政財界倶楽部(恩田将葉見聞録)

若者達がジャパニーズ・ドリームを夢みれる国を願い、「政治をもっと身近に!」というスローガンのもと、日本人に愛国心を喚起する。

経済・財界・ビジネス問題

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まだまだアメリカの動向を注視する必要がある世界市場
2007年3月1日

 昨日の朝は、株式市場の大暴落一色であった。しかし、不思議なことに、嘗て経験したような緊張感を感じなかったのは、私だけではなかったはずだ。中国市場の影響を受けての暴落連鎖だという。急成長途上にある中国の市場が、いよいよ世界に影響を出しだした証だ。裏を返せば、中国人達へ資本主義の甘い汁を吸わせることに、アメリカが成功したともいえる。

 アメリカにとって一番大切な経済政策の一つに、アメリカ$を基軸通貨として死守し、拡大するということがある。それには、中国市場は見逃せない大切な市場なのだ。今は、アメリカが、中国にカンフル剤として資本主義の甘い汁、即ち贅沢と選択肢を、あらゆる場面で打ち込んでいる。一度甘い汁の味を覚えた人間は、絶対に後戻りはできない。一昨日までの株式市場の高騰は、その証であった。そして、その焦りを表したのが、昨日の中国に始まる大暴落であった。

 今年、このような暴落があることは、ある程度予測されていた。それが、いつになるかはわからなかった。だが、間違いなく、このような暴落が、北京オリンピックまでに何度か起こることを、投資家は誰も予想していたはずだ。そのような状況下、昨日の暴落は起こった。しかし、これは、本番ではない。まだ、イントロダクションである。今後、このようなことが数回起こるであろう。そして、一度、大きな暴落が起こるはずだ。そのことは、歴史を振り返ればわかることだ。一つの国が急成長する段階での、登竜門とでも言えるのではないか。ただ、その規模が大きい。中国の規模は、歴史上類を見ない大きな規模だ。よって、一度、バブルが弾けた後が、中国にとっては本番であろう。その時こそ、中国を中心にして世界の経済が回りだすことであろう。中国がクシャミをすれば、きっと世界中がクシャミをすることになるのであろう。

 だが、これだけは、見誤ってはならない。中国中心になりつつはあるが、その中国の市場を巧みに操っているのは、アメリカの経済戦略であるということをだ。アメリカのドルを基軸通貨とした戦略は、我々他国人から想像できないほど、アメリカ人にとっては重要な経済政策なのである。そして、それは、アメリカが世界の中心にいられる唯一の武器なのである。よって、アメリカは、あの手この手で、中国を肥らせ、そして、ドルという自分達の手中で転がそうとするのだ。少なくとも、中国でバブルが弾け、本当の意味で中国が自立するまで、暫くの間はこの構図が続くに違いない。

 最後に、今回の暴落は前哨戦であって、市場に小さな影響は出ても、大きな影響を与え続けることはないであろう。しかし、間違いなく第二の波、第三の波が、近い将来押し寄せてくることを忘れてはならない。
不二家の問題隠蔽は得意先による圧力と得意先確保のための苦肉の策か!?
2006年1月16日

 新聞、テレビをはじめ、各種メディアで、不二家の衛生管理問題が大きく取沙汰されている。消費者の健康に直結する問題であるので、当然のことである。賞味期限切れ食材を利用していたこと、衛生管理の不徹底など、食品メーカーとしては許されざることだ。しかし、100年の歴史を誇る老舗が、何故、このような結果になることを承知で、あのようなずさんな経営をしなければならなかったのであろうか。誰も、窮地に立たされること承知で、あのような痴態をなすはずがない。同族による経営体質である等、色々なことが取沙汰されている。しかし、それは、少々色眼鏡で見すぎているのでは、という感じがする。簡単に言ってしまえば、時代の流れ、消費者の価値観や判断基準の変化によるマーケットの変化に対応しきれなかったということだ。そのような厳しい状況下、経営的に窮地にたたされていたため、ここまで形振り構わずの経営を強いられ、追い詰められたということではないか。このことは、不二家だけの問題ではなく、多くの老舗食品メーカー企業が抱える問題である。

 彼らは誰よりも、衛生管理を徹底することによって消費者の信用が得られることを知っている。商人である以上、お客様が神様であることを知っているはずだ。にもかかわらず、あのような痴態をなしたには、それなりの理由があったはずだ。それは、やはり経営難ということであろう。経営者が、追い詰められていた典型的な例ではなかろうか。

 経営者は、日々判断、決断を迫られる。平時であれば、良識的な判断を下せる。しかし、経営難になれば、決断にあたっての選択肢は非常に厳しいものになる。それは、不二家に限ったことではない。時として、どちらかに目を瞑り、どちらかを生かさなければという判断を迫られることにもなる。多分、かなり最終的な段階まで追い詰められていたのであろう。まず、社員か消費者か、という選択を迫られたはずだ。そこで、不二家の経営者は、消費者ではなく社員を選択した。それは、従業員があってはじめて会社が成り立つ。また逆に、会社が存続してはじめて従業員やその家族の生活も保障される。そのためには、立ち直るまで目を瞑らなければ、という間違った判断のもと、賞味期限切れの食材を使ったり、極限の衛生管理体制に目を瞑ることになったり、ということで無駄を最小限にし、コスト削減を図ったのであろう。そのことは、賞味期限切れ商品を従業員に押し付け販売していたということにも表れている。経営者側も、苦渋の選択をしているのだから、従業員も痛みを共有し、建て直しに協力して欲しいという経営陣の意識が働いたに違いない。そして、最終段階で、不二家の経営者は、従業員か得意先か、という選択を迫られた。それが、二ヶ月前に問題が発覚した時のことであろう。そして、不二家の経営者は、従業員ではなく生き残りをかけ、背水の陣で得意先を選んだ。例え、経営者が辞任することに追い込まれても、老舗の名前を存続させたいという意思が働いたのであろう。その証拠に、皆様の中にも気付かれた方がいらしたのではないか。クリスマス前からと、正月前から、大手コンビ二などで、不二家商品の詰め合わせセットが信じられない特価で大量に販売されていた。中身は、ミルキーをはじめ各種不二家商品がランダムに詰められていた。問題が発覚し得意先に報告と謝罪をしたところ、在庫を抱えた得意先から在庫処理に関しての圧力がかかったのであろう。返品を受けるか、もしくは問題を公表することを先送りし、その間に在庫商品を売りつくしてしまうという選択肢を。返品ということになれば、間違いなく経営的破綻の確率が高くなる。そこで、万が一の場合、「不二家」の看板の売却も視野に入れ、苦肉の策として得意先を確保するという決断をしたのであろう。しかし、この経営者による二回の判断が、あきらかに間違いであった。本来、最初の判断の際、勇気ある判断をするべきであった。それは、経営多角化から撤退縮小し、有望商品だけに絞り込む、という判断である。だが、この判断は、経営者にとって、非常に難しく苦渋の判断である。特に、従業員を家族のような感覚でとらえる日本の企業や経営者にとっては。こんな経緯で、老舗不二家は転がり落ちてしまったのであろう。しかし、不二家の事件は、他人事ではない。明日は我が身とならないとも限らない。景気は回復の兆しと政府は言うが、現実は違う。中小企業をはじめ多くの弱小企業は、これほど苦しんでいる時代はないのではないか。ブランド力を背景に、豊富な資金力と人材で席巻するコングロマリットに、不二家のような老舗メーカー企業や多くの歴史ある弱小企業は、押し潰されているというのが現実だ。

 ここで、1つだけ言えることは、企業というのは非常に冷酷で無慈悲なものであるということだ。コンビ二や大手スーパーほど賞味期限を遵守する販売店はない。にもかかわらず、そのような販売店でさえ、やはり消費者より利益を優先し損失を回避するという体質であるということだ。確かに、彼らの店頭に並んでいる不二家の商品が、賞味期限切れであったわけではない。それらの賞味期限切れでない商品を製造する際に使われた食材が賞味期限切れであったのだ。彼らは、何も消費者へ対して不義理をしていない。それが、彼らの言い分であり、自分勝手な理論であろう。結局のところ、消費者はいつも置き去りである。皺寄せを被るのも、いつも消費者である。企業にとって、利益追求は最優先課題とはいっても、何とも悲しむべき現実だ。
財政難の今こそ消費税率を上げるべき
2006年7月27日

 消費税率を上げる、ということが国民にとって良くないことのように、共産党や多くのメディアは声を荒げる。しかし、本当にそうであろうか? 増税ということは、これだけ格差が大きくなってきた社会環境下、我々国民に大きな負担になることは間違いない。しかし、他のどの税金を上げるよりも、消費税を上げることの方が、実はより公平な税制を期待できることには、あまりメディアも言及しない。そこのところには、非常に大きな疑問を感じる。多分、政治家は支持率確保のため、そして、メディアは視聴率確保のためということなのだろう。

 確かに、誰も、増税は望まぬことである。だが、高齢化が進む日本の将来を考えると、増税なくしてこの財政難を乗り切ることは難しい。それでは、小泉政権の推し進めるような、高齢者が増加するので高齢者への負担も増やす、という税制や社会保障制度は正しいのだろうか? このような小泉政権によるやり方には、非常に大きな疑問を感じる。社会保障制度というのは、高齢者が増加してしまったので負担も増加するというのではまったく意味をなさない。それまで長年、家族や国のために働いてきたのである。健康保険をはじめ、各種社会保障制度によって高齢者が守られる社会でなければおかしい。

 だが、そうは言っても、少子化が進み、高齢者が増加して、十分な予算が確保できず、社会保障制度が働かないというのでは困ってしまう。ただ遮二無二、社会保障制度を充実させなければと声を大きくしても、その元となる財政を立て直し、十分な予算を確保できなければ、結局は綺麗事の理想論、机上の空論になってしまう。それでは、どのようにして予算を確保するか。やはり、増税しかない。

 ただ、日本の場合、消費税以外の税金に関しては、行き着くところまでいってしまっている。これ以上の増税は、正直国民にとっては非常に厳しいこととなる。そうなれば、いくら世界第二位の経済大国といっても、まったく夢も希望も持てない将来性のない国が、日本ということになってしまう。それでは、まったく意味がない。

 だが、消費税ならば、そんなこともなく財政を立て直すことも可能になるはずだ。諸外国では、消費税率は日本に比べ格段に高い。何故、日本では、消費税を上げるというと大騒ぎになり、消費税を上げるというと政治家も選挙で落選してしまうことになるのか? 不思議でならない。だから、多くの政治家も、消費税を上げる、ということを言いたがらないし、したがらない。このことが、日本の財政を長年に渡って、非常に逼迫した方向へと導いてきたと言っても過言ではない。そういう意味では、今回谷垣財務大臣が総裁選立候補に当たって提言している消費税率10%ということは、非常に勇気のある姿勢であり、国の財政立て直しを真剣に考えているということが伝わってくる。

 消費税率アップが、何故こんなにも日本では反対されるのか、その理由は簡単である。日本は、企業大国であるからだ。何でも企業の思惑通りに動いてしまうのが、日本という国なのである。そのような体質は、小泉政権の5年間で増長されてしまった。自由化ということと、企業優遇ということは紙一重で表裏一体なことであり、公平性を保つことが非常に難しいことなのである。何も企業のみを優遇しようと思い、小泉政権がこのような自由化政策小泉改革を推し進めたのではないはずだ。しかし、結果として、そのようなことになってしまった。一番消費税を望まないのは、国民よりも誰よりも企業である。何故ならば、消費税率が上がれば、当然売り上げに大きな打撃があることは目に見えているからだ。しかし、実際に贅沢品に消費税をより多く掛けたとしても、一時売り上げは下がるであろうが、ちょっとすれば逆に定価自体を上げて一商品当たりの利益率を上げて、採算を合わせていくということは十分に可能なはずである。何故ならば、金持ちは消費税が上がろうが、定価が上がろうが欲しいものを手に入れるはずだからだ。

 メディアは、スポンサーである企業に対しての配慮で、消費税率アップに反対することは理解できる。しかし、反企業的な共産党が、何故消費税率アップは不公平増税だと騒ぐのか? これには、非常に大きな疑問を感じる。消費税率を上げることが、国民にとっては一番公平な増税であるのに。消費税というのは、モノに課せられている税金である。ということは、消費税率を一律にしなければ、これ以上公平な税率はないはずだ。

 例えば、国民が生きていくために最低限必要なモノである食料品や水や電気やガス、これらには最低限の税率もしくは税金を掛けないようにする。しかし、反対に、車や高価な装飾品などには、それこそ30%とか35%という大きな税率を掛ければよい。経済的に余裕のある国民は、高い消費税を払っても欲しいものを手に入れ、消費税を払う形で国に貢献すればよい。その代わり、相続税などを現状のように世界一高い水準に上げず、頑張れば頑張っただけ希望の光を見ることができるように良識的な線まで下げればよいのだ。消費税を沢山払いたくない人は、そういう贅沢品を買わなければよいのだ。これ以上、公平な税制はない。何も、誰も中流の人々までが、今の日本のように、シャネルを持ち、ビトンを持ち、猫も杓子も車を持ち乗り回す必要などないのだ。道交法が厳しくなり、駐車しにくくなったのだ、これだけ公共交通機関が発達している日本である。それらを利用すれば、良いだけのことだ。休日には、レンタカーを使えばよい。困った声を上げるのは、日本財界をリードするトヨタをはじめとする自動車業界など贅沢品を製造する企業だけではないか。

 実は、このような税制になっている国は非常に多い。社会保障制度が充実している北欧諸国、そして、アジアでは香港がこのような税制であり、その効果は間違いなく出ている。車は、庶民には高嶺の花になっている。しかし、最低限の生活は保障されている。そして、年取ってからの生活も保障されている。どう考えても、小泉政権が推し進めた、高齢者へも負担を増加するということでの各種控除の廃止や健康保険のカバー率の引き下げは、高齢化という時代の流れには逆行した政策である。高齢者が増えたから、負担を増やすというのではなく。高齢者が増えたからこそ、社会保障制度を今まで以上に充実させるというのが本当の政治であるはずだ。

 ただ、それには元となる財政の立て直しが必須条件である。そう考えると、増税は免れない。それならば、一律に全てを増税するのではなく、上記したような消費税制を取り入れ、所得税や相続税などの税金は据え置くか、負担を逆に軽減する方が、国民も夢を持てる。国民が夢を持てれば、頑張ることもできる。国民が頑張れれば、日本の経済も再起し、財政も上向きになるはずである。何でもかんでも増税反対ではなく、良く考慮して、日本の将来を見据えた税制改革を、国民一人一人も真剣に考える時がきているのだ。今、真剣に、税制改革を推し進めなければ、日本に将来はないことは間違いのない事実である。

「私利私欲で国の誇りまでも蔑ろにする経済同友会」
2006年5月10日

 本日朝刊一面をご覧になったであろうか。経済同友会が、小泉首相による靖国参拝に反対する決議を昨日5月9日に発表したという記事が、新聞各紙の一面に大きく取り上げられていた。そして、その記事下に、小さく小泉首相の談話が掲載されていた。「商売のために、国の魂までをも売ることには賛同しかねる」というような言葉であった。皆様は如何感じられるであろうか?

 小泉首相の言う通りである。確かに靖国参拝問題には、賛否両論色々ある。しかし、いかなる理由があろうとも、他国の干渉を受けるべき問題ではない。これは自国内の問題であり、他国からの干渉を理由にし、日本企業による商売の都合のために他国の主張を受け入れるような形で結論を出すべき問題でもない。内政問題として、一切他国からの干渉とは別のところで、純粋に議論を闘わせて解決すべき問題である。

 昨日の経済同友会による、小泉首相の靖国参拝反対の決議には、国民の一人として非常に大きな憤りを覚える。日本企業は、自社の思惑や都合で、国の威信までをも捨てるというのか。彼ら経済同友会には、未知数ではあるが大きな可能性を秘めた巨大マーケット中国のことしか頭にないのだ。今、日本の政府が中国政府を怒らせれば、自分達が他国の企業に先を越され、大きなビジネス・チャンスを逸するから、形振り構わず金にものを言わせて中国の片棒を担ぐような言動をし、このような信じられない決議をするのである。

 大体、今の平和な日本は、どういう犠牲の上に成り立っているのか、ということを忘れてしまったというのか。家族のために、国のために、命懸けで国を守り、命を国のために捧げた先人達がいてこそ、今の日本の平和はあるのだ。そして、彼らの屍の上を乗り越えてきたからこそ、日本は世界で二番目の経済大国にまで発展することができたのだ。そのことを忘れて、靖国参拝反対などとは、よく言えたものだ。

 一昨日のトヨタの会長の記者会見を見たか。アメリカのトヨタ現地法人社長によるセクハラ事件に関しての記者会見である。例え、セクハラが虚偽であったとしても、あのような記者会見の席で、ニタニタと笑いながら「タイミングが悪かった・・・」という発言はない。仮にも、日本の財界を背負っている人間が、あのような態度で記者会見をやってしまい、それを何も感じずに報道するマスコミの無神経さにも、大きな憤りを覚える。日本の恥さらしではないか。今の日本は、全てがおかしい。このようなことが、まかり通っている国がよくなるはずもない。日本人の誇りや倫理観は、一体どこにいってしまったのか。若者達の手本になり、引っ張っていかなければならない財界のトップ達があの有様では先が知れている。嘆かわしい限りである。

 小泉首相が、盛んに言い続けている。靖国参拝問題の一番懸念する問題点は、隣国が我が国の内政を干渉してくること以上に、自国民の中に隣国の理不尽な干渉に同調する人々がいるということだ、と語気を強め繰り返している。まったくその通りだ。自分達の商売の都合によって、国の威信や誇りまで捨てる輩が肩で風を切って闊歩できる、という日本社会の現状に大きな問題がある。「勝ち組・負け組」などという安易な価値観が持て囃され、金さえあれば法律でさえ自分達の都合に合わせて変えられる、というような間違った風潮が当たり前のように思われてしまう日本社会には、末恐ろしいものさえ感じる。

 マスコミは、企業からの莫大なる広告費の犬と化し、偏向した報道しかしない。そのマスコミでは、「暴力団」がどうのこうの、「暴対法」がどうのこうの、「共謀罪」がどうのこうの、ともっともらしいことが書かれている。しかし、実社会では、任侠の人間よりもいい年をしたビジネス・マンや一般人の方がよっぽど冷酷でご都合主義な言動を繰り返している。法の網の目を潜り抜け、捕まらなければ何をしても金を儲けた方が勝ちであるかのように、大手を振って闊歩する勝ち組と称する輩。彼らこそ暴力団ではないか。規律もモラルもなく、好き勝手自分勝手なことばかりをして、社会に迷惑を掛け、自分が危なくなると平気で裏切り人のことをも売る輩、そういう輩こそ暴力団と呼ぶべきだ。そして、そのようなとんでもない勘違いした輩は、ほとんどの場合普通の一般である。その証拠に、連日冷酷無慈悲な殺人事件が報道されているではないか。それらの事件の加害者は、皆普通の人、一般人である。私利私欲、自我、自分の都合で為した悪行である。自分の血が繋がった家族でさえ殺してしまうのである。家族を愛し、愛する者達を守り、その愛する者達が帰属する国を守る、などという殊勝な発想も愛国心もあるはずもない。何故なら、彼らを導かなければならない大人達が、この有様である。日本の経済を引っ張っていかなければならない経済同友会が、自国を誹謗するような決議を出し、自我と私利私欲と自社のご都合主義によって、自国の首相の足をも引っ張るようなことをするのであるから。本当に嘆かわしい限りである。

 今大切なことは、このような間違った価値観や社会風潮に流されることなく、信念と勇気を持ち、日本に生きる民として、正しい道を真っ直ぐに歩むということではないか。簡単なようで、非常に難しいことかもしれない。しかし、一人一人が信念を貫き続ければ、いつかそれは大きな力となり、国をも動かすはずである。

 余談ではあるが、韓国ドラマ「チャングム」に描かれている汚職に塗れた社会背景は、正に今の日本社会を投影しているようである。正直者が馬鹿を見る。そして、金にモノを言わせた商人が、政治をも動かしてしまう。王は、真面目だが、その王を取り巻く役人達こそが諸悪の根源であり、悪党集団である。正に今の日本である。

堀江貴文ライブドア社長逮捕に思うこと
2006年1月25日

 ライブドアの堀江貴文社長が、遂に逮捕された。彗星のごとく表れ、嵐のように去っていったという印象だ。近鉄バッファローズの買収で、一躍世間での知名度を得てからというもの、破竹の勢いで急成長した。メディアとネットの融合を目指しフジサンケイ・グループに触手を伸ばしたり、衆議院議員選挙に出馬したりと、年中話題に事欠かない人物であった。
 確かに、今回の事件では一線を越えてしまったのかもしれない。あまりにも急成長したがために、少々調子に乗りすぎていた感は否めない。しかし、そうだとしても、大手メディアによる彼に関しての報道には、少々疑問を感じざるを得ない。最近では、バラエティー番組などにも多数出演していた。それだけではない。テレビでも、コマーシャルが流されていた。いや、テレビ番組に出演していること自体が、堀江氏にとって、そして、ライブドアにとって、絶大なる広告効果であったことは、誰の目にも明らかである。
 彼がこれだけ話題の中心人物であったにもかかわらず、隠密裏に進められていた東京地検の内偵にはどこのメディアも気付かず、多くの大手メディアは右往左往の大騒ぎであった。堀江氏が出演している番組の放映を急遽中止するなど、ライブドアの慌て振りよりも、各メディアの慌て振りの方が尋常ではなかった。突然の強制捜査がライブドアに入るや否や、数時間前までの堀江氏への対応とは一変し、各メディア、マスコミ各社は手の裏を返した。調子の良い時は、コバンザメのように付きまとい利用するだけ利用して持ち上げるだけ持ち上げておきながら、一旦ことが起こると手の裏を返す。これが、現在の大手メディアやマスコミの体質だ。いや、財界も、政界も、日本全体の体質なのかもしれない。
 堀江氏が正しいとは言わない。ただ、少々酷すぎるのではないか、ということを言っているのだ。全てにおいて、冷静さを欠いている。「風説の流布」という疑惑もあるようだが、それならばメディア関係者ならびにマスコミの人々に問いたい。バラエティーやら何やらで、散々堀江氏を画面に登場させていたテレビ局の制作スタッフをはじめ、堀江氏を積極的に露出させていた大手メディアの担当者達の中には、ライブドア株を保有していた人間が少なくない。これらの人々に関しては、どうなるのか? 自分達が株を保有しているライブドアの社長である堀江氏を、頻繁に自分達が担当製作している番組に出演させたことが、視聴者へ対して堀江氏ならびにライブドアの好感度を上げる効果が全くなかったとは言い切れない。それどころか、堀江氏がテレビに頻繁に出演することによって、ライブドアの株価に影響を多少なりとも及ぼしたことは間違いない。多くの個人投資家達が、テレビに出演する堀江氏を見てライブドア株を購入したのも事実である。
 また、一旦ライブドアに強制捜査が入った直後からの、テレビをはじめとする大手メディアの報道やコメンテーター達のコメントを聞いていると、このままライブドアは倒産してしまうようなことさえ示唆する報道が非常に目立った。それどころか、まるで堀江氏はじめライブドアがやっていること全てが極悪であるかの印象を受けるような報道を繰り返している。報道の中では、ライブドア株を保有する一般株主に同情するようなことをコメンテーター達も含め多くの関係者が発言している。が、しかし、実はまったく反対のことをしているのだ。ライブドア株を保有している株主達にとっては、ライブドアが倒産したり、上場廃止になったりすることが、一番不利益を被ることになる。にもかかわらず、ほとんどのメディアの報道をみていると、「他人の不幸は蜜の味」と言わんばかりに、ただただ、ライブドアを追い詰めるような決め付け報道ばかりを繰り返している。
 報道というのは、真実を伝えるものであって、例えその会社の社長をはじめ幹部が悪いことをしたとしても、その会社を潰すような報道をするべきではない。潰すような偏向した報道は、嫉妬や怨念でしかなく、報道などとは呼べぬものである。大体、いつもそうであるように、今回のライブドア事件に関しても同じことが言える。罪の無い無垢な社員が沢山おり、その社員達には家族もある。一つの小さな社会を形成しているのが会社である。その会社を奈落の底にまで突き落とす権利は、マスコミにも、政治家にも、司法にも、誰にもないはずである。万が一、視聴率や販売部数競争のため、他紙や他局との報道合戦に勝たんがために、行き過ぎた報道やコメントをして、直接的であろうが間接的であろうが、そのことが原因で当事者である会社が倒産にでも追い込まれれば、路頭に迷い苦しむのは、他でもない無垢な社員達とその家族である。同時に、今回の事件で言えば、上場しているので、ライブドア株を保有している投資家達である。
 今回のライブドア強制捜査が為されたきっかけとして、マスコミは勝手に、昨年4月に新たに就任した東京地検の特捜部長の就任の挨拶で語られた、「汗水流して働いている国民が・・・」というフレーズを盛んに引用している。しかし、この報道自体も、各メディアがこの東京地検特捜部長に直接取材をしたわけではない。昨年の就任挨拶の言葉を引用し推察しての報道である。今回の事件に当って、改めて出したコメントではない。にもかかわらず、まるで特捜部長のこのような意思が働いて、今回の強制捜査と堀江氏はじめ幹部の逮捕ということが為されたように各社報じている。このような無責任な報道を鵜呑みにすると、この特捜部長の言葉さえ、矛盾したおかしなものになってしまう。何故ならば、もし万が一ライブドアが上場廃止になったり、倒産したりすれば、汗水流して働いている社員や一般投資家達が追い込まれ、皺寄せを受けることになるのであるから。
 報道では、堀江という人物は、「金」だけが判断基準で、「金」のガリガリ亡者であるという印象ばかりが前面に出されている。別に堀江氏を庇う義理はまったくないが、上場前のオン・ザ・エッジ時代に数回、近鉄バッファローズ買収劇直後にインタビューで一度、堀江氏と直接会って話した私個人が受けた印象を言えば、必ずしも彼の価値観の全てが「金」という風には感じられなかった。兎に角、彼の心の奥底に「体制批判」という反逆精神が染み付いている。ある意味非常に大きな自信と劣等感が複雑に交差しているオタッキーでネグラだが東大生特有の攻撃性を持った人物、という印象を私は受けた。彼のどこがネグラなのか、という読者も多いと思う。しかし、本来ネグラなのではないか、ということだ。それが、上場を果たし、金を手にし、自分の思うままにここまで進んでこられたがために、彼の内面に潜んでいた「明」の部分が浮き上がってきた、という感じがした。誰でも、人間は、「暗」の部分と「明」の部分、「影」の部分と「光」の部分を持ち合わせている。彼の場合、それが非常に極端である印象を受ける。
 最初に堀江氏に会った時の印象は、兎に角「暗い」の一言であった。汚らしく長く伸ばした髪の毛、上から下まで黒一色の服装。それも、何だかセンスもなくファッションなどとは言いがたい格好で、身形に気配りする余裕もない苦学生のような雰囲気であった。ただ、話し方は、今と変わらずなかなか攻撃的な話し方で、話す内容も変わっていた。頭の良い男だな、という印象であった。場所は、私が主催していた若手の代議士と若手IT起業家の議論の場としてのフォーラムであった。この時既に堀江氏は、見かけの暗さには似合わず、宇宙や火星の話などもしていた記憶がある。自信家であることは、直ぐに伝わった。上場直前ということもあり忙しかったのであろうが、多くの若手代議士や起業家達を1時間近く待たせて登場した。我が侭で、横柄な我が儘なヤツという印象がなかったと言えば嘘になる。しかし、話してみると、謙虚なところもあった。ただ、一言で言えば、既成概念の破壊が、この青年の生き甲斐なのかな、という印象は非常に強かった。
 私見ではあるが、優秀な東大生というのは独特な共通点を皆持っている。彼らは、共通して大そうな自信家である。自分以外の人々のことをジャガイモか何かと思って、日々生活している。だからと言って、あからさまに他人をバカにしているのではない。ただ、「何で、こんな簡単なことを皆わからないの?」という意識を常に持っている。しかし、それを押し付けることもない。そして、そんな彼らの弱点は、否定されることである。自分の意見や言っていること、やっていることを否定されると、彼らのプライドの炎がメラメラっと燃え上がる。ある意味、理性を失い燃え上がるとも言えるほどだ。「何で、俺みたいな天才の言うことが、お前らみたいなジャガイモに否定されなければならないのだ」とばかりに、顔を真っ赤にして反論する。その姿は、時として常軌を逸している。堀江氏も、例外ではない。記者の質問に荒げた口調で口を尖らせて反論している堀江氏の姿は、テレビでも何度となく映し出されていた。私が思うに、東大生特有のこのような弱点が怖い。自分自身の非を認めなければならない、というところまで追い込まれた時、それまでの勢いが嘘のように、彼らは奈落の底に自ら落ちる。そして、しばしば、そのまま生きる気力さえも無くし、自ら命を絶つ者さえいる。堀江氏も、今は勢いよく検察官と対峙している。しかし、一度、自分が非を認めざるを得ない状況に追い込まれた時、彼は全てのプライドを失うであろう。その時、彼の「暗」の部分、「影」の部分が、頭をもたげ浮上してくる。その「暗」の部分が「明」の部分と入れ替わった時、彼がどのような落ち込み方をするかが興味深い。ただ、最悪の事態に至らぬことを願う。
 ずっと不思議でならなかったのは、彼を盛んに攻撃し続けてきているマスコミ界のトップや財界のトップ達のことである。彼らは、俗に団塊の世代と言われる人々である。団塊の世代は、「体制批判」をすることを唯一の生き甲斐にし、拠り所にして生きてきた世代である。ある意味、堀江氏とは共通点を見出すことができる。どちらも、既成概念を打破し、体制を打破し、大勢に立ち向かっていた。にもかかわらず、彼ら団塊の世代の各界トップの人々は、一貫して堀江氏を批判し続けた。本来、自分達も反逆精神で生きてきたわけであるから、同じ反逆精神を持ち合わせる堀江氏にシンパシーを感じてしかるべきであるはずだ。ところが、実際には、彼らが体制を批判し続けてきたのと同じように、堀江氏のことをも批判し続けた。それは、嫉妬からであったのか、それとも何か他の感情があったのであろうか。不思議でならない。
 最後に、堀江氏の印象で、もう一つだけ付け加えておきたい。彼も人間である。金が思うようになれば、贅沢もしたであろう。しかし、彼には、「物欲金欲最優先」という臭いはまったくしなかった。それよりも、見えない何かと独りで一生懸命闘っている、という印象であった。その姿が、我々からするとビジネス・ゲームに興じている子供のように見えたのかもしれない。しかし、彼の足を引っ張ろうと奔走している政界、財界、各界の古狸先生方よりは、ずっと純粋な人間に見えたのは、私だけではないはずである。
 通常国会直前に、突然起こったライブドアの強制捜査と堀江氏逮捕劇、政治的思惑が何もないという方が不自然である。やはり日本は、出る釘は打たれる国なのだな、仇討ち精神が未だに残る国なのだな、ということを実感させられた事件である。

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