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視聴者である国民を置き去りにした財界人の暴走
私利私欲に奔走せず視聴者にとっての利便性を第一に考慮すべき
2005年10月28日
テレビとインターネットを融合させた放送の確立を目的とした、「第二日本テレビ」という会社が設立された。昨年、ライブドアの堀江氏がフジテレビ買収ならびに業務提携を画策し不発に終わった。そして、今、楽天の三木谷氏がTBSの買収ならびに業務提携を画策しTBSと対峙している。何故、堀江氏も三木谷氏も、そんなにテレビ局を手中におさめたがるのか。その答えは、10月20日付けの「ITバブル紳士達がテレビ局を欲しがる理由」という記事で書いてあるので参考にして頂きたい。要は、「時間」を商売にする、ということを彼らITの異端児達は画策しているのである。それを、放送業界の人間達は、自分達が製作し保有している番組をインターネットでのコンテンツとして、彼らITの異端児達が虎視眈々と狙っている、と勘違いし既得権を守ろうと迷走している。放送業界人の度量の無さには、呆れる。そんな彼らが、国民に最も影響力の大きいと言われるテレビの番組を製作しているというのだから、恐ろしい。
彼らITバブルの異端児達は、番組を横取りしようとしているのではない。放送とインターネットを融合させることによって、1日24時間1週間7日という既成の時間の観念の範囲内で製作されているテレビ番組を、従来の時間の観念から開放し、視聴者に1日24時間以上の時間を売る、という商売を考えているだけなのである。
それでは、そのことは、視聴者にとって良くないことなのか? テレビ局にとって良くないことなのか? いや、視聴者にとってもテレビ局にとっても、良いことである。デメリットは、まったくないと言っても過言ではない。それなのに、目先の私利私欲や名誉欲、既得権保守に奔走し、そのような可能性の芽を刈り取ろうとしている放送業界人や財界の大物と言われる古狸達の罪は非常に重い。
財界の古狸やTBSの経営陣は、楽天の三木谷氏の株獲得の手法に、「汚い」のどうのこうのと、やたら難癖をつけている。しかし、楽天の三木谷氏が手段を選ばぬ手法で自我を達成することは、昨年の球団買収劇を思い起こせば一目瞭然のことである。ライブドアが進めていた話に、後から登場してハイエナか禿鷹のようにさらって行ったではないか。そのことに気付いていなかったとしたら、財界の大御所などと言われている古狸諸氏やTBSの経営陣こそ焼きが回っているのではないか。いや、自分達の言うことを三木谷氏が聞かず、面目を潰されたという自我によるところの発言なのかもしれない。どうしても、負けを認めたくないのだ。今まで、三木谷氏は、「爺転がし」などという異名をとっていた。ある意味、財界の古狸達に上手く取り入っていたということだ。ところが、古狸に取り入っていた三木谷氏も、力をつければ古狸の言うことをきかなくなるということだ。そのことに、財界の古狸達は腹を立てているとしか見えないのは、私だけではないはずだ。
大体、企業買収ということは戦争である。にもかかわらず、攻める前に知らせてこないのは礼儀知らず、などという発想自体が非常に幼稚であり、日本の財界の程度の低さを露呈したようなものだ。どこの世界に、命懸けで戦争を仕掛けているにもかかわらず、自分の不利になるような情報を敵に流す大将がいるというのだ。結局、古狸が管理する護送船団に入らない奴、言うことを聞かない奴は皆海賊だ、と豪語しているようなものだ。確かに、彼ら古狸が戦後日本の経済をここまで押し上げた功績は大きい。高度経済成長の立て役者であることも認める。だが、若い力や、日本の未来を無視し、自我で物事を判断するようになったらおしまいだ。日本の国にとっては、「百害あって一利なし」である。大体、彼らがもっともらしく吐く言葉が、暴言にしか聞こえないのは私だけではないはずだ。
彼ら古狸は、綺麗事をテレビの取材等では言っている。が、しかし、結局は私利私欲に根ざした発言なのだ。まあ、私腹を肥やしているわけではないが、我欲に基づく言動と言った方が正しいかもしれない。テレビとインターネットが融合すると、既存のコマーシャルの在り方にも変化が出てくる。時間を支配するために番組を視聴者に売るのである。ということは、番組間に挿まれているコマーシャルの視聴者にとっての存在価値が低くなるということだ。当然のことながら、財界にも多大なる影響が出る。だから、頑に反対するのだ。国益ではなく、私利私欲に根ざした言動であり発想である。
しかし、形は変わっても、必ず新しい道は開けるのが商売である。企業家達は貪欲であるから、そんなことは心配する必要は本来ない。ところが、やはり一度財界のトップという権力に君臨してしまうと、守りの発想しか生まれなくなってしまうのか。煩悩に支配される人間の弱さ、を垣間見たような気がする。
その証拠に、読売グループの日本テレビなどは、ライバルであるフジテレビやTBSが攻められる姿を目の当たりにし、逸早く「第二日本テレビ」という、自社で放送とインターネットを融合するということを目的とした会社を設立した。これが、企業家である。ライバルが窮地に立っている様子を見れば、自社の防衛と新規マーケットの開拓という攻撃の両方を想定し、新たなる一歩踏み出す。しかも、この読売を現状支配しているのは、あの渡辺恒雄である。それこそ、財界を我欲で翻弄する妖怪ではないか。若い企業家達の芽を刈ることを趣味のようにしている古狸中の古狸にもかかわらず、自社にも火の粉が及びかねないと分かれば、この対応の早さである。
大体、どうも、この渡辺と三木谷は、裏で手を組む関係にあるようだ。昨年の球団買収の際にも、そのようなことが水面下であったと、噂で聞く。三木谷のやることには、渡辺があまり難癖を付けない。不思議な感じもするが。三木谷がTBSとの業務提携に成功すれば、二球団を支配することになり、古狸達が騒ぐ野球協約に抵触するはずだ。その割には、渡辺は静観していることも、三木谷と渡辺の関係を物語っている気がしてならない。
ただ、野球協約に関しては、法律でもなければ憲法でもない。何の拘束力もない。企業が企業を買収したり、事業を行ったりするのは資本主義社会では自由である。にもかかわらず、いちいち野球協約に束縛されなければならないという方がおかしい。野球協約に抵触する、などという言葉を吐くこと自体が、傲慢なる古狸の暴挙である。これこそ言語道断であり、日本経済にブレーキをかける由々しき問題である。結局、自分達の影響力を誇示したいという自我でしかなく、国民や日本の経済にとってのメリット、即ち国益など微塵も考えていないようにしか、我々国民の目には映らない。
楽天の三木谷氏の手法が、必ずしも正しいとは言えない。感情論から言えば、手段を選ばないやり方にはシンパシーを感じない。それが、また、板に付いていないところが可愛くない。三木谷という人の本来の姿というよりも、三木谷という非情な人間を演じているような、小泉首相を真似ているような、何故かそこはかとない哀れを三木谷に感じるのは私だけであろうか? どこか、砂上の楼閣というかガラスの城のような危うさを感じる。私には、三木谷という人物は、将来、突然自殺でもして、急に姿を消すような気がしてならない。
話が横道に逸れてしまったが、どちらにしても、TBSを守ろうとする古狸達は、平和ボケで目が見えなくなってしまったのではないか。三木谷は、全てを無くすかTBSを得るかという背水の陣で臨んでいるのである。いかなる手段を使っても、と考えるのは当たり前ではないか。今の彼には、感情論に流されるような選択肢はない。伸るか反るか、実を取るか滅ぶか、二つの選択肢しか無い中で戦っているのだ。そのことに気付かぬ古狸こそ、愚かである。そんな彼らには、口を挿む資格もない。三木谷は命懸けの戦を挑んでいるのである。命懸けで臨んでいる人間い命懸けで対峙しない人間が、財界に君臨し偉そうなことを言う資格などない。
この問題の終着点は、ハッキリと見えている。紆余曲折はあるであろう。それは、それぞれの企業の私利私欲が絡むからである。そのことを超越すれば、この問題の答えは非常に簡単である。視聴者にとっての将来的メリットであるところの、放送とインターネットの融合でしかない。即ち、堀江や三木谷が思い描いている放送とインターネットの融合という形ということだ。彼らが思い描く放送とインターネットの融合の時代は、遅かれ早かれやってくる。そのことは、100%間違いない。あとは、誰が逸早くパイオニアに成り上がるかということだけである。
放送を司る郵政が民営化され、起こるべくして起こった問題と理解するメディアが少ないことにこそ、大きな危機感を覚える。何故ならば、メディアは国の要であり、近未来、益々メディアの存在価値が大きくなることは間違いない。その第一歩が、放送とインターネットの融合、即ち電波と通信の融合ということである。このことは、国の発展を左右する大きな事柄である。どれだけのメディアが、そして国民がそのことに気付いているのか、非常に大きな不安を覚える。財界に君臨する古狸でさえ、私利私欲我欲という色眼鏡を通して目先しか見えず、日本の将来を考えマクロな目で物事を見ることができないのである。国民が、マクロな目で将来を見据えられないのは当然なのかもしれない。しかし、その国民に大きな影響力を及ぼすメディアでさえも、マクロな目で物事を見極めることができず、放送とインターネットの融合の重要性に気付かぬということは、日本にとっての大きな悲劇である。日本の将来に、非常に大きな不安を覚えざるを得ない。
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