原典聖書研究

ギリシャ語はギリシャ語の書庫や聖書関連記事は「無題」の書庫です。2018年5月29日より新投稿不能31日回復しました。

全体表示

[ リスト ]

真理と真実

  昨日は「罪の放置」について学びました。今日はもう一つ大切な言葉について学びましょう。このブロクの一番最初に扱った国会図書館の誤訳の記事はご覧になられましたか? あそこでは、「真実は奴隷解放する」として奴隷解放を指すエレウセロイに焦点をあてました。今日はもう一つの言葉 「誤訳の真理」に注目してみたいのです。

ご覧になられていない方の為URLです。→http://blogs.yahoo.co.jp/semidalion/508137.html

取り上げたのはヨハネの福音書の8章の20節で以下の様な原文でした 
(Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ ヘー アレーテイア エレウテローセイ ヒュマース)

  今日はもう一つの方の言葉の間違いについてです。そう、「真実=ΑΛΗΘΕΙΑ=アレーセイヤ」の方なのです。これは以前お話した「信仰と信頼」の箇所とも深く関わっています。 

参考URL→http://blogs.yahoo.co.jp/semidalion/688353.html

 真理と言う意味ならば別に信頼とは無関係ですが、「真実」となると当然それが信頼されなければなら無いのです。嘘ではなく真実なのですから万人がそれを支持し、そのことを主張する人々とその言われている事に対して信頼が当然なのです。そして、同時に真実なのですから別に人が信じようが信じまいが真実に変わりは無いのです。そして、真実は証明されなくともまた理解されなくとも真実自体に価値の変化はないのです。この事は説明不要です。何故ならば、そのことが真実だからです。そして 真実なのですからそのことを主張する人の言葉は実言でなければならないのです。 

実言と虚言に関しての参考URLは→ http://blogs.yahoo.co.jp/semidalion/746266.html

  この真実か真理かで重要な違いを持っているのが、ヨハネの福音書18章38節に記されたキリストの処刑された時のローマ総督ポンテイオ・ピラトの言葉なのです。

  そこではキリストを十字架につけようとするユダヤ指導者がローマ帝国のユダヤ総督ポンテイオ・ピラトの前に押し寄せてキリストの死刑を要求している最中に総督ピラトがキリストの面前で語った言葉なのです。この言葉は最後までキリストに付き従った大祭司の一族である使徒ヨハネ以外の他の使徒達には聞き知り得ない言葉であったでしょう。それゆえヨハネの福音書にのみこの言葉は登場します。

  この箇所は一般に「ピラトは言った。『真理とは何か。』」(新共同訳)「ピラトはイエスに言った。『真理とは何ですか。』」(新改訳)「ピラトはイエスに言った、『真理とは何か』」。と訳出されています。

  しかし、原典のアレーセイヤには「真理」等と言う意味はありません。「真実」と言う意味なのです。そして、この箇所を正しく「真実」として訳出してみましょう。 

 ギリシャ語のこの箇所の原典はこうなります。 

原典  「λεγει  αυτω  ο Πιλατοs,Τι εστιν αληθεια ; 」 簡単なギリシャ語で誰でも見れば分かるでしょう。直訳はこうなります。 「彼は言った 彼に その ピラトは 、何が 彼が存在し続けている 真実? 」

 誰が見ても分かる様にローマのユダヤ地方総督は「 何が 真実だ!」と言ったのです。考えてみてください。戦争に明け暮れたローマ帝国で熾烈な権力闘争に打ち勝ち、やっとの事で手に入れたユダヤ地方総督の地位、そこに現れた30そこそこの見すぼらしい大工(正確には石工)の若造にすぎないイエスキリストに、日に焼けた肉体労働者風情に真理を尋ねなければならないほど無教養なピラトでは無いのです。 自信にあふれ虚栄の世界に出世を目指す彼にとって「真実などに、何の意味があるか」と吐き捨てたのです。

  もちろん、後世のラテン語訳を作ったヒエロニムスはローマの皇帝にそんなステゼリフをキリストにぶつけた事をそのまま訳出する事は許されませんでした。

  大学者であるヒエロニムスは、ローマ帝国の代表であるピラトがキリストを尊敬どころか侮辱と取られかねない捨てぜりふを吐いたのを真正直に訳してしまう様な愚かな事はしませんでした。

  もしそうすれば翻訳の依頼人である時のローマ皇帝の顰蹙(ヒンシュク)を買うことは必須です。 ヒエロニムスは、ばか正直にその様な愚かな訳をするほどの愚人ではありません。 上手に皇帝の検閲をクリヤし歴史に名訳者の誉れを残す為にあえてこのような「ローマの総督であったピラトがキリストを尊敬し丁重に質問したように改変」する事などお手の物だったのです。

と言う事で、この箇所の正しい翻訳は、どうみて信仰や神様などに何の関心も無い野蛮で残忍なローマ総督の当然の発言として「何が真実だ! こいつは馬鹿じゃないか!! 」という意味です。そしてこの世俗的なピラト総督の捨てゼリフを使徒ヨハネは神と人間世界の隔たりを表す言葉としてここに記録したのです。

というわけで、「ギリシャ語のアレセイヤは真理と言う意味はなく、真実を意味するものである。」と言う事なのです。

  そして、この言葉は旧約聖書のアマンと言う言葉に相当します。だからで此のアマン=アーメンもやはり「真実」あるいは「信頼」と訳されるべきなのです。

この真実を意味するギリシャ語のαληθεια=アレセイヤ(女性名詞)の聖書中での使用頻度は新約聖書に110回 です。 それに同語根の副詞(21回)や形容詞(27回)や動詞(2+2=4回)その他(25)を加えると187箇所になります。また、旧約のアマンが関連語を含めて約200回で合計400箇所のかなりの部分の翻訳はいずれも訳語を再考する必要があると思われます。

今日は、αληθεια=真実と言う言葉の訳し方に関する問題点でした。

この記事に

閉じる コメント(2)

顔アイコン

たった一つの言葉でも真理と真実とではこれほどの違いがあるのですね。。。この説明を読んで思出だしたのですがピラトが民衆に語った言葉(ルカ23:22やマタイ27:23など)は実際のところどのような感じでピラトは語ったのでしょうか?今までのイメージと大きく異なるのではないかとふと思いました。ぜひ教えてください♪♪

2008/9/6(土) 午前 9:54 [ - ] 返信する

顔アイコン

コメントをありがとうございました。

取り敢えず直訳を記してしてみますね。★は説明です。

マタイ27章 23 ・その も 彼は表明した、なぜ その 悪(カコス)を 彼が行った?その も ますます甚だしく 彼らは叫んでいた 言っているらは、彼を十字架につけさせられろ。


ルカ23章 22 ・その も 3を 彼は言った 方に 彼ら、なに そして 悪(カコス)を 彼が行った これが? 何も無い 罪過(アイテイオン=要請)が 死の 私が探し出した 中で 彼。子供を訓練するは そういうわけで 彼を 私は確かに解放する。

★となります。罪と訳出されている語は違法性の意味ではなくあくまでも「 不具合」程度の表面上のトラブルを意味する軽い言葉です。

http://blogs.yahoo.co.jp/semidalion/508137.html もご笑覧あれ!!

2008/9/6(土) 午前 10:21 [ 油食林間 ] 返信する

コメント投稿

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

名前パスワードブログ
絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

.


みんなの更新記事