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2009年12月9日、新文芸坐「映画ファンが考えた2本立て」にて 1959年度作品。 脚本:ワレンチン・イェジョフ、グリゴーリ・チュフライ 出演:ウラジミール・イワショフ、ジャンナ・プロホレンコ、アントニーナ・マクシーモヴァ、
ニコライ・クリューチコフ
原題は「兵士のバラード」。解説によると・・・ 第2次世界大戦のスターリングラード戦で無我夢中のうちに戦い、いつのまにか手柄を立てていたソ連軍の少年兵アリョーシャ(ウラジミール・イワショフ)が6日間の休暇を与えられ、母の待つ郷里に帰ることに。しかし、その往復には4日間もかかり、さらにその途中、彼は貴重な時間を割いて人助けをしてしまったりで、またたくまに時間は過ぎていく…。 重厚で国を背負ったようなこの時代のソ連映画とは思えないほどの、堅苦しくなく素朴で素直な映画でした。 親子の愛情、人との出会いと触れ合い、少年少女の淡い恋、どれをとっても丁寧でみずみずしく、さらりと気持ちよく感じることができる。 でも、ふと考えると、ここは戦争まっただ中での出来事。 戦争で片足を亡くした男は、過去に妻との確執があり、帰還しても妻へ連絡できずにいる。 主人公は通りすがりの兵士から妻に渡してほしいと石鹸を預かるが、夫を待てずに別の男と同棲している妻。 休暇が足りなくなり、ほんのわずかな時間しか母親と会えないで、また戦地へ去っていく主人公。 そして、彼はもう戻ってこなかった。 冒頭、村の入り口にある一本道をトボトボと歩く母親。
そして、ラストも同じように歩く母親。 映画では特に何も語らない。 静かで、淡々と描かれたこの映画を観終わってからの余韻が心に残る。 |

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遅くなりましたが、
明けましておめでとうございます。
済みません、記事は飛ばし読みさせて頂きました。
この作品を見たのは中学生の時。もう一度見たいと思っていました。
すると、たまたま行った図書館の視聴覚ライブラリーにこれが収蔵してあるではありませんか!「再会」は不可能と思っていましたので、
嬉しくてたまりませんでした。
まだ時間がなくて見に行ってはいませんが、今年は必ず見に行くつもりです。見た後またお邪魔いたします。
2010/1/5(火) 午後 10:48
主人公の青年の「心」が終始美しく描かれているんですね。爽やかで切なくて甘酸っぱくて優しい映画です。これは私の宝物であります。東京では本作もスクリーンに乗ることがあるんですね。羨ましい限りです。TBお返ししておきますね。
2010/1/6(水) 午前 6:57
alfmomさん
明けましておめでとうございます♪
今年もよろしくお願いします。
そういえば「ネタバレ」と書いていなかったですね、すいません。図書館の視聴覚ライブラリーとはビデオを借りるんではなくて図書館で見るシステムになっているんですね。青春映画ですね。でも今の自分は親の目線で感じましたけど。
2010/1/6(水) 午後 8:38
ヒッチさん
青春映画ですね。でも自分は親の目線で見てしまったようです。じんわりとこの映画のよさが出てきます。
2010/1/6(水) 午後 8:42
昨日図書館で鑑賞しました。
こんなに美しい映画だったんだと、深い感慨に浸りました。
改めて共感しながら、記事を読ませて頂きました。
少年が帰郷する時に出合う様々な人々との関わり。そして恋。
淡々と描かれているから余計に、少年の清い心と、
かけがえのないものを奪われる母の哀しみが伝わりました。
2010/2/4(木) 午後 7:29
alfmomさん
ようやく観ることができてよかったですね。自分の観たい映画と出会えた時の興奮はたまりませんものね。この映画、淡々と進んでさらりと終わる青春映画でした。あとで、じわ〜と余韻が残ります。母親の気持を思うとつらいです。
2010/2/4(木) 午後 11:17
私は64歳のかじといいます。高校生のとき(昭和37,8年)この映画を見て感動しました。当時、東西対立の緊張した世界情勢の中 ソ連の映画がこんな映画を作るんだと思って 当時短波放送でプロパガンダ放送をしていたモスクワ放送局に手紙を送ったら、モスクワ放送(日本語放送)を通して私あてに監督の肉声のメッセージをもらいました。監督は「日本の少年が私の映画を見て感動してくれたことに感銘を受けた、戦争はどの国の人にとっても悲しいことで、私は戦争がなくなるようにこの映画を通して訴えたかった・・」と言うような内容でした。
2010/2/7(日) 午後 5:15 [ かじ ]
今でこそ簡単に録音できる時代ですが 当時はまだカセットなどと言うものも無く 金持ちがオープンリールのテープレコーダーを持っていましたが、私のような貧しい家では せっかくの監督の声を残しておくことはできませんでした。
その後 モスクワ放送局から この映画の資料をたくさん送ってきました。でも 皆ロシア語だったのでさっぱりわかりませんでした。
ちなみに モスクワ放送も 北京放送も 今の北朝鮮のような強烈なメッセージを日本語で送っていました。資本主義国家の元首は敬称をつけないで呼び捨てでした。時代は変わった!
2010/2/7(日) 午後 5:16 [ かじ ]
かじさん
コメントありがとうございます。当時の冷戦時代の中にあって、この映画はみずみずしく素朴なさわやかな映画でした。かじさんの書かれた内容もすごい話ですね。監督自らのメッセージとは驚きですね。
監督のメッセージは十分この映画で伝わっていたと思いますよ。
2010/2/7(日) 午後 8:58
短波放送はやってなかったのでよくわかりませんが、日本語で放送していたという話は聞いたことがあります。ソ連も中国もこんな風に変わるとは想像できませんでした。
2010/2/7(日) 午後 9:05
ちょっと前まで仕事で上海に駐在していましたが、政治体制とそこに住む人たちの気持ちとの間にはずいぶん乖離があると感じます。そこで戦時中 何があったのか、終戦後 何が起きていたのか・・ そこに暮らす人たちからいろんな話を聞きました
2010/2/8(月) 午後 6:29 [ かじ ]
かじさん
厳しい時代を生きてきた人たちの言葉こそ歴史そのものなのでしょうね。貴重な経験ですね。
2010/2/8(月) 午後 9:54
こんばんわー。
生きてもう一度会いたい一心で戦場から故郷まで乗って歩いて走って…切なくも優しさに溢れた映画でしたね。
私の方もTBさせて頂きます!
2016/12/13(火) 午前 0:12 [ すかあふえいす ]