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山形県と秋田県との境に三崎峠があり、現在は三崎公園として整備されている。
芭蕉一行は念願の象潟を訪れるのにこの峠を難儀して酒田から越えていった。
峠には有耶無耶の関というのがあったらしい。
旧街道は3箇所ぐらい整備されているが夏のこの時期は藪こぎ覚悟し、くもの巣を払いながらの行軍になる。
小砂川から往復約3時間のミニハイク。
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秋田県にかほ市
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奈曽の白滝を後にし、鳥海山の広い裾野を少し進むと象潟病院がありその細い山道を不安な気持ちながらどんどん進むと、車が数台駐車してあった。 ここから歩くこと5分ほど。 あたりは鬱蒼とした杉の巨木に包まれ、湿った空気が漂う。誰も採ることのなかった「こごみ」が巨大な羊歯となり原始の様相を呈している。 見えた。ここだ。あのすばらしい写真の場所だ。 秋田の風景を写真ブログで眺めていた時一枚の写真になんともいえない衝撃を感じたのだ。 複雑な岩肌を無数の白い湧水が伝わり落ちる。 苔むした艶かしいビロードの石、衣擦れの音が聞こえるような純白の清水。 行きたい、見たい、その思いは高まった。 そしてチャンスはほどなく訪れた。 おそらく朝からここに滞在しているのだろうと思われる先客が3人、三脚を据え思案を巡らしていた。 その道の趣味人には格好の被写体だろう。 白い飛沫、緑の苔、赤い山ツツジ 光は少なく、直射日光は射さない。どう撮るかまさに腕の見せ所だろう。 小生の写真ではここのすばらしさを伝えられない。 ぜひ、プロの写真をご覧ください。 カメラはLUMIX DMC-TZ5 インテリジェントオートで3M、フラッシュなし(常時禁止にしている) 要はただ押すだけ。 その後、パソコンで80KBに縮小。
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秋田から日本海沿岸東北自動車道で南下、にかほ市に入ると鳥海山が手の届くところに見え、最高の眺めが続く。 鳥海山は、残雪がまだ8割ぐらい残り、不思議な文様となっている。 何かに見えないかいろいろ考えるのも面白い。 青空にくっきり聳える鳥海山は南秋田のシンボルだ。 その鳥海のふもと、にかほ市象潟町小滝に名瀑があった。 名づけて「奈曽の白滝」。 高さ26m、幅11mをほこり、昭和7年(1932)に国の名勝に指定された。 金峯神社の鳥居を入り、境内をず〜と進むと、滝に下りる道に続く。 しばらく下る。 滝の音が聞こえてきた。 近づくと轟々と豪快なしぶきを撒き散らし、いわゆるマイナスイオンに完全に包まれる。 すごい滝だ。 |
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芭蕉が象潟を訪れたのは夏。 当時は松島のごとく浮島が点在する風光明媚な港町だった。 そしてかの有名な 象潟や雨に西施が合歓の花 の句が生まれた。 そして、蚶満寺の方丈から象潟の絶景を眺め、 此寺の方丈に座して簾を捲ば、風景一眼の中に尽て、南に鳥海、天をさゝえ、其陰うつりて江にあり。西はむやむやの関、路をかぎり、東に堤を築て、秋田にかよふ道遙に、海北にかまえて、浪打入る所を汐こしと云。江の縦横一里ばかり、俤松島にかよひて、又異なり。松島は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし。寂しさに悲しみをくはえて、地勢魂をなやますに似たり。 (奥の細道から) の一節を記述する。 鳥海山の日の出 |
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8月6日 今回の東北まつり行脚の旅は、主題は名目どおりだが、もう一つ実現したかったのが、象潟訪問だった。 これまで酒田までは何度も行くも、象潟は遠くいつも次回は是非と言うことで見送ってきた。 今度こその思いで弘前を朝一番の列車に乗り、大館、秋田乗換えで、4時間後象潟に着いた。 列車が象潟に近づくにつれ、車窓には浮島の例の風景が飛び込んできた。 ああこれだ!! 芭蕉が恋い焦がれた象潟についに着いた。 江山水陸の風光数を尽して、今象潟に方寸を責。 (奥の細道) 象潟の段のはじめの文章である。松島と同じくらい芭蕉の中に深い思いを込めた土地だった。 酒田から約40kmの道のり、雨がひどく降る中、途中で一泊して翌日到着し、さらにその翌日ようやく晴れた象潟に船を浮かべこの風景を満喫した。 今、象潟は陸の松島と言われることになったのは、約200年前の大地震で海が隆起し、陸地と化してしまったのだ。 当時の風景を再現できるのは、田植え前の一時ぐらいかと。 そしてあの名文に続く。 江の縦横一里ばかり、俤松島にかよひて、又異なり。松島は笑ふが如く、象潟はうらむがごとし。寂しさに悲しみをくはえて、地勢魂をなやますに似たり。 (奥の細道より) 松島と象潟は陽と陰、表と裏、笑うとうらむ、男性的と女性的 常に対の両極と見られていた。 そして、例の名句 象潟や雨に西施が合歓の花 (奥の細道から) が生まれる。 ねむの丘展望塔から 正面に鳥海山 芭蕉が歩いた街道 宿泊した能登屋跡 芭蕉句碑 象潟駅前 |
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