原典聖書研究

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獲得君(最初の苛め)

獲得君(最初の苛め) 創世記4章1節 

今日は昨日に引き続いて創世記の4章を読みました。禁断の木の実を食べたアダムとエバのその後が記されている箇所です。二人の長男カインが弟のアベルを殺害したことが記されている箇所です。この箇所を原文で読むと随分と考えさせられる事が沢山記されています。今日はその中で一番問題に思う事をご紹介しましょう。早速何時もの様に直訳を記します。

創世記4章1節、2節 ヘブル語原典の直訳 

04 01 ・ そして その アダム 彼は知った を ハバー 女彼 そして彼女は孕(はら)んだ そして 彼女は産んだ を カイン(?獲得) そして 彼女は言った 私は獲得した(カイテ) 男 を(?or対立してor一緒に) ヤハウエ  
02 ・ そして 彼女は加えさした に 産む事の を 兄弟彼 を ハァベル(霞or虚) そして彼が存在した ヘベル(霞or虚) 放牧するの 群れ(羊) そして カイン (?獲得) 彼が存在した 奴隷するの 地面 

創世記4章1節2節70人訳ギリシャ語原典の直訳 

04 01 ・アダムは も 彼は言った エバを その 女 彼の、 そして 共に取っ(妊娠し)たは  彼は子を産んだ その カインを そして 彼は言った 私達は子を産んだ 人間を 通して その 神。
02 ・ そして 彼は方に置いた 産むこと その 兄弟を 彼の その アベル。そして 彼が起きた アベル 牧者 羊らの、カイン も 彼が存在していた 自分の為に仕事するは その 地


ヘブル語原典の方を翻訳にしてみます。

創世記4章1節ヘブル語原典の翻訳

1節・そして、アダムは彼の女ハバと性行為をして、彼女は太鼓腹になりました、彼女が獲得(カイン)したのでその男の子を名を「私は神に敵対して獲得(カイン)した。」といいました。
2節・そして彼女は彼に兄弟を産んだ時、その子は「つまらない(ハァベル)」といいました。「つまらない(ハアベル)」は大きくなり羊の群れを放牧しました、兄の獲得(カイン)は地面の奴隷(農夫)と成りました。

  一般の翻訳とは随分と違うように訳出しました。それは、皆様に大切な事に気づいて頂くためです。そう、エバは神様に、反抗して自分が産んだ子を「私がこの子を獲得したのよ。」と言う認識で育てたのです。幼いころはさぞ大事に育てたでしょう。自分の力で生み出した自分の獲物だったのですから。

  と言うことは、この母親は、子供のためになにかをしてあげるのではなく、自分の為に子供を利用しようと言う視点で子供を育てた事が判明するのです。当然、そのように育てられた子供は物心がついた時に、母親の育児にきっと不信を抱いたことでしょう。何しろお母さんはその子どもを自己の目的の為に利用(活用)するばかりに熱心で、本当に子供の為に自分を犠牲にする事を忘れていたのですから。

  このエバの教育方針を現代風に言ってみるとその問題点が判明します。 「私が産み育てた子供はお母さんの成績なのだから、体格も、成績も、お行儀も人並み以上でなけれは困るわ!」
子供が小さい間は甘やかせるだけ甘やかし、その結果わがままに育て子供が大きくなり手に余るようになったころに、思い通りにならない子供に要求を突きつけ。
「こんな成績や学校ではお母さん恥ずかしくって表もあるけ無いは!」こんな言葉で育てられた子供はさぞひねくれることでしょう。子供が幼いころあれほど円満であった(子供は甘やかしただけなのだから当然)親子関係は子供が一人前になり親の期待も、子供の要求も野放しになった結果、相互の失望と批判が錯綜する事態を招くのは必然だったのです。

  育児に失敗し子供に失望した親が次の子供に顕著に現れます。いわゆる母親の燃え尽き症候群と言うわけで。第一子の教育に失敗したエバは「育児なんて何の意味も無いわ!」と言うことになり、次男の名は「つまらない」と言う名前にしてしまうのです。そして当然子供を放任してしまったのです。皮肉なことに悪い親が育児をするより何もしない方が子供は健全に良く育ったと言うことなのでしょう。

  この後、この放任された子供次男の「ハァベル=つまらない」君は「どうしたらお母さんの気が引けるか、お兄さんの気にいられるためにはどうしたら良いか?」と自分以外の人の心証を保たないと自己の生存が危ぶまれる状態に陥ったのです。その結果上手に人の心が悟れる様に成りました。勿論、神様の気に入られる事が何であるかは熟知して育って行ったのです。

 そして、その反対に母親の溺愛と偏愛にさらされて兄はわがままでお節介な上に不満だらけの親によって不信の中に育ったのです。 兄、「獲得」君はお母さんが何でもしてくれたので、自分からは努力をしない癖がついてしまっていたのです。 

  さて、このような全く相違した育て方をされた二人の子供が、一体どの様な生き方をしていくでしょう?
弟は人の心を掴むことが上手く、反対に兄は人に要求ばっかりして不満に満ちて生活していたのです。そして自分の思うように事が進まないと、悪いのは自分ではなく他人が悪いと考えるのは自然の成り行きです。

  そう、その結果、上手に人や神様の心を獲得する弟は、非常に目障りな存在で、苛め、抹殺する以外に自分のが認められ、自分の願いをかなえる術は見当たらなかったのです。

  それゆえ兄は弟を殺してしまったのです。今日の苛めの問題と全く同じ現象が最初の家庭の中の親子、兄弟の間で起きていたのです。此れが、善悪の知識の木の実をとって神様の前に罪を犯した人間の一番最初の不幸の始まりだったのです。その結果アダムとエバは、最愛の長男によって放任した次男を殺されたのです。彼らは同時に犯罪の加害者の親の苦しみと、被害者の親の苦しみとを味わい、また同時に一度に二人の子供を一人は死別によって失い、もう一人は二度と会えない生き別れの苦しみによって失う結果を学ばされたのです。

苛めの原因は、苛められる側が正しく良いことをする事が原因なのです。と言うことは悪いことをする人間は苛められる心配はないのです。

 もし、いじめの原因が「自分より正しいものに対する憎悪に原因が在る」のだとしたら、苛めに会わないように子供を育てる方法がわかります。 お母さんが、子供を育てる時に「世の中の悪いことを認識して、子供を悪賢い子供に育てる」以外に世の中で苛められない子に育てる術は無いと言うことなのです。
★育児に関してはこちらの育児講座をご覧ください。 http://bible.ne.jp/ikuji/

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