宮城県多賀城市・七ヶ浜町

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国府多賀城駅の向こうには東北歴史博物館があるが、その敷地内には茅葺屋根の建物が二棟見える。

前のは門というか納屋というか、それはそれで大きなもの。
それをくぐると母屋だ。
築250年の北上町の肝いり(庄屋)を勤めた今野家の屋敷は、この大地震にもびくともしなかった。
しかしボランティアの解説の方のお話を伺うと、本家のほうでは津波に遭われたようだ。
また、地震の時ここに来られていた方が自宅が心配で戻ったところ津波に巻き込まれ亡くなられたとのこと。
哀しいことだ。

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毎年楽しみにしてきたのがこのあやめ園。
国府多賀城駅から歩いて10分ほどのところにこの時期一面咲き誇ったあやめ園があった。

今年のあやめまつりは中止となった。
東北本線からもはっきりわかるが、この多賀城跡の公園の駐車場、空き地は大量の瓦礫置き場と仕分け場と化して、重機がその大量の瓦礫の仕分け作業に鳥肌立つような鈍い音をガなりたてて作業を進めていた。
作業に従事される方も大変だろう。優雅にあやめまつりとうかれている時ではないのは確かだ。来年の盛大なあやめまつりを期待しよう。

それでも花は咲く。

毎年立派な花が咲くように心を込めて世話をしてきた方々も今年はそれどころではなかったろう。
しかし多年草のあやめは今年もしっかりと花を咲かせていた。

美しい花は心を和ませる。
しばしこのあやめ園に佇み、千年の昔に思いを馳せた。
この多賀城も貞観大地震では倒壊したのだ。

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かつての陸奥の国は宮城、岩手、青森に至る広大なエリアだが、その中心がこの多賀城であった。

一辺が1キロメートルの方形。
きらびやかな朱塗りの南門をくぐり、広い石の階段を登ると政庁に至る門がまた聳える。
政庁は100m四方にて中央に大きな建物がまた威圧する。

いろいろ復元の動きがあるようだ。

今流行のCGでの絵を見せてもらった。
立派なものだ。

この土地は明治のころまで私有地だったとか。
それが明治天皇が行幸された折、国に寄贈され以後開発などもされず、近年の大規模な発掘調査ができるようになった。
今後も周辺私有地は買い上げる予定だとか。
そして一大歴史公園として再現するのだとか。

奈良の大極殿のように再建して欲しいものだ。

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左:後村上天皇安在所の碑  右:明治天皇行幸の碑
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後村上天皇は南朝最後の天皇。
ガイドの方曰く「後村上天皇は岩切には来たが多賀城には来なかったのだよ。しかし戦争鼓舞のため、このあたりの若者を駆り立てるためにここに碑を建て忠君愛国を宣伝する目的で史実と違う碑を建てたのだ」と。

戦前は南朝方、楠正成公、北畠顕家公などが尊ばれた。
霊山がその南朝方の聖地。

あやめを見た後は、例の壷碑(つぼのいしぶみ)を訪れた。
もうこれで三回目となると、ボランティアガイドの説明もほぼ頭に入っている。

非常に鮮明な文字はかの芭蕉翁も感激したものだった。
神亀元年(724年)の多賀城の建設、改修された天平宝宇六年(762年)にこの碑が建造された。

『京を去ること一千五百里・・・・』今でも文字はたいへん鮮明だ。碑の中央上部には大きく『西』と彫られ、碑は正確に西を向いている。

古来から言い伝えがあったようだが、江戸時代初めまでは土に埋もれていたようだ。それが風化を防いだのかも知れない。
水戸黄門の時代かもしれないが今のように手厚く護られるようになったとか。お堂は3代目。今のは明治の初め。

芭蕉は仙台を発し岩切を通ってここ多賀城に来た。
そして、この碑を見てたいへん感激したのだ。

むかしよりよみ置る哥枕、おほく語傳ふといへども、山崩川流て道あらたまり、石は埋
て土にかくれ、木は老て若木にかはれば、時移り代変じて、其跡たしかならぬ事のみを、爰に至りて疑なき千歳の記念、今眼前に古人の心を閲す。
行脚の一徳、存命の悦び、羈旅の労をわすれて、泪も落るばかり也。

 (松尾芭蕉 奥の細道より)

最後の文章は文字通りだが、
「碑に会えたのも旅の行脚をしたおかげで、生きている喜びを感じ、旅の苦労を忘れて、ただただ涙が落ちるばかりです。」

ほぼ千年の昔の碑文が芭蕉の眼に鮮やかに映ったのだ。

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あやめ草足に結ん草鞋の緒
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この俳句は仙台出発の折、世話になった方から餞別の草鞋をもらった。それにちょうど季節のあやめを結ぼう。という意味。

あやめは菖蒲湯とか、端午の節句の飾りとか、魔よけの意味があった。
そのあやめを草鞋に結べば旅の危険から身を護れようということ。

あやめの由来が解かって初めてこの俳句の意味が理解できるというものだ。

この句碑は近年建てられたとか。
ボランティアのご老体は、「全く評価していません。・・・」
とこちらの説明は全く眼中にないようだ。
確かに。薬師堂がふさわしい場所だ。

多賀城跡あやめまつり

梅雨の時期、あやめが咲き誇る。
太陽が燦燦と輝く中に似合うひまわりや、抜けるような五月晴れに似合うチューリップやポピー、これらと違い、どんよりとした曇り空、もしかしてしとしと雨が降る梅雨時の花があやめ。

いずれ菖蒲か杜若 などといわれるが、おおむね色は紫系。まあ独特の渋い日本の色、といってもいいだろうか。

多賀城市は、陸奥の国府多賀城があったところ。
陸奥の国は宮城県、岩手県、青森県。その中心はここ多賀城だった。もっとも、この先は蝦夷の国で、往来も少なかったのだろう。

そのロマン溢れる古代に思いを馳せ『万葉まつり』などもある。
それで、なんとなくあやめがまたふさわしい花になる。

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