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ついにきました北海道、托鉢時代に訪れたのは札幌くらいなもの、何が見られるかワクワク。 青森・大間港から函館へ海峡横断の航海(約100分)、 早朝6時45分出航予定、遅れぬように早起きでした。 船で渡る、なぜか「戻れるだろうか」というような、 心細い感じが湧いてきましたなぁ。 実は、前日の午後便に乗り、夕方には北海道のつもりだったのが、 下北半島西海岸を通る338号線が積雪期通行止めで引き返し、 ショートカットしようと入った「かもしかライン」もダメ、 そんなそこなで、えらく時間を食い乗り遅れてしもうたのです。 フェリー「ばあゆ」号のラウンジ、 フェリーとは思えない雰囲気、なかなかいい気分でしたな。 津軽海峡は波静かで9時45分、 無事北海道・函館に上陸(大げさ・・・か?)。 函館のフェリー港は市街から北に離れた工場地帯に、 寄るところも無ないのですぐ北進、松前街道を往く。 「道の駅ふくしま」(松前半島の先端近く)で休憩、 幟が沢山、「千代の富士」「九重部屋」などと・・・、 そ〜だ、大横綱「千代の富士」はここ出身だったんだ・・ね。 函館からは、殆どこんな感じの風景、 山がすぐ海縁まで迫まってましたな。 何年前でしたか?、地震(?)で弱ったトンネルが崩落、 落石が自動車やバスを直撃する大事故がありました。 あれはこの辺だったんだ〜等と思いながら通過、 無事通れて胸をなで下ろし、思わず黙祷しました。 そして松前半島の先端「白神岬」、 北海道の最南端の岬ですぞ。 青函トンネルはここより少し函館よりの海面下なんですな。 つぎは江差、特異な断崖ですな。 (このような風景を道内あちこちで見ましたなぁ。) のちに聞いたところによると、 北海道が永久凍土だった約1万年ほど前から徐々に温暖化、 永久凍土が徐々に溶け海に崩れ落ちて、 このテーブルのような形が形成されたとか。 「盃温泉」、北海道の一日目の泊まりは積丹半島に近いここの国民宿舎「もいわ荘」。 道が空いており、約400kmの走行でした。 もいわ荘から見た日本海に静かに入る夕日。 4月下旬、積丹半島にはまだまだ残雪が・・、 通行止めの道があっても当然ですな。 北に向かう国道229号線の神恵内村での風景、 雪解け水が滝になって落ちておりました。 積丹岬(島無意海岸)の断崖、前方遠くの黒雲は、雪を降らせるものなのですぞ。 積丹岬灯台、断崖から東に山を数十m登って・・・。。 そして小樽港、レトロな風景が今や全国区の人気、 大勢の観光客で賑わってましたな。 (絵葉書ではありませんぞ・・) 海岸線を走ってると、 小樽、札幌、石狩などの都会は知らない間に通りすぎ、 見えてきた円錐峰(厚田村)、 富士山をつまんで伸ばしたような、いい姿でしたね。 留萌を過ぎ稚内へ232号線、天塩町付近の広大な平原。 北海道2日目に泊まった「サンホテル」(天塩町)、 なんとなく西部劇にでもでてきそうな・・・。 ここの若女将は美人で陽気(よ〜しゃべらはりました)、 料金格安、客は仙人一人、食べ切れない程の食事でしたよ。 天塩街道で、初めて見る利尻島、 真っ白で荘厳な姿、に見えました。 (富士山には勝てませんが・・・) 真っ直ぐに走る天塩国道(232号線)、 みな80〜100km/hで走行、バンバン追い越してゆく。 (地平線あたりには逃げ水が・・・) 雪降らしの雲と利尻富士。あの雲の下は雪、何度もくぐりましたよ。 北海道の北端の宗谷岬と対の野寒布岬、 ホテルを出てから約100キロ、一時間ほどで来た。 野寒布岬をまわり、最北の駅「稚内」を過ぎると、湾の向こうに日本最北「宗谷岬」の半島が見えてきますよ。 そして、ついに来ました「宗谷岬」、 向うに樺太がキラキラと輝いて見えてました〜。 あれがロシヤ・・、その昔は日本の領土だったんだよぉ。 (日本のテッペンにきた〜ッて感じがしましたぞ。) 白く輝く樺太(すぐそこなんだぁ〜、こんな風に見えるとは想像もしてなかった)。 いよいよこれから南下、だんだんと又列島を下っていくんだぁ、 ついに日本の南から北まで走破したぁ、という満足を感じましたぁ。 ⊥ ) 「/ ̄V7 (( ( _丿 匸P (見るのも疲れますな、どうぞお茶でも飲んで一服してくだされ。) テーブルの上を通る真っ直ぐな道、砂浜は無い、 バンバン走れて、あッと言う間に紋別市、 雪が降る紋別港の風景ですぅ。 そしてこの日も約400キロ走り、サロマ湖畔温泉「緑館」泊(大きなホテルでした)。 朝のサロマ湖、ちょうど正面やや右辺りが僅かに海に繋がっているのだそうです。 (その先端まで行ってみたかったのだが盲腸線、又来よう・・・と思いを残しておけば、必ず機会あり。) ここは能取岬、流氷の漂着で有名な網走市の最先端。 ここも平原の先でストンと海に落ちているんですぞ。 そして根室本線に沿って東進、前方に世界遺産「知床半島」が見えてきましたよ(クリックで拡大)。 左から「知床岳」「硫黄山」「羅臼岳」「遠音別岳」「海別岳」「斜里岳」。 (知床半島は車で回れない、横断道路で山越えです・・な) ところが・・・ですな〜、 ウトロを経て740mの峠を越えようと知床横断道に入ったら、 又しても降雪期通行止め、羅臼岳を眺めて引き返し (T-T) 。 (あ〜ぁ、約100キロ損・・いやいや、いい景色眺められ得・・。) 斜里町まで引き返して244号線を走り、標津町。 真正面に「国後島」が見えましたよ。 知床半島と根室半島に抱かれるような島、 これはどう考えても「日本国」の領土、 だよねぇプーチンさん・・・。 根室半島も真っ平な平原、そこにポツっとノッマカップの灯台。 そして根室半島の先端「納沙布岬灯台」。 霧多布の風景、ここも大地が海縁でストンと海に・・・。 北太平洋シーサイドラインはこのようなテーブルの上を通っている。 釧路市まできました。 啄木碑です、岩手出身の啄木さん、なぜ釧路?、 「ハイ、釧路新聞に勤務しておった」のだそうです。 なので釧路には沢山の句碑があるようですぞ。 この像は、新聞社だった建物「港文館」の前に。 襟裳岬、太平洋にド〜ンと突き出した岬。 釧路から苫小牧までは大きな町がなく、 海岸線は単調、断崖の上を通っており、 いい景色はあまり見られなかったですな〜。 浜厚真駅(日高本線)、苫小牧にあと20キロほど。 列車は午前数本、午後数本のようで、貨車の駅舎、いいねぇ〜。 室蘭湾の風景、北海道有数の工業都市、鉄鋼業など有名ですね。 湾は西に口を開けたような形で、室蘭駅は盲腸線の先端なんだね。 恵山岬、北海道のシッポ・亀田半島の先端ですよ。 室蘭から内浦湾沿いに国道5号線をグルっと回り、 函館の30キロ程手前から東に分かれ、 278号線で大回りする。 恵山岬への道は、先端の椴法華村で狭い県道に入る。 地図上は、岬を経て一周できるように見えたが、 実際は通行できないとの事で、やむなく引っ返したんです。 函館着は真っ暗になってしまいましたなぁ。 函館の朝、ハリスト正教会から市街の情景。 (夜なら百万ドル・・・朝はただ・・・) そして北海道一周が終わり、 この口に飲み込まれれば2時間後には本州だぁ。 北海道よ、サヨナラ・・・。 7日間、楽しかったよ〜(多少ウンザリ・・の気も)、 次回は内陸をゆっくり見せてもらうよ! 又なぁ〜 (と、心の中で思ったのでした。) お疲れさまでした・・・(ハ〜ぁ)、次は東北太平洋側を行きますぞ。
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海岸線日本一周旅
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狭いようでも広い日本、その日本の海岸線は美しいてすなぁ。
あなたがお気に入りの美しい海岸はどこでしょうか?
車で行ったりきたり、2年がかりで見てきましたぞ・・ (^-^) 。
あなたがお気に入りの美しい海岸はどこでしょうか?
車で行ったりきたり、2年がかりで見てきましたぞ・・ (^-^) 。
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日本海側東北、この道も長丁場です。半島も少なく、気候は厳しい、さあ、どんな旅になるか・・・。 ここは飛騨山脈(日本アルプス)が海に落ちる所、 ず〜ッと山並みがつづき、ここでストンと海になる。 ここから糸魚川、上越、柏崎付近までは山が迫っており、 トンネルが多い。 (鉄道も親不知、子不知、頸城等のトンネルつづき)。 そして柏崎港から見た弥彦山、 弥彦山の右手(南側)が平野、 海の側が土手のように山が続く。 弥彦山の裾を走る国道402号線。 桜前線はかなり北上している、どこで追いつけるか・・・。 新潟市、村上市を過ぎ、 佐渡、粟島、夕日の眺めが美しいと有名な笹川流れ。 海が若干荒れて、これぞ日本海の風景、と言う感じ。 そして象形、芭蕉がその昔ここにきて 象潟や雨に西施がねぶの花(奥の細道) と詠んだ頃は、南北約5キロ、東西1.5キロの潟だったと・・。 その中に浮かんでいた小島がこれ(想像もつかない)。 西行、能因などに詠まれ、文人墨客の憧れの地だったという。天気がよければ見事な鳥海山が見えるはずだが・・・。 雄物川河口(秋田市街)を通り過ぎ、 JR男鹿線の終点「男鹿」駅にある「なまはげ」面。 男鹿半島の加茂青砂、 ここでついに桜前線に追いついた。 半島先端「入道崎」を回り、今日は国民宿舎「男鹿」泊まり。 男鹿半島に続く能代まで約20キロの五里浜、 白砂清勝100選の一つである。 八郎潟はこの右手奥、今では広大な田圃である。 五所川原から能代まで海縁を走る五能線、 こんな所を走ってるんですよ・・・。 すぐ波打ち際に線路、冬はストーブ列車で有名。 八森ハタハタ、男鹿でオガブリコ、・・・ ・・きたかサッサ、コイサッサ・・(秋田音頭)、 その八森から見た残雪の岩木山。 艫作崎を通り、鯵ヶ沢、ほぽ一直線の七里ヶ浜を経て、 いよいよ津軽半島の先端「龍飛岬」、 この下を青函トンネルが通っているのですぞ。 本州最北端は湾の東向こう、下北半島・大間岬だ。 津軽半島も一周してついに青森市、 ベイブリッジを渡る(市の中心はこの右手)、 青函連絡船の港は左手、いまではフェリーになっている。 津軽半島は車の通行が少なく、商売にならないためか、 コンビニ等のお店がほとんど無く、不便した。。 ついに来ました、本州最北端・大間岬。 これより津軽海峡の向うに北海道があるのだ。 堤防の鴎「これからどうするの?」と問いかけるかの如・・・。 日本海側東北も長い旅でした、もうウンザリでしょうかな? 次は北海道、4月下旬の旅だったが、4月末まで雪で通行止めの所がいつくもあり、
引っ返したり遠回りしたりで往生しましたぞ・・・。 |
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九州一周し終わっての帰りは吊り橋を渡った。 さて、次のラウンド、山陰〜北陸旅が始まりますよ。 下関のドン詰まりを右へ折れ、山陰道(国道191号線)を走る。 朝の益田市役所の情景。 山口県にも小さい半島があちこちにあり、 見所は少なくないが、特に印象に残るものは無かった。 淡々と距離を稼ぎ、長門、萩などを通過して益田市泊、 宿はこの益田市役所すぐ側「ときわ旅館」であった。 翌日も淡々と山陰道を東進、 江津市、太田市を通り過ぎ、昼ころには出雲市に着く。 縁結び・福・農耕の神を祭る「出雲大社」、初めて訪れる。 本殿の注連縄、この巨大さ (@_@) 。 出雲といえば「出雲そば」、 客待ちのタクシー運転手に「どこが美味しい?」と問えば 「荒木屋」・・・と、行ってみたら定休日 (T_T) 、 やむなく近くの「八雲」で「割り五」・・・を食す、 つゆ五種、そばシコシコ、のど越しよく結構でした。 出雲を後に、宍道湖を抱くような島根半島の海沿いを行く、 盲腸線が沢山、道も狭い、くねくねと走っていると、 見たことのある風景 (?_?) がでてきた(元に戻った)り、 苦労しながら半島の中程、ここ恵雲漁港にたどり着く。 (丁度宍道湖の日本海側である。) この日は宍道湖南畔の国民宿舎「麗雲荘」泊まり。 美保関、米子を通り、ここは鳥取・青谷町。 前方に見えるのは砂丘で有名な鳥取市方面。 鳥取砂丘、三大砂丘の最大のもの。前方の砂壁には胡麻粒のような人影が・・。 (見えない?・・それほど砂丘は大きいと思しめせ。) 鳥取をあとに兵庫県、断崖の続く海が多くなってきた。但馬御火浦の海岸風景である。 この先に、松葉蟹漁が盛んな香住漁港などが続く。 有名な余部の鉄橋、1915年に架設されたもので、 高さ約42m、長さ約310mの規模を誇る。 しかし老朽が進んできており、 コンクリート橋にかけ替えられるとの事である。 余部鉄橋を通過する列車。 竹野、城崎などを通り、 湖かと思わせる久美浜湾を過ぎ、丹後半島に入る。 これは網野町・磯から竹野海岸方向を振り返って見た景色。 山陰〜北陸には温泉が沢山、 ここから日和山温泉が眼下に見える。 有名な天の橋立、JR天の橋立駅側から見た風景である。 自然は見事な風景を創るものだと感心する。 何十年も昔、まだ托鉢であちこち彷徨っていた時期に、 北の龍神社側から眺めたことがあるが、もう記憶は完全になくなっている。 (その頃は駅に近いここの展望台はなかった)。 三方五湖、レインボーラインからの眺望。 西舞鶴、東舞鶴をす〜っと通過した。 引揚げ船、尋ね人の放送など、忘れることはできないね。 (もう昔々の話で、今の若い人は何のことやら、であろうな。) そして敦賀半島横断道路を経て敦賀市を通り越前海岸へ。 これは越前海岸、国民宿舎「かれい崎荘」からの眺め。 ここも温泉が湧いており、地元の人たちが大勢きていた、羨ましいね。 東尋坊、あまりにも有名・・・。 その昔、いちど訪れたことはあるが記憶に残っていない。 浸食された断崖は見事であるが、俗化著しく楽しめない。 輪島、有名な朝市が開かれていた。 観光客、そして地元の人も大勢。 蟹、干物など海産物が多いが、 木工のみやげ物などの店も沢山でていた。 そしてついに能登半島の先端・禄剛岬、 ここにもその昔、一度訪れているが、完全に観光地になっていた。 (灯台の周囲も広々と整備されてきれいな芝生。) この先、能登の東海岸を巡り、氷見、高岡、富山、 神通川の下流を通過し、市振りの関でこのラウンドを終了した。 約1600kmの旅、如何でしたかな? 海岸線は長いですなぁ〜、まだまだ続きますぞ。
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九州一週へ再び向かいます。中断点へ向かうのに異なるコースを通る、これも楽しいもんです。 彼方に見えているのが、これから向かう九州・国東、 九州へは国道トンネルを潜るけれど、長旅ですぞ〜。 国東半島は九州のタンコブ、鉄道は通っていない。 両子山の噴火でできたそうで、ほとんど砂浜がない、 海縁の道は登ったり下ったり・・、右に左にクネクネと・・。 左手に今朝通ってきた本州を見ながらひたすら走り、 泊まりは半島最東端の「いこいの村・国東」、 料金は8000円程で、こんな豪華な夕食であった。 そして国東から見る日の出、島影は四国・佐田岬、 すぐそこなんだよねェ〜、あそこも通ってきたんだぁ。 国東町をあとに臼杵市、 中央に見える山々は、1000mを超える扇山、鶴見岳、 別府は左手、ここ大分は初めて訪れる地(宮崎も未踏・・)。 (いゃ〜感慨もひとしおだねぇ・・・) この先に別府温泉「血の池地獄」など、ワクワクですな〜。 始めてみた「竜巻地獄」勢いよく吹き出す間歇泉、 日本一の温泉を実感しましたな。 (写真では判らないが、上がりすぎる蒸気を抑える庇がある。) 「血の池地獄」見るからに不気味・・・。 地獄巡りを楽しみ、海から離れて湯布院へ、 今夜の泊まりは湯布院(元勤先の保養所)だ。 (ここで天気の番狂わせが・・・・起きたのです。) 「南国の湯布院にきて雪見とは」 (@_@) 保養所の管理人もこんな大雪は初めてだとか・・。 雪に埋まった車を掘り出し、タイヤチェーン付けて走ったよ〜。 山から降りたら全く雪は無かったけど・・。 延岡、日向を通りすぎ、この日は石崎浜温泉泊まり、 石崎浜温泉(宮崎市の少し北)の日の出。 温泉は町営の国民宿舎(地元の人が銭湯がわりに利用)。 宮崎市街風景、ビンロー樹が南国を感じさせます。 宮崎、昔は新婚旅行のメッカだったよね。 そして有名な「鬼の洗濯板」 日南海岸、南国ムードが一杯。 宮崎県もあと僅かで終わり、 南郷町の観音崎から、向かい〜は大〜島(♪)の眺め、長〜閑〜だ〜ぁ〜。 「南国フェニックスロード」の南国ムードを味わい、 野生馬が棲息する都井岬へ、 馬は見えなかったが、大きな糞がゴロゴロ。 灯台までの一帯は野生馬保護区、寄付が求められる。 都井岬灯台から今きた道を振り返ってみた風景。 都井岬をあとに今日は佐多岬まで、 これは、途中の内之浦海岸の風景である。 いまロケットの打ち上げは種子島に移ってしまったが、 以前はここがロケット基地だったのはご存知のとおり。 海縁の「内之浦佐多線」は狭くアップダウンの多い道、 日没前に着けるかどうか・・・。 日没で人家も見えず真っ暗、 道に迷って漁港に入り込んだり・・と右往左往、 人に聞きたくても誰にも会わず (T_T) 往生したぁ。 やっとこさ着いた佐多ビーチホテル、 遅くなったがこんな夕食を・・・・・。 翌朝、半島の先端まで約10キロ、 有料道路の佐多岬ロードパークウェイを行く。 車を置いて、岬の灯台へはこのトンネルの先、 トンネルの入り口に岬参観の料金所が・・・。 この辺一帯は鹿児島観光が管理している、が不採算、 多分、有料道は廃止、今は通行不能になってる 筈。 トンネルを抜け、山道を登ったり下りたり約20分、 灯台からの眺望はご覧のとおり・・・絶景。 本土最南端の碑。 本州最南端は紀州・潮岬、 最北端は?、最東端は? これから行くんですぞ。 佐多岬を後にこれから行く大隅半島を左にみながら北上、 垂水までくると正面に噴煙を上げる桜島が見えたのです。 桜島の西端は長崎市街が目の前、 島をぐるっと回って、鹿児島、指宿を経て、 この日は山川の国民宿舎「かいもん荘」泊まり。 大隅半島最先端の長崎鼻から見た薩摩富士。 長崎鼻へは盲腸線になるがここは行かざぁなるまい。 ここは坊津、その昔遣唐使が出発した港、古代からの要港として知られる三津のひとつ。 (ほか、筑前博多津、伊勢安濃津である)。 特攻隊で有名な知覧、台風時期にはよく聞く枕崎は、車も少なくスイスイ通過した。 三大砂丘の一つ「吹上浜」(知らなかった・・・)。 大隅半島の西側、鹿児島の背中にあたる付近になる。 (他の二つは、鳥取砂丘、庄内海岸・・・) 雲仙普賢岳の荒々しい姿、 火砕流による惨事は今も記憶に新しい。 水俣、八代、熊本など、 海縁の道を走ると知らぬ内に通過してしまう。 この日は島原半島の西側の「望洋荘」泊。 長崎といえば中華街(横浜、神戸と並んで有名ですなぁ)、 本場の「長崎ちゃんぽん」食す。 そしてハウステンボス、 泊まってオランダ気分を味わってみようか・・。 唐津城、小振りだが姿がいいね。 この日は天気が大荒れ、寒波襲来で、 長崎から佐世保へ、の海縁を走れず、内陸を通った。 又、佐世保から伊万里へも行けず、伊万里までショートカット、 まことに残念、思いを残している(再挑戦しなきゃ・・)。 倭奴国王印の発見された場所、 福岡市の沖合にある志賀島(橋で繋がっている)にある。 こんな場所で見つかったんだねぇ。 関門海峡の風景ですぞ!! ついに九州一周完了、お疲れさまでしたのぅ。 よく飽きずにお付き合い下さいました(お茶でもどうぞ・・・)。 福岡、北九州、いずれもお見せできる程の風景はありませんでした。
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