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けがわらしき牛の乳

 『北槎聞略』(ほくさぶんりゃく)は、大黒屋光太夫ら乗組員がロシアでの約10年にもわたる標民体験を克明に聴取した膨大な文量に及ぶ聞書で、幕命で桂川甫周が記録したものです。その一節です。

 さて着の夜(註・アリューシャンの島からカムチャッカに連れられて着いた夜)、チャブチャ(ます)という乾魚と白酒の如き汁にタラワ(草の名・不詳)の実を入りたる錫の鉢にもり、熊手の如きものと小刀大さじを添えて出しける。(ホォークとナイフ、スプーンのことであろう)この三品は彼の国の人飲食の時に用いるなり。
 翌朝は麦の焼餅とくだんの汁、与ふ。その汁はなはだ甘美にて昨夜のものよりも濃し。されども何物とも知らず、やはり百合の根にてもやあると思ひ居たりしが、その家の老女朝夕に小桶を携え何地へか出行き、しばらくありて帰る事、日々に違はざりけるを、磯吉怪しく思ひあとを行き見るに家の傍なる牛納屋のうちに入りける故、隙間より窺ひ見れば黄牛と黒牛とをかひおきたり。老女はやがて牛の腹の下にくぐり入りて、くだんの桶へ牛の乳を絞る。かの白き汁はこの物なり。名をモロコといふ。濃きものは煮返したるにて、ワリョノイモロコといふとぞ。
 磯吉はこれを見て、けがらわしき事と思ひ、残りの者どもへも言い聞かせ、その後は同船の者 絶て汁を飲まざりしとなん。郡官より麦粉、乾魚、牛肉を贈りけれども肉食はせざる由を断わりて、牛肉をばいつも返しける。


 実に美味しいと思って飲んでいた白汁の正体が、牛の乳とわかり、「まいったなあ」といった困惑した一同の様子がうかがえて、ニヤリとしてしまいます。我々は今、当たり前に牛乳を飲んでいますが、江戸時代人にとっては獣の乳といったものは、けがらわしさのかたまりのような存在だったのでありましょう。
安政3年8月5日(1856)下田の『玉泉寺』に我が国に於ける最初の米国総領事館が開設され、総領事ハリスは2年後病に倒れ、愛妾・お吉は、彼が牛乳を欲するのを知り、下田近在から、和牛の乳を集め15日間与えたという。飲んだ牛乳9合8勺の代価が1両3分88文という記録が残っておりますが、かなり高価です。 玉泉寺境内に 『牛乳の碑』がありますがこの碑は、伊豆が創業の地である森永乳業が建立したものです。
明治4年に、天皇が牛乳を毎日2回ずつ飲んでいることが新聞に載ると、国民の間にも牛乳飲用が次第に広まったという。世の中は文明開化一色となり、何事にも欧米を真似するようになったんでしょう。
明治8年には、当時の北海道開拓庁において、国産第一号の欧米ヨーロッパ風チーズが試作された。このとき、元来の農家は家畜から乳を搾り取るような行為を嫌ったとされる。牛乳販売を事業として行ったのは主に士族出身者であった。牛乳販売は、失敗が多かったとされるいわゆる「士族の商法」の代表的な成功例です。
 なお(大黒屋光太夫から聞き取りした甫周の) 桂川家は、家宣(6代将軍)から代々将軍家に仕える幕府奥医師であり、そのため蘭学書を自由に読む事が許され、江戸における蘭学の権威といった存在でもあった。桂川家において甫周を名乗る人は2人おり、4代目にあたる甫周が家斉の代に『北槎聞略』を書いた。ちなみに、幕末の7代目・甫周の奥方が、軍艦奉行・木村摂津守の姉であることから、蘭学者・福沢諭吉は甫周に頼んで木村の従者となり、咸臨丸に乗り込むことが出来た。

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