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「水戸黄門と松下幸之助」
前に載せた水戸黄門に関する二つの稿をまとめました。 1918年大阪・四天王寺で、道路脇に戸板を敷いて電気器具を売る若者がヤクザに絡まれていた。たまたま通りかかった三木啓次郎氏(当時40)が助けた。若者が三木に言った。「これは僕が作った二股ソケットだ。売れると思うが資金がない」これは売れると三木は直感した。「水戸に田んぼを持っている。それを抵当にして金を貸そう」。若い男は23歳、名を松下幸之助、後にナショナル(現パナソニック)を築く「経営の神様」であった。 三木は、水戸徳川家の家老の子孫だった。三木家の先祖で家老・三木之次(ゆきつぐ)が、光圀を身ごもった女性が堕胎させられようとしたとき、彼女を自宅に隠し、ひそかに出産させ光圀を育てたという。 調べてみても三木啓次郎氏は、どうも得体の知れない人物です。北辰一刀流の極意を会得した剣術の師範でもあったようです。幸之助氏が彼のことを次のように述べている。 「いまの皇室とも非常に縁が深い人で、皇居に対しては”木戸御免”であるというような老人であります」、「また歌舞伎座のごときも木戸御免である」 幸之助氏は、大阪・四天王寺極楽門、浅草の雷門という東西の代表的大寺院の重要な門の再建に莫大な寄進をしているが、どちらも、三木氏の勧めに従って門を寄進しているという。72年に95歳で亡くなるが、墓には「松下幸之助顧問」とある。 テレビの本放送が始まって3年後の56年、松下電器が提供する「ナショナル劇場」がスタート。69年「水戸黄門」が始まる。「権威主義的では?」という企画段階の迷いは、幸之助氏の鶴の一声で決定した。その背景に「三木氏との友情があったのだろうか?」 と朝日新聞は述べている。 幸之助氏が見るテレビの定番が四つあった。NHKの午後9時のニュース、高校野球、ボクシング世界タイトル戦、そして「水戸黄門」。幸之助氏は印籠を出すシーンが好きだったという。 (以上2009年11月13日の朝日新聞夕刊による) 光圀は徳川家康の第11子である頼房の3男に生まれた。家康の孫になる。仕えたのは4代将軍・家綱と5代・綱吉の代です。
テレビでいう「副将軍」という職制は存在しない。水戸家は御三家のうち参勤交代がなく、江戸定府が認められていたことによる仮託した作り事のようです。 1660年63歳で隠居してから、権中納言(従三位)になるが、この官位を唐名で「黄門」という。私が若い頃の「水戸黄門」のTVドラマで、悪代官が「こうもん?けつの穴がどうした?」というセリフがあって笑ったが、今ではNGでしょう。 隠居後は常陸太田の西山荘に居を構え、領内をしばしば回ったという。その足跡は茨城県内に数多く残っているという。ただ彼の残した足跡は、北は勿来の関(領内)までで、東は祖母・英勝院(家康の側室・お梶)の菩提寺のある鎌倉までで「水戸黄門漫遊せず」なのである。
江戸時代後期である文化・文政頃に作られた講談本『水戸黄門漫遊記』の「奥州の巻」「東海道の巻」が大変な人気になり、更に「中仙道の巻」「四国の巻」「九州の巻」「北海道の巻」と続き、本の中で日本中歩き回った。そして幕末から明治にかけて漫遊記が、講談のネタになった。 井上ひさし氏の説によると、幕末の水戸の賢君といわれた斉昭が、辻講釈にお金をやって盛んに語らせたと述べています。将軍は14代まで水戸家からは誰一人として輩出しておらず、水戸家の人気を庶民に煽ったということです。その効果があったとは思えないが、はたして15代将軍は一橋家を継いだ慶喜(斉昭の第七子)が、初の水戸系将軍となる。しかし、影響がなかったとは言い切れない。当時は、講釈師は絶大な人気があって、噺家とは差がついていたようです。ですから「黄門様の子孫の将軍ならば」と、慶喜は世直しを庶民から期待されたものだった。 光圀が残した大事業として名高いのは『大日本史』編纂ですね。18歳の時、『史記』を読み感動して、日本にもこのような歴史書を作ろうと決心する。そのために水戸藩は、毎年、年間財政収入の三分の一近くをこの事業に注ぎ込むこととなる。元禄7年(1694)、幕閣や諸大名を招いて行われた能舞の催しで、光圀は重臣の藤井紋太夫を自ら刺殺しております。これは財政悪化を憂いた紋太夫が、光圀の失脚を図ったため光圀の怒りに触れたといわれている。『大日本史』編纂は、高く評価されていい事業ですが、領民に超重税を課した光圀が、後世、庶民の味方として定着しているのは皮肉なものです。皮肉といえば、皇室を敬う「大日本史」が、水戸学として幕末の勤皇思想、そして倒幕のイデオロギーの拠り所になってしまった。徳川家の藩屏たらんとした光圀にとって皮肉なことであった。また、水戸家出身の将軍(慶喜)だったからこそ、(水戸学の影響により)後世の汚名をおそれ、ひたすら官軍に恭順の姿勢を貫いたため、戊辰戦争は流れる血の量が少なかった、ともいえると思います。
ちなみに格さんこと渥美格之丞は、『大日本史』編纂所の総裁を務めた学者である。助さんこと佐々木介三郎は、光圀の命を受けて全国に史書を求めて歩いたこれまた学者である。後世に多大な影響を与えた『大日本史』に携わった二人の学者を、黄門様のボディガードに登場させるなんて、実に粋な配役です。
すでに亡くなってしまっていますが,黄門役を10年やった東野英治郎さんのお話です。 「最後に印籠をサッと出しましてね。あそこは非常にいいらしいんですよね。普段、息のつまった生活をしていますと、きっと痛快なんでしょうな。まあ、ストレス解消に役立っているんじゃないですか。この『水戸黄門』をやって10年近くなるにつれてだんだんモテてくる。とくに地方にロケに行くとすごいんですね。どういうことなんでしょうね。私は長い人生でこんなにモテたことはないんですよ」 |

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水戸黄門の再放送も 明日で終了。囲碁仲間の高齢者の方々が
寂しがってます。 葬儀会社何社かで 放送できないのかしら、、、。
高齢者の好む 番組が ドンドン減っています。ますます認知の人が増えそうです。まさか それお狙ってるのでは、、、!
2019/3/26(火) 午後 5:30 [ kei***** ]
> keiさん コメントありがとうございます。
そうなんですか、水戸黄門の再放送は年配者には人気でしたからね。
「助さん格さん、こらしめてやりなさい」という前にさっさと印籠を出せばいいと思うのですが、それだとチャンバラがなくなってしまう。私は個人的には西村晃さんの黄門役が好きでしたね。東野同様に悪役が多かったのですが、黄門様になって人気俳優になりました。
2019/3/27(水) 午後 8:10