原典聖書研究

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兄弟結婚

兄弟結婚 創世記20章 

今日は昨日に引き続いて創世記の20章を読みました。やはり今日の聖書の箇所にも驚くべき事が記されています。早速直訳を記しましょう。

創世記20章12節 ヘブル語原典直訳 

12 ・ そして更に 真実 姉妹私の 娘の 父私 彼女 確かに 無い 息子の 母私の そして彼女が存在する に私 に女 

創世記20章12節 70人訳ギリシャ語訳原典直訳 

12 ・ そして また 真実に 姉妹 私の 彼が存在し続けている 出て 父、 反対に 無い 出て 母。彼が成させられた も 私に 中へ 女。 

翻訳にしてみます。

創世記20章12節 翻訳

 本当にサラ(妻は)私の妹なのです。但し私の実の父の娘ですが、母の娘ではありません。この異母の妹が私の妻になったのです。

古代の事ですから、こんな事が許された訳ではありません。聖書のレビ記20章の17節には明確に父の娘との結婚は「有ってはならない」と明記されています。

 ここから分かる事ですが、「聖書に登場する全ての人間は、聖書に照らし合わせてみると、徹頭徹尾罪ばかり行っているひとばかりだ。」と言う事なのです。

 そして、そこかしこで「罪人でない人間は存在しない。」と連呼しているものが聖書の主張なのです。

残念な事に、何をどう勘違いしたのか、「聖書には立派な正しい人間が登場し、そこには人間の在るべき幸福な生活の模範が記されている。」と思い込んでいる人が殆どです。

  特にその傾向はクリスチャンとか、聖職者や、神学者に顕著です。と言う事で、まともに聖書を読んでみると自明の事ナノですが、「聖書の中には誰一人として、まともな信仰者は登場しない」と言う事が分かるのです。
  ですから゛このような内容の聖書をどう血迷ったのか、人間の在るべき姿や理想を求めて読む人には、おそらく聖書の主張は理解不可能でしょう。

  聖書に記されているのは、神様を信じている人々が如何に、道を外れて、罪に耽り神様を悲しませたかと言う事が告発されているのです。

  そして、聖書はこんな酷い人々で有っても、神様の主張をそのまま受け入れ、自分の罪を認めて、神様を正しいとした事が記録されています。彼らは神様を正しいとした当然の帰結として、自分の罪を認め、神様が罪ある儘の人を義と勘定して下さった事の目撃証人となったのです。

  だから、こんな罪深いアブラハムやその妻サラも神様を信頼して生きる事が出来たのです。

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