せき仙人の京徒然

幸福の増税論(井手英策:岩波新書)、貯蓄ゼロでも不安ゼロの社会の実現策(政治家に読んでもらいたい)。

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北陸線長浜から金ヶ崎(敦賀港)まで開通したのが明治15(1882)年、それから30年後の明治45(1912)年には、欧亜国際連絡列車というものの運転が始まったようで、新橋(東京)発の列車で敦賀港まで、敦賀港から連絡船でウラジオストクに渡り、そこからシベリア鉄道でパリベルリンへ、のダイヤが組まれてたようです。

日本とヨーロッパを結ぶ敦賀港駅、その復原駅舎があるんですね、ご覧ください(写真、クリックで拡大)。
パンチされている穴は25・4・36とある、1936年4月25日の乗車という事でしょうか。 東京発ベルリン行きの乗車券。パンチされている穴は25・4・36とある、1936年4月25日の乗車という事でしょうか。
長距離移動、飛行機ではまだ無理、船と鉄道が主流の時代でしたね) 欧亜連絡ルートの概略図(船と鉄道が主流の時代、飛行機での長距離移動は、だいぶ後の話ですね)。
読みにくいですが、船は週一便、大陸での鉄道は何本もあるようですが、乗り換えになるんでしょうか。 国際列車の時刻表、1930年10月のもの。読みにくいですが、船は週一便、大陸での鉄道は何本もあるようで、どれに乗り換えるか迷います。欧州へ、当時、船便なら約40日、それが半分以下になる、画期的なことだったんですねぇ。
この前の戦災で焼けた、敦賀港開港100周年記念にあわせて復原したのだとか。 旧敦賀港駅舎(この前の戦災で焼失、敦賀港開港100周年記念にあわせて、1999年に復原したのだとか)。
格子の場所が出札口、右手奥に改札口があります。 駅舎内の様子(格子の場所が出札口、右手奥に改札口があります)。
改札口をでるとホームにこの列車が停まっている。 敦賀港(金ケ)駅に停車の欧亜連絡国際列車(改札口をでるとホームにこの列車が停まっている)。
列車を降りて前に進んで税関・・でしょうか。 敦賀港駅と連絡船(列車を降りて前に進んで税関・・でしょうか)。
海外へ行く人など少なかった時代、感慨一入だったでしょう。 連絡船出港の風景(海外へ行く人など少なかった時代、感慨一入だったでしょう)。
明治末の鉄道、もう幹線はできてたんですね。 日本海定期航路図(明治末の鉄道、もう幹線はできてたんですね)。

敦賀、いまは原発関連で話題になるくらいのローカルな街ですが、江戸時代から20世紀半ばまでは交通の要衝として、重要なポジションにあったんですねぇ。そして今、鉄道は表日本に重心があるようですが、金沢新幹線が間もなく開通、敦賀駅への延伸工事も開始、原発は縮小方向とすると、これからの発展は、新幹線の延伸とどうつなげていくか、ということになるんでしょうね。

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