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大分の最後は杵築市。人口3万人強の歴史と文化の町。
宮城で比定するならばさしづめ岩出山といったところか。
城は杵築城。三万二千石の松平氏の治める所。
街並みは綺麗。岩出山と同じだ。
武家屋敷も雰囲気を出している。
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大分県
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臼杵城は戦国キリシタン大名の大友宗麟によって拓かれた。
関ヶ原以降は稲葉一徹の息子の稲葉貞道を初代として代々臼杵五万石が明治まで続いた。
惜しむらくは石垣が崩れそうになったのかコンクリをべたっと塗り固めて保持しているので全く情緒がない部分があること。
今の技術では植栽を施したり、石積調に見せたりといろいろ進化している。研究されたし。
大友宗麟リリーフ
宗麟が導入した日本最初の南蛮渡来の大砲
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臼杵石仏はとみに有名。
40年昔、九州16日間の旅をしたとき、久住登山を終え豊後竹田の岡城を見て、次にこの石仏を訪れたのだ。
かすかな記憶は見上げるような大仏だったかなと。
それを確かめに40年ぶりにまたこの地を訪れたのだった。
そうか昔はお堂がなかったのだ。
また大仏様の首が下に置かれた状態だったのだ。
そして大鵬が見学している写真を見て、昔は下から見上げていたのだと思い出したのだった。
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臼杵市は大分県南部の城下町。人口4万人強。宮城でいったら白石。
戦国キリシタン大名大友宗麟ゆかりの地でもある。
見所多い臼杵はまずは『二王座歴史の道』を紹介しよう。
昔にタイムスリップしたよう。武家屋敷と寺。切り通があって散策も楽しい。
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別名大分城。
このあたりはかの有名なキリシタン大名大友宗麟が永らく支配してきたが、息子の代に没落。
関ヶ原の役を過ぎてからは竹中半兵衛の従兄弟の竹中重利が初代藩主として整備した由。その次ぎの代で改易。
以後、松平某が所領する二万石の小藩。
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