関本塾

病院では治療困難な現代病は足つぼマッサージで治そう!。

無題

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索
 <みんなの遺伝子がこの社会を作っている>
 生物の定義はいろいろあって決められませんが、私はメタポリズム〔同化と異化(狭義では代謝)〕だと規定しています(ウィルスはチョット違うけどね)。生物はエネルギーを取り込み、様々な形でそれを放出します、しかし、エネルギーを少しだけ余分に蓄えるシステムです。エネルギーを蓄積し、自己再生のエネルギーとし、余分に蓄えたエネルギーに因って、以前より数が増えて行くシステムです。これが地球型生物と言う事だと思います。このシステムに因って、植物は大きくなり林が森となり。昆虫や動物は子供を生み数が増えていきます。生物がいくら進化してもこのシステムは変えられません。地球上のあらゆる生き物は(今の所ですが・・)このシステムで動いているのです。植物も動物も遺伝子の半数は共通していると聞きましたが、元は一つの生命だったんでしょうか、面白いですね。

 つまりいくら人間ががんばっても、この次元世界から逃れられません。人間は他の生物と違って、自分の肉体以外のものに、自分の行為をさせたり、置き換えをしたりしています。自分がするの代わりに、他人や機械にしてもらって自分は楽をしようというわけですね。そうして文明を作ってきたのです。ですから、文明のシステムは、社会の構造もコンピューターの(ハードもソフトも)システムも、細胞や体のシステムとほぼ同じに作られているのです。

 使いやすい道具とか、分かりやすいパソコンとは、人のシステムにより近いと言う事です。人が理解し易いと言う意味は、自分の中に同じような物をすでに持っている事です。ハードディスクやメモリーは、脳の記憶回路が現在の情報量を蓄積できないので、その代わりに作った、それだけ情報を貯めたいのです。それも同化です。自分のパソコンのデータを見て下さい、それがあなたの脳なんです。テレビ・ラジオもインターネットも、あなたの細胞が欲しているから存在しているのです。

 つまり人間の社会システムや思考・行動は、人が単細胞であった30数億年前の生き物の構成に因っています。生命の誕生以来幾度かの絶滅の危機を乗り越えて、現在の人類が生き延びている事に驚きを感じます。

 この生き延びてきた生命は、世代交代という環境に応じて個体を変える事と、種を維持するために情報を伝え合うという、方法を採ってきました。それが遺伝子の変異と雌雄の違いを作ってきました。(この辺詳しく書くと別な読み物になるので割愛します)。私はこの情報を取り込み、共有化するシステムを同化という言葉で広い意味で使っています(食べて大きくなる事も同化です)。 

 人類の雌雄が出来て3億年経っているようですが、それ以前の生物も、様々な単細胞生物も何らかの手段で情報を交換し、<同じであろう・種として維持しよう>というのが生物の宿命です。個体の雌雄差が出来たのは、結婚してコピーを作るという事です、優秀な遺伝子を交換して同じであろうとします。

 生物として同じであろうとする限り、人類にとって差別や支配は生物的な営みではないのです。と言うのは、人間は個人(個体)では生を語る事では不十分で、個の生+種の生命と2つの生に因って出来てるからです。ですから、自分の仲間は食べないし、殺さないんです。逆に考えると、支配し差別が遺伝子由来のものならば、それらはいつでも互いに争いあい、生存は難しいのです。戦争好きが遺伝子由来なら、人類は戦争ばかりして文明は持てないし、とっくに滅んでいるのです。


 映画で悪い支配者がやっつけられるのを見て感動したり、戦いの末自由を得た人間を見て感動するのは、そうした生物としての元々の感覚なのです。ですから逆に、今、人の自由を奪っていたり、人に対して差別している人は、その時点で自分の生に対して満足できないでいるのです。または不安に感じているのです。いつ自分や家族を殺されるかの不安を抱えながら生きるのは、支配で得られる快感より辛いのです、結局枕を高くして寝れない。私怨の無い殺人は、本来出来ないのです(戦争の事です)。

 たぶん1万年以前までは、人の営みは10〜200人程度の集団で700万年ぐらい続いていたのだと思うのです。それが急に現在、1億の単位になって、上手く集団を動かす能力が無いのです。今の我々人類には無いのだと思うのですが・・、その新たな手段として民主主義制度が生まれたのかもしれません。人類は元々同じになろうと言う力(理解し理解されよう・認め認められようとする力)が働いている限り、平等や平和を求めそれに近づこうとするのです。(ただし、食料が十分に無かったり、狭い所に閉じ込められると状況が変わってきます)中国も共産党支配・北朝鮮の独裁もいづれ終わるのです。崩壊の理由は、それは支配者自身が苦しいからです。

 では何故、様々な軋轢がおき争いが起きるのか?と言いますと、生物には(同化の他に)もう一つ重要な要素があります。それは自分と他を区別すると言う事、<異化>です。細胞レベルで言うと細胞膜が外の世界と自分とを区別することですが、人間になるともっとズーット高度(?)になって、自己と言う認識が生まれます、<私>です。他者を区別し排除する意識の元ですね。そして、<私>という認識から、<私達>と言う、擬似的な自分の拡大版の世界が生まれるのです。人間はそこに住んでいるのです。<私>の世界ではなく、<私達>の世界です。
 
 その<私達>の世界が<依存と支配>の世界です。その世界を広げる・その認識や理解の質やズレを課題として、他者の世界を認識して行く事が自立(正確に言うと自立という感覚)です。

この記事に

開く コメント(0)

 さて、欧米人に日本人はどう思われているか?これ日本人好きですね。どう思われようとかってだ〜〜!、と言うのが私の考えですが、実は私も好きなんです。先回の旅でも言われました。たまたま、私がゲスト・ハウスのワイ・ファイの暗号を覚えていて、知り合った欧人のスマートフォンに10桁の暗号を打ち込んだのです。すると、Fussy!と、感動されました。たまたま覚えていたんですが、日本人らしいと思われたのですね。

 fussyはfastidiousの類語、<うるさい、こせこせ、むなしい>等ですが、おおよそ<好き嫌いが細かい事>を言います。ちょっとネガティブですが、なんと!これが世界中で大受けしているんです。今までは富士山・芸者が日本の代名詞でしたが、最近は日本をよく知り、日本語を理解する外国人が増えてきました。旅先で三味線を弾いていると、飛び上がるように私に駆け寄ってくる人を見ると、なんだかうれしくなります。以前のように日本人というと、車の国だよね、とか言われる事は少なくなってきました。文化もしっかり輸出しているのです。


 日本のこだわりは、ガラパゴス化ですね。お米の銘柄にこだわる事や、精巧なフィギア(人形)・多機能な電子機器・食べ物へのこだわりです。日本人は何事も、いい加減・おおらかではなく、物にすごくこだわるんです。日本は世界から見ると<Unusual, so different(普通じゃない!、すごく違っている!)>で、びっくりなのです。日本人にとっては普通で、そう言われると意外なんですが、世界から見ると日本の文化は当たり前ではないんですね。ですから私は、物については、これからも、う〜〜〜んとガラパゴス化していけば良いんだと思っています。そうでないと、世界と同じ基準で物を作っていったなら、他の輸出国に代わっていってしまうのです。<おもてなし>も、旅館の過剰な接待もそのまま進めばいいんです。私は嫌いですので、みんな同じ事してもらっては困るんですけど・・。

 最近は円安も手伝って、外国人旅行者が増えました。日本式の居酒屋も大人気だそうです。確かにパブぐらいしか無い欧米から見ると、様々タイプの飲食店はビックリでしょう。でも、未だに多くの外国人は、日本は物価が高いと勘違いしてます。実は世界の先進国で最も物価が安いのです、これも近くに中国があったおかげだと思いますが・・。外国人に会うたびに、日本は面白いよ・安いよ、絶対おいで!と、日本を宣伝してしまうマリオなのでした。

※ アメリカのファッション雑誌に<ボーグ>というのがあります。モデルがポーズをとって写っていますが。しかし、彼女たちの顔は決して笑顔ではありません。パリコレもファッション・ショーでもモデルの顔は、何故か怒って居るように見えます。私は不思議でしょうがありませんでした。日本人の感覚では理解できません。何故彼女らは笑顔でなく、怒っているのか?。自立や感覚の事を学び始めて分かりました。彼女達の生きている世界は、男性や他人に媚を売らなくても生きていける・生きていこうとする世界だったんですね。ありのままで、自分を誇れる、そういう野生的で美的な顔だったんですね。(この反対が、幼さを演出する<カワイさ>です、この話も長くなりますので割愛!)

この記事に

開く コメント(0)

 <恋愛>は人にしかわからない。他の霊長類には生殖行動前後の長い期間に、オス・メス特別の関係はないからです。人は性の隠匿から始まる関係(恋愛と言う関係)は、子育ての準備、役割分担を決めるために必要な儀式なのです(一夫多妻でも同じ)。その儀式を通して音楽や言葉が生まれてきたのだと考えます。深い役割分担の関係は、より細かな情報の共有化が必要だからです。つまりそれぞれが1っ個体として生きられるのなら言葉は生まれない、と言うことです。よく話す人は寡黙な人より、他人の協力を必要とする生き方をしている、と言うことですね(気持ちの上でも生活の上でも)。現在は言葉より社会としてのシステムが、言葉の代わりをしています。だから現代人は疎外感を持つのです。

 ですから、人には肉体的に生殖可能になる成長と、異性との関係を作れるようになる成長があるのです。生殖をリードしてきたのはメスなので、当然メスの方が成長が早く、オスはそれに引っ張られる形で2〜3年後に成熟します。つまり人への進化も2段階で、初めにメスに起きて、続いてオスに起きました。現在も進化中で脳の容量は拡大していると思われます。

 女性が52歳前後から始まる、更年期障害は性ホルモンの衰退によって引き起こされる(バランスが崩れる)ものです。しかし、更年期に見られる感情の変化(熟年離婚やパートナーに対する怒り)は、原始回帰とも言えます。ですから、男性にも当然起きます。女性に続いて起きます。繁殖期の関係が意味をなさなくなり、それ以前の関係に戻ったと理解するのなら、ものすごく納得できます。

 この未熟児で生まれると言うことの、大きな意味はもう一つあります。それは自分と他人の関係で生きているだけの生物とは全く違う関係を強いられたことでした。未熟児は自分の体から生まれた、しかし、自分ではない、他者でもない。泣くだけの存在、何もできない。それが何を求めているか自分で考えないと死んでしまうもの。察する・相手の身になって考えて行動ないと死んでしまう存在。相手の立場になる、自分の意識が自分を離れて、子供側に移る。そこから要求をくみ取る。そうしているうちに、子供から見た自分の姿を見る。それが自己・エゴの発見なのです。(自己の定義は難しくて一概には述べられませんが、ここでは、自己認識と言う事にします。)カラスも50の言葉を使うと言われ、ゴリラも手話を使って会話ができる。なぜ、自己認識ができないのか、そこには、相手から自分を見ると言う行為がないから、相手から自分を見る必要がないからなのです。死の認識も、相手から自分を見ていて、その相手が死んでしまう出来事によって自分の死を知る事になったのでしょう。
 
人の子だけが行う<指さし行動>は1歳以前後にします。意思表示・共感共有・理解応答の順に発達していきます。これは、進化の過程でしょう。それが言葉に置き換わっていくのが1歳から2歳。言葉が少し遅れてくるのが、類人猿から人への進化の過程だと思います。そして、第2次性徴となって、自己の存在に気づきます。思春期ですね。母親になると言う変化が起きるわけです。

 子供が未熟児であるため、役割分担が必要となり、言葉をうみ。未熟児で生まれた子供との関係で自我が生まれた。人(ホモ・サピエンス)への進化は、子供が生まれないという危機的状況によって生まれてきたのです。

 ボルネオ島でオラウータンは見ませんでしたが、広大な焼き畑を見ました。ここでも育てる、他の生物(食べ物)を育てると言う行為が自己認識のきっかけとなったと思うのでした。やはり歩くこと他者を愛すること、大事なんですね。              2016,4/20

この記事に

開く コメント(0)

 関本マリオ
 人のメスはなぜ発情期を隠すのか?なぜ2足歩行を選択したのか?なぜ人の子は未熟児で生まれるのか?赤ちゃんの原始反射はなぜ起こるのか?更年期障害はなぜ起きるのか?なぜ人だけが自我を持ったのか?なぜ恋愛をするか?


 道路の側溝の中に身を潜めて、上を通り過ぎる女性の下着を覗いて逮捕された男性がいた。しかも、彼は2度も捕まった。彼は何を見たかったのか?それは性皮を見る、確認したかったのだ。類人猿の多くは繁殖期になるとあそこが赤く膨らむ、そこが性皮。そこでオスが発情するのです。


 しかし、人のメスは発情を隠す<排卵隠匿>。人のメスはほっておいても生殖器官を隠す。オスが性器の名を小声で言っても<怒る>いやらしい、と。しかし、そこに人類誕生の秘密があったのです。


 定説は<人類が森から出て2足歩行をして脳が発達して、○○して、文明を作る。立ったために骨盤狭窄→未熟児で産む>と言うものだ。しかし、どうも必然性が弱い。つまり、2足歩行になる理由が弱い。2足歩行は、非常に安定が悪く、4足歩行にすべての面において劣る(最新技術でもロボットを作ってみると難しい)。自然の中で走れば必ず転ぶ。サバンナで脳が発達してない段階で、他の捕食物に勝てる手段もない。また、2足歩行の利点はそれほどでもない。ミーヤキャットの様に一時的に立ったり、猿の様に完全に2足歩行でなくても物は両手に抱えて移動もできる。なのに2足歩行を選択した?。ほとんどの類人猿は脊髄を立てて生活しているのに、なぜ人だけが文明を持ったのか。それは、仕方がなかったのです。


 約700万年前、半樹上生活の類人猿がある程度脳が肥大して、胎児が産道を抜けなくなってしまったことから始まったのです(進化の方向は急には変えられない。キリンの首は伸び、象の鼻は伸びていく・・)。ここで人の先祖は絶滅の危機に見舞われる。子供が生まれなくなってしまったのだ。ところが、ある類人猿達は胎児の脳が発達する前に産み。未熟児で生まれた子供をなんとか育てることで、子孫をつなぐことに成功した。または、脳がそれほど肥大しない段階でも難産で、立つことで未熟児で産み育てることになった(立つことで内臓が下がり子宮を圧迫して早く生まれる)。

 それは、子供を産んだ母親が、いつも子供を抱えて移動すると言う事、つまり2足歩行にならざるを得ない状況になったということなのです。人の子供は約1年間、自分で食べ物を探し食べることはできない。親が付きっきりで、世話をする必要がある。それを木の上ではできない。つまり、ライオンがいるサバンナより安全な樹上生活を、あきらめざるを得ない状況になってしまったのです。ここに2足歩行の原点がある。そして約400万年ほど前に現代の様に直立2足歩行になったと思われます。2足歩行と言っても、300万年と言う長い時間をかけてようやく直立できるようになったんですね。
 では、2足歩行ではライオンに勝てない人の先祖は、どうやって生きて来たのか?肉食獣のいるサバンナを避け、森の中を住みかとして、竪穴や洞窟に暮らした。それは今でも僕らの記憶のどこかに残っている。世界中の人が理想とする世界を描いてみると、森の中に家を描く。そこに人として誕生した世界があるような気がする。


 時々、赤ちゃんを観察させてもらいます。原始反射<把握反射・新生児微笑・モロー反射・吸啜反射>が起きているか観察します。把握反射は赤ちゃんが生まれてすぐは、手の握る力が強く、数週間で力が抜けてしまうことを言います。これは人が類人猿の頃、赤ちゃんが生まれてすぐ、母親にしがみつく・木につかまったことを意味します。一般的には手で起きることは知られていますが、実は足でも同じように握ろうとします。そして、手と足の大きさや形が似ている事に気づきます。立つと足が大きく指が退化していきます。ですから人の誕生と赤ちゃんの誕生が同じ関係(時系列)にあるのなら、立ったから人になったのではなく、子供が未熟児として生まれたので、仕方なく立っていった、と言うのが正解の様な気がします。

 メスが子供に掛かり切りになると集団の関係も変わってきます。排卵の時だけ、繁殖期だけオスがやってくるのでは、メスも子供も食べ物が取れない。そこでメスは繁殖期を隠して、オスにいつも繁殖期であるかのように見せ、近づかせる関係を作っていったのです。(人以外に繁殖行動を頻繁にする霊長類はボノボだけ)。オスは繁殖行動の相手(妻)に自分以外のオスの遺伝子を残されないよう、せっせとメスに食料提供や保護をして子を育てた。結果、他の類人猿に見られない深い関係を作っていったのです。メスの性の隠匿(他の類人猿には見られない)は、未熟児を育てる手段として発展していった。その発展した結果、メスはミニスカートは穿きたいけど見られるのは嫌、オスは見たり触ったりしないとメスの発情が確認できない(チカン・変態となる)と、言ったややこしい事になったのでした。
2につづく

この記事に

開く コメント(0)

44 外国人が好きな、FUSSYな日本人?
 個人として、欧米人と日本人どこが1番違うか、分かりますか?。それは彼らがものすごく素直なんです、特にオーストラリア人は素直です。素直なニュージーランドの友達が<オーストラリア人は素直だ!>と言うんだもの。確かに、両国は同じに見えますが、ニュージーランド人の方が複雑な感情を持ってます(概ね!)。真面目と言う意味ではないんですが、ストレートで屈折がないんです。ある時オーストラリアの彼女が飛び込んで来て言いました、「彼が日本人の女性と寝た!」って、「んんん?」。「どうして知ってるの?」「全部、彼から聞いた」。それは彼らにとって、普通なんだそうです。あなたは、自分から浮気した事をすべて打ち明けますか・・?。単純?だけでもない。内に秘めたものあるんですが、色々複雑な事情を経験している日本人の私には、なんとも言えない気持ちになるのでした。20代の彼らの生活は、アメリカの青春ドラマそのまんまの世界です。その後、彼女は彼と別れ、あれこれあって(?、私は何でも知っている)、別の人と結婚しました。今はかわいい二人の子持ちです(エッ!私の子供じゃないですヨ、孫です)。

 そんな彼らの友人関係は、日本人の関係と少し違います。非常にフランクで、誰とでも簡単に友達になります。お店で隣り合っただけの人と、長時間友達のように時間を楽しみます。ただし、気が合わなかったら一回きりですが、その場その場で友達が出来ていく感覚は、友達がいなかったり、友達で悩んだりしている日本人にとって驚異だと思います。悩んでいる人に言いたい、世界は広い、あなたを受け入れてくれる。ただ非常にストレートという事は、ドラッグやお酒、犯罪に係わり易いって事でもあります。私も何度か会った、友人の友達は、ドラッグ絡みで銃で撃たれて亡くなりました。先に書いた、欧米の男女の自殺率の違いは、そんなところにあるのかもしれません。

  数年後、彼女とオーストリアで再会しました。今で言うとミランダ・カーに似ているね。彼女は話の中で、元彼の名前を出して、マリオは彼に会いたい?と聞いてきました。時々は別れた彼と、みんなで会っているのでした。別れたカレシにですよ。二人の人格を一つにしようする様な、強い関係のカップルには考えられないでしょう、でもチョットだけ複雑な関係、ドラマでしょう!。その町では彼女が一人だけで住んでいる家や、両親の家に1週間以上滞在しました。大自然の中、両親や友達と楽しく過ごしました。一人で住んでいる女性の家に泊まるという事は、日本では考えられませんけど、普通なんです。この後、次の目的地でも、友達の女性の家に1週間ほど泊めてもらいました。次は男友達の家に泊まったけどね。

 何というか(おせっかい・偏見ですが・・)、欧米人の女性は今まで書いてきたように、しっかりした<ノー>・<固い殻>みたいなものが在って、自己が崩れにくいんです。日本の女性は<殻>みたいなものが弱くて、押されると壊れて、倒れていってしまいそうなのです。日本人は女性に限らず、<小集団としての殻>はあるんですが、そこを突破されるととても弱いんです。人格の内側まで受け入れてしまう様で、いったん仲間に入ってしまうとノーと言えないのです。レイプ被害はちょっと知り合った加害者から、受ける事が多いのです。時々、日本の女性が海外で一人旅行しているの見かけますが、あんがいヤンキーッぽい女性の方が上手くやれそうです。真面目で身も心もガチガチに固めた様な人は、なんとなく危なっかしい。ガチガチに成るのではなくて、心に殻を作るのです<傷つかない殻、自分の殻を持つ>事です。(先に書きました本当のプライバシーです)。

 以前お笑い<エレキレル>のコントで<ダメよ、ダメ、ダメ!>が、もの凄くヒットしました。これが受けたのは、ダメと言いながらも崩れていってしまう女性や、それを求める男性の関係・悲哀が面白かったのです。独特の微妙な駆け引き、その感覚の中に現代の日本人は居るのです。ですから欧米の人が見ても、イマイチ面白さが分からないでしょうね。Open your heart!は自分に殻が出来た後の話なのです、ええそうなの?ビックリしたぁ?。

この記事に

開く コメント(0)


.


みんなの更新記事