原典聖書研究

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霊の乞食

  今日はまた聖書の有名な箇所を取り上げましょう。山上の垂訓というのをご存じでしょうか?イエスキリストがお弟子達に教えられた教えの中で一番良く知られているものです。山(丘)の上で教えられたので山上垂訓と言われています。随分と長い教えなのですが今日はその冒頭の言葉を見てみたいのです。

  新約聖書のマタイの福音書5章3節です。一般の翻訳は以下の様になっています。

新共同訳・「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
口語訳・「こころの貧しい人たちは、さいわいである、天国は彼らのものである。
新改訳・「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。

  一体どのような人が神様に祝福されているのを宣言した言葉なのです。宣言ですから詳しい説明はなされていません。翻訳はまあとりあえずおいておいて、ギリシャ語の原典を語順そのままに日本語に意味を置き換えて直訳してみましょう。

マタイの福音書5章3節原典直訳

・祝福されているらは その 乞食らは その 霊に、それは 彼らの 彼が在り続けている その 王国 その 不可視らの。

  とりあえず、これをすこし日本語にしてみましょう。原文はもちろん話言葉なので会話調になります。

「祝福されているのは 乞食たちだよ 霊における。その理由は 彼らだけが 神様の国にいるのだよ。」

となります。パラフレーズ(意訳)してみます。
「神様が祝福された人は、自分には聖書の言う善や徳が何も出来ていないと思っている人さ。そういう自覚のある人は神様に祝福された人で天国に入れるのだよ。」となります。

さて鍵となる言葉が「乞食」です。

  原文では πτωχοι(プトーコイ)乞食 と言う言葉です。 この言葉の同意語には πενηs(ペネース) 日雇い=貧乏人 と χρεια(クレイヤ)窮乏 困窮 があります。これを豊かな順番?に並べてみると問題が分かります。
    一番豊かなのは 1・πενηs(ペネース) 日雇い=貧乏人
    次の真ん中が 2・χρεια(クレイヤ)窮乏 困窮
    そして一番下が 3・πτωχοι(プトーコイ)乞食

  という順番に並ぶのです。当然一番下は家もお金も仕事も無い乞食を指しています。こんなあたりまえの事を長々と記していると、「何をやっているのか」とお叱りを受けそうですがもう少し我慢してお聞き下さい。
「1・」の人は職業をもち借家か自分の家で一応の生活の自立が出来ています。
「2・」の人は今の生活が維持できず衣食住に困って生活の為に必要な物が満たされない状態を言います。
「3・」の人は全く仕事がなくその上家も無く何もありません。

と言う事で神様の祝福とは「霊」に関する事では、全て誰かに施してもらわないと生活も生存もままならない文字通りの乞食のような道徳あるいは精神状態の困窮いや生存や将来の展望における絶望を指しています。

ですから一般の翻訳の様に「貧しい者」と訳すのはあまり良い訳とは言えません。この箇所でキリストが使われたのは「3・」ですから 「1・」πενηs(ペネース) 日雇い=貧乏人や「 2・」χρεια(クレイヤ)窮乏 困窮の状態をさす日本語に訳すのは間違いと言わなければならないでしょう。

「3・」の言葉は「乞食」という意味以外の何物でも無いのですから。

さてもうもう一つの重要な単語にも目を向けましょ。一体何の乞食なのでしょうか。心ですか、違います 原文は 昨日学んだ 5・πνευμα(プネウマ) という言葉です。新約中に385回登場していて、訳語の内訳は次の様な物でした。聖or神霊(120回)、霊(111回)、人霊(52回)、悪霊(81回) その他(3回)で合計が先述の385回となります。参考 URL http://blogs.yahoo.co.jp/semidalion/1294750.html

  と言う事は一般の日本語訳の「心」と訳出されてるのはここだけですのでかなり無理な、いや強引な原典を無視した訳文と言わなければ成りません。これ以外の箇所ではいずれの場合でも「心」とはしないで、殆どが「霊」と言うふうに訳されているのですから。

 と言う事で、山上の垂訓で語られた言葉の意味は翻訳とはかなり、いや相当異なっていると言わなけれ派成りません。何故なら 重要な単語が二つともかなり違う意味に訳されてしまっているのですから。

 と言う事は、今日のキリスト教会にはイエスキリストが言われた言葉はそのまま受け入れる事には相当困難があると言う事になります。重要なのはこの教えがキリスト教の最重要な教えであるという点に在ります。

 聖書があるべき人間の姿、本来の宗教に帰依する人の心の状態、正確には「霊」の健全な状態とは明確です。豊かな心 、豊かな霊性と言う普通の感性と、キリストの教えは相違していると言う事です。 

  「貧しい心」では無く「霊(性)の乞食」こそ神様に祝福された人なのです。それは人と比較して自己の序列を定め安堵(割り引かれた翻訳聖書の妥結に満足)する生き方ではありません。聖書に記された峻厳な神の基準(=原典に記されている言葉)に自己を依拠させようと切磋した者のみが到達できる本当の神様の祝福と恵みの境地なのです。

最後に参考の為にかなり努力して一番良い訳と思われる岩波訳を記します。

・「幸いだ、乞食の心を持つものたち、

  この箇所の教えをはっきりと明確に記すならば、神様の前に自分の霊的な惨めさを悟り、キリストの十字架の贖罪で示された神様の一方的な罪の赦しと言う哀れみにより頼む以外に自分の罪性と言う悲惨な状態から救出される術は無く、その後も、地上にある限りはいつまでも霊の状態は乞食であって神にお返しの善行や慈善どころではなく、常に自分は神の哀れみを受けつづけなければ成らず、いつまでも罪の惨めな状態は改善され得ない事を認める事の出来る人が神様に祝福されていると言う意味なのです。 まさしくキリストの十字架の贖いを受けるのは霊の乞食だけであって、人間が神様にお返しが何か出来ると思い上がる事を戒めていると言うことなのです。

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ここのところは難しいですね 何語で読んでもよくわからないところです でもルカに平行記事があってこちらの方が原文にちかいとか 簡単な話ですよ 貧乏人よ祝福あれと言う意味ですよ

2006/9/26(火) 午前 8:27 [ 山崎 浩 ] 返信する

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