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山形には懐かしい日本がたくさん残されている。
山形に行くと何かほっとするのはそういう風景がなせるのだろう。それだけでなく山形の人々の優しい人情がその風景ともマッチするのだ。
飯豊町の散居集落。
田園風景として水彩画でも描きたい。
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山形県米沢市・飯豊町
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飯豊町は山形県の南西部福島県と接する山間の町。
名峰飯豊山が美しい。
と書いたが、町の中心はJR米坂線の羽前椿。町の北の一部だけに集落があって、ほとんどは山の中?
ところで飯豊山はどこにあるのか調べたら、なんと飯豊山は小国町と新潟の境にあって、しかも所有者は全く離れている福島県山都町(今は喜多方に吸収されているかな)。
まずは序章として羽前椿からゆり園までの風景の切り取り。
JR羽前椿駅 管理人はいるも改札業務はワンマン車の方で済ますので無人駅と同じ。
管理人さんに先だっての駅ハイの資料もらう。
駅ハイは大雨でゆりも全く咲いてなかったそうな。
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兼続公の功績はたくさんあるが、ここ直江石堤と呼ばれる川の氾濫を防止するための大々的な土木工事。
多くは現存していないと言うが、市では公園として立派に整備していた。
直江がらみでここを見逃していたのでずっと気にかけていたところ。
レンタサイクルのおじさんは、『何にもないよ・・・・』としきりに言っていたが。
当時だからセメントなどない。
大小の石を積み重ねた至極単純だがなかなかの技術がいるだろう。
天地人では直江が松川(最上川)の治水に悩み、伊達政宗に教えを請う場面、その後政宗自ら米沢に赴きその工事の指揮に当たった場面。
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米沢で多少時間があったので直江関係で見落としていた『直江堤』を訪れた。
その途中、この芳泉町を通る。
上杉の武士団が、ここで農業を始めて生計の一助とした。
会津百二十万石から一挙に三十万石に減封された上杉家。家老直江兼続公は、家臣の一人たりともリストラせず全員米沢に連れて行った。
それぞれが大幅な減収になったが、みないろいろ工夫をしてその苦難に立ち向かっていった。
ここ芳泉町では『ウコギ』の垣根で知られる。また庭の植木は柿や栗、池や用水路には鯉や鮒、すべて食べられるもの。
そこまでしてようやく難局を乗り切った。
今では茅葺の家は少ない。
ちょうど茅葺屋根の補修をされていたが相当のご高齢の方々。
保存維持するのもたいへんだ。
米沢駅 久しぶりの訪問。天地人、直江ブームは今でも続いているのかな?
この日はサッカー少年団の試合かな?
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