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民族自決は正しいか?

38 民族自決は正しいか?
 民族自決の原則。これは第2次世界大戦後の欧米列強によるアジア・アフリカなどの植民地からの、独立運動でさかんに使われました。以前は正しいと思っていました。自分達が独立し、自分達の国家を作る。筋が通っている。数千年の悲願であったりもする。けど、どうも怪しくなった。その自分達民族とは、元々はあいまいなもので、自分達の都合の良いように解釈するのです。世界一強固な民族団体である、あのユダヤ民族でさえ、何がユダヤ人なのかで未だにもめています。決められないのです。
 少数の民族が多数の民族により弾圧・抑圧されていたので独立する、しかし独立しても、自分達の中に、又少数民族を生み出してしまう。そして又独立しても、その中から又少数民族を作ってしまう。旧ソ連であちこちで起きている民族紛争がそうです。紛争が絶えない。

 自決は民族の中身により正しい場合もあります。しかし、こうした問題は、民族差別を無くす事から取り組むべきで、単に独立すれば良いという問題でもないのです。平等な国家社会を目指すべきなのです。地域的な民族問題もあります。チベット・スコットランドだけでなく、沖縄やカタルーニャ・タミルなど歴史がある問題もありますが、地域自決もそうです。いずれにしろ根本的には、民族差別ではなく、人種差別と捕らえるべきなのです。そして<大きなゆるい社会>を作るべきなのです。民族で以って訴える、強い団結は流血を呼ぶのです。フツ族もツチ族も、ウクライナも日本と朝鮮・中国も、どう見ても違いが無い(欧米から見れば特に!遺伝子も)、事柄にこだわる背景を知るべきなのです。

 今のウクライナ内戦は元々ウクライナ民族主義が起こした抗議活動に対するものでした。しかし、結局は民族主義の願いである民族強化が出来ずに、ロシア人の多い国土を分割され失いました。民族主義者の彼らにとっては、非常に屈辱的な結果となったのです。民族主義が強まれば強まるほど分裂するといういい例だと思うのですが・・・。。
 ですから、民族自決の原則は、次の分裂までの間が平和と言う事になりますね。民族は<民族とは個人の思い>にするべきなのです。

 今後、人類が数千年生きられるかどうかは、この辺の選択にかかっているんです。選択は2つです。地球規模の大きくてゆるい連合体のような社会を作って行くか、又は、文明をセーブして地域・大家族のような小さなグループ単位の社会、自給自足の小さな強固な社会・小国家を作って行くか、のどちらかです。どちらの社会でも巨大な兵器は無くなります。地球規模の社会では大きな武器を持つ必要が無く。部族のような小さな国家は巨大な武器は持てないからです。

 マスコミやアカデミックな学問の中にこういった発想や、提言がない事を残念に思います。今や日本人の28人に一人が外国の人と結婚しています、元々中国・朝鮮・アイヌ・クマソの混血です。海外においてはもっと多い。南アメリカでは90パーセントが混血です。血縁に基づいたピュアな民族など存在しないのです。だから私は大きな声で言いたい<民族で語るな、個人で語れ! 民族なんて言うなああーーーーあ!、固有な文化を持つ人達と言うんだああーーーーあ!>。

 自ら民族と言う<村社会>から出ようとしなければ、民主主義は来ないのです。

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37 アメリカの集団的トラウマ。裁判にカウンセラー、アメリカは村なのか?

 アメリカは大きな村社会です。どうしても一つの価値観に統一したいんですね。その一つかアメリカン・ドリームです。アメリカ社会は何でも自分・個人の力で勝つのが好きな文化なのです。サバイバル映画や一人で悪と戦う映画がヒットします。最近アメリカで、日本のドラエモンがテレビ放映される事になったそうですが、困ったらドラエモンに頼るのびた君のキャラクターが気になるそうで、一部内容を変えるそうです。<個人は勝たなければいけない>の世界です。個人の努力・頑張りが、重要であって、セレブに成るのが、アメリカン・ドリームです。政府の援助は後から・・、自助努力と周りの助けが原則です。その理由は簡単です、ヨーロッパから一発当てようとしてやってきた人達(アメリカン・ドリーム)が、インデアンを殺害し作った国がアメリカだからです。それが集団としての一つの、アイデンティティーの基と成っているんです。別な言い方だと集団的トラウマなのです。

 今使っているパソコンもベースはアメリカ、アップルもfacebookもgoogleもアメリカ。映画・音楽もハリウッド。私達は知らないうちに、使っているうちにアメリカ社会のメンタリティーを同化しているのです。(何が変わってきたのか?考えてください)
 ですからアメリカは北欧のように社会福祉が進まなくて、底辺を支えているのは教会・NGOが中心の市民によって成されています。(チョット極端な言い方ですが・・、そういう傾向が強いということでご理解を!)。日本はと言うと、アメリカ的な家族責任型ですね、、。

 私が病気の相談を受けていて、一番気になる事は。カウンセラーをしている人達が、どのように自分の立場を理解しているか?という事です。カウンセラーになるのには色々な資格がありますね、国家資格は無いのですが臨床心理士というのが最も認められた資格で、あと民間にいくつもあります。医師やカウンセラー自身のメンタリティーが、気になるという事です。
 人(個人)は集団の中によって感情・感覚が育てられ、自己(個人)が出来ていくわけです。そうした心を分析した学問が心理学です。心理学の草分けが今だに権威である、フロイトとユングです。彼らは個人の心理に着目しました。<脳と心の関連>を無意識と意識下の分析を行うことで、個人の病理を解決しようとしたのです。ユングは個人と人類共通する問題に着目しました。つまり病気は個人の下(基で起きる)わけですから、個人を観察していくわけです。だから彼らは、人を集団としては捕らえてなくて、集団を相手にする場合は、集団心理とか集団パニックなどと言うように、個人と集団とでは別物のように捕らえているわけです。が、私はその関係<個人と集団との関係>こそが、人としての心理だと思っているわけです。私は人を、一人の個人をジーと見つめて行くと、人間ではなくなるような気がするのです(只の生物です)。

 心を扱う資格を取るのには心理学を学ぶわけですが、その中心はアメリカやヨーロッパの学問となったものを中心に学ぶわけです。その出来上がった学問のベースになったものを、どこから発想するかと言うと、アメリカ社会やヨーロッパ社会では当たり前の条件下にいることを大前提にしているわけです。それを人間本来のものは、と、突き詰めていっているわけですね。しかし、そもそもアジアとヨーロッパでは家族の関係が違います。人間のメンタリーティーは多様で、自分達では気づかない精神の構造下に問題の本質が眠っているとしたら、本来の問題が見えてきません。ストレスの原因とかです。
 赤ちゃんの時から、一人で寝かせるヨーロッパと、いつまでも川の字になって、同じ布団で寝るような事が愛情と思っている社会とでは、心の成り立ちが違うのです。当たり前ですが、住んでいる世界が違えば感覚も違ってくるのです。(この辺を説明するために今まで書いてきたのですが・・。世界50各国自分の足で歩いてきた経験や、世界に友人を持った事で、それを実感します)

 そんな中で、日本人と大きくかけ離れた感覚を紹介します。実は、日本人にはプライバシーがあまり無いのです。エッ!どういう事?。日本人はプライバシーと言うと、主に見られたくない事・知られたくない事を意味するようですね。例えば鞄の中を見られたり、裸を見られたり、私生活を見られる事に対して、<プライバシーを侵害された>と感じます。
 しかし本来の意味はだいぶ違います。英語でのプライバシーの意味は<私的自由>の事を言います(個人の秘密は次に意味します)。the state or condition of being free from being observed or disturbed by other people. 直訳では〔状態や観測や他の人に邪魔されることから自由であることの条件〕、んんん!なかなか深いような!。見られたり知られる事では直接ではなく、行動や考えを集団に因って制限され事を嫌がる事です。因みに、フランスのギャルソンは私の前でも、下着になって着替えをしてました。でも、見てないですよ・・!。

 つまり、プライバシーとは自分だけの行動の事です。例えますと、日本人は旅行で集団で行動するのが一般的で、それに対して特に何も不自由を感じません。しかし、フランス人はとても苦痛で、集団では絶対に旅行しません。理解できないそうです。詳しく書かないと分からないかもしれませんが、そもそも地域・神社・檀家や婦人会・学区などの集団が無いのです。今では絶滅したのでかえって現代では、結構面白がっているかもしれませんが・・。プライバシーを侵されるから(自由が制限されるから)団体では旅行しない、という事なのです。中学や高校の制服も然りです。
 日本では町内会やPTA・神社祭り等に参加しないと、「どうしてですか?」聞かれますが、それが正にプライバシーの侵害なのです。日本とヨーロッパでは私的自由感がまったく違うという事です。ですから、私的自由をあまり重んじない日本人は、このプライバシーと言う感覚は少ないのです。

 このような文化の違いは根深いんですね。日本の芥川龍之介のような私小説は、非常に日本的なのです。ですから海外では理解されないようです。村上春樹のような、個人的な経験ではなく、人としての普遍的な(?)想像の世界を描くものが主流で、自分を書く事は自史になってしまうのです。
 話は飛んでしまいましたが、日米欧の違いや自分の心理的ベースを理解しないで臨床の現場でカウンセラーをしても難しいのでは?という事なのです。こうした問題はアメリカはアメリカなりにあって、ヨーロッパはヨーロッパなりにあるのです。アメリカは何故戦争をやめられないのか?何故多くの人がカウンセラーを受けているのか?。今の所、英文にするつもりはないので省きますが、アメリカもまた村社会(頭の中です)が残っているし、英雄待望の集団依存社会なのです。まあ、程度の問題とそれによって起きる問題の大きさが、世界を動かして行くわけですが・・。

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36 アメリカンインディアンの長老の言葉を紹介しましょう。
  <小さな幸せ>なんて無いんです。小さいとか大きいは、何かと比べているからです。幸せは誰かと比べたりするものでは在りません。それは不思議な何かに包まれている事なのです。次に書くものは、私が以前、ブログ関本塾で紹介したものです。信仰と回心・回向について述べてます。語っている本人はそう思っているかどうか知りませんけど・・。仏教もキリスト教もアメリカン・インディアンの教えも、深い所では同じなのです。何度読んでも感動します。


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 幸せになるのには、幸せの意味を知らなくてはならない。理解しなくてはならない。幸せとはそれだけで一つの世界なのだ。それは一人ひとりに潜む世界。
心で生まれる。言葉では説明できない。それが内側で生まれる以上、外側にあるものでは決して幸せになれない、幸せを外側から呼び込もうとするのは、罠にはまるのと同じ事だ。

 幸せとは心のあり方。自分で完全にコントロールできるもの。物事が順調でもそうでなくても関係ない。
 幸せの世界は、それを欲するすべての人に開かれている。願い心と知恵があればいいのだ。それさえあれば内側から光が‐幸せの光が生まれてくるのです。
 そして、いつまでも人生の一部でありつづけるのだ。幸せは一生消えない感覚なのだ。

 幸せは自分に満足できる感情。


 人は幸せでなくても生きられます。けれど幸せは人生のあらゆる面を上向きにしてくれます。火を使えば、いろいろな事ができるように、幸せなら、いろいろな事ができます。

 火を燃やし続けるには、薪をくべなくてはなりません。さもなくば火は消えてしまいます。同じように、幸せになるコツをつかみ、努力しなければ、常に幸せでいる事はできません。ただし、たえず薪をくべる必要がないように、幸せになるためにも、24時間中努力する必要性はありません。忘れないよう、火が細くなったときだけ、薪をくべればいいのです。

 火を絶やさぬよう努力をしていれば、消えません。雨が降れば覆いをかけ、風が吹けば風除けで守ればいいのです。現に先祖たちは火を大切に扱って、何年間も燃やし続けてきました。それを消せるものなどありません。夏も冬も、炎を片時も絶やさぬことが部族の大切な勤めだったのです。

 火は燃えているか、燃えていないかのどちらかです。ほとんど燃えている、という事はありません。人は火を燃やしているか、燃やしていないかのどちらかなのです。
幸せもそれと同じです。人は幸せか、幸せでないかのどちらかなのです。部分的には幸せになれません。そんな事は不可能です。   
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 以上です。以下続きますが、今回はこれまでです。なんとなく美しさみたいなものが伝わりますね。続きを読みたい人は、yahooブログの関本塾を検索してください。
 私はよく山に出かけますが、自然の中で、自分だけの力で生きている野生動物に突然出会うと、何か神々しい物を感じます。感動です。人間もそうなんですね。文明を離れ、自然の中で自分の力だけで生きている人に出会うと、特別なエネルーギーを感じます。

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⑤ 同級会の悲劇、真実に唖然!
夏にはよく同窓会や同級会が開かれる。僕の所にも案内が来た。同窓会での話はだいたい、子供や自分の社会性の自慢話。そな自慢話をしに来ませんか?と案内が来たのです。でも仕事なのでいけない。基本的にイベントは多数派の休みに向けて作られる。日曜日が休みでない人は、何事にも徹底的に除外される。まあそれはそれとして、何事にも勉強になる、何度か参加してみた。

 僕の期待としては、あの頃の同級生がどのように変わったのか?が知りたかった。ある人はきれいになったり、そうでなくなったり、先生と呼ばれる人になったり、社長・重役になったり、そうでなかったり。それは、面白そうだ、と思ったのでした。

  所が見事に期待は裏切られました。元々、クラスでは親しく話す友人がいなかった僕は、全く誰とも話をすることがありませんでした。当時、仲良くしていた連中は輪を作り楽しそうに話してました、が、僕はその中に入ってはいけませんでした。おーお前来たのか!そんな程度で、近況も、現在の心境も聞けませんでした。女性の人達も、当時仲の良かった人と夢中に話しているだけで、ほかの出席者には目もくれません。では、ポツンといる人と話そうと、見回すと誰やらわからず、話すきっかけも、相手の反応もありません。そこで思い出しました。当時もそんな状態、そんな関係で学生時代を過ごしてきたのだ、と。何も変わってない。

 確かに大人になり、親になり、社会的な立場は変わりました。だけど、心境は変わらない、そう簡単には変わらないのだと気が付きました。小学生のころやさしかった奴は、今でもやさしい。当時、真面目だった子は今でも真面目。いじめや嫌がらせをしていた奴は今でも、性格が悪い。おとなしかった子は今でもおとなしい。僕は変人のままに映ってるらしい。同窓会で「やっぱOOちゃん変わってないね!」お互いに言い合っている。つまり人は大人になっても成長しない!自分を含めて、人は全然成長しない!。たとえどんなに美人になってもバカはバカ!社長や大臣になってもバカはバカのまま。同窓会に行った時よく観察して下さい。これは真実じゃん!

 逆に、今ある自分の姿で過去が分かる。今この文を読んでいる人は小学生からインテリなの。あなたはインテリゲンチャ。この文を読んでも、腹が満たされるわけでも成功するわけでもない。知的好奇心。そういう人は小学校の通知表も4か5.もしあなたに子供がいたとしても塾に行かなくても勉強ができる。ある意味、個人の努力ではどうしようもない。
 
 よ〜〜く考えてみれば、社会の問題が変わらない、いじめが無くならないのは、大人になっても、何も変わっていないからじゃん!あああっ!絶望。この時初めて、僕は神を呪った。

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人間捨てたものではない。

たとえゲームのような実際に血を見ない戦争(人を殺す現場にいない殺人)でも、人は苦しむ。アメリカとイスラエルは無人攻撃機・ドローンによる攻撃で人を殺している。どうも、そのパイロット達でも精神が病むらしい。アメリカのドローンのパイロットは約2百人で、昨年までに50人が辞めたそうだ。元々、生物は同じもの同士殺しあう様にセットはされていない。僕の説の証明でもある。それで、米軍はパイロット不足に対処するために、一人で操縦できるように改良するそうだ。・・こういう事考えてる人も計画を実行している人も、実は自身が病んでる事にい気がつかない。


ひょっとしたら、ゲームの殺人ゲームでも痛んでるかも!

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