原典聖書研究

ギリシャ語はギリシャ語の書庫や聖書関連記事は「無題」の書庫です。2018年5月29日より新投稿不能31日回復しました。

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罪の放置

 ギリシャ語の原文で聖書を読んでいると、いつも翻訳とは随分と意味が違っているのが大変気になります。有名な「主の祈り」を見てみても、随分と気になることが沢山出てきます。その筆頭が表記の「赦し」と言う言葉です。この言葉は贖罪宗教であるキリスト教の基本教理の一つで大変重要な単語なのですが、これもどうも正しく訳されていない様です。以下にその聖書箇所を記します。

マタイによる福音書 6:12
και αφεs ημιν τα οφειληματα ημων, ωs και ημειs αφηκαμεν τοιs οφειλεταιs ημων

これを語順そのままに日本語(直訳)にすると次の様になります。

「マタイ6章12節 ・そして あなたは放置しろ 私達に その 借金を 私達の、様に そして 私達が 私達が放置した その 借金を 私達の。」

 気になるのは一般の翻訳で 「赦す」と訳されている二番目に使われている言葉「αφεs」です。この言葉は αφιημιと言う「置き去りにするor見捨てる」という言葉のアオリスト2人称単数命令形です。一般の翻訳は「あなたは赦せ」と訳しています。しかしギリシャ語のこの単語の意味は少し違っているのです。「あなたはそのまま放置ろ」と言う意味です。

  この言葉使われている他の場所、たとえば第一コリント7章11節と12節には「離婚してはいけません」と訳されているのですがそのように訳出されているのはいずれもこのαφιημιなのです。この言葉の意味は「そのままにする」なのでここでは意訳して「離婚してはいけません」と訳出しているのです。
  またこの言葉は借金にも使われます。マタイの福音書の18章の21節から35節に登場する有名な「借金の免除」のたとえ話です。ここでも21節の罪の「赦し」と訳されている言葉と27節に使われている借金の「免除」と言う言葉は両方ともこのαφιημιなのです。32節にも35節にもこの言葉は使われていますが良く注意してみるとこの αφιημιと言う言葉は借金にすればその「免除=消滅」では無く「請求権の放置=返済を求めない事」を意味することが分かります。

  とすると、この語が「罪」に対して用いられる時も「赦す」言う意味ではなく「放置」すると言う意味である事が分かります。その意味は借金は無くならないし、債務証書もそのままだけれども借金の返済を迫らないと言う事になるのです。それを罪に当てはめると「罪の刑罰を与えたり、償いを要求せずそのままにしておく」意味です。
  ですから聖書が教えている罪の赦しは罪が消えて無くなる事ではないのです。信仰してもキリストの贖いに与っても、人の罪はそのまま残っているのです。しかし、その罪は神様が関西弁で言う「ホッタラカシ」にして下さっているのです。そして私達が他者に、罪の償いを要求しないことが要請されています。(先程見たマタイ18章23節から35節の借金免除のたとえ)だから、神様は私にも罪の償いを要求されないのです。キリストの贖罪に与った人は入信前は罪人でした、そして入信後も罪を冒しますが、神様はキリストに免じてどちらの罪に対しても「罰」を与えたり、「償い」を要求されないのです。
  ですから、主の祈りを初め聖書が「赦す」と訳しているαφιημιが使われている146箇所中「赦す」と訳されている70箇所程が誤訳です。それらの箇所で聖書が言っている事は「人や罪を赦す」事ではなく、人が行った罪にたいして腹が立っても、赦せなくとも「ほっておく」ことが要請されているのです。

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おもしろかったです

2006/9/25(月) 午後 9:08 [ 山崎 浩 ] 返信する

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