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飯坂温泉の鯖湖湯の向こう。
以前には気がつかなかったが昨年整備して見せているのだとか。
堀切家は江戸時代から続く豪農、豪商でこの地方の庄屋であった。
明治大正時には堀切三兄弟という天才が出現し、中央政治で活躍した。
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福島県福島市
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各地の温泉はその都市の隠れ家的存在。
仙台なら秋保、盛岡なら繋、山形なら蔵王、鶴岡・酒田の湯野浜、・・
そして福島は飯坂温泉。
芭蕉ももちろんここに寄った。医王寺から飯塚(なぜか)に泊まって(もちろん湯に入って)いるのだが、記載された文は厳しい。
その夜飯塚にとまる。温泉(いでゆ)あれば湯に入りて宿をかるに、土座(どざ)に莚(むしろ)を敷きて、あやしき貧家なり。灯(ともしび)もなければゐろりの火かげに寝所(ねどころ)をまうけて臥す。夜に入りて雷(かみ)鳴り、雨しきりに降りて、臥せる上よりもり、蚤(のみ)・蚊にせせられて眠らず。持病さへおこりて、消え入るばかりになん。短か夜の空もやうやう明くれば、また旅立ちぬ。
(奥の細道から)
今なら旅館、ホテルが選り取りみどり、快適に旅の一夜を過ごすことが出来るのに。
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文知摺石のエピソードとしては、源融(みなものとおる)と虎女(とらじょ)の話。 源融がこの地に役人として訪れた時、虎女と恋に落ち愛し合うようになったが、戻らざるを得ず再会を約し別れた。 虎女は、融との再会をこの石を磨きながら待ちわびていた。いつしか石は融の面影を映し出す鏡のようになった。しかし、身はやつれ死んでしまう。 やがて、融から手紙が届いたがすでに遅かった。 そして源融の歌 みちのくのしのぶもぢずり誰故に乱れ初めにし我ならなくに (百人一首) 芭蕉はこの歌の元になった石を見たかったのだ。 仲良く墓が建立された。 最後にもう一度文知摺石を。 同上 しのぶの里 この山すそに石はある。 |
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また芭蕉の世界に戻る。 二本松を過ぎて、福島城下で一泊の後、かねてお目当ての文知摺石を見るために、寄道する。 現在曹洞宗安洞院のなかに、きちんと柵を施し鎮座しているが、芭蕉のときは、 遥山陰の小里に石半土に埋てあり。(要は、半分土に埋もれていたということ。) そして、続く文章は、「昔は、山の上にあったが、ここを通る人々が、麦の葉っぱを石にこすり付けて、いたずらするので、怒った村人が石を谷底に突き落としたと。子供に聞いた」の意。 芭蕉が恋焦がれてわざわざ見に行った石は、粗末に扱われていたのだろうか。 文知摺(もぢずり)とは、しのぶ草の葉形などを摺りこんだ風雅な模様の「もちずり絹」の産地だったことから。 (難しい内容です) そして、この地で詠んだ句が、 早苗とる手もとや昔しのぶ摺 (奥の細道から) ちょうど田植えの時にここを通りかかったのだろう。 田植えをしている手つきが、昔のしのぶ摺をしているのに、似ていたのだろう とかの意味。 これが、文知摺(もぢずり)石 源融(みなもとのとおる)と虎女の話はその2で。
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福島市街から北東の方向、2kmのところに岩谷(いわや)観音あり。 ここは、平安のころから岩に彫られた磨崖仏が風化に耐えながら六十数体残っている。 観音堂は江戸初期の建立。昔の人の信仰の深さがしのばれる。 見上げるように一直線に登る階段 それを見下ろすと目がくらむ。 観音堂 |




