げというと、問答無用で皆反対する。だが、財源がないのに絵に描いた餅を食らうことはできない。今のままでいけば、7兆円のマイナスが出て帳尻が合わなくなる。何故なら高齢化社会が加速し、若者の数が減るからだ。この現行のシステム自体が破綻しているのだ。兎に角、前記したように、まずは社会保障制度を白紙の状態から作り直し、国民隈なく年金を受けられるシステムを構築しなければだ。老後の安心なくして、改革などあり得ない。今の日本のような状態では、国としての体を成していない。何が何でも、全国民が安心して老後を過ごせる社会を確立することで、初めて全てが新たに始まる。

 消費税率引き上げというと、問答無用で反対する声が大きい。だが冷静に見聞すれば、消費税ほど公平な税制はないことに気付く。確かに、現行の一律税率では、問題点も多々ある。だが、一律ではなく、税率を変動制にすれば、多くの問題点は解決できる。実際に、香港や北欧諸国などでは、変動税率制で非常に上手く消費税が運用されている。例えば、生きるために最低限必要な、食糧や水、ガス、電気などには、消費税は掛けない0%にする。食糧でも、加工品や人の手が掛かったものには、3%の消費税を掛ける。ケーキや高級料理店などで提供される外食類には、5%の消費税を掛ける。他のモノでも、例えばブランド品などの贅沢品、無くても困らない贅沢品には15%とか20%の消費税を掛ける。多額の消費税を払いたくない人は、そういう高額消費税対象商品である贅沢品を買わなければ良いのだ。高額消費税を払っても、そういう贅沢品を買いたい人は、高額消費税を払って購入すればよい。自動車なども、同じことがいえる。そうやって、棲み分けをしていけば、消費税を払いたくない人は、そういう贅沢品を買わなければよいだけで、それでも贅沢品を手にしたい人は、高額消費税を払えばよいだけのことだ。非常に公平である。贅沢品を買いたければ、一生懸命働けばよいのだ。理に適っている。今の日本が、あまりにも公平という意味を履き違えているように思う。猫も杓子も、高校生までもがブランド品を持ち当たり前でいる。ヨーロッパに行けば、ブランド品は誰もが手にできるものではない。また、別に、ブランド品がなくとも、人間は生きていけるのだ。正に贅沢品なのである。欲しければ、他人より働けばよいのだ。稼げばよいだけだ。稼ぎもないのに、ブランド品に手が出せなくなるというだけで、日本は不公平だという理論自体が、私には異常であり大いに問題があると思う。それこそ平和ボケもいいところだ。

 自分の都合ばかりで否ばかり言っていたら、結局は何も始まらない。それぞれの当事者が、それぞれの身を切ってこそ初めて改革は為せる。今こそ、古き良き時代の日本人に立ち返るべきである。自分は嫌だけれど、他人に押し付けるのでは何も始まらない。そうではなく、自分を後回しにして他人のために自己犠牲をも厭わない、そんな美しき日本人に立ち返るべき時がきたように私は思う。昨年の震災後、市井の人々は、「絆」をもって助け合いの精神を回帰した。だが、政治はといえば、未だ混迷を極めている。政治家も、公務員も、己ではなく国民のことを、そして、この国のことを最優先に政治を行ってほしい。そうすれば、全ては好転し運気も昇り龍のごとく上昇するはずだ。その為には、「先憂後楽」を肝に銘じ、超党派で、この国を真に愛する政治家だけを我々国民が選択するべきである。耳障りに良いことばかりを言い、我々国民を誑かす永田町に巣食う魑魅魍魎を、我々国民の手で、いい加減退散させるべきだ。そのことこそが、最優先課題ではないか。そして、その時が、今年訪れるような気配を感じているのは私だけではないはずだ。大きな変革がくる。そんな気がしてならない。今、私たち、国民は、何を思い、何を為すべきか、そのことを熟考して行動を起こすべきなのではないか。そんな風に私は思う。

橋下新大阪市長の強さ

橋下新大阪市長の強さ
2011年12月17日

  橋下新大阪新市長の強さは、軟弱で軽そうなノリとは反比例して、芯が強く、軸足がぶれず、何と言っても非常にケンカ上手でケンカが強い、強かな洞察力と判断力と勇気兼ね備えていることであると思う。これは、政治家としての資質以前に、彼の本職である弁護士としての資質が高いことを、彼自身が府知事時代に為し証明している。

  私は、自身の法廷闘争に於いて、ある時から弁護士を使わずに自力で闘うようになった。当時雇っていた弁護士の闘い方に大きな疑問を感じたからだ。どんなに頭が切れ、知識が豊富で、机上の勉強ができて優秀だからといって、それが弁護士としての資質や強みであるとは、私は思わない。というか、自分を弁護するにあたって、闘う闘志や強かさを感じられない弁護士と、命懸けで闘うことに大いなる疑問を感じる。ある証人喚問で、あまりにも教科書通りで、情熱の感じない喚問を私の弁護士が行うのを見聞して、正直大いに落胆した。思わず、自ら喚問をしようとして、裁判長から止められたことがある。そんな経験から、自ら弁護士を使わずに、自分の責任で闘うことの方が、失敗しても納得できるし、勝も負けるも自分の責任で行えるので良いと感じたからだ。情熱を感じない、職業的に、義務的に業務を行うような弁護士に、自らの身を預けることに、恐怖と憤りを覚えたからにほかならない。以来、私は自力で法廷闘争をするようになった。

  それはそうだ、自分で自分を弁護すれば、一生懸命釈迦力で闘いに臨む。だが弁護士は、結局のところ他人事だ。商売なのだ。それと、ケンカの経験もないような弁護士が、頭だけで法廷に望むことに大きな疑問を感じてしまった。法廷闘争とは、私はケンカだと思っている。やるかやられるか、究極そういうことだ。強かに生き残らなければならないのだ。ケンカもしたことのない弁護士に、自分の命を預けられるわけがない。ある意味、自分は生き残り、相手を自分の思うような出口に導き逃げ道をなくすことが、法廷闘争であると思っている。鼠を迷路に追い込む要領で。喧嘩と同じだ。だが、これができる弁護士は滅多にいない。これが、弁護士を使わず自力闘争するようになった一番大きな理由だ。

  ケンカは、強かに勝つのではなく生き残らなければならない。サバイバルゲームだ。軍隊と同じだ。相手を倒すことが目的ではなく、自分が生き残ることが目的だ。結果、相手を倒し自分が生き残るということだ。攻める時もあれば、退く時も逃げる時もある。よく相手の出方を凝視して、瞬時に迷うことなく次の手を繰り出さなければ、気付けばのされてしまうことになる。勇気と速さ、そしてタイミングが非常に大切になる。このケンカの極意こそが、法廷で強い弁護士の条件であると私は信じている。ケンカの実戦経験のある弁護士、これこそが最強の弁護士だ。だが、私の少ない経験では、そんな実戦経験豊富な、机上論を優先せず、五感を駆使して闘ってくれる頼もし弁護士にお目に掛かったことがない。故に、これまで私は弁護士を使わずに闘ってきた。もしかすると、橋下新大阪市長は、そんな勇気と決断と判断力と何より深い情熱をもってことに当たる私が探していたような稀有な弁護士かもしれない。そんな風に、彼のこの3年半の府知事としての様子、そして今回のダブル選挙、大阪都構想実現を掛けて闘う彼の姿を見聞し感じた。

  この弁護士としての橋本氏の強さこそが、本来政治家にとっても何よりの資質であると私は思っている。弁護士以上に強かで狡賢く生き残らなければ、自分の信念をもった法案を押し通すことさえできないのが政治の世界だ。そんな政治の世界で、生き残る秘訣は、上記したような弁護士としての資質に共通する条件であると思っている。そういう意味で、橋本氏は非常に面白く興味深い政治家として、私は見守っている。もしかすると、来るべき大きな政界再編のキッカケに、彼や維新の会がなるかもしれない、原動力となるかもしれないと大きな期待を持って見守っている。橋下氏のような勇気があり行動力があり、既成概念に囚われない政治家こそが、大きな改革を為し、国を動かす。正に維新を為す逸材であると私は思っている。今後の活躍に期待したい。

大阪都構想と市長選に思うこと
2011年10月21日

 大阪市民でない第三者として思うことを、正直に記すこととする。そのことをご了承ください。当事者でないので、無責任な内容にならないように心掛けます。

 まず最初に、正直に言えば、昔から大阪府と大阪市という体制自体、第三者からすれば非常に解りにくい。何十年も大阪に出入りしていても、未だに完全には理解できていない。全ての根源は、そこにあるのではと第三者として無責任に思ってしまう。そういうことからすると、橋下知事の大阪都構想というのは、ある意味我々部外者にとっては非常に解り易い。

 例えば、テレビ番組などでも取り上げられていたが、道路の清掃一つをとっても、府道と市道で交わる交差点では市と府が縄張り争いのような事をしていると報道されていた。正直に、不思議に思った。施設等も、私立と府立の二種類があり、他県からの訪問者からしたら、非常に解りにくいし無駄にしか感じられない。多分、そんな不合理を、橋下知事は改革しようとしているのだろう。当事者の大阪市民や府民からしたらば、今まで継続されていた体制を、わざわざ改革して、危険を犯したくないという守りに入っているのだろう。だが、思う。改革というのは、誰かが勇気をもって、人々を導いていかなければ、いつまでたってもできないものだと。今、大阪は、そんなチャンスを得ているのではないか、そんなことを無責任に思う。

 本来関西圏というのは、京都、大阪、神戸という大きな都市が並列していて、大きな力を持っている地域であるはず。それなのに、その良さを活かさず、どうも不合理なことを続けているように、昔から感じていた。関東圏は、関西とは違い東京が首都として大きな位置をしめている。だが、万が一天災などが起これば、一蓮托生一気に潰れてしまう。そうやって考えると、関西圏は非常に良い形ができるのではないかと思う。折角のそんな天運を、わざわざ分裂するような形で逃してしまうことは非常に残念だ。上手く、良い結果がでればと思う。今後の進展を見守りたい。

民主党代表選という茶番
2011年8月28日


代表選候補者が全員揃ったところで見て見ると、最も総理らしくない顔をしているのは海江田さんだ。消去法でいけば、一番最初に消える候補者だ。にもかかわらず、数の原理で彼を推しているという民主党に国民からの信頼を得ることはできない。この姿勢を国民が不安に思っていること、結局民主党はまったく理解していない。

こんなに多くの候補者を今の状況下で出すこと自体、どこに挙党一致、挙党態勢だ。言っていることと、やっていることがまったくチグハグだ。国民に、そんあ民主党のどこを信じろというのだ。茶番もいいところ。あまりにも幼稚過ぎる。彼らに国を司るなど無理。私利私欲、党利党略よりも、今こそ挙党一致で本来前進するべき時。


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