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紺屋高尾

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左・貞斉泉晃『尾張屋内長登』(天保期) 右・角海老楼「白縫(しらぬい)」花魁道中の装束。大正3年( 1914)4月

   「紺屋高尾(こうやたかお)」
 
 昨秋、半田での独演会で志の輔師匠の「紺屋高尾」を聴きました。堪能しました。
 詳細を記すと長くなるので、簡単に、ご存知ない方のために述べます。
 神田紺屋町の染物職人、久蔵が初めて吉原の花魁道中を見に連れていかれたが、その時、目にした高尾太夫の美しさに魂を奪われ、三年間、脇目も振らず働いて、三年分の給金十両を貯めて、お大尽のなりして会いにいく。初会では客に肌身は許さないから、話をして終わり。花魁が型通り「主(ぬし)は、よう来なました。今度はいつ来てくんなます」と聞くと、久蔵、今度といったらまた三年後。その間に高尾が身請けされてしまったら、これが今生の別れだと思うと感極まり、思わず正直に自分の素性や経緯を洗いざらいしゃべってしまう。感激したのは高尾太夫。三年も思い詰めてくれるとは、なんと情けのある人か・・・わちきは来年の二月十五日に年季が明けるから、女房にしてくんなますかと言われ、久蔵、感激のあまり泣きだした。この高尾が、紺屋のかみさんとなって繁盛するという、「紺屋高尾」の由来話。

 高尾大夫は代々三浦屋抱えの名跡(源氏名)で、請け出されたりすれば別な遊女がその名を継ぐ。七代または十一代まであったというが、諸説が多くて決定しがたいようです。一般には初代が通称、妙心高尾、子連れで廓内を道中したので子連高尾とも呼ばれる。隠退後は尼になったという。二代の仙台高尾がもっとも有名ですね。俳諧をよくしたといわれるのはこの人です。仙台侯・伊達綱宗の意に従わず、隅田川船上であんこうの吊るし斬りにされたというのが俗説。浄瑠璃や歌舞伎に取り上げられ、芸界では高尾物と呼ばれる。三代の西条高尾は蝋燭問屋・西条吉兵衛に請け出された。四代水谷高尾は水戸家の御用人商人・水谷六兵衛に、五代浅野高尾は浅野因幡守が身請けした。
そして六代目がこの噺の紺屋高尾で、駄染高尾とも呼ばれた。駄染というのは高級染物に比べて紺一色の紺屋が駄染と呼ばれたからだという。名は久蔵ではなく実際は九郎兵衛といい、記録にあるという。この噺、実話をもとにしたものとされますが、詳細は不詳です。7代目が(10代説も)榊原高尾で、姫路の大名・榊原式部太輔政岑(まさみね)に1800両で身請けされた。これは吉宗の怒りを買い、隠居謹慎させられ、跡を継いだ長男は越後高田に左遷させられています。殿さんともなれば、家来の娘をより取り見取りに側室に出来たと思うのですが、花魁は魅力があったのでしょうな。

 享保頃までは、吉原では遊女のランクは、‖隻廰格子散茶で瀉祗ザ匹如∈嚢皸未痢崑隻廖廚箸覆譴燭里200人に一人といわれます。‖隻廚鉢格子が、部屋持ち女郎の意味で「おいらん」という名称が付いた。「花魁」は中国語の当て字ですね。語源は(部屋が)「おいら(自分)のもの」からとか。
 落語家がいう花魁の由来は、「キツネやタヌキが化かすときは尾で化かす。花魁は手練手管で化かす。つまり尾はいらんからオイラン」
 時代が下ると、なし崩しに呼び名が下へ下がっていったといいますが、どんな時代でも「オイラン」は吉原の女郎に限られました。

 上の画像で見られるように、花魁道中に従う少女を、禿(かむろ)という。(今はハゲという字で使われています)廓の中や、遊芸者層で生まれた少女で、7,8歳ぐらいから姉女郎(花魁)のそばにいて、ただ従順に身の回りの世話や走り使い、道中の供勤めをし、琴、三味線、茶の湯を習います。遊女やその部屋の新造たちも、禿を一人前の遊女に育てるために懸命になります。しかし、禿がみんな花魁になれるわけではなく、素質次第です。花魁になるには、さらに引込禿にならねばなりません。引込禿とは、14,5歳になって姉女郎の手を離れ、楼主(遊女屋の主人)や内儀(その妻)の元で、新造になるために引っ込んで英才教育として諸芸を習っている禿のことです。将来、一級の花魁として期待される禿だけがその資格を与えられた。女衒を通して15,6歳で入廓する田舎娘などは、容姿だけよくてもとても花魁にはなれませんでした。花魁は、教養・見識の点で、町の一般子女(武家も含めて)よりもはるかに秀でていたという。大名や大商人を惹きつけた魅力もそこにあるのではないでしょうか。

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「女衒」のことは前に書かれていましたが、すんなり読める若い人はいないでしょう。職業に卑賤はないといいますが、唾棄すべき職種ですね。

2008/1/19(土) 午後 2:24 [ terutinn ] 返信する

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囲って「ぜげん」とすべきでしたでした。人身売買業といってもいいでしょうが、専門のこうした人がいて廓社会が構成されていたわけで当時はなくてはならない職業だったのでしょう。しかし貧しさゆえに娘を売る親のつらさは想像を絶するものがあります。

2008/1/19(土) 午後 8:32 勢蔵 返信する

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