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輪島さんの思い出

    輪島さんの思い出
 
輪島さんが10月8日、咽頭がんで亡くなった。享年70歳。長く我がブログを覗いてくださっている方は、私が日大相撲部OBであることはご存知かと思います。先輩の思い出を綴りたいが、前に書いた稿と重複します。
 
輪島さんは、私が入寮したときは、十両に上られたばかりでまだ髷も結えずにいた。私が4年生になったときに横綱になられ、全盛の時を迎えていた。輪島さんは(荒瀬さんも同じであるが) 稽古の時以外は、花籠部屋にいるより隣の日大の寮にいる時のほうが多かった。下級生は上級生の用事と、居候である2人のOBの用事で多忙を極めた。それでも輪島先輩は、後輩達に時々ご馳走してくれたが、(吝嗇の)荒勢さんは後輩を使うだけで後輩に振舞うことはなかった。この2人のOBを毎日身近に眺めていたわけですが、私生活においては学ぶところや尊敬するところは微塵もなかった。強いことだけが価値基準の世界にあって、強いだけで充分敬意に値するものなのである。

 輪島さんは天真爛漫なところがあって、何をされても何故か憎めない人であった。天才肌の人は凡人の理解を超えていて、何を考えているのかわからないところがあった。あるいは、何も考えていなかったかもしれない。よくわからない。タンスの引き出しが、少しでも出ていたりすると気になるといった神経質な面があるかと思えば、些細なことは気にしない豪放な性格を合わせ持っていた。
 私は、輪島さんにだけは「イチ」と呼ばれていた。目が細かったから座頭市のイチである。学生の中ではもっともまともな字を書くからということで、場所前になると私は先輩が後援者に送る番付の封筒書きをしていた。今ならパソコンにデーターを入れておけばすぐ印刷できるが、当時はそんな便利なものはなく、地位と人気が上がるにつれて場所ごとに封筒の数は増えていった。(本来、付人の仕事であるが)私が命ぜられてお小遣いがいただけるのがありがたかった。5000円は当時の学生にとって大金であった。
 4年間、近くにいたので面白いエピソードは一杯あるが、笑いの俎上に載せるようなことは言いたくない。横綱になった頃、次の様におっしゃっていたのが印象に残る。
 (指を折りながら)「俺には、いつでも首投げ(sexのこと)できる女が15人いる。お前達に貸してやるわけにもいかんしのう、ワッハッハ」 東京は東北出身者が多いせいか美人が多い。実際、連れて歩く女性は、名古屋栄町で一日歩き回っても見られない目を瞠る金星(美人)ばかりであった。メスは古来より強い種を求めてそれを宿し、遺すのが本能であり、強いオスになびくのは自然の理であろう。その時の横綱を取り巻く学生たちの心境たるや、サル山で、ボスに群がるメス猿達を、指をくわえて眺めている若い猿と同じ構図であった。悔しかったら、強くならなければならない。
 
女性にはまめな人で、深夜帰ると必ず女性に毎晩のように電話していた。電話機は、1年生が寝る1階大広間にあるから、いつもその声に起こされて閉口した。
彼は私の宴会芸である「痴楽師匠の綴り方教室」が大のお気に入りで、
「イチ、俺の彼女に一席聞かせてやれ!」と命じられ、受話器に向かって「上野を後に池袋、走る電車は内回り、私は近頃外回り 〜」とやったのも3度あった。むろん女性は異なる。「クスクス」とかわいい笑い声が聞こえていた。眠いやら情けないやら。祝儀が出たことはなかったが、一度、魁傑さん(元放駒理事長)の前で演じたときに5000円頂いた時は嬉しかったなあ。封筒書きは2時間以上かかるが、「綴り方教室」は10分だもんね。

 又こういうことがあった。当時リンカーン・コンチネンタルに乗ってみえた。フォードの高級大型車だ。さすがに乗り心地はいいが、リッター23キロしか走らない不経済な車である。リンカーンのファーストネームを知れば納得する。「アブラハム」である。冗談はともかく、ある時、輪島さんが 「昨夜、佐川急便の社長に、『天下の横綱が車一台ではさみしいではないか、よし俺がもう一台買ってやる』と言われたが、ホンマかいなあ」とつぶやいていた。
 45日して、新車のジャガーが届いたのにはびっくり。当時でも800万円以上する高級車だ。こういった気前のいい人が、本物のタニマチなのであろう。「3万にしようか奮発して5万包もうか」と思案している人は、タニマチになることはできない。
800万どころか、いまだに800円の買い物でも、高すぎやしないかと思う我が身が情けないが、それが普通である。

 幕内で小兵力士として活躍した(高校相撲部の後輩の)Tから聞いた話である。新聞に包まれた束を、Tはタニマチから渡された。彼はてっきりビール券だと思いこみ、中も見ずに台所に持って行かせた。しばらくして「関取、200万包んでありました」と聞かされびっくり。相撲取には幾ら包んでも「ごっつぁんです」の一言である。まるでドブに金を捨てるようだ、とまで言わないが、それに近い。愛人のために使うのと同じように、贔屓にしている力士には金が惜しくないのであろう。 
 輪島さんが優勝した千秋楽の夜、祝儀の束から金を取り出して、勘定したことがあるが、当時でも祝儀袋の中は10万・20万・30万円といった単位だった。(相撲取りに包む祝儀は35万円なら出さないほうがいいですね。すぐ忘れられるか、覚えていてもケチ野郎と思われるだけである)
 ともあれ、ちょっと強いだけで、こんなに女や物、金が集まってくる。(いや、ちょっとではないな)「男は強くならんといかんなあ」と、しみじみ思ったものだった。

 輪島さんは引退して、師匠の娘さんを娶り、花籠親方となるも、輪島さんの名義で妹さんがお店を経営していて、(聞いた話ですが)妹さんに泣きつかれて、資金繰りのために親方株を担保に金を借りたが、そのことが何故か表にでてしまって協会を去らねばならなくなった。タニマチ筋から借金すれば、なんでもなかったことなのに、残念な事件であった。利で結びついた婚姻は同時に破局を招いた。

 アメリカンフットボールの社会人クラブ総監督に就任したときには、「ルールはまったくわからん」と笑い飛ばしたという。角界を去ってからお会いしてないが、10年ほど前に同門の先輩から聞いたところ、ずいぶん腰が低くなっていて驚いたという。過去の栄光だけでは食べてはいけないので、人には言えぬ苦労をなさったことであろう。輪島さんが新聞記者に語った言葉が忘れがたい。
「逆境という言葉は好きじゃない。人生なんてご飯と一緒で、おいしい時もまずい時もあるんだからさ」(10日の朝日新聞『天声人語』)
彼が、今までの人生を振り返った自伝の本を出されたら、それは面白いものになるに違いない。封筒書きをしたよしみで、彼から聴き取り、私が代わりに執筆しようという計画をずっと抱いていた。0Kいただける自信もあった。その題名は決まっている。 『栄光と挫折』 帯が「角界で頂点を極めた男が、新弟子に戻って人生再チャレンジ、その波瀾の生涯」 これは売れるに違いない・・・と思っていたのだが・・。
 
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勢蔵さんが 電話口で痴楽師匠の綴方を 一生懸命やっている
姿を想像したら 笑いが止まりません。寝ていた一年生も笑いを噛み殺していたのでは、、童話の様な いい話ですね、、。
輪島さんの ご冥福を お祈りします。

2018/10/11(木) 午後 9:10 [ kei***** ] 返信する

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> keiさん コメントありがとうございます。
いい話とは思いませんがね。夜に起こされてやらされる私の心境を思いやってください。「勘弁してくださよ」なんてことは言えません。滑稽ですね。
輪島さんに限らず先輩から命じられたらすぐ一席やる、という学生時代の経験が、今の落語活動につながっているんだと思います。

2018/10/12(金) 午後 7:52 勢蔵 返信する

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