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岩手 石井農園
田舎暮らし日記
北国岩手も暑い日が続いております。
今日の午後は32度との予報で早朝から白菜の収穫です。
肉体労働は午前中、それも早朝でないと出来ませんね。
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 私が収穫してきた白菜を女房が産直出荷用に整理しています。
私肉体労働、女房が頭脳労働と分業できています。
犬や猫たちは只見てるだけ〜どころか猫のユズは邪魔をしてそうですね。

朝食後は野菜畑のマルチ敷です。
相棒のケンが付いて来ないので・・・(↓ ケン、未だ傷が癒えず!) 
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動物病院の医者が言うには「出来る治療はしたので後は自然に任すしかない」とのこと。所詮犬は喋れませんからね。最適な治療は出来ないとは思っていました。
しかしケンはまだ若い(5才)し体力もあるので大丈夫でしょう。

ということで一人寂しく野良仕事をしていた所・・・ 
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カエルが遊びに来てくれました。
カエルも暑いのでいささかダレ気味のようです。 
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余程ヒマなのか、結局マルチを敷き終わるまで居てくれました。
畑の傍らでトンボも・・・ 
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この後キュウリやインゲン・ブルーベリーなどの収穫を続け、いささかバテました。

仕事では決して無理をしないのが私の信条です。
午後はクーラーの効いた涼しい部屋でゴロゴロしたり、お昼寝タイムなのでありました。
「仕事は中途半端に。遊ぶ時は一生懸命」これでいいのだ!

P.S. 結局今日は30度を超えなかったようです。だから岩手の天気予報は当てにならない・・・

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長い日照りが続いて、ようやく恵みの雨が降ってくれたと思ったら、今度は連日雨雨雨・・・思うようには行かないものです。

小降りになったので早朝朝モヤの煙る中収穫に・・・ 
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↑ 草刈りも10日ほどやっていないので、終わった所との境が伸び放題。というか刈った所も伸び始めて来ましたよ・・・

先ずはキュウリの収穫。
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 ケンが「どうしても連れて行け」と言うものですから、久しぶりに一緒に畑へ・・・

ブルーベリーの所へ来ると、枝が一本折られていました。
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ケンがクンクン臭いを嗅ぎまわっていますね。
そこには足跡が・・・ 
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形や大きさからするとシカの足跡ですね。
おそらく畑の嫌われ者ニホンジカに間違いないです。甘いブルーベリーは極上のご馳走なのでしょう。
ケンには早く足が良くなって、畑の警備をしてもらいたいものです。

そうこうしている内に又雨足が強くなって来ました。
早々に引き上げる事にしましょう。 
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↑ イチジクも実が大きくなって来ました。今月後半には夏果の収穫が始まると思います。
イチジクは夏と秋2回収穫できるのですよ。一粒で2度おいしいグリコみたいに、なんか得した気分になりますね。

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甘ったれんなよ!

もう今年も半分が終わってしまったなんて・・・歳とともに月日の経つのが早く感じられてならない今日この頃です。

早朝ブルーベリーの収穫をしました。
この所30度前後の日が続きいささかバテ気味です。日中はとても肉体労働は出来ず、ほとんど家のクーラーの中で昼寝三昧です。(♪お百姓さんは気楽な稼業と来たもんだ♪)
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ブルーベリーは今年の初収穫です。成木は2本しかないので量は微々たるものですが、いつでも初収穫は嬉しいものです。
小さな身を一個一個穫るので面倒ですが、農薬は使わずに済むし肥料もほとんどやらず放ったらかしで育つので私向き?の果樹です。

離れた所で山鳥がこちらの様子をうかがっていますね。
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 最近よく見かけます。
きっとケンが来ないので羽根を伸ばしているのでしょう。
数年前に周囲を禁猟区にしたので、我が農園は野鳥と山の獣たちの楽園となりました。

そのケンですが相変わらず左後ろ足がいう事を聞きません。
立ち上がって何とか歩く事は出来ますが、走り回るのはまだまだ先の事になるでしょうね。 
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思うように動けないケンも色々とストレスが溜まるのでしょう。最近ちょっと我がままになって来ました。
直ぐ抱っこをせがんだり食べ物も贅沢になったりと目に余るものもあります。
すべてケンを不憫に思う女房が甘やかし過ぎたせいなのですが、人間(自分?)も犬も全く同じように感じる今日この頃なのでした。

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岩手県の私の地方は梅雨入り宣言した途端に雨が降らなくなりました。(だから岩手の天気予報は当てにならないって言ってんだ!)
最後にマトモに雨が降ったのも思い出せないくらい遠い過去の話しです。(ちょっとオーバーかな?) 
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↑ 植えたばかりのキャベツが断末魔の声を上げそうです・・・
↓ スイカも成長が悪く、植えた40本の内5本ほど死にました。 
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3本予備に苗を作ってあったので植え直したのですが、それでも畑に空きが出来ました。
↓ キュウリも割と干ばつには弱い作物なのですが、何とか小さい実が成りました。
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 もう直ぐ食べられそうですね。
↓ その中で異彩を放つのはトマトです。日照りにもかかわらず成長著しいです。 
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トマトは根が深く伸びて行く作物で、雨が降らないと水分を求めてナント5mも根が潜っていくそうです。
↓ 雨を待っているモノがもう一匹いました。
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カルパスというイタリア・ナスにチョコンと乗っているアマガエルです。
「痩せがエル 負けるなseizo ここにあり」
↓ カボチャ畑より野菜畑、さらに奥の果樹園を見る・・・
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カボチャは死んだ苗は有りませんが、やはり成長が著しく悪いです。
カエルをはじめ野菜・果樹そして森や林、すべての大地が雨を待っているのです。
ちなみに予報では明日から雨が続くとの事ですが、岩手の天気予報の事です、当てにしないで待っています・・・


ケンは立ってゆっくり歩く事は出来るようになりましたが、相変わらず左の後ろ脚が不自由です。
どうしても足を踏ん張る事が出来ず、足の甲で歩いている状態なのです。 
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昨日動物病院で精密検査を受けたら、背骨の神経の集中している個所の骨がズレているとの事。何かよほど激しい衝撃に遭遇したか、先天的なものなのか原因は分からないそうです。
さらに心臓も弱い体質のようで、病気との因果関係もあるのかも知れません。 
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あれほど元気で暴れん坊だったケンも、この所横になって休んでいる事が多くなりました。
な〜にケンは医者の言う事など気にせず、きっとじき元気になってまた野山を駆け巡るようになると思いますよ・・・たぶん・・・

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ケ〜ン カムバーック!

今日も午前中ケンを動物病院に連れて行きました。
若いせいか(5才)思ったより回復が早く、全く動かなかった後ろ足2本の内右足が少し動くようになりました。
まだ上手く歩く事は出来ませんが、ご覧のように何とか3本足で立っています。
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 待合室に入っても他の犬にちょっかい出したりメスに色目を使ったりと、段々本来の(落ち着きのない)ケンに戻りつつあります。
ケンの件も含めてこの所超多忙で、畑に行くのも疎かな日が続いています。
久しぶりに野菜畑を覗いてみると・・・
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ようやく結球が始まった白菜とキャベツが、柔らかくて美味しい中身だけゴッソリ喰われていました。恐らく夜中に二ホンジカにやられたものと思われます。
大した数ではないのですが、ケンさへいればこんな事にはならなかったのにと思うと、一日も早いケンの回復を待つばかりの今日この頃なのです・・・
ケ〜〜ン カムバーック!

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しばらく更新が滞ってしまいましたが、実は先週の月曜日にケンが突然下半身不随になってしまいました。
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夜中に激しく鳴いていたので熊とでもケンカしているのかと思い外に出てみると、ケンが上の写真のような腰砕け状態になっていました。
周囲に獣の気配はないし、不思議なことにケンも傷一つ無いのです。
あの泣き声からして何かがあったことは間違いないのでしょうが、所詮口のきけない犬の事です。原因不明のまま動物病院に連れて行きました。
後ろ足2本が全く動けず神経も無いようで、取り敢えず注射と点滴を受けてきましたが・・・
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 (↑ 病院で点滴をするケン。いつもの元気はどこへやら・・・ ↑)
結局昨日まで毎日病院に通いましたが、後ろ足2本は回復せずご覧の通り。
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思ったより重症で元通りに戻るのには長い時間がかかりそうですが、直る直らないは医者の治療より本人(犬)の生命力だと思っています。
山の中で逞しく育ったケンの事ですから、必ずやまた元気に野山を走り回る日が来ると信じます。

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昨日キュウリ・トマト・ナスの定植を終えました。
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(手前がキュウリ、奥がトマトです。右奥にナスが有るのですが、よく見えませんね。)
この後珍しく天気予報が当たり雨が降りました。お陰で水やりの手間が省けました。
あと残った野菜苗はカボチャとスイカなどが有ります。
例年5月も20日過ぎればほとんどの苗は植え終わるのですが、今年は成長が悪かったのと何かと忙しくて遅れてしまいました。この所暖かい日が続き成長は早いと思っていたのですが、作物の成長は気温だけでは無いのでしょう。
雨の多い少ない、肥料の影響、種の善し悪し等々何年やっても農業は自然相手で奥が深いです。

本日夕方からは集落の『さなぶり』です。(『さなぶり』とは田植えが終わってちょっと一息ということで、要するに飲み会です)目の手術以降久しぶりの飲み会なので張り切って飲み過ぎないようにしなければ・・・

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この所晴れて暖かい日が続いて、北国岩手も初夏の趣です。
超暑がりの私としてはこれから苦手な夏が来ると思うと気が滅入り、早くも紅葉の秋が待ち遠しい今日この頃であります。
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 上の写真は我が農園の最深部、標高220mのワラビ畑です。
遠くに見える家々は先日花巻市と合併なった大迫の町外れですが、写真ではちょっと分かりづらいですね。

化学農薬をなるべく使わない我が家としては、あらゆる防除法を試しています。
そこで今日は馬酔木(アセビ)で虫よけ剤作りです。 
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アセビの葉や花や枝も全て切り取り大鍋で煮ます。
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 それを漉し噴霧器やジョウロで作物にまくのです。
昔何かの本で見たのを思い出し、ここ数年使っています。
実際の効果のほどは確かではありませんが、アセビには弱い毒性が有り馬が食べると酔ったようにフラフラするという事で、馬酔木の名が付けられた事を以てしても少なからず効果はあるのではないでしょうか。
他にも木酢・食酢・石灰などなど自然防除の試行錯誤中であります。
いつの日か完全無農薬で安心安全の作物づくりを目指しています。

夕方からは堆肥作りです。
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 昨日の内に刈っておいた雑草をトラックに積み込み堆肥置き場まで・・・ 
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乾燥して軽くなっているので持ち運びや扱いが楽です。
堆肥には木の葉や草が一番良いそうですよ。鶏糞や牛糞などの動物性堆肥と異なり作物に害や負担が少ないのです。
我が家ではこれに米糠や生ゴミなどを混ぜて作ります。どうしてもこれだけでは足りないので鶏糞なども併用しますが・・・

農薬にしても堆肥にしても中々理想通りには行きませんです、はい!

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この所雨の日が続き、今日も降ったり止んだりの天気です。
ぬかるんで畑に入れないので本日も休養日かな・・・
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 向かいの山には山藤が咲き誇っています。
写真では分かりにくいのですが、かなりキレイな紫色イヤ藤色に仕上がっていますよ。
 
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(今日の午前10時ごろ撮影)

ということで前記事のnya*****さんのコメントに対する返信です。
>>只者ではないと思っていました<<
それは当たっています。「私は並の人間ではありません。ハッキリ言って並以下です」とはいつも私が使うフレーズですが、人生は思い切りと運だと思っています。いくら幸運でも物事決められないと先へは行けませんし、いくら思い切りが良くても運が悪けりゃ挫折しますよね。
まぁそれ以外にも何か事業を起こそうとする時は、記事にも書いてありますが心身共にタフで、ある程度の資金力も必ず必要ではあるのですが。
ここで5年くらい前だったでしょうか、田舎暮らしをしたいと言う人が役場職員を伴って、ウチを訪問して来た時の話をしましょう。
千葉に住むまだ20代の若い男女で、自然豊富なこの地で暮らしたいとの事でした。
彼らの話は夢と希望に満ち、熱い思いは私にも充分伝わってきます。
また私の来た頃と違い行政側も、補助金や農地提供など受け入れ態勢もかなり充実して来ているようでした。地方の過疎化や限界集落が叫ばれて久しいですからね。
最後に私は「ところで資金はどの位あるの?」と尋ねると驚いた答えが返ってきました。
「ほぼゼロで此方へ移り農業をしながらお金を貯めて行こうと思います」と来たもんだ!!
いくら希望に満ちた夢でもあまりにも甘い考え方に私は「君たち止した方がイイよ」と・・・話が逆で農業をする前に金を貯めなければいけないのに。
私の一言に同行した役場職員も呆れていたようです。せっかく田舎暮らしの先駆者(ちょっとオーバーかな)の私に色々参考になる話を聞きに彼らを連れて来たのに「来るな」とは・・・という事でしょう。
テレビ『人生の楽園』にあるような絵空事でなく、現実的な忠告をしたつもりでした。実際に自然や環境にあこがれて田舎暮らしを始めた人たちも、成功するのはほんの一握り、夢破れて去っていく人が意外と多いのです。
しかし、それから1年ほど経って彼らはやって来ました。しかも結婚して赤ん坊まで連れて。
家と土地を借り(ただ同然ですが)夫婦で農業に励んでいました。
若い者に年寄り(自分では思っていませんが)の忠告は耳に入りませんね。しかも夢と希望に満ちた若者には何を言っても無駄なのです。
案の定2年ほどで食べて行けなくなり、奥さんは勤めに出て旦那が一人で農業をすることに。そして現在、奥さんは子供を連れて実家に戻り、一人残された旦那も農業を辞め勤めに出ていると噂で聞きました。
いくら思い切りが良くても運と資金力が無さ過ぎたのでしょう。
人生成功もあれば失敗もあります。特に若い内は成功より失敗の方が貴重な経験になるとも言われています。所詮は私も他人事ですが、彼にはこの経験を活かし先の人生に繋げて行って欲しいと思います。
(よく読んでみるとnya*****さんに対する返信ではないような気がしてきました)

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昨日のnya*****さんからの質問「seizoさんは何故、農家の仕事を始めたのですか❓」「シティボーイから何故、岩手に行ったのですか❓」にお答えいたします。
 と言っても過去に作った『石井農園のホームページ』にそれらしき物が載っていたので再アップする事にしました。(やっぱり手抜き?)
『石井農園のホームページ』は2005年から2015年までの10年間作っていました。しかしプロバイダーのKDDIが一方的にホームページの提供サービスを打ち切ったため、ここyahooブログに移ってきた次第です。
昔は真面目に作っていたので(今は不真面目かっ!)結構為になる面白い記事もあったのですが、ほとんど残す事が出来ず消去してしまいました。
機会が有れば少しだけ残っている記事を再アップしていきたいと思います。
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お百姓さんになるには? 田舎暮らしをするには?
 
私の体験談でよろしければ、お教えしましょう

第一章・なぜ田舎暮らしを〜?
   東京で生まれ育った私が、都会暮らしに疑問や不安を感じるようになったのは、いつの頃からだったでしょうか。
 平凡に会社勤めをし、結婚をして子供もできた。そして独立(商売を始める)。他人から見れば、平凡かつ順調な人生に見えたことでしょう。
しかし30も後半に差しかかった頃、突然このまま人生終わりたくないという焦燥感にかられました。それは永年都会に住んでいることへの嫌悪感だったのでしょうか。
 
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 空気は汚れ、川はどぶ川と化し、交通事故で毎日人が亡くなっている。さらに校内暴力や犯罪の多発。都会に住んでいる限りは、それらとかかわらずには生活できないのです。
 私にとっても、愛する家族のためにも何かをしたかったのでしょうが、その何かがわからず焦りを感じていたのでしょう。

  私の母は宮城県の一迫町という所の出身で、実家は農家でした。子供の頃(昭和30年代)たまに母の里帰りで一緒に連れて行かれたのですが、ハッキリ言って嫌でした。
 家は茅葺き屋根でオンボロで、照明は薄暗く勿論テレビもない。晩飯は決まって煮物と山菜の天ぷらです。我がままな私は母にねだって、ウチからハムやソーセージを持って来てもらいました。イヤなガキでした。
 特に都会育ちの私にとって、一番我慢できないものは汲み取り便所でした。アノ臭いとアノ見た目で、出るものが出ない日が何日も続きました。
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 祖父も祖母も、行けば孫の私をそれは可愛がってくれたのですが、どうしても田舎というものが好きになれず、着いたその日から「お母さんいつ帰るの?早く帰ろうよ」と言っては母を困らせていました。オフクロすまん!ジーちゃんバーちゃんゴメン。

  やがて私も学校を卒業し社会に出てからは、殆ど田舎には行かず疎遠になってしまいました。
そんな私がふと久し振りに田舎に行ってみたくなったのは、下の子供が生まれて一年目の時でした。妻と五人の子供と母と愛犬、家族総出で行きました。
二十年振りに見る田舎は当時のままでしたが、あれほど大きく広く見えた家も庭も小川も、意外と小さく感じました。
 夕日の中で私の子供たちが、小川や田んぼのあぜ道や畑で遊び回っているのを見ると、急に懐かしさがこみ上げてきました。私もかつてアソコで遊んだのだ。嫌な思い出だけではなかったのだと・・・。 これが郷愁というものなのでしょう。 
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それからは毎年のように、皆で遊びに行かせてもらいました。爺ちゃん婆ちゃんは亡くなってはいましたが、伯父伯母がいつも温かくむかえてくれました。都会でのあくせくした生活を抜け出しての、ほんの数日の田舎暮らしが一服の清涼剤になっていたのでした。
  さらに年を経るにつれて、私は段々とその田舎暮らしを本当に自分のものにしたくなって来ました。
 若い頃には夢にも考えなかった、イヤ考えたくもなかった田舎暮らし、それにあこがれを持つようになって来たのです。「田舎に住みたい」「もうソロソロのんびり暮らしたい」「都会は飽きた」「澄んだきれいな空気の中で生活したい」と夢ばかりが膨らんできました。
 当時の私のあこがれは、ムツゴロウさんこと畑正憲さんです。北海道の大地に家族と移り住み、多くの動物達と触れ合い、大自然に親しむ。正に私の理想郷がそこに見えました。
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しかし残念ながら、夢と現実は違います。妻に相談しても一笑にふされました。当然のことでしょう。私には妻と5人の子供達そして母と、7人もの扶養家族がいるのです。しかもムツゴロウさんのようにテレビに出たり、本を書いたりすることは出来ません。
 田舎暮らしをする生活の手段、要するに収入源の見当が全く思い付かないのですから・・・。


第2章・思いついたら実行だ!
  ムツゴロウさんの出ているテレビを見ては、羨ましさと焦りが募る日々が続きました。そんなある日、私は店で(当時、書店を経営していました)一冊の本に見入りました。
  「田舎暮らしの本」そのものズバリの題名ですが、中を見ると実際に都会から地方に移り住んだ人達の体験談で、僅かながら田舎の不動産物件も紹介されていました。
平成3年の秋頃でした。当時はバブルと言われた大型景気が破綻して世の中が騒がしい時代で、「地方の時代」とか「田舎暮らし」とかいう安らぎを求める言葉がようやく使われ始めた頃です。
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  さらに内容を詳しく読むと、農業をした場合、この作物で年間いくらの収入になり、田舎の生活費は年にどのくらい掛かる等々、かなり具体的に説明されていました。
  私の心は決まりました。「田舎へ行って農業をやろう!」 実に単純に決めてしまいました。不思議と何の迷いもためらいも無かったのです。扶養家族が7人もいるのに無責任な話でした。
  決心してから、先ず私がやったことは、家族の説得です。
  母は昔の人間です。嫁げば夫に従い、老いれば子に従う。特に問題はありませんでした。
  5人の子供達は「面白そう、行きたい」と変化と刺激を求める者。「どちらでも良い」と関心の無い者。「田舎なんて絶対イヤだ」と都会暮らしにドップリと浸かってしまった者。と、それこそ5人5様でした。しかし何と言おうが子供は親の付属品、親には黙って従うものです。これまた特に問題はありませんでした。
  最後に女房。これは手こずりました。女房も私と同じ、東京生まれの東京育ち。しかも一人っ子で身 寄りも少ない私と違って、親兄弟・親類縁者すべてが周辺にいます。特にお母さんとの別れが一番つらかったように思います。
 
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さすがに「黙って俺について来い」などという古臭いことは言えず困りました。
しかし気長に説得を続け、最後には私の男の夢を理解して同意してくれました。イヤ抵抗するだけ時間の無駄と諦めたのかもしれません。まずは第一関門突破です。
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第2章 思い付いたら実行だ! (その二)
   次は物件探しです。今でこそインターネットで様々な物件が紹介されていますが、まだそんな便利な ものは無く、片っ端から「田舎暮らし」関係の本を集めて読み漁りました。
   当時(平成3年)、田舎暮らしはブームになりかけていましたが、物件(田舎暮らし用の)は少なく、陶 芸家や画家などの手に職を持った人が、長野や首都圏に近い千葉などに移り住んでは「田舎暮らし」を謳歌しているのが実情のようでした。
しかし長年にわたる農業分野の不振、農家の高齢化や後継ぎ不足などで家や田畑を手放す人も多く、離農物件の数も徐々に増えてきたのです。
  とにかく、住居や店を処分して全く環境の違う新天地で、家族と共に生きて行こうとするのですから、失敗は許されません。知人や仕事仲間からも、あらゆる情報を得たり、モチロン実際に現地にも行き数々の物件も見ました。
 捜したのは殆どが東北方面でしたが、朝の5時にクルマで家を出て現地に向かい、そこでじっくりと物件を見て、家に帰るのは夜中の1時。ということも度々ありました。いやはや我ながら、若くてタフでした。仕事もこれだけ一生懸命やっていたら、もっと残せたでしょうに。
 
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  そして最終的に決めたのが、今居る岩手県紫波町。
なぜ東北にこだわったかと言うと、まず不動産が安いということ。同じ農業をするにしても、関東近郊や信州や西の方は価格がかなり高いのです。
 次に、雪が降り四季がハッキリと見てわかる。私には雪景色へのロマンが昔からあったようです。
そして一番の理由は私が暑がりであること。ホントはムツゴロウさんと同じ北海道も考えたのですが、女房に「そこまで遠くへ行くなら離婚する」と言われたのであきらめました。
 
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第2章 思い付いたら実行だ!(その3)
  実際に契約等の手続きを全て完了したのは、翌年の春でした。
その間、バブル景気が終わった後で自宅が中々売れずにヤキモキしたり、数々の小さな問題は生じましたが、のど元過ぎれば何とかです。
  準備を終え、友人や仕事仲間との別れの酒宴(塩原温泉において送別会。中央が私。埼玉古書組合の皆さん有難う)では、喜んで送ってくれる者、「行くな」と引き止める者と様々でした。
 
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 大体において年配者は「商売が順調なのに何故今さら冒険を〜」とか「何故不便な田舎暮らしなど〜」という理由で引き止めました。
 逆に私と同世代(40才代)の者は、10人中10人が「うらやましい、自分も自然の中で暮らしてみたい」と言います。
しかし「それでは一緒に行くか?」と私が言うと躊躇するのです。
 働き盛りで家族を抱えていては、先の見えない人生は避けるのが当たり前かもしれません。
  しかし、さらなる夢を実現するのは、行動するかしないかの決断だと思います。決断と実行力プラス家族の同意と協力、これさえあれば男は幾つになっても何に対してでもチャレンジ出来るでしょう。(あまりにカッコイイ、独りよがりな事を言ってスイマセン。現実の私は、これほど強い男ではありません)
  そして平成4年8月20日(出発当日、見送ってくれる埼玉県草加市の近所の皆さん。長い間お世話になりました)、
 
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男石井清蔵・42才、正に厄年となるのか?
 一抹の不安と大いなる希望を胸に「サァーーシュッパーツ」
 
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またまた古いネタで申し訳ない。                        
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第3章 資料・実践編
  8月20日、記念すべき田舎暮らし第一夜の記憶としては、とにかく暑い夜でした。
 北国岩手の夜がこれほど暑いとは思いませんでした。
 
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(岩手第一夜、家族で〜)                 
 
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(暑い暑い!)
 引っ越す前に、地元の人に「岩手は涼しいからクーラーなど必要ないよ」と言われていたのですが、暑がりの私は念のため一台だけクーラーを持って来ました。正解のようでした。
 東北も地球温暖化の影響で、段々と降雪量は減り気温も上昇しているのだそうです。私と同じ暑がりの人はクーラーは必需品かも。
 
 さてこの辺で、実際に私が田舎暮らしをするにあたり、どのように畑や住まいを探し、一体いくらお金が掛かって、どうやってお百姓さんになれたのか、具体的にお話し致しましょう。
 第2章でも書いた通り、現在は「田舎暮らしブーム」を反映してか、インターネットやそれ専門の本等で、田舎不動産物件が数多く流通しています。私もたまに広告に目を通すことがありますが、中にはうさんくさい物やべらぼうに高額な畑付き物件が載っており、体験者の私から見るとついつい首を傾げたくなったり、ブームに便乗した悪徳業者らしき不動産屋に腹立たしくなることがあります。
 
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 基本的に田舎の土地(山林・原野・農地)は驚くほど安いです。私の所で坪千円でした。ちなみにJR東北線の駅までクルマで14分、空港と新幹線まで各17分そして東北自動車道までは18分という便利さでです。それでも後で聞くと相場より若干高かったようです。
 田舎の土地の価格は殆ど変動がありません。私が購入した十数年前に、前の持ち主(現在友人の一人)もやはり十数年前に同じような価格で手に入れたと話してくれました。土地転がしで儲けられるような環境ではないのです。
つまり首都圏で30坪程の住居があれば、それを売って一万坪の土地付き住居に暮らせるのです。私がその通りでした。ただし問題はその後の生活ですが・・・。
  話を元に戻しますが、とにかく気に入った物件があれば必ず自分の足で見に行くこと。そして地元の人に環境を聞いてみること。特に現在と反対の季節のことを。夏と冬とでは環境が激変する場合があります。
 
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  結局私の場合は、本や新聞で物件を探し、さらに母方の実家(宮城)で紹介してもらったりして、興味のある物件に片っ端から電話しました。そして詳細を聞き良ければスグ現地に見に行きました。宮城県一件、岩手県三件、その最後の一件に今住んでいるわけです。
それから都会と違い、最寄り駅からは遠くても良いでしょう。鉄道もバスも一日に数本で当てになりません。田舎の生活者の足は軽自動車、それも四駆です。雪が降らずとも田舎道は脇にそれると悪路が多く、ぬかるみ等にもスグはまってしまいます。運転免許は家族全員必須。
  土地の契約は農地が入っている訳ですから農業委員会(農地売買を仲介する公的機関です)が仲介しますので、まず自分が物件に納得していれば安心して良いでしょう。さらに農業をするので農協に間に入っていてもらえば万全です。農家の味方、農協です。頼めば大概の事はしてくれるはずです。

 家屋の建築は地元の業者に頼みました。後々クレームが付けられるので、やはり近い地元が良いでしょう。ちなみにこの業者、私としては特にクレームがあった訳ではないのですが、4〜5年前に倒産してしまいました。
そして引っ越し。我が家は大所帯でしかも遠距離、当然レンタカーです。田舎暮らしをしようという人間が普通トラックぐらい運転できなくてどうします。2トンのロングアルミボディを借りて、燃料高速代込み数万円で上がりました。
  ここで私が用意した資金や実際に掛かった出費をまとめて見ましょう。金額的には現在とそれ程の差は無いと思いますが、十数年前のことなので記憶が定かでなく、書き落としもあるでしょうが・・・。
  資金としては住居の土地家屋売却3800万、店舗権利(店を借りて商売をしてました)移譲及び餞別等700万の合計4500万円です。(恥ずかしながら貯金は殆どありませんでした。江戸っ子は宵越しの金は持たねェ)
 出費は土地一万坪で1000万、50坪の家屋2000万、納屋200万(農家にとって納屋は大事 です。本当は400万位かけて広くしっかりした物が欲しかったのですが)、トラクター・草刈機等の農業機械100万、軽トラック等の自動車2台で70万(田舎では足代わりのクルマは必ず一人一台は必要。税金、燃料等の維持費の掛からない中古の軽で十分)、それに引っ越し代及び諸雑費等々で合計3500万円。と、差し引き1000万は残すつもりでおりました。
 
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(山道雪道どこでもOK!お百姓さんの足、軽トラ4WD)  
畑や果樹園を購入しており一年目からも多少の収入はあるし、食費等の生活費もあまりかからない訳で すが、やはり2〜3年分の生活費は現金で持ってないと不安でした。
ところが予測外の出費は必ず出てくるもので、原野開墾費用・納屋の下屋・コンクリ舗装・井戸の再掘削・家具や備品の購入・妻の免許取得費用・税金等々〜アッと言う間に手元に残ったのは500万円。オイオイこれはまずいぞ・・・チョット焦りました。
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第3章 資料・実践編(その2) あいさつ回りと農業初体験
  資金不足による先行きの不安、その他予想外なトラブルも起こりましたが些細なことです。サイは投げられたのです。もう後戻りは出来ませんし、したくもありません。後ろを振り返らずに前進あるのみです。
 一応都会から田舎に移り住む事だけは出来ましたが『田舎暮らしをするには』『お百姓さんになるには』先ず、やらなければならない事が二つあります。
  一つめは当然ですが、近所へのあいさつ回りです。その地で生活していくのなら住民の人達と関わらずにはいられません。田舎に限らず都会でも、それは当たり前のことでしょう。
ただし近所付き合いが希薄になっている都会とは違い、田舎はまだまだ古く親密な交流があります。集落(地元では部落と言う)内は一通り挨拶はしておきましょう。此方も不安ですが、相手方も「どんな人が来たのだろう」と不安なものです。
 私の場合は隣(といっても2〜300mもありますが)に世話好きの奥さんがいて、集落全戸(15軒)案内してもらって挨拶してきました。あいさつ回りに関しては特に問題は無く、硬く考える必要はないでしょう。
 
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(上の写真は現在のわが部落の面々、人相が悪くてスイマセン。05年、花見会にて)
 
 二つめはこれも当然ながら、畑や作物を作ることです。遊びに来たわけではなく生きるためにきたのですから、労働をしなくてはいけません。
 私と同じ農業の初心者は農協へ行けばよいでしょう。モチロン組合に入るわけですが、指導員がいて親切に農業のイロハから教えてくれます。
 
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今農協はテレビや新聞で、組合員の金の使い道や運営方法等色々問題が取り沙汰されていますが、入っておいて損はありません。それに農協は、農業のことはモチロン田舎における生活の情報源です。先ずは利用すべきです。
 本で勉強するのも良いでしょう。百姓をやろうと言う人間です。初心者と言っても予備知識ぐらいは勉強していなければいけません。
そうこうしているうちに近所の人が、とっておきの秘訣を教えてくれるようになります。同じ作物でも土や環境・風土によって出来るものは違ってくるのです。地元の人の話が一番参考になりました。
ということで、これも特に問題はありません。農業は人間の仕事の基本です。誰にでも出来るはずです。
それよりも注意することは、農薬はモチロン、トラクター等農業機械や刃物類の農具は大変危険です。
 毎年必ずと言ってよいほど、数十件にも及ぶ事故や死亡者が出ています。かく言う私も鍬を始めて握った際に、土を掘らずにつま先を掘ってしまいました。くれぐれも農業を舐めない事。
 
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第3章 資料・実践編(その3) 楽しく農業しよう・村社会との付き合い
    私の場合ぶどう園はそのまま譲り受けましたが、他の果樹と野菜畑は開墾しなければなりませんでした。未開の原野を重機を借りて掘り起こし、堆肥をまいて苗を植え・・・。
きつい労働でしたが、毎日 楽しくて仕方ありませんでした。広大な自分の土地に自分の好きな物を植え、どんどん夢が広がっていくような気がしました。田舎暮らしの醍醐味です。
 農協や農業指導員は一つの作物を専門に作ることを勧めます。その方が安定した収入を得ることができて且つ指導する側も楽だからです。しかし農業は単純作業の繰り返し、色々やった方が面白く退屈しないでしょう。
 折角田舎に住んだのです。収入は二の次にしたいものです(実際問題、今の生活は楽ではないのですが)。それに自分の土地で自分の畑です。自分の好きな作物を植えればよいのです。
 種をまき、発芽して実が成り、そしてソレを収穫する喜びは何物にも代えがたいものです。お百姓さんの醍醐味です。
 
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(写真上・バックホーで開墾中。こんな機械初めていじりましたが、やれば出来るもんですね。面白かったですよ。下・ぶどうの初収穫) 
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  よく「田舎は古い風習やしきたりがまだ残っていて、都会から来た人は生活し難いのでは?」と質問されます。
ここは21世紀の日本です。そんな事はありません。確かに冠婚葬祭や様々な習慣において都会とは全く異なり、驚いたり納得できない事もありますが、慣れてしまえばどうと言う事はありません。
 『田舎暮らし』が本格的なブームになり始めた頃本で読んだのですが、都会から移り住んだ人が失敗する一番の原因は何か?ということが、事細かに描いてありました。
 折角理想郷(ユートピア)を夢見て移り住んだものの、現実とのギャップに悩み苦しんで出て行ってしまうという話も多く聞かれます。
ソノ本にはこう書かれていました。
 都会で生まれ育った者が、田舎暮らしで失敗するのは「キツイ野良仕事をする体力ではなく、当然減るであろう収入を持ちこたえる資金力でもなく、村社会での付き合い方だ」と。
 確かに都会の喧騒を離れ静かな生活を求めて来たのに、田舎は交流の場が異常に多い。部落の集会、農協、婦人会、ナントカ部会に協議会・協会・総会等々・・・特に酒席が多いのです。
 集まっては酒、話し終えては酒です。それでも一昔前に比べたら回数は相当減ってきたそうです。理由としては農家より勤め人が増えたのと、足代わりにクルマを利用するようになったからですが、それよりも若い者がそういう慣習を敬遠し始めているのが現実のようです。
  しかしながら私の場合は、ソノ一昔前の田舎を求めてやって来たような所がありまして・・・実は私はお酒が大好きで、男のクセにおしゃべりも好きだったのです。
 
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(何かにつけては、お酒お酒お酒・・・ また今日も「かんぱーい」)

第3章 資料実践編(その4) 村社会との付き合い②
           〜生きていくのに田舎も都会もない〜
  お酒が好きで結構強いという私の特技というか趣味というか、ソレが此処へ来て活かされるとは思いもよりませんでした。
 実際どこへ行ってもノンベエはいるもので、生まれも育ちも異なり年齢や言葉さえも違う者同士が、酒好きという唯一の共通点で打ち解けあい心を通わす。
 私がこの村に馴染んでいくのにそう時間はかかりませんでした。
 
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(上の写真は消防団の連中と〜また彼らが飲むんだこれが・・・左端がわたくし)
  しかし本当に静かな田舎暮らしを求めて来たのなら、村の人達とは一線を置いて生活するのも良いと思いますし、実際にそうしている人もいます。
よく「郷に入らば郷に従え」と言いますが(私もここへ来て言われた事があります。あんまり態度がデカイから)自分の人生です。自分と愛する家族を第一に考えて行動するべきです。もちろん他人に迷惑をかけない範囲でですが。

 田舎の人が一番恐れるのは村八分、いわゆる仲間はずれです。
 
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 (村八分=仲間はずれ即ち葬式と火事しか村の人達から手を貸してもらえない)
 村社会は相互依存型社会で、仕事も生活も全て依存し合います。お互い助け合って生きているのです。
それゆえ一人だけ違う言動を取れば、和を乱すという事になるのでしょう。
 何をするにも部落単位「赤信号皆で渡れば怖くない」ということで個人行動を嫌います。その方が責任 の所在がウヤムヤになりますからね。
 
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しかし、逆に行政側もソレを見越して農家を“いっぱひとからげ”で見て利用したりします。
まァこれも一昔前の体質で世代交代とともに変わっていくと思います。モチロンどちらが良いのかは一概には言えませんが・・・。
いずれにしろ個人主義の都会育ちには影響も無く、特に不自由は感じないと思います。付き合いも無理をせず、楽しくマイペースで暮らせば良いのです。
マイペースと簡単に言ってしまいましたが意外と難しいもので、何しろ相手がいるわけですから当然相手もマイペースかもしれません。
でも全く異なる地で生きて行こうと決心して来たわけですから精神的にもタフでなければダメです。それは都会で生きて行くのとそれほど変わらないはずですが・・・。
 
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 「男はタフでなければ生きて行けない やさしくなければ生きる資格が無い」    F・マーロー
         <未完>
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けっこう昔の文書なので拙い個所もありますが、原文のまま載せました。(書き換えるのも面倒なので)
田舎暮らしを始めるきっかけや実践編など参考になりましたでしょうか?
またnya*****さんの質問への回答にもなりましたでしょうか?
結局未完という中途半端な結末になったのも私らしいでしょ。ちなみに続編を書くつもりは全くありません・・・
 

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