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昼食休憩は、30分。 あとは帰るだけだ。 途中一箇所日暮岩による。 ここは、錦霞渓の紅葉をひぐらし眺めてしまうところの由。 秋のシーズンにまた来なければならない。 学問岩。この涼しげなところで修行した。 日暮岩から錦霞渓を望む。ここが一面紅葉に覆われる様を想像しただけで震いがくる。 登山口のりょうぜん紅彩館 ここで一風呂浴びた。気持ちがいい!!! |
福島県伊達市
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昼食休憩場所は、霊山城址。 太平記の悲劇の武将と言えば、新田義貞、楠正成など南朝方に付いた武将だが、東北にゆかりのあるのが北畠顕家公。 歴史の教科書に登場するのが父親の北畠親房。後醍醐天皇の建武の親政を補佐し南朝方の重鎮として活躍した方。 顕家は、その長男として生まれ、弱冠18歳の時に陸奥守鎮守府将軍として、多賀城に赴任。そして足利尊氏の反逆を鎮めるため奥州の騎馬2万騎を率い、京に攻め上り、見事尊氏を九州に追いやる。 その後、国府はここ霊山に移すも、多賀城は攻められ、再度の遠征軍を率い戦うが、大阪石津で敗退戦死する。わずか21歳の生涯だった。 今、その顕家が再起を誓った霊山の城跡は、夏草が生い茂り、苔むした石碑がわずかにその昔を思い出させるものだ。 NHKの大河ドラマは「太平記」1991年。後藤久美子がこの役だった。 いかにもきりりとしたさわやかな公家将軍だった。 吉川の私本太平記、北方謙三の破軍の星などわくわくしながら読んだものだ。 顕家はどうしても後藤久美子と重なる。 国司館跡 敷石が確認できる。発掘調査は特にされていないとのこと。 霊山城址 そんなには広くはない。国府を移したときにあった寺を城として使ったとのこと。 北の尾根を望む。北にはずーと山並みが続き霊山寺がある。 |
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足がすくんだ跡は、岩の穴をくぐって護摩壇へ。 修験僧がここで護摩を焚いたとか。今でもその跡が黒ずんで見える。 安達太良の方が見えるはず 吾妻連峰が見えるはず イブキジャコウソウ ここだけの植物。草ではなく木。かわいい花が見える。今だけ。 |
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いよいよハイライトに差し掛かる。 天狗の相撲場だ。 この岩の上で相撲を取れるのは天狗ぐらいだろう。 凡人は立つだけでやっとだ。 岩への上り口 下を見下ろす。 |
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風はほとんどない。 登りはあまりきつくはないが、やはり早く見晴らしのいいところに出たいと望むものだ。 宝寿台からの眺め 国司沢 |






