原典聖書研究

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サラの孤独死

サラの孤独死 創世記23章2節 

「人は生きたように死ぬ」とかねがね実感してきました。職業柄様々な人の結婚式や葬儀を執り行ってきた結果の偽らざる感想です。そして、やはり聖書の中に登場する人々も全く同様なのです。今日はアブラハムの妻、サラの死んだ時の事を見る事に致しましょう。早速何時ものように直訳です。

創世記23章2節 ヘブル語原典直訳 

02 ・ そして彼女は死んだ サラー 中で キルヤテ(城塞) アルバー(4重) 彼 ヘブロン(喧嘩or同盟) 中で地の カナアーン そして彼は来た アブラハム に嘆き悲しむ事の にサラー そしてに泣く事の彼女 

創世記23章2節 70人訳ギリシャ語聖書原典直訳 

02 ・ そして 彼は離れ死んだ サラは 中で 町 アルボク、 するところは 彼が存在し続けている 中で その 洞穴 (彼女は 彼が存在し続けている ヘブロン) 中で 地 カナン。 彼は来た も アブラハム 自分のために打った(悲嘆する)事 サラー そして 服喪した事。

この、ご夫妻の別居の原因はおそらく育児に関する行き違いであった様です。サラは自分の子イサク可愛さに、長男イシマエルを殺害するつもりで自分の奴隷であったその母共々放逐しました。それほど大事に育てたイサクでしたが、おそらくその甘やかしぶりはきっと大変なものであったでしょう。大事に育てられたイサクは生涯自分で物を獲得したり、自分の権利を侵害する者に対して抗議するような事をしませんでした。

彼の生涯を見ると、イサクが自分から努力する事は無く、常に人から与えられたもの(妻も含む)で生活し、誰かになにかを要求する事はありませんでした。おそらく、至れり尽くせりの過干渉によって人格的な欠損が生じた様です。特に、その父アブラハムがその子を母親から引き離し連れだして、モリヤ山上で縛りあげ、父が剣を抜くまで自分の身に危険が迫っている事を察知することもありませんでした。こんな性質が素晴らしいのか、問題なのかは判断を避けますが、父アブラハムは昨日見たこの出来事以来、母親からイサクを引き離すため彼を連れてベリエルシバに居をうつし、しかも別の女性と重婚(?)し子供にも恵まれて幸福そうな生活をしていたようです。(創世記25章1節から6節参照)

最愛の子イサクを連れて夫アブラハムは別居し、自分の身の回りの世話をしてくれていたハガルは孕ませて産ませたイシマエル共々何の補償も与えず裸一貫で放逐してしまったが故に、ひとりぼっちにならざるを得なかったのではないでしょか。

勿論、裕福な家庭でしたからかわりのヘルパーさんがいたかかも分かりませんが、どうひいき目に見ても、昔なじみや縁の人は身辺には皆無であった事は否めません。

そして、サラは誰一人家族に見取られることもないく孤独な死を迎えたのです。おそらく危篤の知らせはアブラハムに伝えられていたでしょう。しかし彼は一歩も足を向けなかったのです。勿論、その子イサクも危篤の母の元には向かわず父アブラハムと共にいて放牧の仕事を平然と続けていたのです。

本当にサラの最後の生活の現実を見る時、「人は生きたように死ぬ」と言う現実に戦慄させられます。そして人生で本当に大切な事が何であるのかを考えさせられます。

この後、アブラハムは自分の実の妹であり、妻でもあったサラの為に立派なお墓を法外な価格(相場の約10倍)で買ってそこに立派な葬儀をして埋葬してくれました。しかし、それは一体誰の為であったのかを思うと疑問が残ります。本当で在ればアブラハムはサラがまだ地上に生きている間に縒りを戻して、家族で過ごそうとするべきではなかったのでしょうか? これは大きな疑問です。おそらくそうする事が出来ない心のしこりがアブラハムの心の底深くにあったからなのでしょう。

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