松原通りを彷徨って、川端通りから東へ歩いてたら、「六道之辻」と刻まれた碑が目に飛び込んできました(大和大路東轆轤町)。六道、地獄界から天上界までの六つ、それぞれの世界へ往く辻、ということでしょうか。どっちへ向いて行けばどの界へ行けるのかは分りませんが、できることなら天上界へ行きたいですなぁ(各写真、ポイントでコメント表示、クリックで拡大)。
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| 「六道之辻」碑です。この付近は鳥辺野(葬送地)への入口だったそうです。「鳥辺野、船岡、さらぬ野山にも、送る数多かる日はあれど、送らぬ日はなし」と兼好さん(第百三十七段)。昔々からの地、だったんですねぇ。
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| そして辻の北側に「幽霊子育飴」の看板、何んとなく妖気ただよう飴屋さん、と言っても、晴れてたのでチョッと大げさですが。
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| 近づいて見た陳列ケース、京名物「幽霊子育飴」がズラっと・・・。
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飴には次のような意味の由来が記されてました。
慶長4年(1599年)、江村某氏の奥さんが亡くなり葬られた後の数日間、夜な夜な「みなと屋」さんへ飴を買いにくる婦人がいたそうですぅ。そんなある日、土中で赤ん坊の鳴き声がする、掘ってみたら、亡くなった奥さんが産んだものだとわかったとか・・・。赤ん坊が発見された後、婦人が飴を買い来ることはなくなったそうです。このみなと屋さんの飴は、いつの間にか「幽霊子育ての飴」と呼ばれて京名物に・・・と。
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| もう一つ「六道の辻」碑があるんですねぇ。上の辻から100m程東を一寸上った六道珍皇寺の門前です。このお寺の境内には、冥府に繋がる井戸があるんですねぇ。
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| その冥府に繋がる井戸です。
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京の街、戦乱、飢饉、天変地異などで死屍累々ということ数多。
祓い、祈りの場所、いくらあっても多過ぎるということはないんでしょうねぇ。
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天上界などへはいけそうにありません。海へまいてもらってて魚の餌にでもなるのでしょう・・・。人は死んじゃえば「ゴミ」です。
2007/11/23(金) 午前 7:02 [ kaku ]
はい、ゴミ・・・より、汚い物、おぞましい物、早く目につかないよう処分すべき物、のようですね。天上界へ・・・の気分、気とか霊とか、いつ迄もあるようですぅ。
2007/11/23(金) 午前 7:30
大仏開眼をした往時の奈良の都は、水銀中毒の患者や死者で死屍累々だったとモノの本で読んだことがあります。聖武天皇は地上に地獄絵図を現出したことになります。そのようなことは歴史の教科書には何も書いてありません。そんな教育を受けた子供たちは哀れですね。
2007/11/24(土) 午前 8:47 [ kaku ]
水銀中毒、鉱毒、塵肺、薬害、放射能漏洩、みな庶民レベルが被害、官僚、権力者の隠蔽体質、今も昔も変わりませんな。上下、左右、もっと流動しないといけないのに、倭人は変化がお嫌い、この分だと茹で蛙、全滅への道でしょうか?
2007/11/24(土) 午後 4:54 [ かもねぎ ]
何でも学者さんのお話では、「人類」も絶滅危惧種に入るのだとか、
永遠なる命などない訳でいつの日にか人も消えて去ってゆく運命なのでしょう。明日なのか100年後なのか知る由もありませんが、今、生かされていることに感謝して命を真っ当したいものです。
2007/11/25(日) 午後 7:10 [ kaku ]
無学ゆえよくは存じませんが、地球という星もなくなると決まってるそうですし、閉じた世界で人類だけがドンドンふえていけば、バランス崩れますものねぇ。「死期はついでを待たず。死は前よりしもきたらず、かねて後にせまる」と兼好さん、生を全うできれば幸せですね。
2007/11/25(日) 午後 9:11
可愛い妖怪に幽霊飴屋さんて庶民は楽しんでいますよ。
2007/11/26(月) 午後 3:32 [ 帯気ままに ]
水飴ベースのほんのり甘い飴、幽霊を思いながら舐める、いいですねぇ。
2007/11/26(月) 午後 5:50