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陸羽東線で新庄に行こうとすると鳴子で一時間は時間つぶしが必要になると思えばいい。
決して接続悪いとはいわない。まったりとした至福な時間を味わえばいい。
小生の場合は滝の湯か早稲田の湯でほっとりした後はわらび餅で有名な『たまごや』でコーヒーでも。
この日はいつだったか大雪のため電車が動かなくなった時、時間調整で入ったふじや食堂にまた行った。
観光地の食堂と侮ってはいけない。
そしてたまごやへ
素晴らしいこころざし。
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宮城県大崎市
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最後のポイントは追分。上街道と出羽街道の分岐。上街道から左に行くと岩出山へ、右に行くと鳴子のほう。
この川を渡ると 程なく出発地の有備館駅。
約3時間の楽しい古道めぐりだった。
ご一緒していただいた研究家に感謝!!
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狼塚という場所を通過する。昔は狼が人を襲ったそうだ。それでお供え物を捧げて祈ったのだと。今でもそれが続いているという。
その先は天王寺一里塚。こんもりした森が道路の中にある。
左の道は先の大震災ででこぼこ。陥没もいたるところあった。右のほうは昔からある旧道。やはりしっかり造ってあった。亀裂はない。
これが一里塚
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次の目的地は磯良神社。別名オカッパ様。
藤原秀郷に仕えた河童の虎吉を祀ったのだと言う。
田んぼの先の小さな社がその神社
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南部道遥にみやりて、岩手の里に泊る。
とは、奥の細道の一節。たったこれだけの記述がこの上街道を指す。
一関を出発し、鳴子温泉を経由し、尾花沢に至るが、出羽街道に至るまでを上街道という。
古くは源頼朝の奥州攻めにもこの道を通ったとのこと。
さて、芭蕉の奥の細道を巡る旅もそろそろ時間切れとなる。この上街道は積年の思いを遂げる最後に残されたとっておきのところであった。
有備館駅前を定刻に出発した乗合マイクロバスはお客を3人乗せてのどかな田園を進み、そのうち山道などもあり寂しげな集落の馬館の手前で降りた。
古道を踏破・研究しているという同年輩の御仁とバスでご一緒になり、全くの不案内な小生の先達をお願いし、道中解説などいただき大変貴重な上街道を歩く旅ができた。
県道からの入り口
親切な案内板が要所要所にあって安心だ。
石畳の道 専門家のお話だとこれは現代の作とのこと。
千本松長根(せんぼんまつながね) このような松林の中を歩く。
松が伐採された後。
戦時中は松の根から航空機燃料を採ったのだという。戦後、伐採されたこの古道には小学生によって松が植えられ今ではまた古道にふさわしい松林となった。
奥の細道の一節、本文の冒頭に挙げた「南部道・・・・」を刻んだ碑
続く
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